アマオー:レッツスタート ―声と共にあって―
目の前に広がるのは全てを吸い込むかのような果てしなく暗い世界。
光一つ見えない。身体の感覚は非常に曖昧。声は発しようにも吸い込まれるかのように消えて耳には届かない。
絶対的な虚無がそこにはあった。
だけど怖さは感じない。絶望もない。
まだそこには心が生まれていないから。
―――来て
ふいに声が聞こえた。
呼ぶ声だ。何を? 誰を? 自分をだ。
―――来て
声が近づいてくるのを感じる。
違う。自分が声に近づいているのだ。
だってそれは必然だから。
そうすることが自分に決められた最初の運命だから。
声のする方へ、ひたすらに。
―――さあ、おいで!
進むうちに自分の中で何かが形成されていくのを感じた。
いつの間にか言葉にならない声を上げていた。
手足の存在を自覚する。暖かな光が見えてきた。
声のする方へ、光の指す方へ、手足が進もうとする方へ、声を上げる方へ、心の求める方へ。
ひたすら、ひたすら、ひたすら…!
―――ようこそ! もう一つの世界へ!
――――――――――
「そう、それがあなたが最初に聞いた声なのね…」
目を覚ますとそこは穏やかな雰囲気の漂うログハウスの中だった。そこで私は木の椅子に腰かけていた。
そして目の前に座っているのは見とれるくらいに優雅な金色の髪をした綺麗な女性。
「あら!? 私ったら、また聴くだけ聴いて名乗りもしていなかったわ!ごめんなさい。私、聴くのは得意でも話すのが苦手なの。」
何か返事をしようとするけど声が出ない。というか体が動かない?
「私の名前はイア。この世界の声を聴く者。」
イアというこの女性は小脇に抱えた包みを解き始めた。包みの中身は…鏡?
「あなたのことも教えてちょうだい。」
彼女が鏡をこちらに向ける。その瞬間、視界が光に包まれ…
――――――――――
「あ、ここでキャラメイクに入るんだ…」
なんとも不思議な体験だった。
苺花が今まで遊んできた非ダイブ系ゲームのそれとはまったく違う体験。
キャラへの感情移入の範疇を超えた、存在そのものへの移入。
これがプレイヤーの意識そのものをゲームの世界へと誘うダイブ系VRの本領なのかもしれない。
「って! こんなことに感動してる場合じゃない!まだまだ始まったばかりなんだから!」
目の前には見るからにどこにでもいる普通のモブキャラな見本アバターが配置されている。
事前に攻略サイトで色々と調べてみたけど、その中に「キャラメイクは無限に凝れる」という一文があった。
実際にキャラメイクの各種メニュー欄を見ただけでもそれが十分に分かる。
目鼻口耳等といった顔のパーツは各種数百のバリエーションがある上に大きさや位置をある程度調整が可能。
輪郭や髪形は用意されたパーツのみならず、目の前の見本アバターを直に触って位置や形を調整することも可能なようだ。
身体に関しても身長や肩幅、腕脚の長さと太さ、手と足のサイズ、スリーサイズetcを不自然にならない範囲で好きに設定できる。変わったところでは「肌の質感」なんてものまで!
「もうキャラメイクだけで3日は遊べちゃいそう…」
「赤子の肌質」をぽよぽよ触りながら苺花は呟いた。
苺花自身、過去のゲーム経験で最初のキャラメイクだけで数時間かけてしまったことがある。
とはいえ柚葉との約束もあるしキャラメイクだけに時間を掛け過ぎるのもよくない。集合時間まではまだ時間はたっぷりと残ってるけど油断はできない。チュートリアルだってあるんだから!
「攻略サイトによると確かここに…あった!」
メニュー下部にあった「現実世界の自分に準拠」のコマンドを押す。
注意事項のアラートを消し、現実世界そのままの姿の自分と対面する。
0から作っていくと確実に数時間は掛かってしまうので、ある程度勝手が分かる現実世界の身体をベースにすることにしたのだ。
とはいえ現実の姿そのままの状態でプレイするのは危ないので顔の一部パーツを差し替えて調整。
この際だから破綻しない範囲の願望も詰め込む!
