第4話『人斬り』
昼過ぎ、日が少し傾くまで旅は順調に進んだ。
翌々日かその次の日ぐらいには、このクロヌ地域から抜けられるだろう。
とはいえ、集落を避けるために遠回りをしなければいけない場面は度々あり、その度に体力と時間を奪われた。
少しずつだが、人の気配を感じるようになってきている。
山賊と鉢合わせないようにレベナは氣の探査に時間を取ることがあった。
いかに氣の扱いに長けているレベナでも正確に探査できる範囲はせいぜい100m程度だと言う。
林の中を歩んでいたために日陰は多いが、夏のこの時期の移動は体力を削ぐ。
水が豊富な地域であったため、湧き水を発見すると水分補給を行った。
コルトは濡れた布を首に巻いて暑さをしのいでいる。
杉林が多く、鳥の鳴き声と風の音以外はほとんどしない。
下り道が続いたために歩調も早く、5人の足音がやけに大きく感じた。
木漏れ日が差し込む獣道で突然レベナは、
「みんな、集まって!」
と3人を固めた。
後方から突然、黒く大きな山犬が2匹現れた。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、という息遣いが聞こえてくる。
一般的な犬や狼の2倍はある体躯で獰猛な目つきをしている。
身体の周囲には黒い靄のようなものが包んでいるように見えた。
コルトが前に立ちはだかって、
「ジンタも前に。」
と促す。
ジンタは頷いて、コルトの右横に並んだ。
「あいつは魔性の生き物だ。
倒すことが唯一の救い。
情け容赦は無用だ。」
「はい。」
確かに、こいつの氣は人や動物とは違う。
流れが逆というか、霧のようでありながら油のような質で、上から押さえつけられるような圧がある。
「レベナはジンタのバックアップを頼む。
やばそうになったら即座に魔物を眠らせてくれ。」
「わかったわ!」
「ジンタ、牙と爪にだけ注意しろ。
鼻か腹を斬れれば理想的だが、無理しなくていい。」
「はい!」
それは、ジンタが自ら挑む、対魔物戦初の実戦だった。
「対魔物戦の戦法通りで行こう。
まずは深呼吸して、心が落ち着いたら刀を抜くんだ。」
ジンタはコルトのレクチャー通りに半眼になって深呼吸をした。
ドクンドクンドクン…。
心臓の早い鼓動が聞こえる。
手足が震えているが、コルトには慣れの問題だから気にするなと言われている。
大丈夫だ…。
心の波立ちが収まるのを確認して、ジンタは刀を抜く。
大丈夫だ、不穏な思考は沸いていない。
視界は全体を捉え、意識を広げるように…。
そして、刀を斜め下向きに構えた。
コルトは左の山犬に突進していった。
それを合図に、ジンタも右の山犬に向かっていく。
山犬はそれに呼応するかのように、ジャンプしてジンタに襲い掛かってくる。
それは、ジンタの狙い通りだった。
山犬はジンタの首筋に食らいつくつもりだ。
ジンタは屈みながら右足を大きく踏み出し、刀を下から切り上げた。
手応えはあったが抵抗感のない、恐ろしい程の切れ味で、山犬の首と右前足の付け根を切り裂く。
「キャンッ!」
そう叫んで、山犬は右肩から地面に落ちた。
すかさず、ジンタは山犬の喉を上段から斬る。
スパンと山犬の喉に空の線が引かれて、息絶えた。
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…。
ジンタは肩で息をしながら、山犬が動かないかを見ていた。
「最後のは、突きでも良かったかもな。」
コルトがジンタの肩を叩く。
見ると、もう1匹は鼻を強打され、目を飛び出させて絶命している。
一撃だったようだ。
「上出来だ。
おかげで、レベナは魔力を温存できた。」
コルトは、ジンタの肩をポンと叩いた。
ジンタは照れたが正直に嬉しかった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、ジンタは夢を見た。
森の中の暗い一本道を、ひとり歩いていた。
行き先はわからない。
どこから来て、なぜ歩いているかもわからない。
とにかくこの森を出たい。
それだけを考えて、ひたすら歩いていた。
ふと、足元に違和感を感じる。
踏みしめる感覚が土ではないことに気付いた。
パキパキと乾いた音がする。
立ち止まり、足の下を見ると、それは炭だった。
手に取って確認してみる。
すると、軽く乾いたそれは、人の手の方をしていた。
「うわああ!」
これは…!
ここでジンタは目を閉じた。
それ以上考えるな。
こんなことはなかった。
否、否、否…!
