第19話『結界術』
レベナは北の方から多くの氣の塊を感じた。
どうやら、今度はゴブリンの集団のようだ。
実はさっきの5匹のゴブリンも早くから察知していたのだが、今回は数が違う。
「リッケ、ゴブリンの集団が北の森から近づいて来るわ!
さっきの5匹は斥候だったみたいね!」
「そんな!
それじゃ、魔除けが利くわけがない!」
リッケは急いで御者台の荷物入れから青い小瓶を取り出す。
「聖水は2つしかないけど、仕方ない!」
そして、瓶のふたを開けて馬車の周りに円を描くように聖水を撒いた。
「ルー、私達も急いで結界を張るわよ!」
「わかったわ!」
ルーは先日レベナに教わった結界術に入った。
目を瞑り、解想法から精神集中し、そして意識を広げる。
すると、瞼の裏が白い光に包まれ、肉体感覚が薄れていく。
この間数秒。
レベナのサポートがあるとはいえ、ルーは意識の集中、深め方、フォーカス力、共に以前より格段に上達していた。
知らぬ間に、難易度の高い契約系ソウマ術をも使えるようになっていた。
そして、心のさざ波が収まったところで天の存在に語りかける。
「大天使ミカエル及び光の天使の一団よ。
今この場の周囲に、悪霊や悪意ある存在を退ける光の結界を張ってください。
私が私の使命を果たせますように、お手伝いください。」
すると、即座に馬車の周りに淡くて見えない氣圧だけのエネルギーで包まれた。
ここで唐突に予想外の事が起きた。
ルーの脳裏の白い光の中に、突然赤い炎に包まれたような獅子の顔が現れたのだ。
それは、恐ろしくも神々しく、深く遠くを見通す目をしている。
赤い炎は顔の周囲を取り囲むように燃え上がり、鬣のように見える。
「私はラーイオー。
古き縁に従い、君の求めに応じよう。」
そう言うと、ラーイオーと名乗ったその存在はフッと消えた。
すると、淡く見えなかったエネルギーの包みがはっきりと見える光る膜になって、馬車を包んだ。
ルーは突然脱力し、その場にしゃがみこむ。
「何が起きたの?!」
レベナが混乱して、ルーの身体を支えた。
「ラーイオーと名乗る赤い獅子が現れて、私の求めに応じるって…。」
「ラーイオー…?」
レベナは頭を傾げた。
レベナはそっと強化された結界表面に触れてみた。
それは細かい煙のような光の粒子でできており、触れるとわずかに暖かい。
「凄い術ですね!
これならゴブリン達も完全に避けられるかもしれない!」
リッケがレベナに明るい顔を近づける。
「えぇ。
本当に、凄い逸材かもしれないわ…。」
レベナがぽつりと呟いた。
そのとき、派手な結界にも反応しなかった荷車を引く2頭の馬が鼻息を荒くして興奮しだす。
「ゴブリンの一団が来ました!」
リッケが叫んだ。
レベナは弱いソウマ術で馬達を眠らせ、暴れないようにさせる。
「リッケ、荷車の中でルーを守ってね。」
リッケは大役を任されて、未だうまく力の入らないルーを荷車に連れて行って寝かせた。
レベナはそれを見守った後、御者台からゴブリン達の動きを警戒した。
ゴブリン達は次々と森の奥から現れ、リッケの馬車を見つけると襲おうと走ってきた。
しかし、光の結界を目にすると怖がって馬車を避ける進路を取る。
リーダー格と思われる身体の大きな1匹のゴブリンは、勇敢にも結界に飛び込んできたが、結界に触れると触れた部位の黒い靄が消え、苦しみ悶えてそのまま逃げて行った。
そうして、100匹はいたと思われるゴブリンの一団は去って行った。
ゴブリンによって騒がしかった周囲に静けさが戻る。
すると、フッと結界の光の膜と氣圧が消えた。
まるで何事もなかったかのように、ゴブリン達の足跡だけが道に残された。
結界に守られたルー達は無傷で、ゴブリン達がいなくなる頃には馬達も目を覚まして立ち上がっていた。
リッケは、周囲の安全を確認すると馬達を再び西へと歩ませる。
「ゴブリンの集団が南に移動しているということは、森の民ソ族もまた南下しているということだと思います。
ソ族はゴブリンの討伐を生業としていますから。」
御者台のリッケが肩越しにレベナに話した。
「森の民って、ムレンは単一民族じゃなかったの?」
「そのはずなんですけど、生活様式の違う何部族かに別れているんです。
外交が得意な南西部のレフ族と、伝統を重んじる中央から東部のソ族が、代表的な2大部族です。
首都はほぼレフ族で構成されていて、実質的にムレンはレフ族が牛耳っています。」
「てことは、私が知ってるムレンの人々はレフ族てことになるわね。」
「首都に行ったことがあるならそういうことになりますね。
