3 疑念
クラレオ・ロッカ:ロッカ家嫡男
シスモンド・ロッカ:侯爵、現当主
バルダン:ロッカ家家令
「モンテグラシスが届いたか」
ロッカ侯爵家の嫡男であるクラレオは、執務室に入ってきた家令のバルダンを見るなり立ち上がった。バルダンはクラレオの言葉には答えず、静かに一礼をすると、「まずは、おかけになってくださいませ」と言った。
「すまない、落ち着きを欠いていたな」
クラレオは、謝りながら椅子に座り直した。バルダンはそれを見ると目尻に皺を寄せ、穏やかな微笑みを浮かべた。
「焦っても、よい考えは出ませんゆえに」
長年ロッカ家に仕えてきたバルダンは、時々このようにして、クラレオに当主として適切なふるまいを教えることがあった。博識で思慮深いこの老家令は、クラレオの父親であるシスモンド・ロッカ侯爵からも厚い信頼を寄せられていた。
ハーフェン帝国の南に位置するロッカ領は、領土も広く、他国との貿易を盛んに行うことで栄えていた。ロッカ家が居城を構えるムランは、他国民も多く行き交う商業都市だ。いずれそこを治めていく者として、クラレオには胆力を養ってほしいとバルダンは伝えていた。
クラレオもまた、口には出さないもののバルダンを師のように思っていた。
「では、ご報告いたします。クラレオ様がおっしゃったとおり、先程トモロ村の者が到着いたしました」
「今回は数はあるのか」
「まだ、正確には確かめておりませんが……、前回よりやや少ないかと」
「……そうか」
クラレオは整った眉をひそめ、目を閉じて考え込んだ。そしておもむろに目を開けると、バルダンのほうを見据えた。
「これから、値段の交渉か」
「ええ、離れの応接室に待たせております」
普段は、バルダンが交渉を担当していた。クラレオは短い間黙りこみ、深く息をついた。そして目を開けるとバルダンの方をきっと見た。
「今日は、私も同席しよう」
「承知いたしました」
バルダンはクラレオの言葉を予想していたかのように、すぐに返事をした。そしてクラレオが立ち上がると、黙って執務室の扉を開いた。クラレオは廊下に出ると、早足で歩きながらバルダンに話しかけた。
「少し前に報告があった。皇都でプルラの患者が出ている」
バルダンは表情は変えず、ぴくりと片方の眉だけを上げた。
「さようでございますか」
「下手をすると、まだ大流行が起きる」
感情を抑えようとはしているものの、クラレオの声の調子には焦りがにじんでいた。
プルラ、というのは、高熱や全身の腫れで発症し、呼吸困難をきたして半数が死に至るという恐ろしい疫病である。過去にも帝国内で数回の流行を起こし、多数の生命を奪った。
クラレオは、ぐっと歯がみした。
「今こそ、モンテグラシスが必要だというのに……」
モンテグラシスは疫病に高い効果を示す薬草である。ロッカ領の西にある山でしか採れず、世に出回る量がきわめて少ない。そのため、宝石並みの高値で取引される。あまりに貴重な薬草であるため、その流通は厳しく規制されていた。
自生するモンテグラシスには人を殺せるほどの毒があり、山のふもとにあるトモロ村の者だけが、安全な採り方を知っていた。そのため、必然的にトモロ村がモンテグラシスを独占することとなった。トモロ村は閉鎖的な村で、これまでにモンテグラシスの採り方が外部に漏れたことはなかった。
ただし、トモロ村が採集したモンテグラシスは、全てロッカ家に納めなければならない。昔からの習慣で、それは1月ごと12回に分けて行われていた。ロッカ家はモンテグラシスを一手に引き受ける代わりに、適正に管理し、分配する役目を仰せつかっていた。
これらの手続きは、ハーフェン帝国の法で細かく定められている。ロッカ家も、トモロ村も、法を破れば厳しい罰が待っているのだ。
そのモンテグラシスの量が、年々減っているのである。
(患者が少数のうちなら隔離して、早く治してしまえばいい。貴重な薬でも、少数なら与えることができる)
――しかし、流行ってしまったら?
