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LEANA1010-リーナサウザントテン-  作者: 上川 三
第一話 メイストーム・ランデブー
7/13

6 後悔

 世界で最も憂鬱な水曜日に、僕は教室の机に突っ伏していた。昨日もたっぷり寝たはずなのに、体中に乾ききっていない泥でも張り付いているように重かった。

理由は、考えなくても分かった。昨日の糸織とかいう性格の悪い後輩のせいーーというよりは、後輩指導そのものが原因だろう。

「きもぢわるい・・」

ストレスで胃のあたりがずきずきと痛む。あんなもの引き受けるんじゃなかった。

「いやぁ、悪いな神谷」

苦しむ僕の頭上からしたその声に顔を上げると、菱が僕の机の上に菓子パンを一つ乗せるところだった。どうやらこの菓子パンは昨日の賠償のつもりらしい。

「別にいいよ」

この胃痛はともかく、そのことについては本当に気にしていなかった。「昨日菱がいたら」と考えないこともないが、菱の多忙っぷりは重々承知している。菱が「生徒会で忙しいから」と断ったら、僕はそれに対してなんの反論もできない事情がある。

だから、後輩指導にはたまに顔を出してくれれば御の字のつもりだった。菓子パンはありがたく受け取ることにする。

菱は近くの空いている椅子を寄せて、机の前に座った。

「それで、どうだったんだ?」

まるで夕食時の厳格たっぷりな父のように、菱は僕に訊ねた。

「どうもこうも・・天才だよ」

「へえ」

素直な評価だった。僕でなくとも、菱も、先生も、誰もが同じ評価を下すことを確信していた。幸か不幸かはさておいて、糸織に天賦の才があるのは間違いない。

「ぶっつけ本番で仮想体で歩いて、小走りもできたよ」

「・・一年の今くらいは座学だけだったな」

そう、事前準備などできるはずもない。仮想世界の体――仮想体のコントロールは、間違いなく昨日が初めてのはずだ。

順当に育てば糸織は僕を簡単に追い抜いていくだろう。

「まあ、性格は最悪だけどね」

菱はそれだけ聞くと、なぜか少しの間どこかへ視線を逸らした。すぐに居直って、続けて訊いてきた。

「どんな奴なんだ?」

「女で、結構美人系?髪長くて肌白くて・・みたいな」

「ほお。それで?」

「それでって・・・・やばいヒステリックもちみたいでさ。実習室に入った途端、椅子ぶん投げられたよ」

「ああ、今日の朝のはそれだったか」

どうやら生徒会にまで連絡がいっていたらしい。なぜか僕のほうが恥ずかしくなってきた。僕は熱くなってきた顔を隠すように俯いて、それからまくしたてた。

「せ、先輩への敬意ってのが足りないんだよ。別に偉ぶるわけじゃないけど、あの態度は問題だと思うよ?先生の前では猫かぶって、僕と二人きりになった途端「アンタのせいでしょ?」っておかしいと思わない?」

「・・・・なるほど」

菱はたっぷり間をとって、やけに神妙に頷いた。なんだか笑いをこらえているような菱の声に、僕は顔を上げた。

「なんだよ」

「髪が長くて肌が白い美人さん。それに強気ってことだろう?」

「まあ、特徴としてはそれで合ってるよ」

「目元はどうだ?しゅっとして、クールな感じじゃなかったか」

「ヒステリックを起こして、吊り上がってない状態ならね」

「まさに彼女のようにか」

「――――は?」

菱が指さした方向へすぐさま振り向く。――いた。いてほしくなかったが、いた。糸織は相変わらず不機嫌そうな表情で、教室の入り口に体を預けて陣取っていた。

「い、いつから」

「私が色白美人で、ヒステリックもちだとかほざきだしたあたりね」

「結構序盤じゃねえか!!」

立ち上がりながら、僕は菱を睨んだ。コイツ勘づいていて、わざと深堀してきやがった。しかしそうこうしているうちにも、ドスドスと怪獣のような足音を鳴らしながら糸織はこちらに近づいてきていた。

