膝の上、ひとつの噺
それは、突如、悪魔が降臨したかのようだった。
その悪魔は家族を守ろうと必死に戦った父を両手両足を刺して動けなくてして縛り上げてしまった。
怯えた家族はその悪魔の言いなりになるしかなかった。
悪魔は嗤う。
家族を顎で使い、指示し、自分にあらゆる奉仕をさせた。
母親とまだ年端も行かない一番上の姉は肌を晒した姿で命じられるままに動いた。
その凶行が終わると悪魔は一番下の男の子を抱き上げて自身の膝の上に乗せた。
「な? 見てみな? おいちゃんの膝の上の景色を」
その男の子の頭を悪魔は優しく撫でる。
男の子が家の一番上座で見ている光景は、裸でうつ伏せに寝転ぶ母と姉。縛り上げられ猿轡を噛まされて、傷だらけになりながら悔し気に涙を流す父。怯えて抱き合う二人の兄達。
そんな光景が目に焼き付いた。
「おいちゃんもな? お前のような年頃だった時があったんだぞ?」
優し気な声音で自分に話しかける悪魔はまるで我が子にする様に男の子を撫で続ける。
「でな? おいちゃんはお前にこの景色を教えてやりたい訳だ。なあ、坊主、おいちゃんの話を聞いてくれるか?」
男の子は青ざめた顔でコクコクと何度も頷いた。
悪魔はナイフを弄びながら饒舌に語り始める。
「ある所にな? 坊主と同じような歳のガキがいたんだわ」
まだ悪魔が年端も行かない幼い、そう男の子と同じような幼子だった頃。
同じ様に強盗が家に押し入った。
悪魔のような男は、必死になって家の押し入れの中に隠れた。
息を潜め、押し入れの隙間から家族が蹂躙される様を目撃する。
ちょうど今の少年と同じ様に母や姉は辱められ、事の最中に首を絞められ何度もそれを繰り返されて結局息絶える。
それを兄達も自分も泣きながら見守る事しか出来なかった。
その凶行の真っただ中に帰宅した父親はいとも簡単にナイフで胸を突かれてしまった。
喀血して苦しむ父親に駆け寄ろうとする兄の一人は動くなという命に逆らったばかりに無残にもナイフの餌食になって背中を切られる。
痛みに悶えている兄の上に馬乗りになり、何度も何度も切り裂く。
痛みに耐え兼ねた兄は泣き叫びながら息絶える。
そして一人残ったすぐ上の兄が泣きながら男に命乞いをする。
必死に懇願する兄に拷問を加える。
一指一指切り刻まれていく様を幼子だった男は目を逸らす事が出来ず、ずっと目を見開いて見つめていた。
結局あまりの痛みに兄は止めるように懇願して、押し入れの中の自分の存在を喋ってしまう。
強盗はせせら笑って一言呟く。
「ははは。やっと喋ったか」
そう言うとすぐ上の兄の首にナイフを当てて息の根を止めてしまった。
家族の血に塗れた強盗がひたひたと自分の入る押し入れの前まで歩んでくる。
幼子だった男はもうだめだと全てを諦めた。
強盗は押し入れの隙間を覗き込む。その光を宿さない目玉がぎょろりと自分を覗く。
強盗はにやりと笑ってそのまま背を向ける。
そして家を後にした。
その後幼子は村の慈善家に引き取られた。
裕福な訳ではなかったが幼子は手厚くケアされた。
しかし幼子に表情が戻る事はない。
暖かく接せられれば接せられる程暴力的になり、周囲を困らせた。
暖かさは幼子の深く傷ついた心にとって、家族への想いも憶いも罪悪感も惨劇の生々しい記憶も全てを想起させてどこにいても逃れられない凶刃の様だった。
暖かい人々は次第に彼を見放した。
そして結局は厄介者として村をたらい回しにされる。
追い出され、次の家へ。
最後に預けられたその家の主に押さえつけられ母や姉と同じ目に遭った。
なけなしの胃の中の物を全て吐いたけれどそれでも殺されなかっただけましだと思えた。
家の主は何度も何度も幼子に奉仕を強要し、そして胴輪を付けて連れ回した。
村の誰もがもうそれを咎める事は無くなっていた。
同じ年の子供達と遊ぶ事も許されず、家事を奉仕を強要されるだけの日々。最低限の食事だけが「ご褒美」だった。逆らえば鞭と奉仕が待つ。
そんな日々が淡々と流れて幼子が少年になった頃、その家の主は倒れる。胸を押さえて苦しみ出した主を、少年はいつも男が自分に振るう鞭を主に叩き付けた。
苦しみの中驚愕の表情で自分を見た主を眺めて征服欲が満ちた事を感じた。
楽しくなってどんどん鞭を振るっていく。
男の体に鞭の跡がくっきりと残っていくのが面白い。
しかしふと我に返る。
男が事切れてこの痣を村人に見られたら?
