第24話『招請』
翌朝は、フリーダの側近のベンという男が朝食を持ってきた。
ベンは背の高い偉丈夫で、40歳前後の冷静な雰囲気の男だ。
ティルスに裏門から入った時からフリーダの横にいた人物で、フリーダの右腕であるようだった。
ベンは、食事を取るルーとリッケをさも胡散臭い存在のように見ていた。
おそらく、フリーダから丁重に扱うよう言われているのだろう、食後の片付け方はまるで給仕のようだ。
去り際にベンは言った。
「停戦したところで、男達は誇りを捨てぬぞ。」
ルーはその意味がわからなかった。
「どういうことですか?」
「戦士には戦士の誇りがある。
停戦したからと言って、はいすぐ仲良くしましょう、というわけにはいかないと言っているのだ。」
ルーはその言葉に違和感を持った。
「…。
それは、誇りではないわ。
囚われよ。」
ルーは即座にその言葉が出てきたことに自ら驚く。
そして、同時に相手の怒りを買ってしまったのではないかと焦った。
だが、ベンは冷静だった。
「生意気な小娘だ。」
そう言って、ベンは扉を閉め鍵をかけた。
朝食を取ると、いよいよやることがなくなった。
リッケはただ来賓室の北の窓からソ族側の山々を眺めていた。
ルーはレベナから教わった解想法やソウマ術のテクニックを色々と試していた。
しかし、ルーは説明できない不安感に苛まれていた。
解想法をいくらやってみても何か心が落ち着かない。
やるべき事は全てやったはずだが、この不安感は何なのか…。
色々と思いを巡らせてみた。
確かに、事態は深刻だ。
このままではギルフが戦禍に巻き込まれ、レベナが危ない。
だが、心の底から来る不安はそこだけではないように思った。
「何だろう…。」
「どうしたの?
ルー。」
「何か…、何かまだやるべきことがある気がする…。」
「やるべきこと…。」
そこでリッケは、この牢から抜け出せないかと部屋中を探ってみた。
しかし、防壁と共に扉以外は石でできたこの部屋には隙間さえ無い。
緩んでいる石のブロックも見当たらず、木の扉もまた堅牢そのものであった。
「駄目だ。
ここから抜け出せそうもないよ。」
「そう…。」
その時ルーは、ふとイーマからもらった紫のブレスレットに目が行った。
リッケの短剣は牢に入る際に取り上げられていたが、ルーの持ち物はそのままだったのだ。
ルーは荷物からブレスレットを取り出し、両手の平に乗せてみた。
すると、全身に強いエネルギーが流れる。
今まで2人を包み込んでいた魔除けの結界のエネルギーが、ルーの体内に集約されて流れている。
「これなら、ラーイオーと話せるかもしれない…。」
「何?
アーイオー?」
「私をサポートしてくれている存在の名前なの。
直接話すには、レベナの魔力サポートが必要だったけど、この石の力を使えばできるかもしれない。」
「そうなんだ!」
リッケがルーの前に座る。
「ねぇ、ルー。
魔法の事はよくわからないけど、ここに来る間も色々使ってたんでしょ?」
ルーはリッケの意外な鋭さに少し驚いた。
「ええ。
魔物に出逢った時とかに使ってたけれど。」
「門番やバリドさんには?」
「使ってたかもしれないわ。
私にもよくわからないのよ。」
「え、そうなの。
でもバリドさんがいきなり泣き出すとかびっくりだよ。
そんな人じゃないもん。」
「それに門番の時だって…。
あれは終わったと思ったよ。」
「うふふ。
私も思った!」
2人は少し可笑しくてニヤけた。
「あのとき、一瞬音が消えたよね。
それで、もうダメだと思ったのに気付いたらフリーダさんが何か叫んでいて…。
何が起きたの?」
「わからない。
でも、そのラーイオーに助けてって頼んだの。
そしたら、何かが起きたみたい。」
「それはきっとその存在が助けてくれたんだね!
