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二つの瓶  作者: 梨花むす
第一章
21/27

21 責任

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草


ルート:『ヤマビト』の子ども


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主

バルダン:ロッカ家家令

バウワー:ロッカ家お抱えの医師

「まったく、子どもに、よくこんなひどいことができるもんじゃ」


 ルートのぼんやりとした頭に、老医者の声が聞こえてきた。瞼の隙間からうっすらと天井が見え、手足は鉛のように重たかった。


(僕……、寝ていたのかな……)


 背中に感じる感触は柔らかく、どうやらベッドの上にいるようだった。医者は、手伝いの侍女にぶつぶつと文句を言っていた。


「これを見なさい。まだ、首回りの手の形が消えとらん。よっぽどひどく絞められたんじゃ。あと少し助けるのが遅れたら、危なかった」

「本当ですわ」


 侍女がルートの身体を持ち、横向きにした。申し訳ないと思いつつも、ルートは、まだ自分の身体を支えるほどの力が入らなかった。

 医者は、身体の傷の手当てをしてくれているようだった。心配そうな声で、侍女が医者に尋ねた。

 

「あの、なかなか目を覚まさないのは……」

「頭の後ろに、大きなこぶができておる。おそらく、倒されたときに頭を強く打ったんじゃ。顔も殴られておるし……、打ち所が悪いと……な」

「まあ……」


(あ……、いつもの先生だ……)

 

 声や言い回しで、ルートはこの医者がバウワー先生だとわかった。ルートがロッカ家に来てから、バウワーにはずっと世話になっていた。バウワーはルートを息子や孫かのように可愛がり、その回復を喜んでくれていた。

 バウワーと侍女は、処置をしながら話を続けた。


()()()は、今は地下牢におるのか」

「ええ、怖いことですわ。まだ、取り調べの最中だそうですけれど……」

「ぬるいことしとらんで、容赦なく拷問でもしたらええんじゃ」

「まあ、先生ったら……」

「こんなことをする人でなしに、情けなどいらんわ。それに……」


 そこで背中の手当ては終わったらしく、ルートの身体は仰向けにされた。


「おや」


 バウワーは、ルートの目が薄く開いているのに気がついたようだった。バウワーは、ルートの肩を叩きながら呼びかけた。


「わかるか、ルート」


 ルートはわずかに頷いた。医者は、もしゃもしゃとした髭を揺らし、うんうんと満足そうに笑った。侍女は口に手を当て、驚いた表情をしていたが、慌てて部屋を出て行った。


「まだ、うまく身体が動かんか。ゆっくりでいいぞ。よく戻ってきた」

「……先生」

「よし、よし」


 バウワーは、わしわしと力強く、ルートの頭を撫でた。ルートは、かすれた声でバウワーに尋ねた。


「先生……、バルダン様は……」


 バウワーの手が止まり、顔から笑顔が消えた。その様子で、ルートは答えを察した。

 

「僕の……」

「ルート、それは言うんじゃない」


 ルートの目から涙がこぼれ、頬を伝った。バウワーは、今度は優しくルートの頭を撫で、治療に使う布で涙を拭ってくれた。

 

「お前が悪いんじゃない。知ってるだろう? バルダン様は、そんなことを考える御方じゃない」


 確かに、バルダンは最期までルートに笑いかけてくれた。でも、そんな人を自分は死に追いやってしまったのだ。

 ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が流れた。バウワーは、頭を撫で続けてくれた。


「……おや、おいでになったようだよ」


 バウワーは、廊下の方に目をやり、にやっと笑った。すると、何人かの足音がした。


「ルート」


 真っ先に扉から入ってきたのは、クラレオだった。続いて従者たちと、先程の侍女が入ってきた。クラレオは、ルートの顔を見ると眉を下げた。


「クラレオ様……」

「目を覚ましたんだな、よかった」

 

 クラレオは、ルートの寝ているベッドの方へと歩いてきた。バウワーは立ち上がり、自分が先程まで座っていた椅子を、クラレオに勧めた。


「どうぞ、クラレオ様」

「すまない」


 クラレオが椅子に腰掛けると、バウワーは言った。

 

「手当ては終わっていますので、私はこれで失礼しますよ。でも、目を覚ましたばかりなので、あまり無理させませんように。頭もまだ、完全にははっきりとしていないでしょうから」

「わかった。ありがとう、バウワー」

「さ、お前たちも、私と一緒に部屋を出なさい。あんまり大勢の人は、病人に毒なんじゃから」


 バウワーは、自分が出ていくと同時に、従者や侍女も連れて出て行った。部屋に2人だけになると、クラレオはルートの手をとった。

  

