第30話『皇帝の命題』
「さて、早速だが本題に入ろうぞ。」
マズカールが杖に片手を乗せる。
そのしぐさは、一仕事に取り組む教師や学者のように見えた。
彼の雰囲気に昨日程の威圧的には感じられない。
そこには、対話をするための姿勢が見受けられる。
「まず、もう察してるかと思うが、余と親衛隊はソーンをトップとする魔術師共に見張られている。
政治のトップは宰相のサウエンにあるが、サウエンも息子のソーンができて甘くなった…。」
マズカールが短いため息をつく。
「余には実子がいぬ。
今は養子を後継者にしようとしておる。
それがソーンには気に食わぬのだ。」
「つまり、ソーン殿が皇帝の座を狙っている。
…ということでしょうか?」
コルトはやや躊躇いはあったものの、マズカールの姿勢に応じた。
「まぁ、そんなところだ。」
マズカールが遠い目をした。
「余も以前は、この大陸の統一に身を焦がしたものだ。
まずはシュニを潰そうと侵攻し、ムレンに武器を送ったりもした。
だがその後、ソーンにこの国は蹂躙された。
余は半年間微量の毒を盛られた事に気付けず、このようにすっかり老いてしまった。」
「酷いことを…。」
「酷いこと?
どうかな…?」
マズカールは皮肉のある笑みを浮かべた。
「その後は余も魔術師を抱え込んで奴に対抗した。
だが、余は常に劣勢に立たされておる。
唯一、シュニはヒガ村の青年を得られた点のみが、余が一歩先んじることのできた成果と言えよう。」
「ヒガ村!?」
ここでその名前が出てくるとは思っておらず、コルトが驚く。
まさかジンタのことだろうか?
「知っているようだな。
そうでないと困る。
その先の謎も貴殿には解いてもらわねばならぬ…。」
「その先…?」
何のことかわからずコルトは頭を捻った。
「ヒガ村が滅んだ件は知っておるか…?」
コルトが頷く。
もはやここでごまかしても仕方ないだろう。
「あれをしたのは、シュニのジゼ、もしくはシュゼと呼ばれる男だが、その裏にはソーンがいることは間違いなかろう。
余は情報網からそれが行われることを知っておった。
そこで、抹殺が目的ではない人さらい用の翼竜を紛れ込ませたのだ。
そして、コウという青年を手に入れた。」
マズカールが手に入れたと言っていた青年とはジンタのことではなかった。
コウという名前はジンタから聞いたことがある。
確か、ルーやタジキとは別に村で10代の友人がいたと。
しかし、問題は何故彼等が襲われたのか、だ。
「なぜ、ヒガ村にこだわるのです?
彼等に何があるのですか!?」
マズカールの目が鋭くなった。
「彼等が、この大陸の、いやもしかしたらこの星の人々の祖先の血を保持しているからだ。」
「え!?」
「貴殿も覚えておろう、約10年前の大地震を。」
「はい。
うろ覚えですが。」
「あの直後、我が国の最北西部、つまりほぼシュニのクロヌ地域のそばである石版が発掘された。
地震の地殻変動で未発見の遺跡が現れたのだ。
そこには、“原初、ヤチネの民がこの星に降り立つ”と書かれておった。
そこで、ヤチネの民とやらを探したが、当時は見つからなかった。
だが、今年に入って突然ヒガ村と呼ばれる辺境の村が、以前は自らのことをヤチネと呼称していたとの情報が入った。
余は喜んだ。
何故だか分かるか?」
「いえ…。」
「この大陸の者達が元々が単一民族であった事を知らしめることができれば、国家統一の第一歩になるからだ。」
「それは…。」
コルトは思わぬ方向に進む話題に戸惑った。
だが、思い当たる節がある。
ヒガの伝承にある“人々の記憶”だ。
「しかし、それを示すにはどのようになさるのですか?」
「魔術を使えば客観的に証明できる。
現に、コウの血を魔術的に調べたところ、フォルドの者らの祖先であることが読み取れた。
今まで失われていた我々の起源…。
つまり、我々は血のつながった民族であるという証が得られたのだ。」
「なるほど…。
つまり、ソーン殿は皇帝の座を狙うが故に、単一民族の証たるヒガ村の者らが邪魔であった、と?」
「そうだ。
彼らの願いは、国家統一ではない。
下手をすると、帝国そのものが消滅してしまうわけだからな。
望みは、今まで通りの分裂と戦の道というわけだ。
以前の私と同じようにな…。」
コルトから怒りが沸き起こってきた。
そんな一部の人間のわがままで、平和の希望が崩され、現に目の前でタジキは死に、ジンタもルーも悲しみと苦しみに明け暮れているのだ。
「陛下の願いは、平和的な国家統一ですか?」
「そうだ。
以前は自ら武力でそれを成し遂げようとした。
しかし、今は別のふたつの選択肢がある。
ひとつは、コウを余の後継者とし、彼に覇王の道を歩ませることだ。
そして単一民族論を唱えさせるのだ。」
さらってきた青年を後継者にしようとは。
あまりに突飛なアイデアにコルトが驚きを隠せなかった。
「ふたつ目は、貴殿がもたらした書簡の提案だ。
シュニをベースに三国協定を結び、ひとつの連合王国となるのだ。」
「な…!」
コルトは目を丸くした。
我が師ながらとんでもない提案だ。
「後者の提案は余としては受け入れがたい。
だが、ひとつの疑問に対する答えが得られれば考えなくもない…。
それを貴殿に聞きたいのだ。」
「私に、ですか!?」
コルトは目眩がしてきた。
自分には扱えない程のあまりにスケールが大きな話の意見を一国の王に求めらえているのだ。
どう考えても自分のような無学な者が進言できるようには思えない。
だが、相手は皇帝だ。
無下に断るわけにも、逃げるわけにもいかない。
場合にっては、反感を買い、戦争に発展する可能性もあるかもしれない。
「その疑問とはなんでしょうか…?」
コルトが恐る恐る聞く。
「フォルド国の皇帝たる我、そしてムレン国の皇女たるカノン。
この“皇”の意味するところは“天に通じ、天と地を繋ぐ”である。
天の意思代行者として地上を総べろというわけだ。
この命題はある日から身体を蝕む虫のように余を苦しめ続けてきた…。」
マズカールの目が光り、杖を握る杖に力が入る。
身を乗り出してコルトに問う。
「では、“天”とはなんなのだ!?