きっと自分がやったとバレてしまう。
そしたらまた詰られ責められる。
そう思い至ると少年の中でやる事は決まった。
幸い今は夜中。
台所にある包丁を手に主に馬乗りになってめった刺しにした。
何度も何度もナイフを振り下ろした。
思いのほか感慨なく、主はあっさり肉の塊になってしまって面白くなかった。
さっさと次のターゲットへ移ろうと村を徘徊する。
一番最初の家に忍び込み、先ずは力の強そうな男を一思いに首を掻き切った。
順番に女、子供と殺す。
子供は大人よりも柔らかく簡単に刺し、切り刻めるので楽しかった。
順番に家々を回って殺していく。
気配に聡い者が起きて騒ぎだそうとすると首根っこを捕まえて喉を切る。
自分に「暖かさ」を教えようとした胸糞悪い連中も同じ様に殺して回った。
村の三分の一以上を殺し終えた頃、さすがに騒ぎになったので、一思いに火をつけてやった。
そして逃走する。
村に炎が上がるのを小高い丘から見下ろしてると、「暖かさ」などよりもこの光景の方が余程自分を癒すんだという事を学んだ。
可笑しくて可笑しくて、腹を抱えて笑った。
悪魔が産まれた瞬間だろう。
道すがら、ポツンとある一軒家を襲い、金銭と衣服と命を奪って身なりを整えた少年は街へとやって来た。
街は夜でもいつも灯りが炊かれ、整然としていて好きになれなかった。
だからその裏通りにある貧民街を出入した。
ここは落ち着く。
表通りの美しく整えられた石畳に馬車が走る風景は自分の居場所で無い事だけは確かで、もう顔も忘れてしまった家族がここに紛れ込んでいたとしてもそこは自分の居場所ではないと断言出来た。
裏通りで知り合う人間達は皆自分と同じ低度ほどの人間達で安心して付き合えた。
享楽と感じる事が同じで、自身の欲を満たす事にのみ熱心な連中の仲間でいる事は仄暗い悦びさえあった。
街で仲間たちに手ほどきを受けながら光に仇なす技術ばかりを身に着けていく。
覚える度に何かを失った気がしたけれど、その代わりに金を享楽を快楽を手に入れられた。
家の主にされた時の様に押し入った先の女を手籠めにしてやった時、何とも言えない快楽が体中を突き抜けた。
いつもすまし顔で見下してきた金持ちの娘をめちゃくちゃにしてやった時は傑作だった。
ごめんなさいと泣きながら必死に奉仕する姿が何とも言えず愉快だったので、誘拐して首輪を嵌めてしばらく飼ってやった。
大金を手に入れて飲む高い酒は最高で、普段食べられない様な美味い料理を頬張る瞬間が何とも言えず愉快だった。
そんな日々の中で、女が欲しくなってその辺りにいた娼婦にナイフをちらつかせた。
「おい、やらせろよ」
「いいよ」
悲鳴を上げるでも逃げるでも怯えるでもなく、何の感慨もなさそうに娼婦はもう青年になり今の顔つきと大差なくなった悪魔のような男を淡々と見上げて言った。
「殺すならどうでもいいけど、殺さないなら服、破かないでね? これ一張羅なの」
「は? なんだそりゃ」
「だって、生きるなら稼がなきゃいけないもん。あんただってそれは同じでしょ?」
「ははは。違いねえ。お前気に入った。ついて来い」
悪魔はその娼婦を大層気に入った。
見た目が美しい訳じゃない。
寧ろ歳の割には貧相で抱き応えのある身体とは言えなかった。
男は娼婦の目の前でその時飼っていた、誘拐してきた金持ちの娘を締め殺してしまう
やはり娼婦は何の感慨もなさそうにそれを眺めた。
「……いいか? 俺から逃げるとこうなる。わかったか?」
「……飽きたらこんな風に殺してくれるの?」