「目を覚ましてよかった。すまないね、バタバタと来てしまって」

「いいえ……」

「身体は傷むかい?」


 じわじわとした痛みは、体中にあった。しかし、それよりもルートは、クラレオが心配そうな顔をしていることが申し訳なかった。


「ごめんなさい……。僕、バルダン様を……」

「ルート」


 クラレオはルートの言葉を止め、首を横に振った。


「バルダンのことは、確かに残念だ。でも、それは君のせいじゃない。全部あの男が悪いんだよ」

「でも……」

「そんなことを言わないでおくれ。私は、君までを失うんじゃないかと、気が気でなかったんだ」

 

 クラレオの手が、ルートの手を包んだ。手は温かく、真剣にルートを見ているクラレオの眼差しは、嘘をついているものとは思えなかった。


「……バルダンの最期の言葉は、私も聞いた。私も同じ思いだ。ルート、君は自分をもっと大切にしなくては」

 

 ――何より自分を大切にしなさい……いいですね。


 バルダンの、穏やかだが芯のある声が聞こえた気がした。


「いいんでしょうか……」

「もちろんだ」


 クラレオが優しく微笑んだ。ルートはそれを見て、自分の顔も笑顔になるのがわかった。クラレオの温もりを感じていると、気持ちがだんだんと安らいだ。そうしているうちに、こわばった手足の力が抜け、ルートにまどろみが訪れてきた。


「おや、疲れたかい」

「いえ……、でも……」

「ああ、眠くなったんだね」

「……はい」


 眠りそうになりながらも、ルートは、思わずクラレオの手をきゅっと握った。まだ、離れたくなかった。

 

「……ふふ。いいよ、君がぐっすり眠るまで、私がそばにいよう」


 クラレオは、手を握り返してくれた。ルートはにっこりと笑うと、目を閉じ、眠りに落ちた。





 ルートが寝息を立て始めてからも、クラレオはしばらくの間、ルートの手をとったまま見守っていた。穏やかな、安心しきった表情で寝ているのを見ると、こちらも笑みがこぼれた。


(意識が戻って、よかった)

 

 ルートは男に襲われてから、3日間目を覚まさなかった。バウワーは、このまま目を覚まさず、命を失う可能性もあると言った。


(本当に、私は気が気でなかったのだ……)

 

 ルートに言ったことは嘘ではない。クラレオだけでなく、ロッカ家当主である父シスモンドも、ルートの回復にはひどく気を揉んでいた。

 

 シスモンドはもちろん、ルートが暴漢に襲われ、ひどい暴力を受けたことに対して怒り、その痛みに同情した。しかし、シスモンドがルートの回復を気にする理由は、それだけではない。ルートは、ロッカ家にとって非常に重要な人物なのだ。

 この国で、唯一モンテグラシスを採ってこられるルートは、ロッカ家にとって代わりのいない、貴重な人材であった。そういう意味では、家令であるバルダンが命を賭してルートを守ったことは、決して筋違いの話ではないのだ。


(だから、私も……)


 間違いなく、ルートの回復を願っていた。痛々しい様に、密かに涙を流した。目を開けた姿を夢に見ては、朝になって現実に落胆した。感情に左右されるその姿は、バルダンがいればたしなめられていただろう。

 ルートは、過酷な境遇で生きてきた健気な子であるし、自分が助けたという、強い思い入れもあった。だから、つい、気にしすぎてしまう……。


 ――ただ、それだけだろうか?


 同じような疑問に至ることは、何度もあった。しかし、クラレオはその先を考えないようにしていた。 

 ただ、今はルートの華奢な手を、いつまでも包んでいてやりたかった。


 しかし、クラレオの穏やかな時間は、扉の方から聞こえる怒鳴り声で破られた。

 

 それに続いて、ざわざわと人が言い争うような声が聞こえてきた。クラレオは眉をひそめ、ルートの手をそっと外すと、扉の方へと向かった。

 扉を開けようとしたとき、はっきりとした話し声が聞こえた。


「いいから、ここを開けないか」

「申し訳ありません。クラレオ様からのお言いつけでして……」


(……エウリコ)

 

 それは、弟エウリコと、クラレオの従者が言い合う声であった。クラレオが扉を開けると、思った通り、エウリコがクラレオの従者に、つかみかからんばかりの様子で怒鳴っていた。それを、侍女たちやエウリコの従者が、おろおろと取り巻いていた。

 エウリコは、クラレオが部屋から出てきたことに気づくと、不機嫌そうな顔を向けた。


「兄上」

「エウリコ、病人が休んでいるんだ。騒ぐんじゃない」


 エウリコは舌打ちをした。クラレオは、苛立つ心を抑えて言った。


「何の用だ。お前はここには入れないぞ」

「……見舞いです。そのぐらい、いいでしょう」


(見舞い……?)