(人が死ぬ。それも、大勢の民が……)
前回の大流行は帝国中を襲い、ロッカ家のモンテグラシスの備蓄を大幅に減らした。人がバタバタと倒れていく恐ろしい記憶は、まだハーフェンの人々の中に残っている。
流行の兆しをみれば、貴族たちはこぞって薬を手に入れようとするだろう。薬を手に入れられない人々は、生きるか死ぬかを神に委ねるしかない。そうして多くの人々が倒れた後に残るのは、荒廃した土地だけだ。
前回、皇都の被害はさほどひどくはなかった。だからといって、皇都が格別安全なわけではない。いったん皇都でプルラが流行れば、当然皇帝や皇族たちも危険にさらされる。
(皇帝が崩御すれば国が動揺する。皇太子は控えているが腺病質で、なにより若い。何としてでも、十分なモンテグラシスを確保したいところであるのに……)
難しい顔で足早に歩いて行くクラレオの後ろから、バルダンが声をかけた。
「クラレオ様」
「わかっているよ、次期領主たるもの、いつでも頭の中は冷静でいないとね……。私がこんなだから、いつもお前には苦労をかける」
クラレオが苦笑しながら振り返ると、心配そうな表情をしたバルダンと目が合った。
「おや、どうしたんだい。お前らしくない顔をしているね」
「……トモロ村の者に、何かおたずねになるのですか」
「今日来ているのは、村長なのだろう。納める量が減っているのは仕方がないが、その原因については、彼から私にも説明してもらわなければ示しがつかないからね」
「仕方がない……と思われますか」
バルダンの言い方に含みを感じ、クラレオは足を止めた。
「何か、お前には心当たりがあるのか」
「後ほど時間を取って、ご相談させていただこうと思っていたのですが……」
バルダンは、言葉を継ぐことをためらっているようであった。めったにないバルダンの様子にクラレオは内心戸惑ったが、努めて平静な声で言った。
「どうした、言ってくれ」
「……クラレオ様は、トモロ村の者が事実を言っているとお思いですか」
クラレオはバルダンの言葉が意味することを悟ると、自分の顔が一瞬でこわばるのがわかった。
「……トモロ村が、モンテグラシスの量を少なく申告していると?」
クラレオ自身、その疑いは何度か頭をよぎった。しかし、あまり考えたくないことでもあった。それはまぎれもない不正であるし、事が明るみに出れば、おそらく実行犯と村長は極刑を免れないであろう。そして、ロッカ家も監督責任を問われることになる。
「恐れながら申し上げますと、その疑いがございます。ただ、はっきりとした証拠があるわけではございません」
「構わない。バルダンの意見を聞かせてもらいたい」
バルダンは、手短に自分の考えたところをクラレオに伝えた。
元々数年前から、納入されるモンテグラシスの量は少しずつ減っていた。それは100あるものが95や96になるような程度であったので、それこそ年ごとの不作が原因なのかと考えていた。
しかし、2年前からは100が50になり、最近では40になりと格段に減り続けている。それでも村長は代金の値上げは要求するものの、あまり焦る様子がない。
「モンテグラシスの代金が村の生活を支えている面もあるでしょうし、ただ採集の量が減ったということなら、値段を上げるのは致し方ないと思ってはいたのですが」
値段交渉の際の、村長の妙な強気が気にかかるという。モンテグラシスはロッカ家にしか売れないはずなのに、「お前が買わなければよそに行くだけだ」と言わんばかりの態度で交渉に臨んでくる。村長が不満そうな顔で帰った翌月は、必ず納入する量が減っている。
バルダンは、村長が横流しをしているのではないかという疑いを強めた。隠れてモンテグラシスを手に入れようとしている連中は、必ずロッカ家の提示した値段よりも高く買う。ならば、横流しをしたほうが村はもうかるのだ。
「それと、もう一つ気にかかることがございます」
「うむ」
「どうも村の者は、直接モンテグラシスの採集に関わっていないようなのです」
「なんだと……?」
バルダンも、ただ手をこまねいていたわけではない。納入量の減少や不作の原因について納得のいく説明をせよと、時に穏やかに、時に威圧的に何度も尋ねた。
しかし、どう聞いても村長の答えは曖昧で、納得のいくものは出てこない。質問を繰り返す中で、バルダンにはどうにも腑に落ちないことが出てきた。
大事な特産品であるはずのモンテグラシスについて、村長の知識がほとんどないのである。
「村長自身が山に入っているわけではないでしょうが、それにしても知らなすぎるのです」
「秘密だから言いたくない、というだけでは説明はつかないのか」
トモロ村は「危険な方法なので、村の者以外には教えない」と、モンテグラシスの採取方法を村だけの秘密としていた。それは確かに不用意に山に近づく者を減らす役割があったし、村の利益を保つための手段でもあった。ロッカ家としても、モンテグラシスが安定して供給されていれば、そこに介入する必要はなかった。
「採取の方法はともかくとしても、干し方や保存方法も言えません。どうにも隠している風でもないのです。あの村長は、おそらく干した後の束ねられたモンテグラシスしか見たことはないのでしょう」
「しかし、村人の誰かが採って、保存しているんだろう。大事な商品に、そんなに無知でいられるものなのか」
バルダンから聞く村長というのは、法を破って横流しをするほど大胆で、強欲な人物だ。モンテグラシスの価値を分かっていながら、その扱いに無関心でいることにはどうにも矛盾を感じる。
「その通りでございます。小さな村の中で行われていることについて、あの村長が全く知らないということはありますまい」
「では……」
「ええ、村の外で行われているからこそ、村長は何も知らない……知ることができないのではないでしょうか」
クラレオの視界が、ぐらりと揺れたような気がした。
モンテグラシスは山に生えているから、採集そのものは村の外で行われているには違いない。しかし、村の者が採集に関わっていないというのは、どういうことだ。
……では、実際に山に入ってモンテグラシスを採集し、管理しているのは誰なのだ? そして、その者はどこにいるのだ?
トモロ村はさほど作物がとれる村ではないが、モンテグラシスの利益があるので、出稼ぎに出る者はほとんどいない。そのためか、トモロ村は人の行き来が少なく、排他的なところがあった。いや、今となっては、秘密の共有がそうさせているのかもしれないとも思える。
「まずは、村長に会おう……。その上で、父上にも相談する」
「承知いたしました」
(ああ、なんてことだ)
クラレオは、村長の待つ応接室に向かいながら、悪態をつきたい気持ちであった。なぜ今なのか。なぜ問題の上に問題が重なるのか。それでもなんとか平静を保てたのは、そばにバルダンがいるからであった。
◆
しばらくして、村長との面談を終えたクラレオとバルダンは、クラレオの執務室に戻ってきた。クラレオは沈鬱な面持ちで、先程かわした村長との会話を思い返していた。バルダンはその間、静かにそばに控えていた。
やがてクラレオはバルダンの方を向き、腹を決めた様子で言った。
「バルダン、やはりお前の言うとおりだと思う」
「はい」
「とにかく、トモロ村の調査が必要だな」
「早急に手配いたします」
「私は父上に報告してくる。調査はくれぐれも慎重に頼む」
「承知いたしました」
数日後、ロッカ家の調査隊がひっそりとトモロ村に向かった。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。