単なる宗教的な概念なのか!?」
マズカールの手が震えているように見えた。
「笑える話だろう。
至高なる皇帝を名乗る者が、その真意を知らぬのだからな…。」
「何故、それを私などに聞くのですか…?」
コルトはあまりに場違いに思われる指名に頭痛がした。
「天と通ずるということで、とある預言者に意見を求めた。
要するに余がその預言に添った治世をすることなのかと思ったのだ。
だが、予想外の答えが返ってきた。
“その答えはそなたが自ら探さなくてはならない。
祖先を求めよ。
シュニから来る使者が足掛かりになる。”
とな。」
コルトは困った。
答えが思い当たらない。
まず、思い付いたのは、“滅表奥我の意。鳥瞰を得、天空を観ずる”の一節だが、これがどうつながるのかの検討がつかない…。
この一節においても、天の定義はないからだ。
有り体に言えば、天とは神だろう。
魔術的に言えば神とは、高次元の存在だ。
しかし、それだとウォルもどちらかというと、精霊というよりは神に近い存在だ。
問題はどの神なのか、なのだ。
多神の考えを捨て、唯一絶対神の事とすると、それは宗教か形而上学の分野になり、具体性を失う。
仮にその超次元的な存在を想定したとしても、人が直接的に繋がれるものなのかは疑問が残る。
(繋ぐという概念自体が、次元時空内の相対の概念であり、矛盾する。)
やはり仲介として多神的な神を置かざるを得ず、またどの神かという疑問に帰結する。
しばしの沈黙が流れた。
ロウソクの炎がジリジリと音をたてた。
「よい。
時間をやろう。」
マズカールがコルトの困惑ぶりを察して猶予を与えた。
「まだ先に解決すべき問題がある。
それまでに答えを決めておけ。」
「申し訳ありません。」
コルトは頭を下げた。
「さて、もう一つ聞かねばならぬことがある。
使者として帝都に入ったのは、もうひとりいると聞く。
ジンタという名だったか。」
「はい。」
「其奴は何者か。」
一瞬、コルトは床を見る。
が、すぐにマズカールを直視した。
「例の、ヒガ村の生き残りです…。」
「なんと!
コウの奴め、そういうことか!」
マズカールが再び身を乗り出す。
「まずいな…。」
「如何されました!?」
ジンタの事となるとコルトも流石に冷静ではいられなかった。
「コウがジンタの名を聞いて、飛び出していった。
ほんの2時間程前の事だ。
おそらく友人が囚われている事を知って助けに行ったのだ。」
コルトは少しホッとした。
親友と言われる者が行ったのであれば危険はなさそうだ。
「その小僧を牢に入れたのは保護を考えての事だったのだ。
ソーンの手に渡さぬためのな。
ソーンがゴラから帝都にシュニの使者らを移送したのは知っておった。
預言にあるシュニの使者に何かされてもつまらん、そこで余の手の元に入れておいたのだ。」
ここでコルトが察してハッとする。
「城内は余の側の魔術師によってソーンの好き勝手はできぬよう監視下にある。
まぁ、お互い様だがな。
その下で、コウは余の後継者として公然と余が保護しておる。
だが、コウの奴がその小僧を城外に連れ出したら厄介だ。
城外でソーンの手に落ちたら、ソーンはヒガの生き残りを躊躇なく殺すだろう。」
これはまずい状況だ。
しかももう2時間も経っているのだ。
「陛下、私は2人を救いに行きます。
“天”については、その後にまたお話しすることをお約束します。」
コルトが胸に手を当ててマズカールに頭を下げた。
「よい。
ユードよ、コルト殿に協力しろ。」
「御意。」
ユードとコルトは倉庫のような部屋を急ぎ飛び出した。
残されたマズカールは杖を掴んだまましばらくそこに佇んだ。
マズカールの口から深いため息が出る。
落ち窪んだ目に深い影が落ちた。