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二つの瓶  作者: 梨花むす
第一章
7/27

7 山の子/待ちぼうけ

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草


ルート:『ヤマビト』の子ども


レイ:トモロ村の子ども

ターシャ:トモロ村の子ども、レイの姉

ジーノ:トモロ村の子ども


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

「なんてことだ」


 調査隊の隊長から報告を受け、クラレオは思わず大きな声を出してしまった。クラレオの秀麗な面立ちには、明らかな当惑の色が浮かんでいた。


 クラレオは、今回のトモロ村の調査に同行し、隊長とともに兵士たちを指揮していた。そして今日、数名の兵士が山の捜索を早く切り上げて戻ってきたかと思うと、驚くべき知らせをもたらした。山中の洞窟で衰弱した子どもを見つけたので、ここまで運んできたというのである。

 おまけに、その子どもの服からは、モンテグラシスの香りがしたとのことであった。


(村の子どもじゃない)


 モンテグラシスの香りが染みついた子どもなど、トモロ村にいるはずがなかった。しかし、それならいったい、どこで誰が育てていた子どもなのだろうか。


(山の中に住んでいる……?)


 それはつまり、平地の人間が立ち入らない山深くに、人知れずひっそりと生活を営む人々がいるということになる。クラレオは、この辺りの山に人が住んでいるという報告を受けたことはなかった。

 

 子どもが見つかった洞窟には、わずかな食料品のほかは、生活するための道具などは見当たらなかった。兵士たちが洞窟の周囲を調べたが、頻繁に人が出入りしたような跡はなかった。この子どもが山に住んでいるのだとしても、この洞窟ではなく、別のところに住居があるのだろうと思われた。


「どう生活していたのかはわかりませんが、おそらく数日は一人で洞窟の中におったのかと」


 隊長も、兵士たちの報告をどう解釈すればいいのか、考えあぐねている様子だった。


(もし、山に住む人々の一員であるのなら、その子は山に詳しいはずだ。当然モンテグラシスのことも……)


 洞窟の中にモンテグラシスはなかった。山に残った兵士たちは、まだモンテグラシスが生えている場所をを探していた。まだ発見したという報告がないことを確かめ、クラレオは、兵士たちを引き上げさせるよう命令を出した。


(まずは、その子の回復が最優先だ)


「私もその子に会ってみたい。連れて行ってくれるか」


 隊長は頷いた。クラレオは隊長の案内で、件の子どものところへと向かった。


 隊長が言うには、子どもは衛生兵が懸命に介抱しているが、できるだけ早く医者に診せた方がいい状態であるとのことだった。

 

 クラレオは考えた。その子が一人きりで倒れていたということは、山の人々にも助けられない状態にあったということだ。いずれ山に帰すかどうかはともかくとして、今は連れ帰って治療を受けさせても差し支えあるまい。

 

 もしその子に言葉が話せるのなら、聞きたいことは山ほどある。だから、早く回復させたいのだという気持ちは否定しない。


(しかし……)


 山の中とはいえ、ロッカ家の領地内で、そのような哀れな子どもが見つかったのだ。それが何よりクラレオにはこたえていた。


(絶対に、助けなければ)


 目の前の子どもすら助けられない自分でありたくない。クラレオには、いずれこの領地を継ぐ者としての矜持があった。だから、トモロ村が隠すものを見逃すことはできないし、自分のふところに飛び込んできた子どもも見捨てることはできなかった。 

 




 クラレオが天幕に到着したときには、子どもはあり合わせで作られた寝台の上に、何重にも毛布をかけられて寝かされていた。衛生兵が時折身体をさすり、声をかけながら温かい湯を少しでも飲ませようとしていた。


「この者です」


 隊長の声に気がつき、子どものそばについていた兵士が立ち上がってクラレオに敬礼をした。クラレオは兵士を見やって声をかけた。


「具合はどうだ」

「身体を温めて、やっと少し目を開けましたが……。倒れてしばらく経っているのでしょう。水もあまり飲めていなかったようです。唇がずいぶんと乾いています」


 クラレオが子どもの顔を見ると、兵士の言ったとおりに唇が乾いており、かさかさとした皮が浮き上がっていた。


 クラレオたちの話し声に反応しているのか、子どもは時折うっすらと目を開けた。しかし、深い緑色をした瞳は何もとらえず、またすぐに閉じることを繰り返していた。色の白い肌はさらに青ざめて透けてしまいそうなほどであり、薄いブラウンの髪は艶を失い、乾いた藁束のようになっていた。


(やっぱり、トモロ村の子どもではなさそうだ)


 トモロ村の者はもう少し肌の色が濃く、髪も黒や赤毛が多かった。ロッカ領で生まれ育った者はおおよそ似たようなもので、クラレオ自身も髪の色はブラウンだが色は濃い。

 

 ロッカ家の城があるムランの街であれば、交易のために多くの人々が他領や他国から入ってくるので、どんな肌の色や髪の色をしていてもさほど目立たない。しかし、とりわけ外部との交流が少ないトモロ村においては、この子どものような容姿の者はしごく珍しいだろう。


 クラレオは子どものそばに膝をつき、その骨張った手を取った。そして、その冷たさに驚いた。

 

(可哀想に)


