1話
レミアは地方の没落貴族の一人娘だった。母は幼少時に流行病で亡くなった。
顔立ちこそ地味だったがアメジストの瞳は人目を引いた。
レミアが15の時、父ヴォルグが再婚した。継母エリーゼは年齢を感じさせない程若々しく、蜂蜜色の髪にエメラルドの瞳を持った華やかでとても美しい人だった。
エリーゼの支えもあって、マクゼール家はどうにか持ち直した。
彼女は美しいだけでなくなかなかに頭が切れるらしかった。
その上巨乳である。初めて会ったときは思わず胸をガン見した。父が羨ましい。できることなら自分が結婚したかった。
癪に障ったのはエリーゼの連れ子ノアだった。レミアより4つ下で、母譲りの容姿を持つその少年には誰もが振り向き感嘆の息を吐いた。初めは普通にまあ可愛いなくらいにしか思っていなかったが同時に嫌な予感がしていた。ーーこの顔は約束された勝利の顔だ。要は天敵である。
予感は的中し、ノアは成長するにつれ手足がスラリと伸び、美しい少年へと成長していった。まだ顔立ちは幼いながらも、その甘いマスクと優雅な振る舞いに皆たちまち虜になった。自分の前世との格差にレミアはショックを受けた。絶対に腹黒に決まっている。間違いない。裏で横柄な態度をとったり使用人に手を出したり人妻に手を出しているに違いない。乱交パーティー三昧だろう。
そんなノアへの不満はあるものの、レミアは父の再婚に安堵していた。
これで家を出て行ける。
そう、彼女の夢は家出だった。
この少女はとにかく貴族社会に向いていなかった。良家の子女の嗜みや習い事にはアレルギー反応が出る程で、コルセットも一週間で自ら破壊した。幼い頃は男勝りの言葉遣いであったが、家庭教師の努力の甲斐もあってなんとか矯正した。しかしいわゆるお嬢様言葉はまるで馴染まなかった。父は嘆き悲しみ、こんな娘でもせめて結婚だけはさせよう、半人前でもいい、なんとか淑女に仕立てようと懸命だった。
しかし彼女は全力で嫌がった。
社交界に連れて行けば隅っこで蹲り、壁の花といえば聞こえはいいが実態は壁に生えたキノコのようなものであった。そして未来の伴侶候補には目もくれず女性ばかり目で追っていた。男性と会話でもさせようとしたものならものすごい表情で威嚇をした。
父はそんな娘に頭を抱えた。うちの子はどこかおかしいのだろうか。
無理もない。レミアの中身は男だったからだ。
令和の日本でしがない会社員(実家暮らし、彼女居ない歴=年齢、ブラック企業勤め)だった彼は30歳を迎えたある日、行きつけのレンタルショップで借りたAVをうっかり川に落としてしまった。勢いで飛び込んだはいいもののそのまま流され、流木に引っかかっていたAVの袋を掴もうとしたが掴めず溺れ死んだ。意識を失う前サブスクにしておけば良かったと後悔した。
目覚めたと思ったら赤ん坊になっており、レミア=マクゼールという人間に生まれ変わっていた。いわゆる転生である。
彼は絶望した。
彼女ができないまま死んだことも、ろくな親孝行ができなかったこともまあ悲しかったが、何より女になってしまっがのが悲しかった。
どうせ転生するならイケメンに生まれたかった。女を取っかえ引っかえしたかった。ちやほやされたかった。何もしなくても女が寄ってくる、そんな人生を送りたかった。
それなのにこの仕打ちである。自分が女では何の意味もない。あれほど恋い焦がれていた女体も自分の体では興味も湧かない。これで美少女にでもなっていたら余計に虚しかっただろう。
何が悲しくて嫁に行くための努力をしなければいけないのか。
ドレスは動きにくいことこの上ないし、ジャージが恋しかった。そこで思いついたのが家出である。
ノアは気に食わないがマクゼール家の未来はノアに託すしかない。親娘2人の先行き不透明な生活を送っていたあの頃より、今の方がマクゼール家にとって良いだろう。いずれ家族も増えるだろうし自分がいなくても特に問題ないはずだ。
働かずとも生きていけるのはいいかもしれないが、コミュ力底辺のレミアに貴族社会は辛かった。あとノアが目障りだった。
そこで彼女はものぐさな癖に独り立ちすることに決めた。
ハローワーク的な所に行って職を斡旋してもらえないかと考えていた。
もっとも怠惰な生活を送ってきた彼女がまともに働けるはずもないし、そう簡単に仕事にありつけるのかという問題がある。しかし前世で社畜として頑張っていたんだからこの世界でもなんとかなるだろうという訳の分からない自信があった。レミアはこの世界で平民以下の民が生きていくのは貴族より大変だということに気付いていなかった。引きこもりにも関わらず生きていられたのは曲がりなりにも貴族だったからだ。
父の再婚から早4年。レミアはその日の晩に家を抜け出すことに決めた。その辺にあった目立たない色の布を全身に巻きつけ、わずかな硬貨と食料を持って窓から静かに降り立った。詰まるところノープランである。この屋敷は元々使用人も少なく、ばれるはずがないとレミアは高を括っていた。
月は雲で覆われ足下が覚束ない。ひとまず人気のない場所で野宿でもしようと考えていた。休息地を探しているうちに、彼女は余計なことを思い出した。この辺に色街があったような気がする。もちろん行ったことはないが、昔父にあそこには近付くなと言われたことがある。理由を聞いても答えてくれなかったが一目で察した。
