婚約破棄された竜好き令嬢は黒竜様に溺愛される。残念ですが、守護竜を捨てたこの国は滅亡するようですよ
「竜好きの変わり者な令嬢なんて僕には我慢できない、ルシルとの婚約は破棄させてもらおう!」
婚約者でありこの国の王太子であるクラウス様が、私にそう告げました。
突然呼び出されたと思ったら、まさかの婚約破棄。
いきなりすぎて意味がわかりません。
「殿下、お待ちください!」
「待つものか。三度の飯より竜研究。暇があれば山にフィールドワーク。あまつさえパーティーには白衣で現れる」
「あれは白衣ではなく、ドレスなんですって何度も説明したではありませんか! まあ中古の安物ではありますが……」
うち、貧乏なんです。
侯爵家なので家柄だけは無駄に高いのに、中身は落ちぶれた貧乏貴族。
多分だけど、家族全員がなにかしらの研究に没頭してしまっているのが原因の一つな気がしますね。
それでも血筋が良いと、幼い私に婚約を持ち掛けてきたのは殿下のほうからでした。
「男よりも竜が好きなら、竜と結婚すればいいではないか」
「私、研究は仕事でやってるんですよ?」
在学中に竜研究が認められて、私は今では国で唯一の竜の研究者なのです。
たしかに竜が好きで研究をしているのは事実ですが、これも我が国のためなのですから。
陛下がお元気のころは、私の研究を応援してくれました。
ですが陛下は病で倒れられ、代わりに王太子のクラウス様が実権を握った。
私が陛下に贔屓されていたのが面白くなかったのでしょうね。
それからずっと、研究を辞めるよう嫌がらせを受けてきました。
研究室へのいたずらに始まり、研究費が削減されただけでなく、今では私個人への誹謗中傷なんて日常茶飯事です。
酷いものでは、フィールドワーク中に強盗を装った襲撃なんてのもありましたが、助手の力添えのおかげで難を逃れたこともありました。
この状況をなんとかしようとは思ったけど、証拠がないと言われ罪を明らかにすることはできなかったのです。
何度妨害行為を受けても、私は折れずに研究を続けました。
王太子殿下の婚約者であるという矜持もあったけど、なにより好きなことを取り上げられるのが我慢できなかったから。
小さい頃に山で竜の爪を拾ったあの日から、ずっと竜が好き。
もっと竜のことが知りたい。
こんなこと言ったら笑われてしまうのだけど、いつか本物の竜に会ってみたいと今だって夢見ているの。
「竜なんて幻想の存在、もうこの世にはいない。無駄な研究だ」
「いいえ殿下、竜はきっと実在します。そもそも我が国は、黒竜様を守護竜として長年祀ってきたではないですか」
世間の認識では、竜は絶滅したと思われている。
その証拠に、この国の守護竜といわれる黒竜も、もう数十年現れていない。
大昔は花形だった竜研究も、今では誰も存在を信じない夢物語のような扱いになっていました。
それでも私は守護竜を蔑ろにしないよう、声を上げ続けた。
竜は人々を災いから防いでくれていると考えられていたから。
事実、守護竜は何百年もの間、災害や戦乱が起きた時に必ず我が国を護ってくれていたのだ。
「存在しないものにすがる時代は終わった。昔と違い、今では魔法があれば怖いものはない。災害が起きても、我が国の優秀な魔法使いたちがいれば問題ないだろう」
時代を重ねるごとに、文明も進歩しました。
中でも魔法の分野の成長は著しくて、いまでは軍隊に魔法兵団が創設されています。
彼らがいれば、敵国の脅威や災害にも対処できると、みんなは信じて疑わない。
「お前のような無駄に研究バカで地味な女はいらない。これからはこのカテリーナのようにエリートで華やかな令嬢を婚約者にするつもりだ」
クラウス様は、カテリーナという子爵令嬢の腰に手を回します。
金髪の巻き髪がとても似合っている可憐なご令嬢です。
真っ黒でボサボサな髪の私とは大違い。
