第33話『友の心』
マズカールは自室に戻った。
ドカッと背高の椅子に座り、目を閉じて長考する。
あらゆる事が動いている。
自分の人生の節目が訪れようとしている。
思えば、何も思った通りには行っていない。
そもそも皇帝になったこと自体も、流れ流されてのことだった。
世間には自らで勝ち取ったかのように思わせているが、それはあくまでも亡き皇后の計らいだった。
自らが望むもの、叶えたいものとは…。
力なき我にできることは…。
そして、ムレン皇女カノンの顔が浮かぶ。
フー…、とマズカールはため息をついた。
そして、側近のフリッツを呼んだ。
「明朝に早馬を出し、メディヒ、ケスラー、ミューラー、メック、マイヤー、グリパルを呼べ。
3日後に臨時議会を開く。」
「御意。」
フリッツが急ぎ退室し、出された指示の準備をする。
もう日が変わろうとしている。
マズカールは椅子に深く腰掛けたまま再び目を閉じた。
身体が疲れで悲鳴を上げている。
自らの老いを感じる。
だが同時に、奥底から湧き出る使命感のような願望は、まだ熱を持っていた。
マズカールの手に力が入り、肘掛けに指の形のしわを作った。
◇ ◇ ◇
コルトはユードと共に地下牢まで来ていた。
だが、そこは既にもぬけの空だった。
間に合わなかった。
コルトは悔しさに拳を握った。
「ジンタ…!」
ユードが辺りを見回す。
「看守が眠らされてますが、ここではソーンは好きにできぬはず。
やはり、コウ様が連れ出したんでしょうか。
町中に出たか、裏口から山に抜けたか…。」
その言葉を裏付けるように、ジンタの荷物も見当たらなかった。
単に拉致したのであれば、荷物はこの場に残しただろう。
コルトは周囲の氣を読んでみたが、様々な魔術的結界が入り乱れていてよくわからない。
全体的に大勢の人間の圧のようなものは感じるが、個別に感じ取れるのは目に見える範囲程度だった。
そんな中、コルトは背後に浮遊体の気配を感じた。
「コルト、ジンタは裏山に抜けたみたいだぞ…。」
「ウォルか…。」
どうやら、周囲を探っていたウォルはジンタらしき氣が裏山に向かったのを感じ取ったようだ。
「ユード殿、ジンタ達は裏山に抜け出したようです。」
「貴殿にはわかるのですね。
わかりました、そちらに案内しましょう。
ただし、そちらはソーンめの領域、我々も見つかるやもしれませんぞ。」
「仕方ないでしょう。
早く2人を見つけ出さないと大変なことになります。」
ユードは頷き、早歩きでコルトを案内する。
しばらく進むと、城の裏手の出口に来た。
物資を出入りさせるところらしく、広い円形の空間の奥にアーチ状の大きな口が開いていた。
広間の隅には木箱や工具などが並んでおり、アーチの先には岩山の道が月明かりでぼんやり見える。
コルトとユードが円形の広間に来ると、突然、奥のアーチ状出口の外から大勢の青い模様の入った甲冑の男達がなだれ込んできた。
また、通路の後ろからも同様の男達が迫ってくる。
武具のガチャガチャいう音が広間に響き、2人は完全に前後から挟み込まれた。
全部で50人はいるだろうか。
出口側の男達の中から1人が前に出た。
ソーンだ。
「ユード、ここは手を引いてもらえませぬか。」
「そう言うわりには、私への対策をもしている戦力配置ではないか。」
「いつもあなたが言ってるではありませんか、備えあれば憂いなし、ってね。」
ユードが自らの剣の柄に手をかける。
「私への刃は、皇帝へのそれと同等だぞ、ソーン。」
その口調には怒気が混じっている。
「それは、事が済んだときの検討事項といたしましょう。」
ソーンの口の端がつり上がった。
「また、裏切り者やスパイが1人増えるというわけだ。
お前のオハコの情報操作でな。」
「常に危機には備えねばなりません。
国家の安全のためには。」
「貴様の詭弁に付き合っている暇はない!
