キスってどんな味?
5分大祭投稿作品です。
「ねぇ。キスって、どんな味なんだろうね?」
俺がテレビを見ていると、こたつの右端で宿題をしていた妹の沙由が、唐突にそんなことを言い出した。
沙由は俺の二つ年下で中学二年生だ。はじめに言っておくが、いわゆる再婚した親の連れ子とか、妹のような従妹とかそういう設定はない。正真正銘血の繋がった妹である。
休日の昼下がり。両親が郊外のスーパーに買い物に出かけた後、俺は一階の居間に向かった。大型テレビで一人ゆっくりと洋画のブルーレイを見るためだ。ところが視聴を始めてすぐ、なぜか妹も宿題を持って自室から降りてきた。このとき俺は、視聴していたのがエロDVDじゃなくて良かったと、ホッと胸をなでおろしたのだが、……それは秘密である。
沙由は俺が映画を視聴しているにもかかわらず、こたつの右隣に座ると、宿題を広げてやり始めた。そして数分もしないうちに、「洋画なんてつまんないよー。アニメ見ようよー」と言い出し始めた。
いいから宿題やれよ、と言い返すと、むーっと膨れて、ようやく大人しくなった――と思ったの矢先のことだった。
映画は、主人公と、ヒロインと思われる女性がいい雰囲気になっているところだった。
「ねぇねぇ。ねぇったら」
無視していたら、また言ってきた。うるさくて映画に集中できない。
「キスってどんな味だと思う?」
「魚の味」
回答すると、沙由はべたんとこたつの上に、両手を伸ばし万歳するかのように倒れこんだ。
「えーぇっ、どーして分かっちゃったのー?」
「慣れ」
何が楽しいのか分からないが、沙由は俺をからかって遊ぶ傾向にある。今回沙由が言い出したキスは、いわゆる口づけの「kiss」を連想させつつも、それ以外の何かであるひっかけなことぐらい、お見通しである。
「……でも実際、魚のキスってどんな味なの?」
倒れこんだ際、ちゃっかり伸ばした手で、こたつの上の蜜柑を取った沙由が聞いてきた。
キスか。天ぷらで食べた気もするが、正直味は覚えていない。
「……さぁ? 白身魚だし、フグみたいなもんじゃないのか」
俺は適当に答えた。なぜフグかと言うと、こたつに片頬をくっつけながら膨れている妹の顔を見て連想されたからである。だが詳しく説明すると絡まれて面倒くさいので、そこは伝えないことにする。
「そっか。フグかぁ……。食べたことないけど」
「だな」
兄妹なので食生活に大差はない。我が家は決して裕福ではないのだ。今日両親が出かけたのだって、大型量販店が新装開店セールをしているからである。
沙由はうっとりと、いまだ食さないフグの味を想像している。静かになったようだ。これでテレビに集中できる。
「ねぇねぇ、おにーちゃん」
しばらくしたら、また沙由が口を出してきた。俺は当然無視して映画の視聴を続ける。暗闇の廃院を、登場人物たちが恐る恐る歩いて行く……
「ねぇったらっ!」
突然手が伸びてきて俺の両頬を遠慮なしに、ぐいっと掴まれた。沙由の小さな手による仕業だが、映画がホラーなシーンであったため、少々心臓に悪かった。
俺の気持ちを知ってか知らずか、沙由は俺を強引に向き合うようにすると、両手を俺の頬から離した。そして、もじもじするような態度を見せると、右手の人差指(いつの間に食べたのか、蜜柑の皮をむいたせいで黄色くなっている)で、まだ口紅どころかリップクリームも塗っていない小さな唇を、そっと撫でながら、聞き取りにくい声で、ぼそっと言った。
「じゃあ、さ、せっ……ぶんって、どんな味がすると思う?」
「かんぴょうとご飯と海苔の味。もしくは炒った豆の味だろうな」
「つまんなーいっ」
沙由が座ったまま、背中から畳の上に倒れこんだ。
接吻と見せかけて、節分と言っていることぐらい、注意深く聞いていれば余裕である。ちなみに節分なので、恵方巻きと福豆である。
「ねぇ、じゃあ、口づけは、どんな味なのっ?」
がばっと上半身を起き上らせて、沙由が顔をずいっと近付けてきた。今日は後ろ髪をうなじのあたりで一本に縛っていて、小さな耳が姿を現していた。
沙由の顔を見つめ、色素の薄いちっちゃな唇を見て思う。
今したら、蜜柑味だろうな。
「……俺と、試してみるか?」
俺は沙由のつぶらな瞳をまっすぐ見据えて言った。
沙由がぱちくりと瞬きをした。
大型のトラックが家の前を通り過ぎ派手な騒音が部屋を揺るがす。俺たちは無言のまま向き合っていた。両親はまだ出かけたばかり。片道三十分(ガソリン代を考えれば安売りのメリットがあるのだろうか)はかかる。当分、帰ってこない。テレビから派手な悲鳴が聞こえてくる。映画は盛り上がっているシーンらしいが、五月蝿く思い一時停止した。後で巻き戻して見れば良い。
休日の昼下がり。静まり返った部屋。俺と沙由の二人っきり。
沙由がごくっと息をのんだ。その音が聞こえそうなほど、静寂に包まれている。俺は沙由の身体に触れることなく、両手をこたつについて、ゆっくりと体ごと、顔を近付けてゆく。
沙由は嫌がるそぶりを見せず、瞳をあけたまま固まっている。
互いの前髪が、まさに触れ合うかというとき――突然、沙由が相好を崩して、立ち上がった。
「おにーちゃんの、えっちぃー」
そう言い残すと、きゃはは、と笑って部屋を飛び出していった。ばたばたと二階へと駆け上がっていくリズミカルな足音が、沙由の満足度を明快に示していた。
――なるほど。これがやりたかったのか。
くそっ。先を越されたか。
俺とて本気で沙由とキスをするつもりなどなかった。そもそも俺には、れっきとした彼女が存在する(彼女のことを話題に出すと、なぜか沙由は不機嫌になるが)。
キス寸前、唇が触れ合おうかというときになれば、さすがの沙由も瞳を閉じるだろう。その瞬間が来たら、そのまま沙由を放置。映画視聴を再開するという展開を考えていた。だが、沙由の方が一枚上手だったということか。
二階に上がったまま沙由は下に降りてこない。ときおり自動車の走る音が耳に入るが、特に気になるほどの騒音ではない。
これでようやく映画を視聴できる環境は整った。……だが、どうも納得がいかない。
俺は、沙由の置きっぱなしの宿題に「馬鹿ばーか、砂油のあほー」と、ボールペンで落書きしてやった。
まずはお読みいただき、ありがとうございました。
皆様の本祭作品を目の当たりにしてレベルの違いを痛感し、またも変化球勝負になってしまったかもしれません。
結果、前祭作品と似た作風になってしまいましたが、ほのぼのとした、自分らしい話を書けたのではないかと、それなりに満足しています。
主催者の弥生 祐様、参加者の皆様、お付き合いいただきありがとうございました。
あとは読み手として5分大祭を満喫させていただきます。
まだ半分も読めていないので、これからが楽しみです。