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二つの瓶  作者: 梨花むす
第一章
22/27

22 シスモンド/地下牢

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:『ヤマビト』の子ども


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主

バルダン:ロッカ家家令

バウワー:ロッカ家お抱えの医師


ナルカ:『ひきかえ』に来ていた村人

 シスモンドは、じろりと2人の息子たちを見やった。


「病人の部屋の前ですることではないな」

「はっ……」


 クラレオとエウリコは離れると、シスモンドの方を向いて頭を下げた。50代半ばのシスモンド・ロッカは、まだまだ頑健な体つきをしており、髪にもほとんど白いものがなく、堂々たる当主の姿をしていた。

 シスモンドは人払いをすると、厳しい口調を崩さず、息子たちに言った。


「家が大変なときなのだ。お前たちが皆の前で言い争ってどうする」

「申し訳ありません、父上」

「……申し訳、ありません」


 エウリコの顔は少し青ざめていた。シスモンドは2人に頭を上げるようにと言った。そして、クラレオへ顔を向けた。

 

「……クラレオ、お前にはまだ仕事があるだろう。もうそちらに行きなさい」

「はい。お騒がせいたしました」


 クラレオが一礼し、去ろうとすると、エウリコが手を伸ばして叫んだ。


「兄上! まだ話は終わっていません」

「いや、行きなさい、クラレオ」


 シスモンドがエウリコを制した。エウリコはクラレオが遠ざかっていくのを、悔しそうな顔で眺めていた。

 シスモンドはエウリコの方へと向き直ると、手を出した。

 

「エウリコ、()()は私が預かろう」

「これは……」


 エウリコは眉を寄せ、握りしめていた花束を背中に隠した。しかし、シスモンドは毅然として言った。

 

「それをあの子に渡したいのなら、私に預けなさい」

「どうして……」

「お前は、あの子に会うべきじゃない。……鞭打たれたことを、もう忘れてしまったのか」

「……いいえ」

 

 エウリコは唇を噛み、震える手で花束を差し出した。シスモンドは軽く頷くと、花束を受け取った。


「それと、お前に話がある」

「……何でしょうか」

「エウリコ、お前は皇都の修道院にやることにした」


 シスモンドの言葉に、エウリコは顔色を失った。

 

「何ですって」

「バルダンのことが落ち着きしだい、出発だ。お前も準備を進めておきなさい」

「そんな、なぜ急に、父上」


 エウリコは、ちらりと扉に目をやった。シスモンドはその仕草に気づくと、ため息をついた。


「エウリコ、お前は司祭になり、人を導く立場になるのだ。それを自覚しなさい。」

「そ、それはもちろん分かっております。しかし、このように早く……」

「もともと、年を越したら行くことになっていただろう。予定が少し早くなっただけだ」

「しかし、父上」


 今度は、シスモンドが扉に目をやった。そして、エウリコの方を向くと、首を横に振った。

 

「エウリコ、……あきらめなさい」

「……!」


 エウリコは、一瞬身を固くするとうつむき、「父上まで……」と絞り出すように言った。きりっという歯がみの音が、シスモンドの耳まで届いた。


「エウリコ」

「失礼します」


 エウリコは吐き捨てるように言うと、踵を返し、自分の部屋の方へと去って行った。



 シスモンドはエウリコを見送ると、部屋の扉を軽くノックした。返事はなかったが、シスモンドはそのまま扉を開け、中へと入った。

 部屋の中へと進むと、ベッドに寝ているルートが目に入った。シスモンドは花束をテーブルに置き、ベッドのそばまで来ると、椅子に腰を下ろした。ルートは静かに寝息を立てていて、扉の外の騒ぎでは、目を覚ますことはなかったようだった。


「君だけでも、助かってよかった」


 シスモンドは、ルートに言っているとも、独り言ともつかないような調子で言った。

 

 今回の件は、ロッカ家にとっても大きな事件であった。何と言っても、領主が居城に侵入され、家令を殺されたのだ。おまけに、行儀見習いに出したはずのエウリコは、その家で女性と問題を起こし、送り返されてきた。これもまた、シスモンドには頭の痛い話であった。


(何より、バルダンを失うとは……)

 

