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10 : 最期の一線

 嘘だろう。

 災厄を運んでくるのは、コイツのはずだろう?

 最悪だ――災厄だ。

 オマエ自身が災厄を身に受けてどうすんだよ、『無関心の災厄』――?!

 オレは無意識に、雨の中地面に突っ伏した夙夜と銀狐の間に滑り込んでいた。

 この行動に意味はない。この銀色の獣にとって、オレなんて文字通り歯牙にもかからない柔らかな生命体だ。盾になろうなんておこがましい考えは今すぐ捨てた方がいい。

 夙夜にどうしようもない相手なら、オレにだって手の打ちようがないのは自明。

 それでも、退くことなど出来なかった。

可笑(オカ)しいな。なんでだろ。なんで邪魔すんだろう。ね、アンタも壊れるよ?」

 夙夜との間にはだかったオレを見て、くすくすくすと銀狐が笑う。

「やめろ」

 オレの口から出たのは、そんな陳腐な牽制だった。

 このケモノ相手に、何の意味も持たないその言葉は、大粒の雨に叩かれ、地に墜ちた。

 雨音が五月蠅(ウルサ)い。

「何が『可笑しい』だ。オマエ、分かってんだろう」

「何が?」

 その返答に、柄になく苛立った。

有機生命体(タンソ)は脆いんだよ。オマエらが触れただけで傷つく程度にはな」

 心臓の音も五月蠅(ウルサ)い。

 重量も強度も全く違う素材でできた二つの生命体が単純にぶつかりあえば、無論、脆い方が壊れるに決まっている。

 そんな簡単な理屈は、目の前のケモノだって理解しているはずだ。

 ヒトの姿をしながらにしてケモノの思考を持つこのイキモノは、それを分かっていて笑うのだ。

可笑(オカ)しいな」

 理解できないはずはない。シリウスでさえ、最期には理解して散ったのだ。

 きっと、ただ、誰も教えていないだけ。

 それを「やめてほしい」という感情がある事を。

 オレは細く息を吐いた。

珪素生命体(シリカ)……オマエ、名前があるな」

 オレには妙な確信があった。有機生命体(タンソ)に興味があるコイツは、きっとこれまでに人間と関わったことがあるはずだ、と。

 これまでに出会った珪素生命体(シリカ)とは一線を画すコイツは、必ず名前を持っている。

 恐ろしく整った笑みを湛えた銀狐は、その名を口にした。

「『ノア』」

 ノア。

 神の起こした大洪水を生き抜いた預言者の名だ。地上の穢れを洗い流す災厄に、生き延びる為の方舟を建造し、すべての動物のつがいを助け、のちの世界の礎を築いたという。

 オレでさえ知っているビッグネームだ。

「オマエはノアって言うのか」

「そうだよ。サトルがくれたボクらの名前だよ」

 その言葉に、オレの心の中に何かが燃え上がって、心の端をちりりと焦がした。サトルって名は好きじゃねえ――個人的に、嫌な思い出があるんでな。

 まさか本人とは思わないが。

 一つ、ため息。

 これで少しだけ落ち着いた。

「オレはマモル。こっちは、夙夜。オレの……友達だ」

「マモル。ちょっとだけ、サトルと似てるね」

 雨粒がしみ込んだ尾をゆらゆらと左右に揺らしながら銀狐は微笑う。

「そう、オレ達はオマエの言う、『サトル』とかいうヤツと同じ、有機生命体(タンソ)だよ」

「サトル――マモル、似てるね」

 オレの言葉を聞いているのかいないのか。

 銀狐(ノア)はゆっくりとオレに向かって歩を進めてきた。

 心臓がこの上ない速度で脈打っている。

 当たり前だ。コイツがほんの少し、気まぐれでその尾を振り回すだけで、オレなんぞ簡単につぶれてしまうのだ。針がびっしりと並んだ尾で、皮膚も肉も抉り取られてしまうのだ。気まぐれで水晶の爪を振るだけでオレの脳髄は散逸するのだ。