 本心からそう思った。自分とて、跡取りとして進んできた道が楽だったわけではない。しかし、こんなふうに飢え、渇き、命を奪うような寒さに震えることはなかった。自分の弟より幼い子どもが受けた苦難に、クラレオの胸が苦しくなった。

  

「つらかったな」


 クラレオが声をかけると、子どもの目がまたうっすらと開いた。そして、その瞳がわずかにクラレオのほうに向いた。顔を近づけると、兵士たちが言ったとおり、子どもからふわりとモンテグラシスの香りがした。クラレオにとっては、嗅ぎ慣れた香りであった。


(君は、助からなくちゃいけない)


 クラレオはにっこりと子どもに笑いかけた。

 

「これから私とともに、ムランの街に行こう」

「……」

「いい医者がいるんだ。すぐに診てもらうように手配しよう」

「……」

「今は苦しいだろうが、じきによくなる。安心しておくれ」

「……」


 クラレオの言葉に、子どもは、うつろな視線を返すばかりだった。子どもの手を取り、優しげに話しかけるクラレオを、兵士たちはじっと見守っていた。

 

 少し経つと、クラレオは隊長のほうに向き、城に戻る準備を進めるように言った。隊長は頷き、兵士たちに指示を始めた。


 隊長たちが準備のために去ると、クラレオは子どもに向き直り、その頭をそっと撫でた。自分の手の温もりが冷えた身体に吸い取られるような気がしたが、それでも構わないと思った。心なしか、子どもの目元が心地よさそうにゆるんだように見えた。


「よく頑張ったんだな、君は……」


 そこまで言って、クラレオはふと気になることがあった。この子がかつて誰かに育てられていたのなら、必ずあるはずのものだ。クラレオは、もう一度子どもの頭を優しく撫で、そして尋ねた。

 

「……君の名前は、何というんだい?」


 クラレオは、子どもが答えることを期待していたわけではなかった。言った後で、まだ喋れる状態ではない子に質問をするなんて、馬鹿なことをしたと思った。


 しかし、いつの間にか子どもの瞳は、しっかりとクラレオのほうに向いていた。そして、乾いた唇を震わせ、絞り出すように声を出した。


「…………ルート」



 ◆



 その日は雪がちらついていた。服を何重に着込んでも寒かった。

 

 僕はどうしてもあの子に謝りたくて、また山までやってきて、震えながら小屋のそばで待っていた。あの子が来てくれるかどうか分からなかったし、もしかして他の『ヤマビト』が来たらどうしようとも思っていたけど、どうにもたまらなくて、気がついたら家を飛び出していた。


 でも、あの子は姿を現さなかった。小屋のほうがいっとき騒がしくなったけれど、すぐに静かになった。それからずっと待っていても、いつまでも小屋の扉は開かなかった。


(今日が、『ひきかえ』の日のはずなのに)


 昨日の夜、母さんは「明日は小屋に近づくな」と僕らにしつこく注意した。今日の朝は子どもが小屋に近づかないよう、大人がじろじろと見張っていた。

 だから、今日はてっきり『ひきかえ』の日なのだと思っていたのだ。それなのに、いつまで経っても小屋から誰も出てこなかった。


 間違えたのか、とも思った。でも、短い間とはいえ、小屋の中から人の話し声がしたし、『ひきかえ』の日以外には、村側の小屋の扉が開くことはない。中で何が行われているのかは知らないが、あんまりにも時間がかかりすぎている。


(どうしたのかな……)

 

 急に、お腹がぐうと大きな音をたてて鳴った。弁当は持ってきたのだが、待つのに夢中で食べるのを忘れていたのだ。恥ずかしくなって、とっさに腹を押さえたが、まわりに誰もいないことを思い出した。冬の山はしんとしていて、生き物の気配がしなかった。


(たった、ひとりだ)

 

 村にいれば、こんな風にお腹が鳴ったら誰かが笑う。自分も、恥ずかしくなって一緒にげらげらと笑うだろう。


 僕は、自分がもたれかかっている、背の高い木を見上げた。同じような木が、山の上へとずっと続いていた。


(あの子は、誰かと一緒に住んでいるんだろうか)


 あの子はこの山の中で、誰と、どんな風に生活しているんだろう。もし、こんな静かな山の中で一人なのだとしたら、どんなに寂しいだろう。

 

 少しやんでいた雪が、また降り始めた。夕食までには帰らないと叱られるし、どこに行っていたのかと尋ねられても困る。暗くなりはじめたら帰ろうと思っていたら、後ろからガサガサと音がした。振り向くと、ジーノとターシャが慌てた様子で僕のところにやってくるところだった。


「レイ、もう帰ろう」


 ターシャが、泣きそうな顔で言った。

 

「でも……」

「大人たちがひどく怒ってる。とにかく帰るんだ」


 ジーノが低い声で言った。ジーノの顔つきが怖かったので、ここに来ているのが大人にばれたのだろうと思い、さすがに肝が冷えた。決まりを破った僕には、おそらくひどくきついお仕置きが待っている。

 

 でも、ジーノの言葉は、僕の考えている意味とは違っていた。それからのジーノの口の動きが、いやにゆっくりに見えた。

 

「今日の『ひきかえ』に、ヤマビトが来なかったんだ」


ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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