すごいや!」
リッケが目を輝かせる。
しかし、すぐリッケは下を向いて呟くようにぼそりと言った。
「本当に怖いのって、魔物じゃなく人間だよね…。」
「そうね…。」
ルーは今までのことを色々と思い出していた。
確かに、魔物は脅威だが、本当に危険な目に遭った時はそこに人間がいた。
リッケが不安そうな顔をしてルーを見る。
「その魔法を使ってルーに危険はない?」
「うん、それは大丈夫だと思う。
少し疲れるけど、しばらくすれば回復するわ。」
「そっか。」
ルーは姿勢を改めて直した。
「じゃ、始めるわね。」
ルーはブレスレットを手に握って正座をし、魔法の準備をする。
目を閉じ、呼吸を整え、意識を広げていく。
紫のブレスレットのエネルギーが全身を駆け巡っていくのを感じる。
このエネルギーに乗る形で自らの意識体を肉体や霊体から解き放っていく。
それは幽体離脱ではない。
レンズが結んだ像のピントをずらしていくように、時空そのものから意識を外していく感覚だ。
そしてルーは天の存在に語りかける。
「大天使ミカエル及び光の天使の一団よ。
ラーイオーよ。
今、この地から有害な思念や執着を取り払い、この地が和合へと向いますように。
人々の思考と感情を癒し、対話の機会が得られますよう、サポートしてください。」
すると、ルーの視界が白い光に満たされた。
その中央に赤い炎が見える。
それは、以前のように顔形まではくっきり像を結ばなかったが、その響きからわかる。
ラーイオ―だ。
「私の名はラーイオー。
ミカエルのフォーカスのひとつである。」
「ああ…、ラーイオー。
コンタクトに応じて頂き感謝します。」
「君の意図に沿う者を遣わそう。
だが、ひとつ問題がある。
君のエネルギー量には限界がある。
事を起こすには、相応のエネルギーが必要だ。」
「そうですか…。
何か良い手はないでしょうか?」
眼前の赤い炎がゆらりと揺れた。
「こういうのはどうだろうか?
そのブレスレットのエネルギーを使われてもらおう。
そのエネルギーは前の持ち主が大切に蓄えたものだ。
ブレスレットが壊れることはないが、復活するまでには数ヶ月要するだろう。」
ルーは少し考えた。
「ブレスレットに痛みはありますか?」
「ない。
使えばむしろ器が広がるだろう。
だが、完全に復活するまでは使ってはならない。
無理に使った時はブレスレットにダメージがあり、最悪の場合壊れるだろう。」
ルーは決断した。
「わかりました。
それでは、このブレスレットのエネルギーを使ってください。」
しばらく、この方法ではラーイオ―には会えなくなる。
だが、今は目の前のことをクリアしなくては。
「了解した。
では、また会おう。」
「あ!
ちょっと待ってください!
ひとつ教えてください。
今まで何度も貴方に呼び掛けていますが、その声は届いていますか?」
「直接ではないが、届いている。
君をサポートする存在は私だけではない。」
「ありがとうございます。
感謝します。」
「では、また会おう。」
そう言って、ラーイオーの赤い炎が消えた。
そして、眼前が暗くなり、通常の肉体意識に戻る。
ルーは座っていながらもよろめいて、床に手を突く。
身体を立てるのが困難で、脚を崩さざるをえなかった。
片手に握ったプレスレットが冷たくなっていた。
その色は暗い紫に変色しており、エネルギーを出し切ったことを示している。
「ルー、大丈夫!?」
「ええ、大丈夫…。
会えたわ、ラーイオーに。
ソ族とレフ族が対話できるように手伝ってくれるって。」
「良かった!
すごい!」
ふと、ルーは視界に何かが写っているのに気づいた。
見ると、それは半透明の赤い何かだった。
赤子ぐらいの大きさのずんぐりした体型に小さな羽があり、ふわふわと浮いている。
頭部には人のような顔がある。
何か眉毛が、太い。
「なに?
なになに?」
「え?
何が?」
リッケが狼狽えるルーを不思議そうに見る。
「やあ。
俺はファイさ。
火の…えっと…せいれい…そう、精霊さ!」
それは、思いの外男前な声で言った。
「精霊!?」
ルーが驚きの声を上げる。
「何?
何かいるの?