…ここで、ジンタは目を覚ました。
隣に、タジキとレベナ、ルーが寝ている。
徐々に記憶が戻ってきた。
この日は、適切な野営場所が見つからなかったため、川沿いの茂みの合間に簡易的なテントを張ったのだ。
今は夜半過ぎだろうか。
今眠ると悪夢の続きを見そうで、ジンタはテントの外に出た。
すると見張りをしてるコルトがいた。
「便所か?」
「ええ…。」
「俺が同行しよう。
この時間にひとりで結界を出るのは危険だ。
レベナ、こちらは頼む。」
「了解。」
レベナも目を覚まして答えた。
レベナが横になったまま何かを呟く。
結界とやらを張り直したようだが、ジンタには何も見えない。
ただし、コルトに連れられてテントを離れるときに、耳の奥の圧が変わるような感覚は感じ取ることができた。
ジンタとコルトは山肌を川に向けて降りていく。
あまりよく覚えてはいないが、嫌な夢だった…。
その嫌な感覚を忘れたくて、ジンタは昼間に気になっていたことをコルトに聞いた。
「コルト、ひとつ聞きたいんだけど。」
「なんだ?」
「コルトは、今までどれくらい魔物と闘った?」
「うーん…。
1000ぐらいかなぁ?」
「1000!?
北にはそんなに魔物の巣が?」
「いや、まぁ、なんていうのかなぁ…。
あそこには色んな場所があるんだよ。
今この時空とは別の場所が、な。」
「時空…?
世界ってこと?」
「まぁ、そういうことになるのかな。
小さい頃から、それらを色々と冒険してたんだ。」
「シュニの首都にも行ったの?」
「いや、北方域から出たのは今回が初めてだよ。」
コルトが苦笑いする。
色んな世界を行き来するとは、なんとも荒唐無稽な話にジンタには聞こえた。
だが、そうでもしないとコルトの強さは説明できない気がする。
まだまだこの世界には不思議なことがあるのだ。
ジンタは、村の事があるにせよ、外の世界に触れられることに対しては好ましいと思った。
河原で用を足し、コルトの元に戻ると、何か淡く光るモヤモヤしているものが3つ浮かんでいるのが見えた。
「鬼火だ。
気を付けろ。
こいつも魔性に冒されて敵意を持っている。
こりゃどこかに魔術師がいるな…。」
ジンタは鬼火の氣を探ってみる。
確かに山犬や獅子にも似た流れと圧を持っていたが、もっと実体のない、霧のような感触だ。
きっとこいつは、朝にコルトから教わった霊体タイプだ。
「レベナの所に戻って、武器に魔法支援をしてもらうか…。」
コルトは少しだけ考えたが、決心して前進する。
「いや、ものは試しだ。
このまま戦うぞ。」
そういって、コルトは1体の鬼火に駆けていった。
「ジンタはそっちを頼む!」
「はい!」
ジンタはフーとひと呼吸してから抜刀し、鬼火に襲い掛かった。
「斬れるのか!?」
ジンタは半信半疑ながら左薙に斬りかかった。
スパッという音がしたかのように鬼火が真っ二つに割れて消える。
「斬れた!?」
「やっぱり。
その刀は物理タイプだけじゃなく、霊体タイプも斬れるんだ。」
コルトは早々に2体の鬼火を倒してジンタに近づいてきた。
「どういうことだろう?」
「その刀は何か特殊な素材でできている。
俺の棍棒と同じくね。」
見ると、コルトの握る棍棒が金属のような光沢を放っている。
そう言えばそうだ。
コルトもレベナの魔法支援を受けずに霊体タイプの鬼火を倒していた。
コルトの武器とジンタの武器。
意外な共通点があるようだ。
「この刀とその棍棒は同じ人が作ったのかな?」
ジンタは刀と棍棒をそれぞれまじまじと見る。
「どうだろうなぁ…。
俺もこの棍棒は冒険中に人からもらった物であって、誰が作ったのかは知らないんだよ。」
北方域とクロヌ地域は、離れてはいるもののこの国や大陸全体から見たら近い位置にある。
なんらかの関連性があっても不思議はない。
この巡り合わせも何か意味があるのかもしれない、とジンタは思った。
◇ ◇ ◇
翌朝も夜明け前に起きて、支度をし、朝食を取って打ち合わせをした。
レベナは、人の気配が増してきて、山賊を完全に避けるのは難しくなってきたと話した。
逆に、野生系の魔物は自然の力が弱まってきて減るだろう、とのことだ。
とはいえ、岩竜や翼竜などの、高い生命力を持った人間の使役魔物は現れる可能性がある。