殿下は私を見下ろしながら彼女を抱き寄せると、頬にキスをしました。
私には一度も触れてくれなかった、その唇で。
「カテリーナは代々優秀な魔法使いの一族だ。きっと国の役にも立ってくれることだろう」
高級そうなドレスを身に包む彼女は、魔法だけでなく金持ちでも有名な貴族の令嬢です。
たしか実家は、魔法の特許を何個も持っていたはず。
金回りが良いのでしょうね。派手なアクセサリーを私に見せびらかして、嘲笑しながら私を蔑んできます。
「ふふっ、あんたのようなトカゲを専攻している貧乏貴族、王族にはふさわしくないのですって」
「……竜はトカゲではないですよ」
「竜なんて前時代の生き物ではなく、女神様を信仰すればいいのに。ねえ、そう思わない?」
守護竜信仰は、ここ100年程で下火になっていいます。
代わりに一大勢力を広げたのが、女神信仰です。
今やこの国の王族だけでなく、国民のほとんどが女神様を信仰している。
そういえばこの子爵令嬢の実家は、女神信仰の大本山の教皇と遠縁の関係があったはず。
だから私の代わりに婚約者として選ばれたのでしょう。
「守護竜信仰なんて、邪教よ。邪教の民は、処刑するのが女神信仰の習わしなのよ」
カテリーナの発言に、クラウス様がうなずきながら肯定します。
「ルシル、お前を邪教信仰の罪で、処刑させてもらおう」
「ええ!? 処刑だなんてあんまりです! 私、仕事で研究していただけなんですけど」
真面目に仕事をしていただけで殺されるなんておかしい。
横暴です。
こんなの許されるわけないですよ。
「これは見せしめだ。いまだに守護竜を信仰する頭の固い臣民に、改宗しなければ次はこうなるのだとわからせるためのな」
「黒竜様はやましい存在ではありませんし、私は邪教を信仰したことなんて一度もありません」
「それはどうかな。昨夜、山崩れがあった。幸い死傷者は出なかったが、貴様には身に覚えがあるはずだ」
竜の山は、私がいつもフィールドワークをしている場所です。
最後に訪れたのは昨日のこと。
「あの辺りは最近何度も地鳴りが起こっていました。それは殿下に昨日もご報告をしたはずですが?」
「黙れ、証拠はあがっている。誰も寄り付かない山奥に密かに訪れて、貴様が山崩れを起こす画策をしたことは調査済みだ」
「いつも通り、ただ竜が住んでいた場所のフィールドワークをしていただけなのですが……」
私の研究では、100年周期で竜の山から地鳴りが起こることがわかりました。
なにか私たちの知らないことが、あの山にはある。
その謎を何とか解き明かしたかったのに、すべて水の泡になってしまった。
「申し開きは牢屋の中で言え。連れていけ!」
衛兵が私を取り囲みました。
どうやら本気で私を処刑するつもりみたい。
「ルシルお嬢様! お前たち、捕まえるなら俺にしろ。お嬢様には手を出すな!」
そう私をかばってくれたのは、助手のアイザックでした。
幼馴染の彼は、私の竜研究を小さいころから手伝ってくれています。
彼と一緒に数えきれないくらいのフィールドワークに出かけた。
それだけでなく、この国で私の竜研究に唯一肯定的な意見をしてくれるのも、いまや彼だけでした。
「いいのですよ、アイザック」
もう二度と触れることができなくなるであろう彼の黒髪に触りながら背中を押す。
伝承にある黒竜様の鱗と同じで、黒色の綺麗な髪。
私と同じ色なのに、艶が大違いでうらやましいと思っていた。
髪の色が一緒だから自分たちは似た者同士だと彼は言っていたけど、私はアイザックのように美形ではない。
そんな彼は、私のボサボサな黒髪が好きだと言いながら、よく櫛で髪をといてくれた。
雨の日も雪の日も嵐の日も、いつも彼と一緒に研究をした。
私にとって彼はただの助手ではなく、家族と同じかそれ以上に大切な存在になっている。
「貴様らよくも……ルシルからその汚い手を離せ!」
