6 発見
トラメンダ:疫病プルラの特効薬
モンテグラシス=八花草:トラメンダの原料となる薬草
男が2人、山の中を歩いていた。ふもとからの道を見失わないよう木々に目印をつけ、幾重にも重なった落ち葉を踏みしめながら進んでいた。
1人は顔の真ん中にある大きなかぎ鼻が特徴的で、冷えて赤くなったてっぺんをぽりぽりと掻いていた。もう一人の男は、手袋をした左手を、もう片方の手でしきりにさすっていた。
2人とも兵士の服装ではあったが、鎧はつけておらず、その代わりに寒さよけの厚めのマントを羽織っていた。2人はちょろちょろと流れる細い川に行き当たると、それに沿って上流へと歩いた。
そのうちに、かぎ鼻の男が口を開いた。
「どの辺りまでが、安全なのかね」
手袋の男は手を止め、白い息を吐きながらつまらなそうに答えた。
「まあ、近づきすぎなければ大丈夫だろう。モンテグラシスのそばまで寄らなきゃ、いきなり倒れてしまうことはないさ」
小川の周囲は、鬱蒼とした木立が続いていた。しばらく歩くと、かぎ鼻の男がまた口を開いた。
「トモロ村の連中は、いったいどこにモンテグラシスを隠しているのかな」
「さあな」
手袋の男はまた、そっけない返事をした。彼らは、ロッカ家からトモロ村の調査のために派遣された兵士たちだった。彼らがこの山に入るのは、これで3度目だった。調査が村の者に知られないよう、少人数で隠密行動をとっていた。
これまでの探索では、あまりめざましい結果は得られていなかった。兵士たちが見る限り、日用品を売る行商人と小さな冒険を試みる子どもたち以外に、村を出入りする者はいなかった。行商人を調べても、怪しいところは特になかった。
「どこかに、建物くらいはあるはずなんだが」
ロッカ家へ月ごとに納入されているモンテグラシスは、ほとんどが開花直後のものであった。モンテグラシスの開花は、1年に1度だ。ならば、開花の時期にまとめて収穫されたモンテグラシスは、1年にわたってどこかで保管されているということになる。
村は板塀で囲まれていたが、山に登ればその全景をとらえることができた。交代で兵士たちが村を見張り、それらしき建物を探した。しかし、怪しいものは見当たらなかった。
そのため、今回は村の捜索をいったん中断し、モンテグラシスそのものを探すこととなった。モンテグラシスの周囲には、それを収穫する者が残した道などがあるだろう。それをたどれば、保管場所や横流しの拠点を見つけられるのではないかという期待が持たれていた。
「こうなったらもう、モンテグラシスに早く出会いたいもんだね」
「まったくだ。このまま長いこと捜索が続くんなら、毒じゃなくて寒さでやられそうだ」
そう言いながら男は手袋を外し、薬指にはまった指輪を確かめるように見た。かぎ鼻の男は、それをちらりと見ると、わずかに目元をゆるませた。
成果が得られないことに疲れてはいたが、兵士たちも、トモロ村に対する違和感は持っていた。なぜなら、村と山とのつながりが、あまりに何もなさすぎるのだ。
トモロ村は、モンテグラシスの恩恵で暮らしている村だ。貴重な薬草を独占して出荷し、それをロッカ家が高値で買い上げるからこそ、大人は出稼ぎに行かずにすみ、子どもはのびのびと遊んでいられる。
手袋を戻した男は、少し強い口調で言った。
「あいつらに、山に入る度胸があるとは思えないな」
「それはそうだ」
かぎ鼻の男は、ため息をついた。
「だが、誰かがモンテグラシスを採っていることは確かなんだよなあ」
トモロ村の者が、山をおそれていることは情報として入っていた。自分たちに豊かな富をもたらしてくれる山を神格化し、畏怖するという信仰は珍しくない。そういった考えを持つ地域の者は、みだりに神である山の中には入らないし、山に対する厳格な決まりや儀式を持っていることが多い。
しかし、村人のおそれは、どちらかといえば恐怖のほうだった。調査隊の兵士たちは当初、村人に姿を見られないよう、きわめて慎重に行動した。しかし、すぐにその必要がないことがわかった。山に近づく村人は皆無で、山に隣接する板塀にさえ、ほとんど近づくことがなかった。
村人たちへの疑念はふくらんでいった。この山の中にあることはわかっていても、兵士たちは早朝から捜索して、まだモンテグラシスを見つけることができてはいなかった。
いくら秘伝があるとはいっても、普段全く山に近づかない村人たちが、開花の時期だけ山に入り、1年分のモンテグラシスを収穫してくることなんてできるのだろうか?