 トモロ村やモンテグラシスのことが落ち着いていない今、これはロッカ家にとってかなりの痛手であった。


「うん……」


 ルートの口から、小さく声が漏れた。痛みのためか、あるいは悪い夢を見ているのか、目を閉じたまま少し顔をしかめた。

 ルートは、倒れたバルダンの横で自身を責め、泣いていたという。家族を持たなかったバルダンは、ロッカ家の管理する墓地に葬られた。ルートが動けるようになったら、いずれ、バルダンの墓に連れて行ってやらなくてはなるまい。


(不思議な子だ)


 殴られ、ひどく痛めつけられてはいたが、意識を失っていた3日間のうちに、ルートの顔の腫れは引き、元の整った形を取り戻していた。

 

 シスモンドは掛け物を少しだけめくり、ルートの傷の様子を確認した。顔や肩の青白い肌には、皮膚の下の出血による赤紫色の痣が広がっていた。不思議なことに、じっと眺めていると、その渦巻くような痣すらも、美しい肢体を彩る刺青のように見えてくるのであった。


 シスモンドは掛け物を戻すと、大きく息を吐き、苦々しく笑った。

 

「……私の息子たちは、困ったことに、すっかり君の虜になっているようだ」


 ぼそりとシスモンドが言っても、ルートは、あどけない表情で眠っているだけであった。シスモンドは毒気を抜かれたような気がし、また苦笑した。

 ルートのふるまいに問題はない。素直で勉強熱心な子どもであり、境遇からの卑屈さも、現在の厚遇による尊大さも見られなかった。クラレオには特に懐いているが、経緯からすれば当然のことと思われた。


(この子は、ここにいない方が幸せなのだろうか……)

 

 ロッカ家にとしては、ルートは目の届くところにいてもらいたい。クラレオが采配したとおり、兵士をつけ、狩猟小屋を拠点にしてもらうのがぎりぎりの妥協点だ。とてもじゃないが、一人で山に帰すことなんてできやしない。

 しかし、ルートにとってはどうだろう。この家に来てから、この子は2度もひどい目に遭っている。兵士たちは、狩猟小屋や山で、ルートは楽しそうにしていたと報告した。


 信頼できる者に預け、いずれは自立できるように、ロッカ家が陰ながら支援していく方がいいのだろうか。

 

「……しかし、クラレオが承知するまいな」


 シスモンドは独りごちた。

 エウリコはルートから離さなくてはならない。……しかし、クラレオは?

 

 母親を早くに亡くし、領主である父親は忙しく、あまりかまってやれなかった。その中で、クラレオは自分の責任を自覚し、次期領主となるべく重圧に耐えてきたのだ。

 

「私も、クラレオも、これから忙しくなる」


――何かが動き出している。

 

 シスモンドの勘は、そう告げていた。村の横流し疑惑から始まって、事件の際に、なぜか開いていた門の鍵。犯人の男は、村長にくっついていた村の者であり、ルートが狙われたのは偶然ではない。


「君には、クラレオを支えてやってほしい」


 バルダンを亡くした今、ルートとの時間が、彼の唯一の癒やしとなっているのではないか。そうであれば、父として、クラレオからルートを引き離す気にはなれなかった。


 ルートは目を閉じたままだったが、シスモンドの言葉に、わずかに微笑んだように見えた。シスモンドはそれだけで満足し、自分も微笑んだ。


「……いつまでも長居はしていられないね。では、私は失礼するよ」


 シスモンドは寝ているルートに声をかけると、部屋を静かに出て行った。





 城の地下、暗い石牢の中に、ぼんやりとした蝋燭の光が浮かんでいた。

 

「まったく、使えないやつだな」

「いや、今度はうまくやる。うまくやるから……、だから、助けてくれ。ここから出してくれ」


 2人の男が、声をひそめて話していた。いや、正確には、1人の声がどんどん大きくなるのを、もう1人が押しとどめていた。


「静かにしろ。俺まで捕まったら、2人とも助からないんだぞ」

「わ、わかってる、わかってる」


 牢の中で鉄格子にかじりついているのは、ナルカだった。地下牢での生活で頬はこけ、目のまわりは落ちくぼみ、右目だけがぎょろりと目立っていた。


「いつ、いつ出してくれる」

「すぐには無理だ。ここに来るのだって一苦労なんだからな」

「そんな。悠長にしてたら、吊るされちまう」

「ああ、お前は放っておけば、縛り首だものな」


 男の声は冷たく響いた。

 

