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LEANA1010-リーナサウザントテン-  作者: 上川 三
第一話 メイストーム・ランデブー
3/13

2 スケープゴート


 そっと目を開くと、目の前は黒一色で、光の欠片さえ視認できない闇の世界にいた。ただし、それはわざわざ自分でそうしているのだから当然のことだった。

厚めのアイマスクを外して、深めに傾けたリクライニングチェアから体を起こす。

「はぁ・・」

浅いため息をつきながら、この部屋の壁掛け時計を確認した。十七時十分――この時間帯なら、まだ学食は混んではいないだろう。無理して特攻をかけたかいがあったと、僕は満足げに微笑む。とっとと立ち上がって向かった先は、もちろん学生食堂であった。


僕の見立て通り、学生食堂に人は疎らだった。まだ四月の上旬だから、新入生が混み時だけに殺到するせいもあるのかもしれない。逆を言えばこうして絶妙な時間帯をつけば、広い食堂の空間をゆっくり堪能できるというわけだ。食欲を支えに、気怠い体を押して歩いた。、

ほどなくして、カツカレー定食(甘口)のずっしりとした重みを盆ごしに感じながら適当なところに座ると、少し遅れて机の向かいにやってきた人物がいた。

彼はひどく個性的で、真面目そうな好青年だった。

「髪をジェルでオールバックに固めて、銀の細縁眼鏡をかけている」と形容すれば、どこかのヤクザ崩れでもイメージするかもしれない。しかし、レンズ越しの彼の穏やかそうな垂れ目が、風体の持つ一般的なイメージをうまく払拭している。もちろん彼の人間性はその目元もファッションもどちらも裏切らない。

実行力があり、他人からすれば無茶なことに挑戦するパッションがある。かと思えば気遣いは細やかで、ひどく落ち込んだ人間のクッション役に徹することもできる。人呼んで『第一高校のリバーシブル』、ほほつきりょう現生徒会長様だ。

もちろん、ここまで詳しくて他人であるはずがない。僕にとっては唯一『親友』と呼ぶことのできるーーまあ、短い間だが友人をやっている仲だ。

「なんだよ」

僕がそう不愛想にすると、菱は爽やかな笑顔を返してくれた。

「そりゃあ学食にいるんだから、夕食をとりに来たに決まってるだろう」

菱の仰るとおりだ。だが、わざわざ訊ねた理由があった。

僕は食堂の壁掛け時計を見直してみる。時刻は午後五時十七分。第一高校うちの生徒会は連日遅いはずだ。このように、早めの夕食をとれることなどまずないだろう。

そう不思議に思ったことのが顔に出ていたのか、菱はきつねそばを机にそっと置きながら補足した。

「今日だけだよ。明日からはまた忙しくなる」

その菱の言葉からは、少しだけ疲弊が滲んでいるように感じた。

「大変だな」

生徒会は激務だ。一般生徒と同様の普通科座学と特別科座学・実習に加えて、面倒な生徒会活動に尽力しなければならない。部活やクラブにも所属していない生徒でさえ卒業するために目を回しているのに、よくやるものだと嫌味なしで感心する。

「今は何やってるんだ?」

僕はカレーでべしゃべしゃにならないようにカツを端に積んでいる間、口寂しくてついそんなことも訊いてしまった。

菱はきつね揚げを別皿に取り分けながら答えた。

「まあ・・今は新入生対応を主にやっているな。リーナの扱いと校則・寮則を徹底周知と、それに少しだけメンタルケアもしている」

「メンタルケアは保健管理の仕事だろ?」

「それはそうなんだが、今年はそちらもてんてこまいでな。仕方なく、ほんの少しだけ手伝っているんだ」

その仕事量を想像しただけで、僕の食欲は若干減退した。菱はそばを一すすりした後、茶目っ気たっぷりにウインクをした。

「先っぽだけってやつだ」

「それ意味違うぞ」

働き者の彼の名誉のために、僕はそう注意してやった。


十数分後、僕はパンパンの風船のように膨らんだお腹を撫でながら学食を出た。「何か月だ?」とほざきやがった菱のケツを蹴ってから、薄暗くなりつつある学生寮への道を歩く。