驚くことに、アイザックが衛兵に殴りかかりました。
私のために動いてくれるのは嬉しいけど、無理はしないでほしい。
ここは王宮なので多勢に無勢。
しかもアイザックはただの研究助手です。武器を持った多数の衛兵に敵うはずはない。
そんな簡単なことがわからない彼ではないはず。
それなのに、「ふざけるな!」と叫びながら、私を助けようとしてくれている。
普段は冷静沈着な彼が、あんなに怒っている姿なんて初めて見た。
いつもとは違う姿にビックリしちゃったけど、同時にそれだけ想われていたんだと胸が温かくなる。
この気持ちを知れただけで十分。これ以上はもう望むまい。
「アイザック、大丈夫です。私はもう納得していますから」
しばらく暴れ続けたアイザックは、ついには衛兵たちに取り押さえられてしまいました。
殿下がここまでするんだから、私はきっともう助からない。
でも、アイザックまで罪を負うことはない。
むしろこのままだと、私をかばったことで彼も危険な状況になってしまう。
王太子の嫌がらせでフィールドワーク中に襲われた時も、助手であるアイザックが助けてれくれました。
もしも彼がいなかったら、私はいまここにはいなかったかもしれない。
アイザックの気持ちが、昔から私に向けられていたことには気がついていた。
だけど、私には婚約者がいる。
いじわるな男だけど、どこか憎めないところもあった王太子殿下が。
政略結婚は貴族の宿命だから、婚約者との結婚を受け入れていた。
そう思っていたはずなのに……ここまで尽くしてくれるアイザックのことが、どうしても頭から離れない。
だから、今度は私は彼を助けよう。
それがいまの私にできる、せめてものお返しです。
「全責任は私にあります。助手であるアイザックは、私の命令に従っていただけです」
8歳の時、私は初めて竜の山に登った。
大昔に住んでいた竜の爪を拾って、大喜びしたっけ。
こんなに幻想的な生物がこの世に存在していたんだと、私の中の世界が広がった。
その日の夕方だったと思う。
彼と初めて出会ったのは。
『俺にもその研究、手伝わせてくれないか?』
彼が伸ばした手を握ってから10年間、アイザックは私のわがままに付き合ってくれた。
でも、それも今日で終わりです。
「さようならアイザック。これまでずっと研究を手伝ってくれて、ありがとう」
「衛兵、ルシルを捕縛しろ!」
王太子殿下の号令とともに、私は捕まってしまいました。
衛兵に連行されていると、後ろからアイザックの声が聞えます。
何度も私の名前を呼んでいる。
振り返りたかったけど、衛兵たちに拘束されてそんな小さな願いも叶いませんでした。
私は幽閉されてしまったので、それから何が起きたのかはもうわかりません。
願わくば、彼が捕まって酷いことをされていませんように。
それから何日も監禁され、ついに処刑当日になりました。
どうやら私は、ギロチンで処刑されるらしいです。
「ルシル、最後に言い残すことはあるか?」
クラウス殿下が私に声をかけてくれました。
「私の研究成果の中に、竜の山の伝承をまとめた書類があります。それを読んでくだされば、あの山で起きている異変のことがわかるはずです」
「お前の研究室は、昨日燃やした。だからもうこの世にはない」
──そ、そんなあ。
私の10年の結晶が……。
うなだれる私は、そのまま断頭台に縛られました。
私の人生のすべてと一緒に、研究室に保管していた竜の爪も失った。
宝物はこの世から消えた。
もう、私には何も残っていない。
ああ、このまま私、殺されるのか。
もっと竜の研究、したかったなあ。
叶うなら、一度で良いから、この目で本物の竜を見て、触ってみたかった……。
「ルシル、いま助けるぞ!!」
広場に異変が起きます。
処刑を見物に来た群衆をかき分けながら、誰かが近づいて来たのです。
「アイザック!」
彼だ。
私の研究助手だ!