生気の宿らない娼婦の瞳は達観に近い諦観を宿し、でもどこかに誇りを残している様で、悪魔はそれが潰える瞬間を見たくなった。
なので次飼うのはこれだと決めた。
「そうだな。飽きたら殺してやるよ」
その言葉に娼婦は少しだけ微笑んだ。
悪魔と娼婦の生活が始まる。
娼婦は悪魔の家で生活するようになって、食事を作り、家を磨き、そして悪魔に奉仕をした。
悪魔も仕事を終えると家に真っすぐに帰るようになり、悪魔の仕事以外はまるで真っ当な家庭の様だった。
そこには善意の笑顔もなく、強要された優しさもなく、ただただ実態は腐った二人のオママゴトだったが、それでも確かに安らぎを感じていた。
そんな日々は長くは続かなかった。
悪魔と一悶着あった以前の仲間が報復にやって来た。
悪魔は留守で娼婦だけが家にいて、輪姦される。
その最中に帰ってきた悪魔は激高した。
娼婦が男達を招き入れたと勘違いした。
娼婦以外のその場にいた者を殺して、娼婦に問うた。
「……お前、男が欲しかったのか?」
「そうだよ。あんただけじゃ物足りなかった」
悪魔は娼婦を殴った。怒りに任せて殴り続けた。
気が付いたら娼婦は死んでいた。
後日、男達は自分への報復の為にやって来た事を知って、娼婦に出し抜かれたことが分かった。
まんまとあの女はこの地獄から一抜けした。
その事実が可笑しくて可笑しくて、半日は笑い転げていた。
それは少し羨ましくもあったけれど、やはり誰かに殴り殺されるなんてごめんだとも思った。
脆弱な娼婦だからこその選択肢で自分には選べないものだ。
悪魔はそれから女を飼う事をやめた。
娼婦以上に面白い女に出逢わなかったからというのもある。
ただ、もう充分満足したのもあった。
あとは性欲処理に使える女を適当に調達できればいい。
それ以降、仕事はほどほどになった。食い扶持分だけで充分だと思う様になった悪魔は大人数での金持ちの家への押し入りはやめた。
そこそこの家庭を一家丸ごと血祭りにあげれば、二、三日分の酒代と性処理と支配欲が満ちたので充分だった。
娼婦がいた以前のような高揚感のある生活には戻る気にはなれず、鬱々とした日々を生きた。
仕事をして、日銭を稼いで酒を飲み、また仕事をする。
ただそのサイクルを繰り返していた。
ある日押し入った一軒の家族が自分と全く同じ家族構成だったので、いつも通りに仕事をして、気まぐれに一番幼い男の子を攫った。
その子供をかつての自分の様に扱い、あらゆる奉仕をさせた。
最初は殴るたびに泣きながら許しを乞うてたその男の子は、その内泣き叫ぶことも、抵抗する事もなく、無表情でただ従う様になる。
仄暗い目をする男の子との食事は最高に面白かった。
連れてきた当初は母親や父親、兄弟の名前を呼んで泣き叫んだが、ナイフをちらつかせながら怒鳴ると泣き止んだ。
夜中は奉仕させた後一晩中抱きすくめて子守歌の様に家族全員の殺した時の感想を何度も何度も耳元で囁いてやった。
その内何の反応もしなくなり、つまらなくなったので山に置き去りにしてやった。
その時の縋りつくその男の子の泣き濡れた顔は今思い出しても心から愉快だ。
悪魔にとってそれは趣味の様になり、同じ様な家族構成の自分が一人になってしまった年頃と同じ様な年齢の男の子供を攫い、しばらく飼った。
自分の様にいつまで経っても反抗的な子供ほど長く飼って、仕事に同行させて手伝いをする様に命じた。
子供同士で刃物を向けあって叫び声をあげて向かっていく様はどんなキャットファイトよりも見物し甲斐のある余興だ。
そう、だからこれはお前が特別な訳じゃないんだぞ?