そこで、対野生系魔物、対高度使役魔物、対人間の3パターンでの作戦を5人で話し合った。
基本は、いずれもコルトがひとりで戦い、ジンタとレベナが補助に入るというものだ。
「俺ひとりで問題が出るケースは、敵の数が多い時だろう。
あまりに強い敵が出た場合は逃げるしかないしな。
数が多い時は、ジンタとレベナ、頼む。
タジキとルーはとにかく危険を避けて隠れていてくれ。」
コルトがそうまとめた。
「あーあ、俺も刀とか持ってたらなぁ。」
タジキは相変わらず呑気なことを言った。
「あなたは、武術とか苦手じゃないの。」
ルーはぴしゃりとタジキの痛いところを突く。
「まーなぁ…。」
とバツが悪そうにタジキは頭の後ろで手を組んだ。
結局タジキは、ルーを敵から隠すことに専念し、万が一敵にルーが見つかった場合は、レベナかコルトに報告し指示を受けるように言われた。
特に野生系の魔物は、氣を隠す結界を張り、さらに木の陰に隠れていても、鼻が利くために要注意であると念を押される。
タジキにしては珍しく神妙に頷いた。
彼なりに、重要な責務であることを自覚しているのだ。
日の出とともに出発し、昼前までは何事もなく順調に進行できた。
しかし、レベナは頻繁に周囲の様子を探っており、コルトもいつにも増して慎重に状況判断をしているようだ。
周囲は林が途切れ途切れになり、日差しが足元まで入る時間が長くなっている。
しばらく進んだ林が開け大きく空が見える緩やかなカーブで、レベナが突然歩みを止めた。
カーブの内側は切り立った崖で、道の反対側も下が見えないほどの崖になっている。
レベナは、しばらく右腕を水平に上げたまま静止した後、
「3人はこっちへ!」
と小さく叫んだ。
コルトが道に残り、レベナは3人を連れて道の脇の茂みに隠れる。
コルトが腰から鈍い光沢のある棍棒を抜いて構えた。
1分程、緊迫した空気が流れた。
ジンタにも、おぼろげながら、道の先の氣が感じられた。
どうやら相手は複数いるようだ。
カーブの向こうから、ぬっと身体の大きな、先の太い棍棒を持った男が現れた。
「てめえは何者だ!?」
男がコルトを睨む。
ジンタは全身の毛が逆立った。
村が夜襲を受けたあの日、家から飛び出したジンタにいきなり殴りかかってきた男に間違いない。
「俺は北方域からの旅人だ。
シュニの首都サグラを目指している!」
とコルトがまだ先にいる男に答えた。
男はニヤリとする。
「命だけは助けてやる。
金目の物を置いていけ。
それと連れもな!」
そういうや否や、男の後ろから更にふたりの男が出てきた。
後ろのふたりは弓を持っている。
更に、コルト達5人が曲がってきた後方からふたりの男が出てきた。
こちらのふたりは棍棒を持っている。
ジンタ達は完全に挟み撃ちに遭ってしまった形だ。
道の横は左右とも崖になっており、そちらに逃げることは難しかった。
「弓は、まずいな…!」
コルトは前方の3人の男に向かって攻撃態勢のまま早駆けをする。
「レベナ、後ろの敵を頼む!」
「了解!」
レベナは茂みから飛び出し、即座に魔法を使った。
レベナの手から淡い光球が放たれ、襲い掛かる後方のふたりに当たる。
ふたりは走りながら意識を混濁させて、その場に倒れこんだ。
「タジキ!
ジンタ!」
レベナはそう叫ぶと、ジンタとタジキが隠れていた茂みから飛び出してきた。
ふたりは眠った男ふたりを手早くロープで後手に縛り付け、動きを封じた。
レベナはそれを確認すると、コルトの方に向き直った。
見ると、コルトは既に前方3人の敵を気絶させており、ひとりを縛っている。
「タジキすまない!
ロープが足りないから持ってきてくれ!」
「はいよ!」
タジキがコルトの方にロープを持って走っていく。
レベナはルーの所に戻って無事を確認した。
しかしその時、想定外の事が起こった。
ルーが、
「ジンタ!
後ろ!」
と叫んだ。
なんと、縛ったはずのひとりの男が手のロープをほどき、ジンタに襲い掛かったのだ。
男は大上段からの攻撃を仕掛けてきた。
ジンタは向き直って素早くそれを避ける。
男はまだ意識がやや朦朧としているのか、よろけて前方の地面に膝と手を突いた。
危うくやられるところだった。
村人や母上、友や師匠を闇へと葬った奴らの思い通りにはさせるか!