会社員だったころ勇気がなくて行けなかった風俗街。あの通りに雰囲気がそっくりなのだ。
レミアは鼻息を荒くして色街の方へと足を踏み入れた。
「姉さん!」
声がしたのと同時に腕を掴まれた。
「!?」
薄暗い街灯の下に照らされた無駄に整いすぎて殺意の湧くレベルの顔は、紛れもなく義弟のノアだった。
そのままずるずると色街から離れた所まで引っ張られていく。
「ここまで来れば大丈夫か」
言い終えて、ノアは溜息をつく。
レミアはまたしても絶望した。速攻で計画が失敗してしまった。馬鹿な。この男、どうしてわかったんだ。歯軋りしているレミアにノアが声を掛けた。
「こんな時間に何をしてたの」
「さ、散歩」
「そんな恰好で供もつけずに? 治安の悪そうな輩が何人もいたよ。気付かなかった?」
レミアは冷や汗をかいた。言い訳が思いつかなかったのでとりあえず頷いた。
二人の間に沈黙が流れる。
「再婚、そんなに嫌だった?」
ノアが悲しげに長いまつ毛を伏せた。
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「姉さん最近様子がおかしかったから……殆ど部屋から出てこないし、あまり話さないし、何か思い詰めているのかと思って」
部屋から出ないのも話さないのもコミュ障インドア派のオタク気質だからである。
再婚が嫌というより、連れ後が前世の自分の天敵だったことと嫁入りさせられそうなことが嫌だった。深く考えずにノアの問いかけに頷いた。
するとノアは目に見えてショックを受けていた。普通は空気を読んで「そんなことないよ」などと口走る場面である。
「そうだよね、姉さんからしたら知らない人が急に家に来たんだもんね。戸惑うのはわかるよ。でもせっかく家族になったんだから、仲良くなりたいんだ」
何勝手に解釈して話を進めてるんだ。思わずそう言いたくなったが大人なので我慢した。レミアよりノアの方がどう見ても人間的に大人である。
「帰ろう」
ノアはレミアの手を引いて歩き出した。
「ちょっ、離……」
全力で義弟の手から逃れようとするがびくともしない。鍛えているのか、ノアの手は思いの外固かった。男に手を握られたショックで倒れそうになったら、心配そうに支えられてしまった。
レミアは全身鳥肌状態で抜け殻のようになりながらも、なんとか屋敷に辿り着いたのだった。
強制送還後、薄明るいランプの下レミアは日記を書いていた。
日本語で書かれているのでもし見られても内容が知られることはない。
書かれているのはろくな事ではない。何もしたくない、ビールが飲みたい、ゲームがやりたい等々、日記というより煩悩にまみれた忘備録だった。この世界にはレミアの求める娯楽が一切ないので退屈で仕方なかったのだ。家出計画が頓挫した今、レミアは目的を失い途方に暮れていた。
この日の日記は一行だった。
『絶対家出してやる』
引きこもりがちだったレミアだが、あまり篭もっているとノアの警戒が強まると思いそこそこ姿を見せるようにした。ノアに強制送還された傷はまだ癒えておらず、時折胸を押さえて辛そうな素振りを見せた。なお、家出のことはノアに「両親に余計な気苦労を掛けたくない」と嘯いて強く口止めし、気分転換に散歩したかっただけということにしたのでバレていない。
「レミア、大丈夫? 無理しないで休んでいていいのよ」
エリーゼが心配そうにそっと頬を包む。前世女性にこんな風に触れられたことのないレミアは赤面した。口元が綻ぶのを押さえられず、咳き込むふりをして誤魔化した。
「まあ、風邪かしら。やっぱり寝ていた方がいいわ」
体調を気遣うエリーゼに強制的にベッドに連れて行かれた。
ベッドで転がっていると、ノックの音がした。
「レミア、入るぞ」
「うわっ」
ヴォルグはベッドの脇の椅子に腰掛け、サイドテーブルに肘をついた。
「うわじゃないだろう親に向かって。エリーゼはお前に甘すぎるな。どう見ても元気そうだ。……さて、お前ももうすぐ19か。早いものだな」
しみじみと語り出した父に、嫌な予感がした。
「昔から何をやらせても駄目だったな。勉強や刺繍なんかはまだましだったか。ダンスをさせたら全く違う動きをするし、乗馬もできないし、気の利いた会話もできない。特に男性相手だとものすごい形相になっていたな」
遠い目をして語るヴォルグ。レミアはこっそり逃げようとした。
「聞きなさいレミア」
「はいくそおや……お父様」
レミアは反射的に正座していた。
「こんなことを言いたくないが、貴族の間ではマクゼール家の一人娘はろくに表に出て来ないと言われているらしい。余程1人が好ましいようだと。別に私はお前を責めているわけじゃない。得手不得手は誰にでもある。コツコツ勉強するのは得意なようだしな」
「へへへ」
締まりのない笑顔を見せるレミア。割と勤勉なのは資格ばかり取らされた社畜時代の賜物である。
「へへへじゃない」
ヴォルグは深いため息を吐いた後、一呼吸おいて娘を見据えた。
「そうは言っても一生このままではいられないだろう。いい加減結婚だって考えないといけない。貴族にとって結婚は家と家を繋ぐ重要な使命だ。そろそろわかってもらいたいものだがな」
この時点でレミアは白目を向いていた。父の話は右から左である。
「お前を気に入ってくれる物好きが一人くらいはいるかもしれない。近いうちに見合いを設定しよう」
レミアは絶句した。