災来
なぜ、なぜだ。なぜ、また…………
頭の中で、意味もない疑問の羅列が浮かんでは消える。
全身からスーッと熱が引いていき、あらゆる感覚が遠ざかっていく。
頭の中には、かつて見た真顔、真顔、真顔…………
「っ!」
酷く、気分が悪い。今にも吐きそうだ。
「かいきにっしょくってな~に?」
どこか遠くで、娘が無邪気にそう尋ねている。
それに、妻がにこやかに答える。
「お日様がね、お月様に隠れて見えなくなってしまうことよ」
「おひさまが……かくれる?」
「そうよ、だからお昼なのに夜みたいに暗くなってしまうの」
「ホントに? すご~い!」
何気ない親子の会話。
だが、俺にはそれを微笑ましく見ていることなど出来はしない。
なぜなら……
「ママはみたことあるの?」
「あるわよ。とってもステキよ」
「そうなんだぁ、たのしみ~」
妻は、そちら側だからだ。
「パパは?」
娘が罪のない笑顔を浮かべて、こちらを振り向く。
思わずビクッと震えながら、俺は現実感が急激に戻って来るのを感じた。
俺は娘に向かって必死に笑顔を浮かべると、殊更に明るく言う。
「もちろんあるぞ。すごいから楽しみにしてな」
「うん!」
目を輝かせて頷く娘に、俺は笑みが引き攣らないようにするのに必死だった。
どうすればいいのか。
妻は、間違いなく娘に日食を見せようとするだろう。
そして、それを俺が阻止しようとすれば、妻はきっと俺が見ていないことに気付いてしまう。
それはダメだ。
だが、ならば何かが起きる。そう分かった上で、娘に皆既日食を見せるのか? それは出来ない。
今回も、そうなるかは分からない。
だが、そうなる可能性は大いにある。
見たからといって、何が起きるのかは分からない。
見た人間も、見ていない人間と関わらなければ普通の人間と変わらないからだ。
だが……もしかしたら、娘が別の何かに変わってしまうかもしれないのだ。それは看過出来ない。絶対に。
あぁでも、もういっそ、娘と一緒に俺も見てしまおうか?
そうすれば、もうこんな風に苦しまずに済む。
いつ身近な人が変貌するか怯えることも、ふとした瞬間に猛烈な孤独感に襲われることもなくなるのだ。
そうだ。
たかが皆既日食を見るだけじゃないか。
一体何をそんなに警戒することがあるのか。
そんな風に笑い飛ばそうとしても、なかなか上手くいかない。
見た瞬間に自分が変わってしまうのではないかと思うと、酷く恐ろしい。
もしかしたら、見た瞬間に今ここにいる俺は死に、別の誰かがこの体に乗り移ってしまうのではないか。
そう考えると、体の震えが止まらなくなる。
(俺は……どうしたら……)
楽しげに話す妻と娘を、表面上は笑顔で見守りながら。
俺は娘と自分のためにどうすべきか、それをひたすら考え続けていた。