頭に血が上るジンタ。
全身にゾクゾクとした身震が駆け抜けた。
ジンタは素早く刀を抜いた。
シャアアア!という音が響く。
ジンタの心が乱れた。
こいつも俺を殺しそうとした。
そして、ルーやタジキも殺すだろう。
それを許すわけにはいかない…!
ダメだ、刀を抜いてはいけない!
既にふたりの人間を斬り殺したのだ。
…3人も一緒だ。
人を安易に斬ってはならない!
こいつらが皆を殺したのだ。
コウも、母上も…!
それならここで殺してしまえ!
ジンタは胸が苦しくて吐き気がした。
村でふたりを斬った時よりも殺意が強く抵抗し難い。
苦しい。
辛い。
楽になりたい…。
そうだ、斬れば楽になる。
すっきりするだろう。
この苦しみから解放されるだろう。
そして、皆の無念も晴らされる…。
ジンタはゆらっと男の方に向いた。
遠くでコルトが大声で叫ぶ。
「ジンタ!!
斬るな!!
むやみに人を殺すな!!」
コルトの声が確かに耳に入った。
しかし、苦しみと混乱の濁流の中でそれはかき消されてしまった。
ジンタは起き上がろうとする男に対して刀を振り上げる。
「ジンタ!!」
コルトが走る。
「キャー!」
ルーが悲鳴を上げた。
刀を振り抜くジンタ。
それは驚くほど抵抗なく男の体を引き裂く。
男は絶命し、その場で倒れた。
ジンタはそれを見て、ぼーっと立っていた。
苦しみから解放されたのかどうか、ジンタにはわからない。
ただ、心も身体も麻痺しているような気がした。
「兄貴!」
もう一人の男が目を覚まして声を上げた。
どうやら、死んだ男の弟分か何かのようだ。
「このクソガキぃぃ!」
両手を縛られたまま男が怒鳴った。
ジンタに再びゾクゾクとした身震が全身を駆け抜けた。
再び様々な思考が駆け巡る。
俺はまだすっきりなどしていない!
こちらは何十人と殺されているのだ!
ひとり殺したところでなんだというのだ!
俺も兄貴分のコウを殺されたんだ!
ジンタは男につかつかと歩んでいき、刀を振り上げる。
「ジン!!!」
コルトが全速力で駆けてきてジンタの腕と肩を掴んで動きを封じた。
レベナは再び魔術で男を眠らせた。
「ガアア!
離してくれ!
また奪われる!
こいつらは許せない!」
ジンタは興奮して暴れた。
しかし、コルトの力の前に、為す術はない。
レベナは魔術でジンタを眠らせた。
コルトの腕の中で脱力するジンタ。
タジキは呆然と立ち尽くしていた。
ルーは口を両手で覆って震えていた。
◇ ◇ ◇
全身の揺れの中でジンタは目を覚ました。
どうやらコルトに背負われているようだ。
「起きたか。」
コルトが歩きながらジンタを横目で見た。
「ええ…。」
「あれから、急いであの場から離れたんだ。」
コルトがジンタに聞こえるように言った。
その言葉からはジンタへの気遣いが感じられる。
先程の場面がジンタの脳裏に浮かぶ。
人を斬った感触がまだ手に残っている。
記憶が蘇ってくるにつれて、身体が冷たくなり、震えてきた。
「コルト、俺、また人を斬った。」
「…。
そうだな。」
「苦しかったんだ。」
「…。
それは今もだろう?」
ジンタは黙った。
自分の中の何かが麻痺している気がする。
確かに今は辛いが、これを続けていれば平気になる気がする。
過去のこの刀の所持者たちは皆この心境を通過したのではないかと思った。
「ジンタ、人を安易に殺してはいけない。」
「…。
なぜ?」
コルトはすぐに答えなかった。
「村の掟だから?」
一寸溜めてコルトが答えた。
「殺した側の…、ジンタの心が壊れるからだ。」
意外な答えだった。
「心が、壊れる…。」
ジンタは反すうした。
しかし、思い当たる節がある。
何かが麻痺していくような。
殺意が暴走し、手に負えなくなるような。
そんな感覚があった。
しばらくして、ジンタが聞いた。
「コルトも人を殺したことが?」
コルトは少し間をおいて答えた。
「…俺は親友を殺したんだ。」
コルトが寂しそうな目をした。
段差のある道を抜けて、人工の道が続いている。
念のためここからはまた山の中を進まねばならない。
「さ、自分で歩けるか?」
「はい。」
ジンタはコルトの背中から降りた。
タジキとルーが心配そうな顔をしてそれを見ていた。