もはや問答無用だ!」
ユードが剣を抜いて構えた。
コルトも棍棒を持って構える。
50人の男達もそれぞれ戦闘態勢に入った。
コルトが見る限り、後衛のほとんどは魔術師だ。
これら魔術師達はコルトよりもユードに対策しているものと思われる。
なぜなら、ソーン程の術者であれば、コルトは対魔術師戦が得意であることはわかるはずだからだ。
反対に、前衛の分厚い甲冑を着た重装備の連中はおそらくコルトの棍棒に対策しているのであろう。
流石に特殊な金属を用いていても、基本が木製の棍棒は金属防具に対して不利だからだ。
明らかに、ソーンはユードとコルトの戦力を分析した上で挑んでいる。
「後は任せたぞ、フッド。」
「はっ。」
フッドと呼ばれた男がソーンの代わりに前に出る。
剣を抜かないところを見ると魔術師かこの部隊の指揮官なのだろう。
ソーンはそのまま、男達に紛れて見えなくなった。
おそらく、ソーンはジンタの元に行くのだろう。
そこでジンタとコウを葬るつもりだ。
ここでグズグズはしていられない。
コルトとユードが背中合わせに立って武器を構えた。
「ククッ、この戦力差を前に無駄なあがきを…。」
フッドと呼ばれた男がほくそ笑む。
「袋叩きにしてやる。」
一方的とも思える人数差の戦いの火蓋が切られようとしていた。
◇ ◇ ◇
ジンタは倒れたコウの脇でコウの傷口を必死に押さえていた。
だが、どんどん血が溢れ出てきている。
月明かりの元、地面とジンタの手が赤黒く染まっていく。
“この刀に斬られては助からない”というコウの言葉が浮かんだ。
が、ジンタは諦めることはできなかった。
ジンタは目を閉じてコウの鼓動を感じた。
数少ない村の生き残り、数少ない親友を失いつつある。
ジンタの心が暗く落ち窪み、タジキの事を思い出した。
絶望がジンタを支配しつつある。
だが…。
目の前の友人は少なくともまだ生きている。
タジキの時とは違う。
強大な力に飲み込まれようとしているわけではない。
ジンタは目を開けた。
できる限りのことをしなくては。
しかし、これ程の傷は…。
即座に悪い考えがジンタに浮かぶ。
いや、でもやるんだ!
ジンタは自らを無理矢理に奮い立たせた。
この時のために、コルトにソウマ術の指導を受けてきたのだ。
特に霊力系のテクニックを重視して学んだ。
きっかけは、ルーベンで護送車に乗せられ、罪人として自由を拘束されたことからだった。
その鉄格子の中で、やれる事は限られていた。
ジンタにはある考えがあった。
もし、やむを得ない理由で妖刀を使った場合でも、斬った人を助けられたら。
あのフォルドの役人も、すぐに手当てをしていたら。
レベナに傷を癒やしてもらったように、せめて出血を止められていたら…。
そこで、ジンタはコルトに頼んで、傷の手当のソウマ術を学んでいたのだ。
時間はたっぷりにあった。
護送車の兵士も特に2人のやり取りに干渉してこなかった。
コルトも、得意ではない、と言いつつも熱心に教えてくれた。
ジンタは、コウの傷口に布の上から手を当てた。
そして、解想法で意識を集中させていく。
コルトは言った。
「考え方としては、全ての事象にはそれが起こる本人の因果があるんだ。
戦場で何故死ぬ者と生き残る者がいると思う?
死ぬ者は、それを自らに引き受けるだけの因果があるんだ。
究極的には、な。
だからと言って、斬ったことを正当化して良い訳ではない。
また、その理屈を前提に人と接するべきではない。
心情とは別の理屈であることを忘れてはいけない。
あくまでも、相手の魂がその体験を受け入れているという事象において、だ。」
いつもだったら、ジンタにはその理屈は受け入れがたかっただろう。
まるで逆の感覚だからだ。
刀に斬られたのは、斬られた側にその原因があり、そしてその結果だという。
そんな馬鹿げた話は信じがたいことだ。
だが、ジンタは必死だった。
真剣にその技法を学びたいと心から望んでいた。
「相手のその因果にそっと意識を向けるんだ。
そして、情報が得られるのを待つ。」
コルトに言われたことを思い出しながら、ジンタはコウが自害したその心にそっと意識を向ける。
…だが、何も見えてはこないし、ここから変化があるようには思えなかった。
その間もどんどんコウは出血している。
焦りがつのる。
ふと、ルーの顔を思い出す。
魔法が得意なルーだったらうまくやれるのだろうか。
もし、今の状況がルーに対してだったら、自分はもっと熱心なんだろうか。
そんな思考がつらつらと出てきた。
様々な雑念が沸き、ジンタの心を波立たせる。
集中しろ。
基本に戻り、呼吸を整え、意識をコウの心に留める。
だが、しばらくすると雑念が沸き、集中力が切れそうになる。
そしてまた基本に戻る。
それをひたすら諦めずに繰り返した。
コウの因果に辿り着けることを熱心に求めながら。
その繰り返しの中で、ふとジンタは気付いた。
雑念を持っている思考とは全く別の視点があることに。
なんとも表現が難しいが、まるで視界の端に一枚の鏡があり、その鏡が目の前の景色とは全く別の景色を映しているようだった。
