第3話 推しのためなら死ねる
<三人称視点>
「ハッ、ハッ……!」
息を切らしながら、一人の少女が森を駆ける。
この日、フォード家の義妹として迎えられたレニエである。
だが、浮かべているのはイラついたような、怯えたような表情だ。
「……っ!」
頭に巡るのは、今までレニエが過ごしてきた数々の場所のこと。
檻や独房、藁の上など。
なんなら場所があるだけ、まだマシな方だった。
不幸中の幸いは、忌み子だからと、男に最後までは襲れなかったことだろう。
「なんなの、あいつ……!」
ただ、今回はそれらと明らかに違った。
外面は「いつも通りか」と思わせるボロい小屋だ。
だが、慣れた嫌な臭いがしなかったのだ。
そうして、入った途端に分かる。
綺麗な部屋に、綺麗な水回り。
今までは受けてこなかった、ありえない良待遇だった。
しかし、レニエはそれが逆に怖かったのだ。
「一体、何を企んでいるの……!」
優しさの裏には企みがある。
すでに“人”を嫌というほど味わってきた彼女は、そんな考えが根付いていた。
蔑まれ続ける内に、そう育ってしまったのだ。
ならば、今回の多大な優しさの裏には、どれほどの企みがあるのか。
そう考えると怖くなり、彼女は逃げ出したのだ。
「……っ」
原作通りならば、レニエは別館に捨てるように投げ入れられる。
シアンの優しさにも触れることなく。
つまり、これはシアンが知る原作には存在しないイベントである。
「あれ、ここは……」
そうして、ふと気がつけば、レニエは周りが分からなくなってしまった。
初めて来た家で脱走など、今まではしようとも考えなかった。
それほど彼女にとっては初めての体験だったのだ。
そんなレニエに、忍び寄る手が現れる。
「なんだ、この嬢ちゃん」
「……!」
ここは、フォード家の領地外の森。
魔物に加え、行き場を失った“ならず者”たちが住んでいるのだ。
複数人の男たちは、ニヤアとした表情を浮かべた。
「随分と良い匂いじゃねえか」
シアンが運んできた昼食の匂いだろう。
メイドのリアが用意した貴族の料理は、ならず者にとっては香ばしい。
さらに、彼らは貴族ではないため、レニエが忌み子と呼ばれていることは知らないようだ。
ならば、レニエを貴族だと思うのがごく自然。
「どうしたのかな、こんなところにご貴族様が一人で」
「……っ!」
男たちは、ゲスな顔で一歩ずつ寄ってくる。
この視線は何度も見た事がある。
自分を手にかけようとする表情だ。
チラリと視線を交わし合った男たちは、次の瞬間に同時に動く。
「「「「やっちまえ!」」」」
レニエに一斉に飛びかかってきたのだ。
「脱がした服は取っとけよ! 売れるからな!」
「……っ!」
すぐに一人の手がレニエの襟を掴みかかる。
こんな場面は何度遭遇しても慣れない。
しかし、助けてくれる人がいないのも分かっている。
(最後まではやられたことなかったんだけどな)
レニエは全てを諦めて、ふっと力を抜いた。
いつかはこうなるだろうと思っていたのかもしれない。
「ははっ! こりゃ上玉──ぐふっ!」
「……え!?」
だが、男がレニエの胸を鷲掴もうとしたところで、いきなり吹っ飛んだ。
さらに、後方からは声が聞こえてくる。
「おい」
低く、怒りを露わにしたような声だ。
レニエも含めて振り返った先には──シアンがいた。
「汚い手でレニエたんの体さわんじゃねえ!」
「「「……!?」」」
男たちは目を見開く。
現れたのが知っている者だったと同時に、不思議な単語を聞いたからだ。
(((レニエたん……?)))
加えて、シアンの姿にはレニエも驚いていた。
(ど、どうして……!)
まさか自分を助けに来る者がいるなんて思わなかった。
男たちに囲まれた時点で、この人生の終止符を打つのもありかもしれないとさえ、心のどこかでは思っていたのだ。
そんな状況だったからこそ、初めてレニエから口を開いた。
「な、なんで」
「ん?」
「なんで、私なんかを……?」
シアンに裏があると思っているからか、恐る恐るの口調だ。
だが、次の返答には何か温かいものを覚えた。
「レニエが大切な妹だからだよ」
「……っ!」
レニエの鼓動がドクンと高鳴る。
この温かさの正体を安心感だとはまだ知らない。
しかし、嫌な感じは一切しなかった。
それから、先ほど吹っ飛んだ男が声を上げた。
「あいつを殺せ! どうせ奴も一人だ!」
その声にようやく周りはハッとする。
確かにシアンは助けに来たが、依然としてレニエは人質状態なのだ。
一人がレニエを抱え込み、残り三人はシアンへ向かった。
「何がご貴族様だ!」
「生まれが良いからってよお!」
「死ねえええええ!」
憎悪を口にしながら、男達は一斉に襲いかかる。
だが、次の瞬間、彼らはまたもシアンに触れることなく吹っ飛ばされた。
「「「ぐわああああっ!」」」
ドカっと尻持ちをついた男達は、悔しさをにじませながら声を上げる。
「な、なんだ今のは!?」
「何の属性魔法を使いやがった!?」
「属性まで恵まれやがってよお!」
この世界の大気にあふれる“魔素”。
それを体内に持つ“属性”で変換して放出すると、“属性魔法”となる。
しかし、シアンは頬をぴくっと持ち上げた。
「そんな便利なもの、持ってたら良かったんですけどねえ(怒)」
「「「……!?」」」
シアンは属性を持っていなかったのだ。
これは魔素における“蛇口”を持っていないのと同じ。
つまり、シアンは属性魔法を扱えない。
「魔法の才能」=「蛇口の大きさ」だとよく表現される。
だが、シアンは舞台にすら立てていなかったのだ。
(制作陣さん、シアンに属性付け忘れたとかないですよねえ!?)