ルー。
どこどこ?」
「リッケには見えないの?」
「うん、何も…」
「ホントはここじゃない予定だったんだけど、ライオンさんの遣いが、先にここに行けってさ。
まぁ、とりあえず、やることやって来ちゃうから。
また!」
そう言って、ファイという精霊は、牢の狭い採光窓から飛び出て行った。
どう見ても採光窓を抜けられる大きさではないが、それをものともせずすり抜けたようにルーには見えた。
「おーい!
龍神さーん…!」
遠くでファイが叫んでいるのが聞こえる。
徐々にその声は小さくなり、ファイの声は聞こえなくなった。
「行っちゃった…。」
「ええ!
見たかったなぁ…。」
「何か、とっても奇妙な精霊だったわ…。
あまり可愛く…、なかった…。」
「あらら…。
身体は大丈夫?」
「ええ。
ちょっと体力を使っただけよ。」
「良かった。」
そんな話をしていると、突然ゴロゴロゴロゴロ…と、遠雷の音が聞こえた。
「こんな朝方に雷なんて、珍しいな…。」
リッケが小さな採光窓からわずかに覗く空を見る。
雷の音は徐々に近づいてきた。
そして、閃光と共に、ものすごい土砂降りになった。
牢の中にいても、ドザーという音が聞こえる。
突然の大雨にティルス内が大騒ぎになった。
出陣間近だったボウガンや槍などの鉄製の武器を片付けるガチャガチャという音が聞こえる。
しばらくして、突然扉が開いた。
「お前達、こっちへ来い!
ここは武器庫として使う!」
突然、兵士達が入ってきて荷物を持たされ、ルー達の手を形ばかりに縛って外に移動させられた。
防壁内を移動させられ、階段を昇り、大きな部屋に移される。
そこは、来賓用の部屋のようだ。
豪華な調度品が並び、ふかふかなソファーがある。
そこに二人を押しやると、兵は急いで出て行こうとした。
「あの!
トイレはどうすれば?
ここでしちゃって良い?」
リッケが出て行こうとする兵に言った。
「ダメだ!
近々国のお偉いさんが来るんだ、絶対ここでするなよ!」
そう言って、兵は2人の縄を解いた。
「トイレはあそこだ!
絶対逃げるなよ!
俺の首が飛ぶんだからな!
そうなったら、末代までソ族を呪ってやる!」
兵は走って出て行った。
2人は仕方なく、ふかふかのソファに座って過ごすことにした。
「突然の好待遇だね!
さすが、ラーイオーさんだ!」
リッケが尻をぼよんぼよんさせながら笑う。
「ちょっとリッケ、あまり調子に乗らないで。
まだ私達の首が飛ぶ可能性はあるのよ。
ラーイオーはサポートをしてくれているだけ。
この内戦が収まるかどうかは私達にかかっているのよ。」
リッケが、ごめんなさい、という顔をして姿勢を正した。
雨は時々小降りになりながらも、再び豪雨になるというリズムを繰り返した。
その度に、出陣を準備していたティルスの軍隊は、武器の整理を余儀なくされた。
それでも、まだティルスという大きな街があるレフ族の方がマシなのかもしれない。
大規模な施設の無いソ族は野ざらしで豪雨に晒されていることが予想された。
◇ ◇ ◇
その日の夜、フリーダが来賓室に来た。
また2人に食事を持って来てくれたのだ。
「乱暴はされてないか?」
フリーダが2人を気遣って言った。
きっと、この好待遇はフリーダのお陰なのだろう。
ルーがフリーダから食事を受け取りながら答える。
「はい。
大丈夫です。
トイレも自由に行けますし。」
「そうか…。」
フリーダが少し怪訝な顔をした。
フリーダが、2人に合わせてソファに座る。
「突然の大雨でな。
出陣が延期になった。
これも、天の采配なのかもしれないな。」
「そうですか…。」
ルーは敢えて何もコメントしなかった。
フリーダがルーの目を覗き込む。
もしかしたら、フリーダはルーが何かしたと思っているのかもしれない。
ルーは反応の準備をしていなかったため少し目が泳いでしまった。
「なんにせよ…。
この雨が止まん事にはな…。」
フリーダは立ち上がり、部屋の扉まで歩いて行った。
「お前達は、いちおう捕虜だ。
これからは見張りを付ける。
トイレも見張りに言ってから出るようにしろ。」
そう言って、フリーダは部屋を去った。