現実ではクルクル曲がりがちな髪をサラサラストレートのセミロングに。
大きな目は鋭くクールな感じに。鼻も口も輪郭も少しずつ手を加えて完成!
「よし!かわいくできたかな~?」
我ながら素晴らしい出来栄え! すまし顔がとても素敵なメガネが似合う美人さん♪
でもどこかで見た覚えのある顔だなぁ…?
「…って柚葉そっくりじゃん!」
さすがにこれは恥ずかしすぎるので、分からない程度に入念に手を加えた。
顔に手を加えると今度は身体の方も少しだけ…具体的にはスタイルを良くしたい欲求に駆られるけどここはぐっと我慢。
身体部分に手を加えた多くのユーザーが現実とゲーム内の身体の違いで苦しむことになるらしい。
ゲーム内で済めばまだ良い方で、現実の方で膝や腰を壊したって話もあるって…
一段落したら全体像を確認。横方向からの見た目もきちんと確認。
光源の位置を変えて変な影が出てたりしないかも要チェック。
もうすこし耳の形を変えてみようかな?
あ、でもそうすると輪郭も手を加える必要が出てくるし…
「あー、ダメダメ!気にしすぎるとどんどん時間がとられちゃう!」
妥協点の見極めは大事! 多少の不備は後で装備やアクセサリーでカバー!
これでキャラメイクは完りょ…あ!種族の設定を忘れてた!
[種族によってステータスに掛かる補正やNPCからの反応が変わります。]
[※ゲームを進めることで転化(種族の変更)も可能ですが、一定の条件があります。]
[現在選択できる種族は以下の通りとなります。]
[※プレイヤー全体に対する好感度が著しく低い種族は選択できません。]
・ヒューマン
・ハーフエルフ
・ドワーフ
・ハーフドワーフ
・獣人
「すごく偏ってる… あ、獣人は動物の種類も選べるんだ… でもやりたいことを考えると…」
猫耳犬耳の誘惑を断ち切り、魔法への補正が一番高いハーフエルフを選択。
アバターの耳が少しだけ尖がったので顔を微調整。
今度こそキャラメイクは完了だ!。
――――――――――
「それがあなたなのね。」
キャラメイク完了後、再び私はイアさんの目の前に座っていた。今度は体も動くし声も出せる。
「はい! そうです!」
「ふふっ。そんなに固くならなくても大丈夫よ。素敵ね。その姿。」
「あ、ありがとうございます…」
「あなた本当の姿と憧れの挟間って感じかしらね…とてもいいと思うわ。」
「えっ!?」
「なんてね!ごめんなさい。少しからかっちゃった!」
イアさんは笑いながらそう言った。なんだか手玉に取られた感じだけど不思議と憎めない。なんだか不思議な魅力に満ちた女性だ。
「さて、まだあなたに大事なことを聞いていないわ。」
「大事なこと?」
「あなたの名前よ。教えてちょうだい?」
その言葉と共に私に差し出されたのは紙とペン。どうやらここにプレイヤー名を書き込むようだ。
すでに帰りの電車の中で決めてあったプレイヤーネームを書き込む。
「『アマオー』…読み方は合ってる?…そう。とてもいい名前ね!」
私は本名が“苺”花だからゲームでも苺にちなんだ名前をつける癖がある。「アマオー」はその中でも自信作。小さい頃に一度だけ食べさせてもらった苺の名前がモチーフだ。
「もう少し話していたいけど、もうすぐ時間ね。名残惜しいわ。」
そう言いながらイアさんはログハウスの扉に手をかける。
「この扉を開けばあなたの冒険が始まる。覚悟はいいかしら?アマオー。」
「はい!」
「いい返事。それじゃ最後に一言。」
「迷ったときは何時だって『声』がそこにあるから。」
え?それってどういう意味…?
そんな疑問が声となる前に私はログハウスの外へと吸い込まれるように投げ出された。