そして僕の目前まできて、腕を振り上げた。

「ぼ、暴力反対!」

「別に殴ったりしないわよ!」

糸織の拳は、僕の肩あたりに思い切り叩きつけられた。ただ叩いただけにしては不思議な感触と音に、目をそっと開ける。糸織はなにかのプリントのようなものを僕に押し付けていた。ややくしゃとなったそれを受け取って、目を通す。

門前払もんぜんばらい先生が渡せって。今日もよろしくお願いします。じゃ」

糸織は事務的にそう報告して、教室を去っていった。昨日と比べたらそれなりに大人しいが・・一体放課後に何をされるか分かったものではない。

「はぁ」

僕はため息をついて、崩れ落ちるように椅子に戻った。菱はそよ風ほども気にしてないらしく、さっきから弁当を黙々とつつき続けていた。お前も軽く睨まれてたぞ・・

「大変みたいだな」

菱はまるで他人事のように、そう言った。

「お前も今日から一緒にアイツの指導だろ。何言ってんだ」

「聞いていないのか?」

菱の手が止まった。僕をじっと、同情するような目つきでみつめてきた。

「な、なにをだよ」

「先生から朝言われてな。俺はお役御免だそうだ。お前一人にやらせるらしい」

僕は座りながら、気絶しかけた。


放課後、僕はカタツムリばりの速度で実習室に向かっていた。午後の授業中、僕は気が気ではなかった。後輩指導もそうだが、なにより彼女と一週間二人きりになることが憂鬱でしかたなかった。

菱のような、あのヒステリックを知らない人間なら「ヒューヒュー。羨ましいな」なんて軽口も叩けるが、僕はそのヒステリックを目撃どころかぶつけられた本人である。女が怒ると怖いが、美人は怒るとなおコワイ。糸織ならばなおさらだ。あんな恐怖体験は二度とごめんだった。

ーーーーなにより、僕は元からこんなことやりたくなかった。菱も先生も、僕の事情を知ったうえでやらせようとしている。悪いのは僕だし、その気持ち自体はありがたいが、正直たまったものではない。

「はぁ・・」

足が重い。まるで鉛のようだ。

「せめて・・」

せめてもう一度、先生に相談してみよう。もう少し押せば、もしかしたら菱でなくても別の生徒と一緒に指導できるようにしてくれるかもしれない。そう期待しながら職員室に向かう僕の足元は、軽快なスキップを踏んでいた。


 別館に入り、廊下をすぐ右に曲がったところに職員室の扉があった。ちょうど開けっ放しだったので、僕はそこから顔を覗かせて、先生がいることを確認してから入った。

「門前払先生!」

「おお、神谷か。ダメだぞ」

開口一番、何かを察した先生にきっぱりと拒否された。しかし、ここで諦めては昨日の繰り返しで終わってしまう。僕は勢いのままに先生の正面に立ち、なおも抵抗を続けた。頭を下げて、もう一度頼み込んでみる。

「そ、そんなこと言わずに!お願いします!」

「ダメと言ったらダメだ。理由は昼も説明した通り、そんな余裕はないからだ」

まったく譲る様子のない先生に、僕はほどなくして頭を上げた。いつも飄々としている人だが、今回はかなり強情というかーー本当にダメらしい

「悪いな神谷」

「いえ・・」

これでも先生はどうしようもない僕のために、学校から最大の便宜を払ってもらえるようにしてくれた恩人だ。こう断られてしまったら、さっきまでの僕の決意は簡単に崩れてしまった。

しかし――あの糸織とこれからつきっきりで指導。そう思っただけで、墨を飲まされたような気分になる。僕は思わず、本音を漏らしてしまっていた。

「・・糸織さんといると、京先輩がいたころを思い出すんです」

「だが糸織は才能あるだろう?資料は見たか?」

資料とは、昼食の時に糸織から手渡されたもののことだろう。内容が衝撃的だったから、もちろん覚えていた。

「なおさら僕には任せないほうがいいんじゃないですか?」

「はは、それはお偉いさん方も言ってたよ」

ならなぜーーーー僕がそう口にする前に、先生がそれを手で制して答えてくれた。

「優れた資質を持つ後輩を指導するーーそれは、お前なりのアイツへの恩返しになるんじゃないか?」

そう言われると、僕はさらにひどい気分になった。そう考え行動する勇気が僕にあれば、こんな状況にはなっていない。愛想笑いすらうまくできなくて、表情筋が軋む音が自分の鼓膜に響いてくるようだった。