良かった、無事だったんだね。
捕まっていなかったのなら安心したよ。
でも、見ていて胸が苦しくなります。
だってアイザックは、どう見ても私を助けようとしてくれているから。
「あれはアイザックか。釈放してやったのにこりないやつだ」
クラウス殿下が、衛兵たちにアイザックを取り押さえるよう命じます。
「や、やめてください! アイザックは無関係です!」
私の言葉は王太子にも衛兵にも届くことはなく、アイザックは再び衛兵たちに取り押さえられてしまいます。
アイザックはただの研究助手。
戦闘経験なんてないはず。だから無理だよ!
私は断頭台から、彼が傷つけられるのを見守ることしかできませんでした。
「アイザック……!」
最後に、彼と目が合った気がする。
断頭台からそれなりの距離があるから、ただの私の気のせいかもしれない。
けれども、彼の想いが私には伝わった。
最後には抵抗もむなしく、アイザックは衛兵たちに連行され、広場から消えていきました。
「こんな私のために、ありがとう……」
死ぬ前に、彼をひと目でも見れて良かった。
思い残すことはたくさんあるけど、もういい。
アイザックにこれほど想われていたという事実だけで、もう満足。
これで本当に、悔いはない。
「ごめんねアイザック。私はここまでみたい」
これまで私のわがままに付き合ってくれてありがとう。
ダメな主だったと思う。ごめんね。
アイザックは私のことなんか忘れて、自由に生きて欲しい。
でもこれは私の願望だけど、もしも私の竜研究を引き継いでくれたら、嬉しいな……。
「もういいだろう。ルシルを処刑せよ」
クラウス殿下が、衛兵に命令を下します。
ギロチンの小さなレバーに、手がかけられました。
ついに最後の瞬間です。
いまさらだけど、痛いのはイヤだな。
できれば痛みを感じずに命を散らしたい。
目をつむって、歯を食いしばります。
──その時でした。
突如、広場の向こうから大きな爆発音が聞こえたのです。
アイザックが連れていかれた方角のはず。
続けて、広場の誰かが叫びます。
「なんだあれは!?」
観衆が空を見上げながら指を差しました。
続けて、広場に大きな影ができます。
「ドラゴン……?」
バサリと風が舞う。
空に巨大な竜が飛んでいたのです。
「ルシル、助けに来たぞ!」
黒色の巨大な竜が私の名前を呼びながら、こちらに突っ込んできました。
ギロチン周辺の衛兵を尻尾でなぎ倒しながら、大きな顎で断頭台を噛み砕きます。
「まさか、黒竜様ですか?」
「いかにも。我が名は黒竜アインザインティグルム!」
それは、我が国の守護竜の名前でした。
なぜ黒竜様が私を助けてくれるのか。
気になるけど、いまはそれどころではありません。
──ほ、本物の竜だぁあああ!!
生まれて初めて目にする竜の姿に、私は目を奪われてしまいます。
処刑されかけていたことがどうても良くなるくらい、見入ってしまった。
だってずっと夢見てきた存在ですよ?
推しの竜なんですよ?
ああ、幸せ。冥途の土産に良いものが見れました。
なんだったら、もう今度こそ悔いはないです。
でも、一つだけ気になることがあるんですよね。
「助けてくださりありがとうございます。でも、なぜ黒竜様が私の名前をご存知なのですか?」
「ルシルのことは小さい頃からずっと見てきた。だから知っているのは当たり前だ」
え、私、推しに認知されてる!?
幸せなんですけど!!
やっぱり私が竜研究をしているから、黒竜様もそれで知ったのかな。
私の竜研究も無駄ではなかったのね!