シアンは心の中で制作陣を恨む。
魔法が物を言うこの世界において、属性がないというのは大きすぎる痛手だ。
それでも、推しのためにシアンは努力を惜しまなかった。
「だから俺には“闘気”しか無かった」
対して、男達は途端に笑い声を上げる。
「はあ!? 闘気だって!?」
「ふざけるのも大概にしろよ!」
「あーなんか勝てそうな気がしてきた」
この反応が、この世界における共通認識である。
闘気は体内のみに流れるエネルギーだ。
属性魔法は出せないが、魔素と本質はそれほど変わりない。
『身体強化』や、エネルギーを飛ばす『気弾』などの“無属性魔法”は扱えるのだ。
ならば、なぜ闘気はバカにされるのか。
わざわざ使う必要がないからだ。
大気中にあふれる“魔素”と、体内だけに流れる“闘気”。
どちらがより多くのエネルギーを持つかなど、子どもでも分かる話だ。
そして、男達は今度は魔法を構える。
「じゃあ見せてやるよ!」
「魔法ってやつをな!」
「最初からこうすりゃよかったぜ!」
それぞれ三種類の魔法が放出されようとしている。
属性を持っていないシアンへの皮肉でもあるのだろう。
対して、シアンも手を前に構えた。
「受けて立つぞ、ゴラア!」
「「「ナメやがって……!」」
三つの魔法と、シアンの『気弾』がぶつかり合う。
だが、両者は全く拮抗しない。
シアンの『気弾』が一方的に押し切ったのだ。
「「「ぐわああああああっ!」」」
男達はまたも仲良く吹っ飛ばされる。
先ほどからの攻撃は、シアンの『気弾』によるものだったようだ。
常識では考えられないその威力に、男の一人が言葉を漏らす。
「なんで、属性魔法が負けるんだ……?」
「そんなことも分からねえのか」
魔素に比べて、闘気は絶対的に量が少ない。
しかし、一つだけメリットがあったのだ。
それは、死線を超えるたびに増えるということ。
「愛だよ」
「……!?」
つまり、シアンは超えてきたのだ。
文字通り“推しのためなら死ねる”シアンは、鍛錬で自分を死ぬほど追い込み、その度に闘気を増やし続けた。
結果、属性を持っていなくても“最強”と言えるまでに。
これは愛以外の何でもない。
「さあ、妹を返してもらおうか」
「「「……っ!」」」
シアンはゴキゴキと指を鳴らす。
今なおレニエに触れている手が許せないのだ。
対して、男達はさーっと顔を青ざめた。
「「「す、すみませんでしたー!」」」
「あ、おい!」
次の瞬間には、ダッシュで逃げ帰って行く。
とっさに追いかけようとしたシアンだったが、すぐに足を止めた。
こちらをじっと見ている推しがいたからだ。
「レ、レニエ!」
「……っ!」
シアンはとっさに駆け寄り、レニエに上着を被せる。
胸元が少し破られてしまっていたからだ。
「大丈夫だった!?」
「……」
相変わらず返事はないが、レニエは目を逸らして、こくりとうなずく。
それにシアンはほっと一息をついた。
「よ、よかったあ」
「……」
「さ、帰ろうか」
「……うん」
まだ口数は少ないレニエを、シアンは先導しながら歩く。
だけど、後ろからふいに、裾をぎゅっと掴まれる感覚があった。
「レ、レニエ?」
「あ、あの……」
頑張って言葉にしようとするのを、シアンはじっくり待つ。
それから、顔を真っ赤にしたレニエは小さくつぶやいた。
「……あ、ありがとう」
「~~~っ!」
まだまだ無表情な方ではある。
だが、すでに原作では見た事のない表情をしていたのは確かだった。
早くも原作が変わろうとしていたのだ。
そして──
「がはっ!」
シアンは吐血した。
もちろん悪役令嬢のレニエも好きだが、原作で見せなかった表情は、効果が抜群だったようだ。
これが、前世の記憶を持ったシアンと、悪役令嬢に育つはずのレニエの出会いの日だった。