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怪奇日食  作者: 燦々SUN
7/7

楽日

 ── 土曜日



(仕方、なかったんだ……こうしないと……)


 俺は、机の上に突っ伏している妻を眺めながら、必死に自分にそう言い聞かせた。


「あれ~? ママねちゃったの?」

「……そうだね、ちょっと疲れてたんじゃないかな?」


 不思議そうに首を傾げる娘に、俺は努めて笑顔を浮かべながらそう言った。


 俺は……結局、あれ(・・)を見る勇気が出なかった。

 そして、娘にも見せる気になれなかった。

 これが本当に娘のことを案じてのものなのかは、自分でもよく分からない。

 もしかしたら、娘を自分の側に巻き込みたいという、ただのエゴなのかもしれない。


 それでもいい。俺は、自分が変わるのも嫌だったし、娘にも変わって欲しくなかった。

 だから、俺は朝食の席で妻に睡眠薬を盛った。

 そうでもしなければ、日食の時間を穏便に回避出来るとは思えなかったからだ。


「むぅ……いっしょにかいきにっしょくをみようっていってたのに……」

「まあまあ、ママも家事で忙しくて疲れてるんだよ。だから、寝かせておいてあげよう?」


 学校で配布されたらしい、安っぽい日食グラスを手に頬を膨らませる娘を宥めながら、チラリと時計を確認する。


 時刻は8時45分。

 日食の開始時間が、たしか9時前。皆既日食は10時過ぎに始まり、3分間ほど継続するという予報だった。

 その間は、決して娘を外に出してはいけないし、外を見せてもいけない。


 俺は玄関に向かうと、ドアの鍵を閉め、念のためチェーンも掛ける。

 そして、家中の窓を閉めて鍵を掛け、カーテンを引いた。


「どうしたの? パパ」


 娘が、怪訝そうな表情で俺を見上げる。

 俺は一度大きく深呼吸をすると、膝を折り、娘と真っ直ぐに視線を合わせた。


「いいかい。これからお父さんが言うことを、よく聞きなさい」




 そして、俺は時間をかけて娘にしっかりと言い聞かせた。

 皆既日食を見てはいけないこと。また、見ていないことを誰にも言ってはいけないこと。もし見たかどうか聞かれた時は、見たフリをすること。


 最初は疑問と不満でいっぱいなようだった娘も、俺の真剣という以上に切羽詰まった様子に何かを感じたのか、やがて「わかった」と頷いてくれた。

 そうして、少しほっとしたその瞬間。


 あれ(・・)が始まった。


 迂闊だった。日食を見ないことに気を取られるあまり、このことを失念していたなんて。


『アハハハッ、ハハハハハハハ』

『フフフ、フハハハハハハハハ』

『ワハハハハハハハハハハハハ』

『ヒャーッハッハッハハハハハ』

『キャハハハハハハハハハハハ』


 全方位から聞こえる、笑い声。


 前回は一戸建てに住んでいたからそこまで気にならなかった。

 だが、今住んでいるこの部屋は7階建てマンションの5階。しかも角部屋ではなく真ん中の部屋だ。

 自然、上下左右全方位から笑い声を浴びせられることになる。


「ひっ、な、なに!?」


 突然起きた明らかな異常事態に、娘がビクンッと体を跳ねさせる。

 俺は笑い声への対策を忘れていたことに歯噛みしながら、娘をぎゅっと抱き寄せた。


「パパ、パパぁ……こわいよぉ……」

「大丈夫、耳を塞ぐんだ。大丈夫だから!」


 娘の手を取って両耳を塞がせると、その上から更に自分の手を被せながらしっかりと抱き締める。

 腕の中に娘の体温を感じながら、俺はじっと笑い声が収まるのを待ち続けた。



 アハハハハ────

 ハハハハハ────

 キャハハハ────



 笑い声が、続いている。


 一体、何がそんなにおかしいのだろうか?

 皆既日食とはいえ、所詮太陽が見えなくなっているだけだろう?

 何をそんなに、笑うことが…………



 ワハハハハ────

 イーヒヒヒ────

 アッハハハ────



 まだ、笑っている。


 そんなに楽しいのだろうか?

 そんな、笑いが止まらないくらい楽しい気分になるのだろうか?


 ……なんだか、こうやって怯えている自分の方がおかしい気がしてきた。

 そうだ。なんで俺は……何に怯えているんだ?


 何を怖がって……なんで見ちゃいけないんだ? 思い出せない……


 ああ、でももう……いいか。


 だって、あんなに楽しそうなんだから。

 楽しいことを我慢するなんて、馬鹿げてるじゃないか。



 娘を抱いていた腕を解くと、すっと立ち上がる。


「パパぁ……?」


 両耳を塞いだままの娘が不安そうに見上げてくるが、特に気にもならない。

 今は、今はそんなことより…………


 俺はふらふらと吸い寄せられるようにベランダに向かうと、カーテンを撥ね除け、窓を開けた。

 そして、ベランダに出て空を見上げ────


「アハハハハハハハハハ!!」


 笑い声が、口を衝いて飛び出した。


 すごい! なんて素敵で……最高に愉快なんだ!!


 あぁ、俺はなんでこんな素敵なものに怯えていたんだろう。


 こんなに素晴らしいものを見逃し、あまつさえ13年間も無意味に怖がり続けていたなんて……あまりにも滑稽だ。

 あぁ、でも、もうどうでもいい。今こうして見ることが出来たのだから。

 もう、他のことはどうでも…………




 それからも、笑って、笑って、笑い続けた。

 笑い続け、存分に堪能した。

 そうして堪能し終わった頃、背後から小さな声が聞こえた。


「パパ……?」


 娘が、窓を少し開けてこちらに顔を覗かせていた。


 その不安そうな姿を見て、俺は自分の顔から表情が抜け落ちていくのが分かった。


 胸の中にあるのは、楽しい気分に水を差された不快感と、この素敵な体験を共有出来なかった娘に対する憐れみ。

 それらの感情がないまぜになって、俺の顔から表情を奪った。


「ぱ、パパ……?」


 俺の顔を見て、怯えたように体を引く娘に無言で近付くと、俺はその小さな体を抱き上げた。

 そのまま腕を伸ばして高く持ち上げると、ベランダの柵の外へと体を乗り出させる。


「パパ? やだ、こわい、こわいよぉ……」


 そう言って震える娘は、一瞬下を見てから慌てて目を逸らし、空を見上げた。

 そして────


「ん……っ! まぶしい……」


 そう言って、すぐに顔を背けてしまう。


 それはそうだろう。

 もう、あれは終わってしまい、今は太陽が月の陰から顔を出しているのだから。


 そう、娘は見逃してしまったのだ。

 あんなに素晴らしいものを。


 あぁ……もう、本当に…………


「かわいそうに……」


 そう呟いて、俺は────手を離した。

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― 新着の感想 ―
怖いです。今まで見た中でもかなり上位に位置するぐらいに。 何より主人公がまともではなかったけれども一人殺してるのに普通(?)に生活してるのが怖いですね
あの真顔は憐れみだったのか………。
[一言] なんで……なんで誰も日蝕グラスを使わなかったんだ……………
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