 声が、震えそうだ。

「ノア。オマエが有機生命体(タンソ)を破壊するというのなら……その『サトル』ってヤツも壊すのか?」

「サトルを? 壊さないよ。サトルだもん」

「なら……」

 オレに許されたのはコトバだけ。

 人類が持つ、史上最弱の武器。

「ノア、コイツを傷つけるのもやめてくれないか?」

 背後に庇った友人。

 へらへら笑顔で、人を煙に巻く天然素材のクラスメート。

「何でかな?」

「オマエがサトルを壊したくないと思っているように、オレもコイツが壊れるのが嫌だからだ」

 銀狐はそこでようやく、首を傾げた。笑顔を少しだけ崩して。

 そして、淡い光を放つ尾が左右に振れる。何かを迷うように。

「アンタは、サトルと同じ? 壊したくない?」

 一生けん命に何かを考えているようだった。

 本当に不思議な事ではあるのだが、何の変哲もないオレの言葉(コトバ)は、時として何故かコイツらに届く。

 その理由は分からないが、そもそも珪素生命体(シリカ)と会話をしようと思うもの自体が少ないのかもしれない。そもそも彼らとて聞く耳を持っているのだが、それを知る者がいないだけではないだろうか。

 オレはぼんやりとそんな仮説を立てる。

 だとすればオレにも少しくらいの希望が残る。

「もしオマエが有機生命体(タンソ)に興味を持ったのなら、破壊しなかった有機生命体(タンソ)がどうなるか、知りたくはないか?」

 一か八か。

 もしコイツがただの愉快犯なら、こんな言葉に意味はない。

 しかし、万が一、有機生命体(タンソ)そのものに興味を持ち、近づいたのだとしたら。

 たとえば、興味を持って近づいたモノがあっさりと壊れてしまったら。もし、このノアと呼ばれる銀狐が何かを為す前にすべての有機生命体(タンソ)壊れてしまった(・・・・・・・)のだとしたら。

 たとえば、コイツが壊れていない有機生命体(タンソ)に触れたことがあまりなかったのだとしたら。

 酷く煩い雨音が周囲を埋め尽くす。

 雨音より大きな自身の鼓動が雨音とデュエットを奏でるように脈を打つ。

「オレと友達にならないか、ノア」

 オレは、まだ見ぬサトルなる人物に賭けた。

 もしソイツが人間を恨んでいて、ノアに対して有機生命体(タンソ)を破壊しろという指令を出していない限り、ソイツがただ、ノアに対して有機生命体(タンソ)に興味を持つ切っ掛けを与えただけである限り、コイツはこの申し出を断れない。

 大丈夫。

 ノアから受ける恐怖は本物だが、コイツだって珪素生命体(シリカ)だ。

 梨鈴。シリウス。日向。

 オレがこれまで出会ってきた珪素生命体(シリカ)たちと、何も変わりはしない。

 この銀狐は珂澄さんを傷つけた。

 それがどうした、シリウスだって萩原を殺した。

 この銀狐はこれまでに何人もの人間を壊してきたかもしれない。

 それがどうした、これまで何も知らなかったからじゃないか。

――オレは、人道的にあってはいけない道を進もうとしているのかもしれない

「友達になろう、ノア」

 オレは雨の中、手を差し出した。

 雨粒が跳ねる掌を、銀狐は薄笑いで見つめていた。


 夜闇を裂くように、救急車のサイレンが響き渡った。




 オレはこの時、最期の一線を越えた。

 大坂井に責められつつ、迷いに迷ってきたモノを飲み込む決断を下した。

 それは、大きな決断。

 人外に一歩、踏み出す事。

 そのために、ヒト至上主義を捨てること。


 夙夜が珍しくも珂澄さんの仇を討とうとしたように、この銀狐が傷つけ、破壊してきたヒトたちにも大切なヒトがいただろう。悲しむヒトがいただろう。

 オレはそのすべてに背を向けて、珪素生命体(シリカ)と向き合う事を決めてしまった。


 その一歩が、奈落への一歩。

 終わる前には、もう戻れない。


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