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異聞:黒猫の名前


「どうして物置に子どもがいるんだよ!?」


 乙吉は獅子上の耳元に顔を近づけて言った。獅子上は顔をしかめる。


「こっち来い」


 そう言って、獅子上は乙吉を牧場の外まで連れ出した。


「あの子の名前は(なえ)。怪我した猫を連れてうちの牛小屋に逃げ込んでたんだ」


「怪我した猫だと?」


 乙吉は思わず振り返り、小屋の方を見る。

 たしかに獅子上の言う通り、苗のすぐ横には黒猫が丸くなっていた。

 すっぽり毛布に包まれ、腕には包帯が巻かれている。昨日、獅子上が手当てしたものだ。


 鞘が小屋の中に入っていき、苗に近づいて腰を下ろす。


「苗ちゃん、どうしてここに?」


 苗は涙で濡れた目をこすりながら、ぽつりぽつりと話した。


「猫を見に来たら……ドアが閉まっちゃって……真っ暗で、怖くて……」


「……なるほどな」


 鞘は優しく微笑みながら、苗の頭を撫でる。


「びっくりさせてすまない。もう大丈夫だ」


 その様子を見て乙吉も納得したらしい。


「牛小屋に子どもを監禁するクソ野郎かと思ったぜ」


「誰がだ」


 乙吉の肩を思いっきり殴る獅子上。痛そうに肩をさする乙吉。


「お前らも苗に紹介する。猫が驚いちまうから、静かに頼む」


 そう言って、獅子上は牛小屋の中に入る。

 3人の高校生に囲まれて苗は少し緊張したようだったが、それでも獅子上を見て柔らかな表情になる。


「苗、この二人は俺の友達だ」


十六夜(いざよい)(さや)だ。よろしく」


「俺は九頭竜(くずりゅう)乙吉(おときち)! よろしくな、苗ちゃん!」


 乙吉の声があまりにも大きかったので、苗はびくっと肩を震わせた。


「静かにしろって言っただろ」


 獅子上が乙吉の頭を小突くと、「わりぃわりぃ」と乙吉は頭を下げた。


「なあ苗ちゃん! この猫、名前はなんていうんだ?」


「なまえ……」


 乙吉に言われて、苗が困った顔をする。


「なまえ、ない……」


「ふふっ、そうか。じゃあ、名前を考えよう」


 まるで妹にでも話しかけるような調子で、鞘は優しく言った。

 乙吉も干し草の上に腰を下ろし、「名前か~」と言いながら首をかしげる。


「そんじゃ、ミケっていうのはどうだ?」


「ミケ? 黒猫だぞ」と獅子上。


「あ、そうか。じゃあクロだな!」


「ありきたりすぎる」


「なんだと!? 獅子上、お前も何か考えろよ!」


「そうだな……黒くて丸いから……『おはぎ』」


「おはぎだとぉ!? てめぇ、なに絶妙にカワイイの出してんだ! いいじゃねえかそれ!!」


 盛り上がる獅子上と乙吉を横目に、鞘は呆れた声を出す。


「まったく、何もわかっちゃいないな」


 鞘は獅子上と乙吉をまっすぐに睨みつけ、


「猫といえば『シュレディンガー』に決まっているだろう」


 と、勝ち誇ったように言った。


「シュレディンガーって……鞘ちゃん、それは猫の名前じゃねえと思うんだが……」


 困りながら返答する乙吉。「じゃあ、他にいい名前あるのか?」と鞘。

 鞘の勢いに押されて、乙吉は腕組みをして「う~ん」と(うな)っている。


 苗は「シュレディンガー……」とつぶやきながら、黒猫をじっと見ていた。

 ややあって、苗は微笑みを浮かべながら、握りしめた両手を小さく上下に揺り動かした。


「えっ? もしかして苗ちゃん、シュレディンガーがいいのか?」


 乙吉が(たず)ねると、苗はわずかに頷いた。


「決まりだな。これからこの子はシュレディンガーだ」


 鞘は満足そうに微笑んだ。


「……シュレディンガー」


 苗は両手で子猫の名前を呼びながら、シュレディンガーを抱きかかえるようにして胸元に寄せた。

 それを見て3人の高校生は思わず笑顔になる。


「かわいいな。苗ちゃんもシュレディンガーも」


 乙吉がそう(つぶや)くと、鞘も頷いた。


「それで、この猫どうするつもりだ?」


 鞘が聞く。


「とりあえず、元気になるまではここで面倒見ようと思ってるが――」と獅子上。


「それなら、苗ちゃんとシュレディンガーに会いに、俺も毎日ここ通っちゃおっかなー!」


 乙吉は楽しげに笑っている。

 4人と1匹で過ごす時間はあっという間に過ぎ、日が傾き始めていた。


「今日はもう遅いから、送っていくか」


「私も行く」


 鞘もそう言って立ち上がる。乙吉も「俺も!」と言って立ち上がろうとしたその時だった。


 苗が抱いていたシュレディンガーが、少し動いて体勢を変えた。

 少女の腕からすり抜けて地面に着地したその瞬間、黒猫の背中に付いたそれ(・・)が見えた。


「あ……」


 鞘が小さく声を上げる。

 シュレディンガーの背中には、小さな翼のようなものが生えていた。


「羽……?」


 乙吉が口をぽかんと開けて言う。

 さらに、シュレディンガーの瞳は片方が青く、もう片方は緑色だった。


 翼を持ったオッドアイの黒猫。高校生たちは思わず顔を見合わせる。

 苗は3人の様子を不思議そうに見つめていた。


「……十六夜、乙吉。話は後だ。苗ちゃんを送るぞ」




 苗を家に送り届けた後、3人はもう一度牛小屋に戻った。

 シュレディンガーは干し草の上で丸くなって寝ていた。


「あれ……羽だよな?」


 乙吉がシュレディンガーの背中を指さし、小声で言う。


「獅子上。お前知ってたのか? シュレディンガーの羽のこと」


 鞘が真剣な顔で問い詰める。


「ああ。昨日気づいた」


「苗ちゃんはなんて言ってるんだ?」


「なにも」


「なにもってことはないだろう。この黒猫……魔物じゃないのか?」


 鞘が静かに言った。


「まさか。そんな……」


 乙吉は笑おうとしたが、笑顔が引きつっていた。


 しんと静まり返った小屋の中、天井からぶら下がった裸電球の光が隙間風(すきまかぜ)でゆらゆら揺れる。

 沈黙を破るように、鞘が口を開いた。


「……もう一度聞くぞ。この猫どうするつもりだ?」


 鞘は獅子上をまっすぐ見据(みす)えている。

 言い回しは同じだが、先ほどとは意味が違っているのは獅子上もわかっていた。


 獅子上は、ふぅ、と一息入れてから、迷いのない口調で告げた。


「俺は苗とシュレディンガーの面倒を見る。最後までな」


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