15 : 墓標と残滓
外に出ると、雨は上がっていたが、日も沈んでいた。
家の周りに植えられた木々が水を含み、重そうに枝を垂れている。
夙夜は、何処にでもありそうな、その木にそっと触れた。
「……サイプレス」
雨を含む柔らかい杉の葉は、重く揺れて水滴を落とした。
「気になるのか?」
オレの問いに、夙夜は微笑んだ。
「サイプレス――イトスギとも呼ぶよ。マモルさん、女神アルテミスって知ってる? 彼女のシンボルだよ」
彼女ってなんだよ。
オマエは女神の知り合いか。
「アルテミスなら、名前くらいオレでも知ってる。ギリシャ神話の月の女神だ」
「そう。太陽の化身アポロンの息子アクタリオンが、イトスギを分け入った先の湖でアルテミスの水浴びを偶然見てしまった、っていう話からきてるんだけどね」
微笑む夙夜に少し冷たいモノを感じた。
「『絶望』」
「……は?」
「サイプレスの花言葉は『絶望』だよ」
いつも通りの夙夜の笑顔。
その笑顔と、『絶望』という言葉がどうにも似つかわしくなく、オレは声を失った。
雨が上がったばかりの曇った闇夜に、街灯の光が照らしだしたオレのクラスメイトは、いつも通りだった。
なのになぜ、オレはこれほど恐怖したんだろう。
言葉と表情のギャップに、何故これほど慄いたんだろう。
「いつも、分かってるのに言わないのはやめろって言われてるから先に言うね」
「おう、言ってみろ」
嫌な予感しかしないが。
「俺は、ノアに勝てないよ」
悲しそうに笑った夙夜。
オレは息を呑んだ。
絶望、ってそういう事か?
そうだった、そもそもコイツ、ノアの事を珂澄さんの仇だと思ってるんだった。最初に探しに行ったのは、珂澄さんを傷つけられたからだ。
しかし、結果的にオレが邪魔をしたせいで、夙夜がやられた。
負けたのは、オレのせいじゃなく、夙夜自身が勝てないと言っているのか。
「ノアは強いよ。たぶん、組織の誰が来ても捕まえられないと思う。叔母さんに対して威嚇したみたいに軽傷で済めばいいけど……たぶん、すごい被害が出ると思う」
分かっている。
有機生命体に興味を持ったノアは、有機生命体を怖れない。
もし、白根のように水晶の爪を閃かせて襲ってくる相手がいれば、嬉々として肉を裂くだろう。
「だから、もし掃討作戦を無事に終えようとしたなら、ノアに異属を消すのをやめさせて、この場所から立ち去らせるしかないと思う」
ノアに、この場所を立ち去らせる。
それだけの材料がオレにあるか?――答えは、否、だ。
今この瞬間、オレの頭には梨鈴の墓標からノアを引きはがすだけの言葉が、欠片たりとも浮かばなかった。
それでも向かうのか?
自分に問うて、自嘲する。
バカバカしい。オレに実力がないのは元からだ。それでも足掻くと決めただろう。
何よりオレは、ホタルブクロの意味を理解してしまったから。
今日も遅くなりそうだ。
最近、帰りが遅くなることが多いのを両親に指摘されている。それなのに、今日もこれから神楽山へ向かうつもりだった。帰りは深夜になるだろう。
帰ったら、怒られるだろうか。
まるで不良息子でも気取っているようで気が引ける。
しかしここは、退くわけにはいかない。
神社の兄が――夙夜の叔父の朔という人間がご神体と関わり、人生を変えたように、梨鈴も、シリウスも、ヒナタもノアも、みんながオレを変えてきた。
人外の存在をヒトと同じか、それ以上に扱う事を決めさせた。
「俺はノアに勝てないけどさ……俺も行っていい?」
夙夜の言葉に、オレは愕然とした。
「はあ? オマエ、この暗い中、オレ一人で神楽山を歩けるとでも思ってんのか?」
当たり前に夙夜も来るもんだと思っていた自分にも割と愕然とした。
そして、少し照れくさいような恥ずかしいような気持になって、思わず早口でまくし立ててしまった。
「自分の時はオレについて来いって言うくせに、オレの事は放置なのかよ。そもそもオレはオマエにノアを倒せなんて言わねーよ。バカか! 何だよ、『絶望』って……バカか! どっちにしても、珪素生命体が関係する時はオレを巻き込む癖に、オレの方からは巻き込ませないとか、許さねぇからな」
ああもう、なんて巫山戯た友人だ。
まったく庇い甲斐もない。
「ここまで来たら、オマエも同罪に決まってんだろ、夙夜」
柄になく感情的になった事もまた照れくさく、さらに嬉しそうな夙夜の顔を見てさらに後悔。
一蓮托生、死なば諸共。
「行くぞ夙夜」
「うん!」
これは薄々思っていた事なのだが、白根の言う『珪素生命体は仲間の死んだ場所に現れる』ってのは、少し偏りがあると思う。
例えば、日本全国に無数に……とは言い過ぎかもしれないが、何千と存在する珪素生命体の残滓の中でも、梨鈴の墓標にはひどく多くの珪素生命体が集まっていると思う。
と言うよりも、夙夜の一言が気になっていた、という方が正しい。
――だって、マモルさんと俺とアオイさんがいるんだよ? このくらい集まってきても不思議じゃないよ
それは、神楽山に、ではなくオレや白根に珪素生命体が寄ってきていると解釈できる。
「なあ、夙夜。一つだけ聞いていいか」
「なあに、マモルさん」
「珪素生命体が仲間の残滓に惹かれる、って言ってたよな」
「うん、そうだね」
「それって、残滓が無機物だった時より、『残滓を残した相手が人間だった時』の方が強いのか?」
夙夜は答えず、にこりと笑った。
沈黙は肯定。
数百の墓標が立つ神楽山でなく、たった4人の残滓を刻んだオレたちに珪素生命体が寄ってきていること自体、不思議でしょうがないからな。
まあ、またも長い枕詞になってしまったが、何が言いたかったかと言うと、神楽山の入り口に辿り着く前に、目的の珪素生命体と遭遇してしまったって事だ。
「マモル」
相変わらず絶えず笑みを湛えた銀狐が、私立桜崎高校の正門前に佇んでいた。