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二つの瓶  作者: 梨花むす
第一章
4/27

4 ひきかえ

ルート:『ヤマビト』の子ども

レイ:トモロ村の子ども

ターシャ:トモロ村の子ども、レイの姉

ジーノ:トモロ村の子ども

 山の上では薄く氷が張りはじめたころ、ルートは麓の小屋に向かうため、山を下りていた。朝は息が白くなるほど寒かったので、服を多めに着込んできたのだが、小屋にたどり着いたころにはだいぶん身体が熱くなっていた。


(食べもの、ちゃんともらえるかな……)


 育ち盛りのルートは、いつもお腹を空かせていた。たらふく食べてみたいとは思うものの、一時の欲に負けて食糧を食いつくしてしまえば、待っているのは死だというのはわかっていた。


(お父さん、お母さん……)


 つつましくも幸せだった日々が思い出される。1人で過ごす山の生活がさびしいことにも、次の日の食事をいつも心配しなければいけないことにも、ルートはもう疲れていた。月に1回とはいえ、村人たちの罵声に耐えなければいけないことも、たまらなく嫌だった。


(もう、迎えに来てくれないかな)


 お腹が空いたまま、1人で膝を抱えてぼんやり座っていると、いつの間にか時間が過ぎた。そろそろ、母親が亡くなって2回目の冬を迎えようとしている。去年は、ただ一生懸命に生き延びることだけを考えた。今年はどうだろう。あの孤独と寒さに、もう一度自分は耐えられるのだろうか?


 小脇に抱えた八花草の束が、かさりと音を立てた。これは、父親が遺してくれた自分の命綱だ。食糧がもらえたら、今日は少しだけいつもよりたくさん食べよう。そう決めて、ルートは霞む頭で小屋の扉を開いた。


 村人の男たちは、仁王立ちですでに待っていた。今日は珍しく、壁の方には寄っていなかった。いつもはぴっちりと巻いている口元の布もだらしなくゆるんでいて、手入れのされていないひげが覗いていた。


「遅いじゃねえか」

「毒蟲のくせに、人を待たせてんじゃねえよ」


(なんだか臭いな……)


 見ると、男たちの顔はずいぶんと赤らんでいた。小屋の中の臭いと熱気は、男たちから吐き出されているようだった。


「さっさと置けって」


 男たちはいつもと違ってにやにやと笑いながら、ルートに命令した。ルートは妙だなと思いながらも、いつものようにテーブルの上に八花草の束を置いた。


「そうそう、素直が一番だ」


 ルートが後ろに下がると、男たちがずかずかと八花草に近づいてきた。手袋はしていたものの、かなり大胆な手つきで束をつかんでは、乱暴に袋に放り込んだ。仕事が終わると男たちは袋の口を縛り、大声で笑った。

 ふだんと違った態度にルートが戸惑っていると、男たちが「じゃあな」と手を上げ、小屋を出て行こうとした。ルートは慌てて男たちを呼び止めた。


「ま、待ってよ!」

「ん? まだ何かあるのかよ」


 振り向いた小柄の男の目は血走っていて、とろんとしていた。


「僕の袋は?」


 ルートが聞くと、男たちは顔を見合わせ、そして笑った。ぽかんとしているルートを放ったまま2人でひとしきり笑うと、身体の大きな方の男が言った。


「ああ、悪い悪い。今回の袋はなしだ」

「え!?」

「1回くらいどうってことないだろ。」

「そんな……、困る!」

「次はちゃんと渡してやるから」

「それじゃ間に合わない。今日渡してよ! こっちは八花草を渡してるのに……」


 ルートが食い下がると、男たちは舌打ちし、不機嫌そうな表情を浮かべた。身体の大きな方の男が八花草の袋を小柄な男に押しつけ、テーブルのほうに近づいてきた。男は、指でルートに近くに寄れという仕草をした。


「……ちょっと、顔出せ。ほら、テーブルに手をついて、乗り出してこい」

「……?」


 ルートが言われるままに身体を乗り出すと、男も同じように身を乗り出してきた。ルートの目の前で、男の口からむあっと臭い息が吐き出されたかと思うと、ルートはいきなり横っ面をひっぱたかれた。


「痛っ……」


 ルートはバランスを崩し、音を立てて床に倒れた。左の頬が、ひりひりと痛んだ。手をついてよろよろと立ち上がると、テーブルの向こうで男たちががさつに笑っているのが見えた。


「はははは、ざまあねえな。吹っ飛びやがった」

「わかったか? ガキのくせに、大人に偉そうに言うなよ」


 ルートはいきなりの暴力に驚き、自分に何が起こったのか理解ができなかった。ただ、左の頬が熱かった。

 

「おい、見ろよ」


 倒れた勢いで、ルートのフードははずれてしまっていた。ルートは、男たちの視線に気がつき、あわててフードを戻した。


(いけない……。村の人たちの前では、フードを取ってはいけないと言われていたのに!)