「さてと、人間ども。この娘、我がもらい受ける!」
竜の襲来というアクシデントが起きましたが、それでも私の処刑は止まってはいませんでした。
私を殺そうと、衛兵たちが私の元へと群がってきます。
けれどもそれを阻止するように、黒竜様の尻尾によって衛兵たちが吹き飛ばされました。
「人間よ、ルシルは殺させない。なにがあっても俺が守ると決めたからな」
「お前たちなにをしている! 早くこの邪竜を退治しろ!」
クラウス殿下の怒号が響きます。
広場に、王都に駐留している魔法兵団が集結していました。
王国最強の部隊です。
彼らは各々、黒竜様へ魔法を放ちました。
「フンッ、痛くも痒くもない。人間の魔法が我らドラゴンに通じるものか」
黒竜様の硬い鱗によって、すべての魔法が弾かれてしまいます。
それどころか攻撃魔法が鱗に反射されて、魔法を放った本人たちに襲い掛かったのです。
瞬く間に、我が国最強であるはずの魔法兵団が壊滅してしまいました。
こうなったらもう黒竜様を恐れて、誰一人として近寄ることはしません。
「さあルシル、こんな物騒なところからは早く出てしまおう」
黒竜様は私を手の上に乗せると、空に飛び上がります。
王太子が下の方で何か叫んでいる。
でも、それもすぐに聞こえなくなってしまいました。
どうやら私、助かったみたい。
「君が幼い頃、一人で竜の山に来たことがあっただろう。人間が俺の住処に来たのは80年ぶりだった。しかも子供がひとりで来たのは初めてだ」
黒竜様は、隠れて私のことを見ていたんだ。
私の行動はずっと昔から黒竜様に知られていた。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
「だから俺は人の姿になって、君を見守ろうと決めた」
「人の、姿に……?」
王都の外れの崖の上に、黒竜様は私をそっと下ろします。
そして黒竜様の姿が、小さく縮んでいきました。
「え、アイザック……?」
黒竜様が立っていた場所にいたのは、私の助手のアイザックでした。
何が起きたのかは理解できる。
だけどこんなこと、信じられない。
「驚かしてすまない……実は俺は、人間ではないんだ」
「アイザックは、黒竜様だったんだね……」
竜の山に数十年ぶりに人間の子供が現れた。
それが嬉しかった黒竜様はその娘に興味を持ち、同じ人間に化けた。
そうして一緒に、竜の研究を始めたのだという。
だから黒竜様はこの十数年、姿を消していたんだ。
人間のアイザックになって、私の幼馴染となっていたから。
「ずっと君のことが好きだった。でも、俺はドラゴンだ。ルシルのためを想うならと、身を引いていた」
黒竜様の鱗と同じ、アイザックの黒色の髪が風になびく。
竜が人に化けると、髪の色素は鱗の影響を受けるんだなと、研究者らしく場違いなことを考えてしまう。
「だが、ルシルが処刑されることになって、その考えは誤りだと気がついた。竜の姿で人と関わることは禁じられているから、できることなら人の姿で助けたかったが、ルシルが死ぬことに比べれば俺の正体がバレることは些細なことだ」
「だからアイザックは人の姿のまま、何度も私を助けようとしていたんだ」
竜になれば、いつでも私を救うことはできたはず。
でも、人に関わることは禁止されていた。
そのせいで私だけでなく王太子や衛兵たちに、正体を明かすことができなかったんだね。
「何度も苦労をかけさせてごめんなさい。怪我もさせたかも。痛かったでしょう?」
「あんなの怪我には入らない。それにルシルのことを理解できずに傷つけようとする男にはもう任せられないからな、これからは俺が君を幸せにする!」
アイザックが私を抱きしめる。
彼の肌が温かい。
竜も人間と同じような生き物なんだと、なんだか安心してしまう。
「でも、私なんかでいいの? 竜が好きなことしか取り柄がないのに……」
「むしろ大歓迎だ。君はずっと俺のことを好きだと言ってくれていた。黒竜様は憧れだ。むしろ好き。いつか会いたい、と。やっとこうして君に本当の姿を見せることができて、感激だよ」
まさか黒竜様のへの数々の恋慕の言葉が、本人に聞かれていたなんて……。
は、恥ずかしすぎるんですけど!