「日が伸びたな・・」

毎年のことなのに、今春の夕暮れは特に長く感じた。背中だけがぬるくて、まだ冷たい風が体を冷やしていく。隣にいたはずの誰かがいない気がしたのは、菱と別れたせいではなかった。

ずっとこれだ。

この感情は、夕暮れで濃くなっていく僕の影と同じだった。体から離れず、忘れることを許されるのは夢の中だけーーいや、夢の中でさえも僕は影の中にいる。

「っ・・」

頭が痛い。さっさと帰って寝よう。そう考えて、根でも張っているような足を無理やり動かした。


学校間徒歩一分。もはや同じ敷地内にあるといっても過言ではない学生寮の門をくぐり、僕は自室に帰ってきた。一応一階の談話室に行けば知り合いの一人くらいはいるかもしれないが、そこで僕は菱以外にまともに話す相手がいないことに気が付いてやめた。

制服のまま、ベッドへ飛び込むように寝転ぶ。

「はぁ・・」

特段疲れているわけでもないのに、そんなため息をこぼしてしまった。

今日もいつも通りだ。座学に実習、あとは友人と一緒に夕食を食べることが出来たささやかな幸運くらいか。なんでもない一日だった。

しかし、そんなつまらない感想を菱に話したら、僕は怒られてしまうかもしれない。そんな腑抜けた意識でこの学校に通っている生徒は一人もいないからだ。

今も悪夢がどこかの誰かを蝕んでいる。死亡者こそ少ないものの、予防が難しい病に対して全人類が大きな不安を抱えているのだ。そんな世の中で「悪夢から人を救いたい」という崇高な使命の元、志望者を篩にかけて残っているのがこの第一高校の生徒だ。高校生には余りある特権が与えられて、期待に応える義務がある。そんな僕たちの毎日が、平凡でつまらないものであってはいけない。

――ごく、当然の論理だ。しかし僕は、そんなものの実践をとうに放棄していた。

「くだらな・・」

僕はマグネットで冷蔵庫に張り付けてあるカレンダーを一瞥した。

2030年の4月11日。

京先輩が学校を去って、もう四か月が過ぎていた。その瞬きの間に菱はしっかり生徒会長して、僕はひたすら怠惰に毎日を消費している。そのせいかーー本当に早い。息苦しさをごまかすために仰向けに寝返りを打って、部屋の空気をたくさん吸い込んだ。

「いいんだ・・」

そう、これでいい。

無気力だろうと不毛だろうと、僕はただ現状が横ばいに続くことを祈っていればいい。そういうことにしておけば、ある日突然現状が急変しても、それは僕のせいじゃない。他の誰かのせいだーー他の誰かのせいにもできるのだ。

自分が冷たい思考の沼にはまっていることに気が付きながら、僕は止められなかった。止める言い訳は、自分一人しかいない私室にはなかった。


――全部、お前のせいじゃないか


「ぐっ・・」

心臓の位置がずきずきと痛み始める。ベッドの上でうずくまりながら胸を抑えるが、痛みは増すばかりだった。

そして、その先輩の声ですら、以前よりやや遠くに感じた。このまま敬愛する彼女の声を思い出せない日が来るのだろうか。それこそ悪夢だ。

「・・・・」

いつの間にか、自分の口から寝息が漏れていることに気が付いた。「シャワーなんて朝浴びればいいんだ」と自分に言い聞かせて、そのまま眠ってしまうことにした。明朝起きる保証はどこにもないのに、それに臆することも忘れて。

今日はいい夢を見られるだろうか。

――そうだ。先輩とピクニックに行った日なんて、ぴったりだ。それこそ頭から根でも生えるように、その日の記憶に閉じこもってしまえばいい。そう願うことで、ようやく思考を手放すことが出来た。


2020.09.08 改稿

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