――山は、そんなに甘くない。
兵士たちにとっても、この山は楽なところではなかった。ところどころに細い獣道はあるものの、人が踏み固めたような道はなかった。印をつけなければ道に迷ってしまうし、ごつごつとした木の根にはしょっちゅう足がひっかかった。
「今回何もなければ、いよいよ村の捜索に入るんだろうな」
「そうなれば、大事だな……」
手袋の男は、ちらと下方に見えるトモロ村に目をやった。そして、軽く舌打ちをした。
「頑丈な塀を建てやがって。あれも、モンテグラシスの代金で建てたんだろう」
「そうだろうな」
「こないだもモンテグラシスの量が減ってたらしいじゃないか。あげくに値上げの要求ときたもんだ」
「この村のやつらは、ずるい上に強欲だな。相手をするクラレオ様やバルダン様が気の毒だ」
彼らはロッカ家の兵士の中でも、嫡男であるクラレオに近いところにいた。それで今回の調査にも参加しているのではあるが、苦労させられている分だけトモロ村への憎しみが増していた。
「怪しいのは、あの小屋なんだがな。」
かぎ鼻の男が、村の西端にある小屋を指さした。その小屋は、奇妙な造りをしていた。山の麓にあるのだが、山側と村側の両方に扉があり、両脇の壁は村の周囲を囲む塀に続いていた。
前回の調査で、一人の兵士が小屋を調べた。山側の扉には鍵がかかっておらず、内側を確かめることは難しくなかった。しかし、その中には大きなテーブルと積まれた土のうがあるばかりで、他には何もなかったのだった。
ただ、兵士の調査は無駄ではなかった。ロッカ家の兵士の鼻は、小屋の中でわずかなモンテグラシスの香りを嗅ぎ取った。
小屋からは、山の上へと続く獣道が伸びていた。彼らは、それを頼りに山を登っていっているのである。
「この道はわりと土が出てる。何者かが通った跡とも言えなくはないな」
「山で過ごすなら、川はある程度近いほうがいい。あり得ない話じゃないぞ」
この山の中で人が通ったのなら、その道はモンテグラシスまで続いているのだろうと思われた。いよいよモンテグラシスと対面するのかと、2人は息を呑んだ。
そのとき、少し離れたところから別の兵士の怒鳴り声がした。
「おい! 誰かいるか! いたらこっちに来てくれ!」
その声に驚いたのか、小さな生き物がガサガサと動く音がした。かぎ鼻の男が叫び返した。
「ここに2人いる! どうしたんだ?」
「人がいるんだ!」
2人は顔を見合わせ、声のほうへと急いだ。
木々の間を抜け、斜面を進むと、少し開けた場所に出た。声の主は、やはりロッカ家の兵士で、2人の姿を認めると手を振った。彼のほかに、もう一人兵士がいた。
「ここなんだ」
彼らを呼んだ兵士が指さしたところには、大人が立って入れるくらいの大きな横穴があった。穴の上にはむき出しのごつごつとした山肌が張り出し、つるの絡んだ木の枝がいくつも垂れ下がっていた。中の様子を窺うために、兵士たちはこれらをかき分けなければいけなかった。
「洞窟か。この中に人が?」
「ああ、しかも子どもだ」
「なんだって」
彼らはランタンに灯をともし、それを掲げて洞窟の中へと踏み込んだ。中は、外よりも幾分暖かく感じられた。明かりで照らされた足下には、たくさんの落ち葉が吹き込んでいた。洞窟はかなり奥行きがあり、大人4人がぶつかることなく動き回れるくらいには広かった。彼らは何歩か進んだところで、落ち葉に半分埋もれた人影を見つけることができた。
「おい君、大丈夫か」
倒れていたのは、兵士が言ったとおり、年若い人間だった。大人に近づき始めてはいるが、それでもまだ、親のそばにいるはずの年頃だ。兵士たちがいくら声をかけても、目を閉じたまま返事がなかった。息はしていたが、顔はひどく青白かった。
とりあえず外に出そうと、兵士たちは2人がかりで運んだが、その身体はもっと小さな子どものように軽かった。
兵士たちは戸惑った。
「どうしたんだ、この子は」
「村から迷い込んだのか?」
とっさにそう言ったものの、兵士たちはその考えを疑わざるを得なかった。ここは、自分たちでさえやっとたどり着いたような山の中だ。あれだけ山に近づかないトモロ村の子どもが、ここまで迷い込むことがあるだろうか?
それに、どんな村でも子どもが一人行方知れずになれば、普通は大騒ぎで探すはずだ。しかし、トモロ村はここ数日静かだった。それは、見張っていた彼らが一番よく知っている。
おまけに、この子の痩せた様子から見ると、まっとうに育てられていたとは思えなかった。
「……おや?」
子どもを抱きかかえている兵士の一人が、声を上げた。
「どうした」
「いや、この子……、モンテグラシスの香りがしないか?」
「ええっ」
他の兵士たちも、子どもの身体に顔を近づけた。その服からは、染みついているかのように、はっきりとモンテグラシスの香りがした。
「なんだ、この子は……?」
兵士たちは、目の前の事実をどう対処していいか、考えあぐねていた。顔を突き合わせて少し思案したあと、かぎ鼻の男が言った。
「まずは、隊長に報告しよう」
他の兵士たちも、それに同意した。少なくとも、この子どもには暖かい場所と、まともな食事が必要だった。
「そうだな。とりあえず、この子を下まで運ぼう」
「今日はクラレオ様もいる。何かお知恵を貸してくださるさ」
「医者にも診せないといけないだろうな」
兵士たちは、荷物の中から毛布を取り出し、子どもの身体を丁寧にくるんだ。そして、順番に子どもを背負い、転ばないように気をつけながら山を下りていった。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。