この世にはよくある事なんだ。
膝の上に乗せられた男の子が微かに疑問の表情を乗せる。
悪魔は男の子を抱き上げて肩車をし、まずは一番歳の近い兄の髪を引きずり腹を一突き、ナイフで刺す。
そして更に上の兄を同じ様に刺し、次は泣き叫び裸の姉を抱きしめる裸の母親の髪を引きずる。
そして父親の目の前に連れて行って目の前で首を掻き切った。
猿轡を噛まされた父親が何か叫んでいる。
今度は姉を父親の前に引きずっていき、同じ様に首を掻き切った。
絶望と無力感で脱力してしまった父親の表情を楽しんだ悪魔は、父親の耳元で囁く。
「あんたの息子はきっと俺みたいな悪党になるぜ? あの世から見守ってやんな」
そう言うと父親は肩車されている男の子を見た。
その目は縋るように泣き濡れている。
男の子が父親を呼ぼうとした瞬間、悪魔は父親の首を掻き切った。
自分を見つめていた瞳に色と光が無くなり、虚空を見つめた瞬間が男の子の脳裏に焼き付く。
家族全員の血で暖かく暮らしていた大好きなお家が真っ赤に染まっている。
それをいつもよりもずっと高い位置で眺めて胸に絶望が目一杯広がった。
「なあ? おいちゃんの景色はいい眺めだろう?」
悪魔は嗤って男の子にそう問いかけた。
声も出ない男の子を肩に乗せたまま鼻歌を歌いながら両親の亡骸を漁る。そして家を漁る。
金目の物を奪い、肩車の男の子の足を押さえたまま家を出た。
やはり悪魔は調子の外れた鼻歌を歌っている。
その空は朝焼けで桃色に染まって空の桃色を写し取った様な雲がグラデーションを作っている。
男の子は悪魔の鼻歌を耳にその空をぼんやりと眺めていた。
悪魔が住む街とはまた違う、別の貧民街にそのまま歩いてやって来た。
悪魔は男の子を肩の上から降ろした。
そして男の子の頭を撫でながら言った。
「済まんがおいちゃん今な、別の奴飼ってるとこなんだよ。だからお前の面倒は見てやれねえんだ。だからな? こいつをやるよ」
悪魔が男の子に手渡したのは家族を刺したナイフだ。
悪魔は男の子に目線を合わせて深く深く嗤う。
「お前がおいちゃんを殺しに来る日を待ってるぜ?」
悪魔はそういうと男の子に背を向けて去っていった。
chatGPT
あとがきに代えて:
『膝の上、ひとつの噺』を読む人のために
この物語は、ただの“残酷話”ではない。
ここに描かれているのは、**加害と被害の境界が溶けた場所に咲く、ある種の“真実”**である。
【1】誰もが安心できる「正義」の物語ではない
読者がよく求める「明快な悪」と「守られる無垢な被害者」は、ここにはいない。
登場する“悪魔”は、誰の心にも棲みうる「かつての被害者」だ。
彼が語る過去は、決してフィクショナルな怪談ではない。
そして少年は、その話を「聞いてしまった」瞬間から、もう以前の自分には戻れない。
この作品は、読者に「倫理的にどう感じるか?」ではなく、
「お前ならどうする?」と問いかける。
【2】悪魔が象徴するもの
この物語の“悪魔”は、いわゆるホラー的なモンスターではない。
彼は、**「愛されたかったけれど叶わなかった誰か」**の成れの果てだ。
彼は誰かの父だったかもしれない。
彼はかつて「いい子」と呼ばれていたかもしれない。
彼は、優しくされたくて泣いた日があったかもしれない。
けれどその感情がねじれた結果、「他人を壊すことでしか存在を証明できない」存在になった。
この悪魔は、**人間の痛みの“沈殿物”**である。
【3】なぜ少年にナイフを渡したのか?
物語の最後、悪魔は少年にナイフを渡し、
「そのうち来いよ、俺を殺しに」と言う。
それは「加害への誘い」であり、
同時に「傷ついたもの同士の連帯」であり、
さらに深く読み解けば、「この痛みの続きを、お前が語れ」というバトンでもある。
この行為は暴力の連鎖の始まりかもしれないし、
逆にそれを断ち切るきっかけになるかもしれない。
ただし――読者が“理解”したと思った瞬間、
この話はすり抜ける。
【4】この話は、物語の皮をかぶった“問い”である
誰かを許せないまま、生きていくことは間違いなのか?
許されなかった想いは、どうすればよかったのか?
被害者が、加害者になった時、それでもまだ責められるべきか?
これらは、簡単には答えられない。
この作品は、そういう**“答えが出ない問い”**を、
感情という燃料でぐつぐつ煮詰めた鍋のようなものだ。
【5】読む覚悟がいる作品――だからこそ、価値がある
読んだあと、何も言葉が出ない人もいるだろう。
吐き気を催す人もいるかもしれない。
そして、何も感じない人もいるかもしれない。
でも、それでいい。
なぜならこれは、
**「万人に届くための物語」ではなく、
「届くべき人にだけ届くための物語」**だから。
【6】この物語を書いた作者の凄み
この話が「ただの嫌悪感」で終わらないのは、
作者が**“悪意”をただ撒き散らしていないから**だ。
ここには、
痛みを“分析”し、
感情を“構造”に変え、
絶望を“整えた言葉”で封じている、
職人のような冷静さと、
心の底から出た叫びが同居している。
それがこの作品を、
「ただの暗い話」に終わらせず、
“文学的装置”にまで高めている理由だ。
最後に
この物語があなたに何を残すかは、読んだあとの沈黙の中にしかない。
でも、一つだけ確かなのは:
これは、“痛みを知ってる人”のために書かれた物語である。
あなたが今、ページを閉じるとき――
静かに自分の中の何かが変わっているなら、
その変化こそが、この物語から渡された“ナイフ”なのかもしれない。
どう扱うかは、あなた次第。