「せっかく助けてやったのに、お前があの子ども一人攫えず、おまけに家令まで殺したせいで、どんどん俺の仕事がやりにくくなった」

「す、すまない」

「謝って、すむ話じゃあないな」


 ナルカはまだ言い訳をしようとしたが、男にぎろりと睨まれ、口をつぐんだ。

 

「お前、余計なことは喋ってないだろうな」

「今は、なんとか……。あんたのくれた薬のおかげで、痛みが少ねえから」

「わかってるだろう。お前がべらべらと喋れば、()()()の方だって黙ってないぞ」

「ひいっ……」

 

 ナルカは大きな身体を縮め、ぶるぶると震えた。男はそれを見て、鼻で笑った。


「せいぜい耐えるんだな。じゃあ、これは今日の分だ」

「す、すまねえ」

 

 しんとした中に、液体が流れる音が響いた。男が、ナルカに器を差し出した。


「隙を見て逃がしてやるから、それまで大人しく待ってろ」

「ああ、わかった……」


 ナルカは器を受け取ると、一気に喉へと流し込んだ。男はナルカが飲みこんだのを確かめると、器を取り返した。


「……飲んだか?」

「ああ……。なんだ? 喉が熱い……うがっ」


 ナルカは、いきなりバタンと前に倒れ、喉をかきむしりながら悶え始めた。

 

「ぐ……、ぐえ……息が……」


 ナルカの身体は細かく痙攣し、苦しさから逃れようと、両脚をばたつかせてのたうちまわった。そうしながらも、血走った右目は大きく見開いて、男に対する怒りをあらわにしていた。


「この、足手まといが」

 

 その言葉が届いたのか、ナルカは男に向かって何かを言おうとし、しきりに口を動かしていた。しかし、吐く息も出てこないようで、手だけを必死に男へと伸ばしていた。

 男はその様子を、ただじっと眺めていた。

 

 やがてナルカが動かなくなると、男は手に持っていた蝋燭に息を吹いた。消える寸前の炎が、闇の中に、男の酷薄な笑いを浮かび上がらせた。

 

 



「あの男が、殺されていただと」


 シスモンドはクラレオの報告を聞き、珍しく動揺を表に出した。向かい合うクラレオも、厳しい表情をしていた。


「はい。見回りの兵士が来たときには、すでに事切れていたようです」

「なんと……。誰がやったのか、見当はついているのか」

「下男が1人、行方知れずになってはおりますが……。この者がやったのか、巻き添えになったのかはわかりません。その下男を探させていますが、なにしろ、皆、顔も覚えていないようで」

「ふむ……」


 誰にも顔を覚えられない、ということは、意外に難しい。あえて自分の特徴を隠し、良くも悪くも目立たないようにするには、細心の注意を払う必要がある。

 

「あの男は、どのように殺された」

「毒、かと思われます。刺し傷や絞め痕などはありませんでした。」

「何の毒かは、わかったのか」

「バウワーに見せましたが……、特定するのは難しいと」

「そうか……」


 そう言うと、シスモンドは眉をひそめた。

 

「父上、これはやはり」

「……おそらく、その下男が内通者だろう。ずいぶんと優秀な者らしい。毒をあやつり、痕跡も残さないとは」

「口を封じたということは、あの男が何かを知っていたと……」

「そうだろう。しかし、死んでしまった以上、証拠にはならん」

「……その通りです」

 

 クラレオは目を伏せ、悔しさを表情ににじませた。シスモンドは、クラレオの心中が手に取るようにわかっていた。内通者を取り逃がしたことだけではなく、男にじゅうぶんな罰を与えられなかったことも、クラレオにとっては無念なことなのだろう。


 シスモンドは、声に力を込めた。


「そうはいっても、我々も手をこまねいているわけにはいかないぞ」


 クラレオは、力強く頷いた。

 

「ええ、もちろん」

「ここまでになってしまっては、トモロ村を泳がせておくわけにもいくまい。すぐ調査に入れるか」

「準備はすませています。明日にでも出発させましょう」

「よし、頼んだぞ」


 クラレオは一礼すると、シスモンドの部屋を出て行った。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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