 男たちが、ルートをじろじろと品定めするような目で見た。その目つきがいやに気持ち悪く、それを避けるように、ルートは身をよじった。


「化け物みたいな顔かと思ってたら……、お前、なかなかいいじゃないか。どうだ、俺たちがかわいがってやろうか?」

「へへ、そうだな。うまくできたら、ごほうびをやってもいいぜ」


 ルートには、男たちの言っている意味はわからなかった。しかし、男たちのいやらしい笑い方には、よからぬものを感じた。

 男たちがじりじりと近づいてきた。小柄な男が土のうに足をかけ、テーブルの上に上半身を乗り出した。背筋がぞくりとし、ルートは男が伸ばした手から逃げるように後ずさりをした。


「食い物がほしいんだろ? なら少しくらい我慢しろよ」


(怖い……怖い!)

 

 身体の大きな男のほうも、テーブルに手をかけた。小柄な男は、今にもテーブルを乗り越えてこようとしていた。


「いやだ、来るな!」


 ルートは振り向くと、力いっぱい扉を開けて、外へと駆け出した。



 ◆



 その日も、レイは前と同じ木の後ろに身を隠し、小屋を見張っていた。


 山への冒険以来、レイはぼんやりすることが多くなった。そんなときは、いつも『山の妖精』を思い出していた。その姿を思い浮かべるだけで顔が熱くなり、胸がどきどきとした。


 ――どんな風に話すんだろう。ふだんはどんな生活をしているんだろう。あの綺麗な色の髪はやわらかいんだろうか。食べ物は何が好きなんだろう。


 いくら考えても答えは出るわけがなかったが、考えているとすぐに時間が過ぎた。

 ターシャやジーノは、最初こそレイの様子を見てからかっていたものの、このごろは「やめておけ」「誘って悪かった」などと言う。まじめな顔で、「気持ちはわかるが、ヤマビトには近づくべきじゃない」と諭されることもあった。


(忘れられるわけがない……)


 でも、レイはあきらめられなかった。寝ても覚めても頭の中は『妖精』のことばかりだった。どうしても、もう一度会いたくてたまらなかった。『ひきかえ』の日を心待ちにし、指折り数えて待った。ターシャやジーノに言えば止められることがわかっていたので、誰にも言わず、こっそりと1人で山に来ることにした。


(もうすぐかな)


 レイが小屋の近くまで来たときには、中からぼそぼそと話し声が漏れてきていた。耳をつけて中の音を聞きたかったが、万が一でも村の大人にばれたらと思うと、やはり尻込みしてしまった。

 しかたなく木の陰で待つことにしたが、それでも心は高ぶり、もうすぐ『妖精』に会えるという喜びで身体は打ち震えた。湧き上がる感情をこらえるのに精一杯で、ともすれば走り出しそうになる自分の身体を、レイは必死に抑えていた。


「いやだ、来るな!」


 急に小屋の扉が勢いよく開き、人が飛び出てきた。夢にまで見たレイの『妖精』の姿がそこにあった。


(あの子だ!)


 想い続けた顔をまさに見て、レイの胸は高鳴った。


 今日はフードをかぶっていなかったので、レイのところからでも『妖精』の表情がよく見えた。『妖精』は怯えたようすで扉を一瞥すると、山道の方には向かわず、そのままレイの方に走ってきた。レイは、予想外の事態に驚いた。


「えっ」

「あっ……」


『妖精』が、木の陰にいるレイに気づいて足を止め、驚いた顔をした。


「あ、あの……、僕は……」


(ただ、君に会いたかっただけで……)


 目の前にすると、何も言葉が出てこなかった。名前だけでも聞きたいと思うものの声すら出せず、渇ききった口をはくはくとさせることが精一杯だった。


「くっ……」


『妖精』は焦った様子で後ろを確認すると、顔を戻してレイをきっと睨んだ。見蕩れるほど綺麗な顔だったが、左の頬は赤く腫れていた。深緑の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。


「……お前たちなんか、大嫌いだ!」


『妖精』はそう叫ぶと、レイのそばをすり抜け、山の斜面を駆け上がっていった。レイは慌てて後を追ったが、落ち葉や木の枝に足をとられているうちに見失ってしまった。


 レイが小屋に目を戻すと、そこはすでにしんと静かになってしまっていた。そっと扉に近づき、中を覗いてみたが、そこにはもう誰もいなかった。


(小屋の中で、何があったんだ……?)


 大人たちが、あの子に何かしたのだろうか。外から見ていただけの自分には、知りようもない。しかし、確実なことはひとつあった。


 ――大嫌いだ。


 僕は、あの子に嫌われたのだ。


ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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