「初めて会った日から、俺はルシルに夢中だったんだ」
アイザックが私の頬をそっと触りました。
そして騎士のように片膝をつきながら、私の手の甲に口づけをします。
「ルシル、君を愛している。俺と結婚してくれ」
10年前と同じように、アイザックが私に手を差し伸べてきます。
アイザックの誠実そうな瞳が、私を見つめている。
彼は黒竜様だったけど、私がよく知っているアイザックだ。
幼馴染で私の助手の、アイザックだ!
子供のころは、アイザックのことがずっと好きだった。
いつか彼と結婚するのだと思っていた。
けれども、我が家は貧乏貴族。
王族からの婚約の申し出を、断ることなんでてきなかったのだ。
だから、あの時の想いが、ついに実る。
「こんな私で良ければ、喜んで……」
昔と同じように、アイザックの手を握り返します。
私は黒竜様が大好き。
でも、相手がアイザックだから、喜んで受けるのだ。
けっして黒竜様だからと、無作為に手を握ったわけではない。
「私もアイザックが好き。ずっとこうなりたいと思っていたから……」
それでも、アイザックが黒竜様だったのは嬉しい誤算です、
まさか気を許している幼馴染の助手が、私が大好きでしかたない黒竜様だったなんて。
もしかしてこれからは毎日、憧れの黒竜様の鱗を触ることができるのでは?
それだけではなく、体中いろいろと調べることも夢ではないかも……?
なにそれ。
これ、なんてご褒美なの!
「一応聞くが、結婚したら俺のことを研究し放題だとか、思っていないだろうな?」
「……バレちゃいました?」
二人で目を合わせてから、一緒に笑いました。
研究中のだらしがない私を受け入れてくれていたアイザックとなら、この先なんだってできる気がする。
「そうだ、これを返しておこう」
「これ、私の竜の爪!」
無くなったはずの竜の爪が、私の手の中に握られていました。
研究室が燃やされてしまったから、もう消失してしまったと思っていたのに。
「俺があいつらよりも先に回収した。もちろんルシルの研究成果も無事だ」
「嬉しい……」
私の宝物が、返ってきた。
これがあるから、今の私があるのだ。
それくらい、大切なものだった。
「その竜の爪はな……実は、俺の爪なんだ」
「え、アイザックの?」
さっきの巨大なドラゴンの姿にしては、随分と小さな爪だけど。
「俺がまだ小竜の頃に、山で爪を折ったことがある。それをルシルが拾ったんだ」
これ、やっぱり小竜の爪なんだ。
まさかアイザックのだとは思わなかったから驚きだよ。
「取り返してくれてありがとう。でも、これからどうする? 私たち、帰るところはなくなったままだよ?」
私、国に戻ったら処刑されちゃうと思うんだよね。
「竜国に行くのはどうだろう。俺は竜国の王子なんだ」
大昔、竜国の王は、私の故郷である人間の国と盟約を結んだ。
竜国の王太子を守護竜として人間の国に送り、100年間そこで守護させる。
それができて初めて一人前の竜として認められ、竜国の後を継ぐことができるという決まりになっていたらしい。
守護竜信仰の真実が、竜国との盟約だったなんて知らなかった。
というか、ドラゴンって伝承通り長生きなのね。
「約束の100年はちょうど終わった。だから俺は竜国の王になる」
アイザックはただのドラゴンではない。
竜の王族だったのだ。
「ルシルは竜国の王妃になるな」
「……私、人間なんだけど、それでも平気なの?」
「大丈夫だ、竜国は様々な種族が住む多民族国家だから安心してくれ」
竜国は隣の大陸に存在するという、竜が治める強大な国らしいです。
私たちが暮らしていた国の数十倍の面積と国力を持っており、隣の大陸の盟主として名を轟かせているとのことでした。
「もしかして竜国には、ほかにもドラゴンがたくさんいるの?」
「ああ、たくさんいるよ」
「ふふ、研究しがいがありますね」