そこに意識を向けると、刀を持った青年が立っているのが見えた。
それはコウの視点なのだろうか。
だが、見えているのは、ジンタではない。
見ているだけなのに、あらゆる情報が入ってくる。
その青年が唯一の友人で、その友人が別の組織に入ろうとしている。
だが、自分は動けない。
面倒を見てくれた師匠に恩があるからだ。
それに、その友人の重荷になりたくない…。
場面が移って、今度はヒガ村に移った。
父がいないコウは男衆の仲間に入るのが難しいと感じている。
祖父はコウに厳しく、気軽に甘えられなかった。
酒で絡んでくる大人達が苦手だった。
武道がめっぽう強い祖父への大人達の称賛が嬉しくなかった。
それよりも、祖父には父の代わりに自分を可愛がって欲しかった。
ジンタが現れた。
コウ自身の心に、熱のような粘り気のある感情が湧いてくる。
ジンタが羨ましかった。
ジンタの父のような父が欲しかった。
優しくて頭が良く、色々な知識を熱心に教えてくれた。
ジンタを手に入れたかった。
弟にしたかった。
自分に関心を向けさせたかった。
それは憧れに近い感覚のように感じた。
ジンタにコウの心が流れ込んでくる。
胸が苦しい。
自分が受け入れられたという感覚を得たい。
その瞬間、ジンタに微かな違和感が湧く。
何か強制的にそう感じさせられているような、拘束されているような不自由さを感じる。
執着という名のもとに、自らががんじがらめに縛られていく。
…違う。
これは憧れなどではない。
多感な若さがそう錯覚させているのだ。
自分にない物をジンタは持っている…。
ジンタを手に入れればそれも自分のものになる。
持っていない自分を見て苦しまなくても良くなる。
持っている自分であれば自分を受け入れることができる…。
だが、それはまやかしだ。
自分を受け入れられないことに対する目くらましだ。
ジンタを求めることによって、自分を拒否している自分をごまかしているのだ。
こだわっているのは、ジンタではない。
ジンタを隠れ蓑にした自分自身だ。
場面が変わる。
鬱蒼とした森の中の淀んだ沼の脇に、コウと思われる子供が半裸のまま横たわっている。
身体はドロドロで足には腐った水草が絡まっている。
とても汚い。
とても人には受け入れられない。
その子供はぶるぶる震えながら、呟いた。
「それが…、ウラウス・ウェーヨーの世界…。」
その姿は、全身が毛で覆われており、まるで獣だった。
ジンタは何のことかわからなかったが、そこには気を留めない。
誰の記憶であろうと、今のコウはコウなのだ。
そう、ジンタの直観が告げている。
ジンタはウラウスと名乗る子供のコウを抱き寄せた。
コウが暴れる。
「やめて!
君も汚れる!
汚れをうつしたくないんだ!」
ジンタの身体も泥と腐った水草で汚れていく。
だが、ジンタは離さなかった。
「因果を見つけたら、それを癒やすんだ。
光で包むでも、温かい飲み物を飲ますでも、なんでも良い。
ふさわしい場面をイメージし、痛みや苦しみを溶かすんだ。
だが、強制してはいけない。
自然に対象がこちらに来るように待つんだ。」
ジンタは再びコルトの言葉を思い出した。
ジンタは、沼にイメージで清浄な水が流れ込む上流を設定した。
すると、すぐに沼が綺麗な池になった。
周囲の鬱蒼とした森も、池の上に空いた丸い空間から夏の朝の清い陽光が差し込むように変えた。
ジンタはその池にひとり泳いでいき、コウを誘う。
そして、ジンタは池の中心でプカプカ浮いて清浄な朝の空気を楽しんだ。
また、水の中に潜って水草を取ったり、魚を追いかけたりして子供のように遊んだ。
それを見ていたコウは、最初は躊躇していたが、少しずつオズオズと池の中に入ってきた。
冷たいと思っていた水はほどよく温かく、心地良い。
次第に子供のコウの表情が明るくなり、ジンタと一緒に池の真ん中で遊ぶようになる。
身体の泥汚れも取れ、綺麗になっていく。
全身の獣のような毛も落ちて、人の肌になっていく。
そこからは急激に身体が大きくなり、程なくして今のコウの年齢にまで成長した。
コウの目つきは穏やかで、いつものジンタに対しての物欲しげな目をしていない。
心地良い友人としての距離で2人はプカプカと池を漂う。
楽しい時間を共有し、やがてコウは自ら陸に上がりスタスタとその池を立ち去った。
ジンタは現実の世界で目を開けた。
現実でのコウの顔付きも穏やかになっている。
だが、傷はまだ癒えていない。
理屈上、あくまでもコウの中の因果が解けただけだ。
コウの心の世界にいたときの時間感覚がない。
そのため、どれくらいの時間が経過したかはわからないが、一刻の猶予もないはずだ。
早く傷を塞がないと出血量が致死量まで達してしまう。
ここまでのところでジンタは魔力をだいぶ失った。
もう一歩、傷の治療まで行わねばならない。
護送車の中で一ヶ月近く真剣にソウマ術のための訓練をしたとはいえ、まだ初心者の域を脱し切れていない。
そのため、さほど魔力に余裕はない。
特に霊力系のソウマ術は魔力を使った集中力が重要だ。
もう少し持ってくれ。
祈る思いでジンタは再び目を閉じ、コウの傷に意識を向けた。