「・・・・僕には無理です」

「無理でもやらなければいけない。でなければお前もみやこと同じように、退学でもするか」

その先生の物言いに、頭の奥にヒビがはいったような音がした。

「な、なんですかその言い方!」

相手は先生だというのに、僕はそう怒鳴って言い返した。怒りとは違う感情で、手が震えていた。

「若いって怖いねぇ」

「あ・・」

どうやら先生は気にしていないようだったが、僕は一歩後ずさった。先生はそんな僕を、面白いものを観察するような目つきでじっと見つめてきた。僕は静まり返った職員室から、走って逃げだした。

「うっ!」

「きゃっ!」

ちょうど職員室を出てすぐのところで、僕は誰かにぶつかった。周りを見ずに乱暴に走っていたから、お互いかなりの衝撃を受けて尻餅をついた。

「す、すみませーーーー」

相手が誰なのか見ないまま僕は謝って、手を差し出した。そしてその手がはたき落とされてから、ようやくぶつかったのが糸織だということに気が付いた。

「・・き、聞いてましたか?」

そんなことわざわざ口に出さなくても、やや強張った彼女の表情だけで、答えは分かりきっていた。僕を睨み上げながら口を開いた糸織の声は少し震えていた。昨日と変わらない強気そうな目からは、怒りだけではこみ上げない雫がたっぷり詰まっていた。

「私が邪魔なら、そう言えばいいじゃない」

その口調は、まるで「裏切られた」とでも言いたげだった。

「な、なんで?」

そこまで頼りにされているとは想像もしていなかった。思わず訊いたが、糸織は僕から顔を背けた。

「・・・・」

正直、僕はそこまで糸織のことが好きではない。二面性はひどいし、僕へのあたりはかなり強かった。しかし、それでも「一応義務だから」と指導を中断しなかっただけだ。

「あ・・」

もしかしたら、それか?これまで糸織と関わった人物は、たった二言三言交わしただけで彼女の前から消えていったのではないかーーーー彼女の強烈な性格を知っている僕は、すぐにその可能性に思いついた。

僕にそんなつもりは微塵もない。しかし、糸織にそんな表情をさせるつもりもなかった。

「い、いやそうじゃなくてーー」

やりたくない理由は僕にあって。

僕がーーーーダメだから。

弁解しようとすればするほど、舌がもつれていくような感覚があった。

「い、糸織さんのせいっていうわけじゃ」

「じゃあなんなのよっ!」

糸織はそう叫んで、僕の脛のあたりを蹴り飛ばした。悶絶する僕の脇腹にもう一発、倒れながらも咄嗟に頭を守った左手にさらにもう一発蹴りをいれてから、嵐のような足音を立ててどこかへ行ってしまった。

「いてぇ」

いややりすぎだろ・・

僕は自尊心とかそういうものを引っ張り出して、なんとか床に這いつくばったまま廊下の隅に移動した。壁を背に体だけ起こしながら、一番痛む胸のあたりをさする。当たり前のことだが、そんなもので引く痛みではなかった。

「まったく・・」

糸織のあの気性も呆れるが、自分の口下手さには物も言えない。なにもかもが裏目に出てしまった。

「こんな僕で・・」

こんな僕でーー本当によかったんですか。先輩。

既に、二度と会えないであろう人の顔を思い出しながら、僕は無意識にリーナを取り出していた。その赤みがかったアクリル質の表面に、僕の顔が反射して写っている。自分で見ても情けない顔だ。幸せが一つ逃げていく類のため息をこらえきれなかった。

そんな時ふと、手に振動を感じた。するとすぐにリーナがけたたましいアラームで自己表現を始める。表へ裏返して液晶を見ると、目立つ通知がぴかぴかと点滅していた。その画面は見慣れたもので、一昨日もあったことだ。

僕はすぐに立ち上がって、上の階の実習室へ向かった。


2020.09.09 改稿

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