どうやら竜国では、面白そうなことがたくさん待ち受けているみたいです。
これから私たちは研究者と助手という関係だけではなく、夫婦という新しい関係性も築くことになる。
私はアイザックの頬に触れながら、その一歩目を踏み出そうとします。
「でもまずは、アイザック。あなたのことを研究させてください」
「ああ、わかっているとも。これまで騙していた分、ルシルになら体の隅々まで調べてもらってかまわない」
彼が私を抱き寄せ、唇が重なる。
しばらくの間、どちらもその場から離れようとはしませんでした。
それから私は、アイザックと一緒に竜の国へと渡りました。
新天地での生活は大変だったけど、彼が支えてくれたおかげですぐに慣れることができた。
竜国の人も、人間の私を歓迎してくれました。
優しくて良い人たちばかりです。
生まれ故郷の国が滅亡したという報せが竜国に届いたのは、それから数か月後でした。
守護竜が消えたことにより、天変地異が起きたのです。
山が火を吐いて、王都は灰燼に帰したらしいです。
それまでは黒竜様が大地の怒りを抑えていたけど、守護竜がいなくなったことで何百年も封じられてきたものが一気に爆発したのが原因みたい。
あの山の地鳴りは、噴火の予兆だったようです。
王族は誰一人として助からなかったとか。
あの子爵令嬢も、王太子と一緒に大地に返っていったそうでした。
あんなことをされたけど、それでも少しは思うところにはあります。
遠い竜国から、祖国の鎮魂を祈ることにしました。
ただ、救われた命もあります。
私の実家の侯爵家やそれに近しい人たち、それに守護竜様を信仰していた民やその他希望者は、天変地異が起きる前に竜国へと亡命することができました。
これもすべて黒竜様たちが必死に民衆に声をかけて、移民する人を募ってくれたおかげです。
同じころ、黒竜様であるアイザックが正式に竜国の王として即位しました。
その日、私は竜国史上初の人間の王妃になった。
人間の私が竜国の王族になれるのか心配でしたが、それは杞憂だったようです。
私の竜好きがすぐさま知られてしまい、竜国の民だけでなくアイザックの家族も私を好意的な目で受け入れてくれました。
「ただ、一つだけ心配があります」
「奇遇だな。俺も一つだけ心配があるぞ」
「あれ、アイザックが心配事とは珍しいですね。どうしたんですか?」
「この際だからぶっちゃけて聞いてしまうが、ルシルは俺のことをどう思っているんだ? 研究対象の竜としてしか見られていないんじゃないかと、最近少し自信がなくなった」
そういえば難民の受け入れだとか、結婚式の準備だとかで忙しくて、二人の時間がまったく取れていなかったね。
わずかな癒しの時間も、竜の姿のスケッチについやしてしまったから、勘違いさせちゃったかも。
もう少し人の姿の時にも甘えておくべきだったか。
「そんなこと考えていたの……じゃあ、研究対象ではないと、これならわかる?」
研究対象にキスをする研究者はいないよね。
それに、普段はやられてばっかりだったから、たまには私からしてみたかった。
これはいつものお返しです。
しばらくしてから顔を離すと、人間の姿のままのアイザックが頬を染めていた。まさか私からするとは思わなかったんだろうね。なんだかかわいい。
竜の姿にも同じことをしたら、同じように頬が朱色になるのかな。今度実験してみよう。
「それで、ルシルの心配ってのはなんだ?」
「心配というか、問題があります」
竜の国とはいえ、王族に嫁いだのです。
私は、跡継ぎとなる子供を産まなければならない。
はたして、人と竜との間に子供はできるのか。
その答えはすぐさま結果として現れていたのですが、私がそれに気がつくのはもう少し先のことでした。
お読みいただき、ありがとうございました!
7/2追記
こちらの短編のファンアートをいただきました!
活動報告に載せてあるので、良かったら見てくださると嬉しいです。