 恥ずかしげもなく、よく言えたものだ、という思いが、クラレオの頭によぎった。弟に対して、これでもかというくらい辛辣な言葉が次々と湧き、ともすれば口から出てしまいそうであった。

 

「……それでもだめだ。帰りなさい」


 クラレオの言葉を無視して、エウリコは扉の方へ向かおうとした。クラレオがその前に立ちはだかると、2人は対峙する形となった。

 エウリコは、クラレオを睨みつけて言った。

 

「なぜ、私はあの者の見舞いをしてはいけないのです」

「……お前は、あの子に何をしたのか分かっているのか」

「分かっております。ですから……」

「なら、自分の言っていることのおかしさも、分かるべきだな」


 クラレオの声は冷たかった。エウリコは、もう一度上目遣いに兄を睨むと、ぎり、と唇を噛んだ。

 従者や侍女たちは、エウリコが起こした事件以降、この兄弟の間にははっきりとした溝ができたことを感じていた。

 バルダンなら、クラレオの態度を和らげ、エウリコに謝り方を教えて、少しは兄弟の仲を取り持つことができたかもしれない。しかし、彼はもうこの世の人ではなかった。


 エウリコは兄を睨みつけたまま、引き下がらなかった。

 

「……ちゃんと、見舞いをするつもりでした。これを……」


 エウリコは、握っていた小さな花束を差し出した。花束には、淡く柔らかな色合いの花々が選ばれていた。それは明らかに、飾り気のない、しかし美しいルートの姿を、脳中に描いて作られたものだと思われた。

 クラレオは、エウリコがこの花束を作らせたのかと、心の内で驚いた。少なくとも今のエウリコは、ルートの体調を案じているようだった。にもかかわらず、クラレオは素直にその心持ちを認めることはできなかった。


(そのように心を配ることができるなら、なぜ最初から……)


 事件の日、ルートはどうやらエウリコを避けて庭園にいたらしい。エウリコがあの日いなければ、ルートはここ最近の慣習通り、離れに鍵をかけて、モンテグラシスの手入れをしていただろう。

 しかし、エウリコの立場では、離れの鍵を手に入れられてしまう可能性がある。だからルートは、前に嫌な目に遭った離れには行かず、庭園にいたのだ。

 

 それが、悪い方へと向かってしまった。ルートを見つけていなければ、あの男は庭園でバルダンに遭遇しても逃げただけだろうし、そのうちに警備の兵士たちに見つかって、捕らえられていたかもしれない。


 ――お前が、あんなことをしなければ。

 

 それだけが原因でないことは、頭では分かっている。しかし、クラレオの声は、先程より冷たくなった。


「……それを、渡したいと?」


 エウリコは頷いた。その目に少し期待の色が浮かんだのに気づき、クラレオの心はざわついた。

 

「……渡すくらいはいいだろう。受け取るかどうかは、あの子次第だがな」


 クラレオが花束を受け取るよう、侍女に指図をすると、エウリコは花束を背中に隠した。

 

「いやです。私が渡します」

「だめだ、お前は会わせられない」

「そうやって、私からまた奪うのですか」

「……奪う?」


 クラレオは、眉をぴくりと動かした。クラレオには、エウリコのものを取り上げた覚えなどない。年の離れた兄として、できるだけ幼い弟に譲ってきたつもりだった。

 

「兄上はいつもそうだ。私のものを全部奪っていく」

「……私が、お前のものを?」

「心当たりがないとおっしゃるのですね。そうでしょうね、あなたはそういう人だ」


 エウリコは一気に言うと、扉の方を指さして叫んだ。


()()くらい、私にくれてもいいでしょうが!」

「エウリコ!」

 

 クラレオは、自分の頭にかあっと血が昇るのを感じた。思わず一歩、エウリコの方へと踏み出すと、エウリコは少しだけ後ずさったが、憎々しげにクラレオを見つめ、


「叩きたいなら、叩けばいいでしょう! そうすれば、おかしいのは兄上の方だってわかる!」


 と、叫んだ。クラレオは、その気勢にむしろ鼻白んだ。

 

「何を言って……」

「何を騒いでいる」


 そこに、低く、威厳のある声が廊下に響いた。従者の一人が声を上げた。

 

「あっ……、シスモンド様」


 廊下をやってきたのは、当主、シスモンド・ロッカ侯爵であった。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。次のお話も、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

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