でも南東部のシュニ国境付近は入り混じってるから、もはやどこ族かを捨てている人が多いですけどね。」
そんな事を話しながら西へと進んでいると、道の前方から何人かの集団がこちらへ走ってきた。
よく見ると、先頭の男は人間だが、後ろには4匹のゴブリンがいる。
男がゴブリンに追いかけられているのだ。
見るより先に氣で勘付いていたレベナは、御者台越しに前方へと飛び出し、ソウマ術の光球を放ちながら全速力で駆けていった。
光球は4つに分かれて男を避けながら後方にいるゴブリンらに当たる。
ゴブリンの動きが急に鈍くなり、それぞれのゴブリンはバランスを崩し、こけたりよろめいたりした。
レベナはナイフを抜いて、それらのゴブリンを倒していく。
「た、た、助かりましたぞ…!」
男は手を膝につきながらぜいぜいと肩で息をして、立ち止まっている馬車の手前で屈み込んだ。
初老の長い髭を生やしたずんぐりした男性で、風貌からして行商人のようだ。
「怪我はない!?」
「なんとか、大丈夫ですわい…。
しかし、高価な聖水を3つも使い切っちまった…。」
「なぜこんな時間に東へ?」
もう昼過ぎだというのにゴーフを徒歩で目指す男を不自然に思い、リッケが聞いた。
ゴーフに着く頃には日が暮れてしまう。
ゴブリンの集団移動は予想外だったとしても、この時間に商人が移動するには危険過ぎる。
「わしも想定外だったんじゃ、まさかティルスの街に入れてもらえんとは思わんかった。」
「え!?
ティルスで何が?
僕達、ティルスを通りたいんだけど…。」
「何やら、ソ族との内戦がまた勃発して、レフ族がティルスを封鎖しているらしい。
レフ族以外の者は通行禁止なんだとか。
まさかシュニ人もダメとはなぁ。
先に知ってれば、ごまかしたんだが。」
「え!
私達もシュニからなんだけど…。」
「そりゃダメだなぁ。
なんでも今回の内戦はシュニが絡んでるとかいう噂でなぁ…。」
ここで男はのんびりお喋りしている暇はないと気づいた。
「それじゃ、わしはゴーフに急いで行かんと!
本当に助かりましたぞ!」
そう言って男は走り出す。
「あ、待って!
リッケ、彼に聖水を。
また魔物に襲われたら困るだろうから。
お金は私が出すわ。」
「でも、我々もあと1つしか…。」
「大丈夫よ。
私達の魔法があるから。」
「そうですね…!
こちらどうぞ!」
リッケは男に聖水の瓶を手渡した。
「ありがとな!
わしはシュニのタリムから来たトフリーだ。
恩に着るよ。」
「あ、ちょっと、トフリー。
急いでいるとこ悪いんだけどもうひとつだけいい?」
「あぁ、なんだい?」
「タリムのザップっていう弓使いは知ってる?」
トフリーは「んー」と、しばらく考えてから答えた。
「…いや、聞いたことないなぁ。
俺もしょっちゅう行商に出てるからなぁ。」
「そう。
ありがとう!
気をつけてね!」
「姉ちゃん達も、ティルスに行くのはやめて引き返した方がいいかもだぞぉ。」
「うん、そのときは途中で拾うわね!」
「そいじゃ!」
そう言ってトフリーは東のゴーフの方に向かって走って行った。
「どうしましょう。
トフリーの情報が確かなら、多分我々も次の街であるティルスに入れない可能性が高いです。
レベナとルーはシュニからの人だし、僕もレフ族じゃないから…。」
リッケが腕をまくって見せる。
そこには刺青が入っていた。
「これは、ソ族の刺青です。
僕は生まれはソ族なんです。」
「そう…。
迂回路はないの?」
「あるにはあるんですが、
唯一ある北の道はソ族の村だし、かなり遠回りになるかも。
内戦に巻き込まれる可能性もあるし。」
「トフリーは何か術にかけられてはいなさそうだったし、ましてや嘘をつく理由もないし、他に手立てがなさそうだわ。
その迂回路の村へ行きましょう。
まずは少しでも進まないと。」
「わかりました!」
リッケが馬車を進める。
そうして、しばらく進んだところのY字路を右に進んだ。
左に行くとレフ族の街ティルスだが、右に行くとソ族の村ギルフへと続いているという。
今までの整備された道とは打って変わって凸凹が増え、道幅も狭くなる。
ルーはすっかり元気になっており、
「この道で横になってたらたんこぶが出来ちゃう。」
と、少々荒い道を愚痴り、御者台のすぐ後ろでリッケの馬さばきを見ていた。
それでも、リッケはこの道に慣れているようで、凹凸を最大限避けていた。
「実はギルフは僕の故郷なんです。
未だ内戦が続く紛争地帯で、両親もギルフで死んだんですが。」
リッケがギルフや自分の両親について色々と教えてくれる。
「僕の両親はレフ族とも違う、名を捨てた少数民族でした。
同じムレンの血の者なのに、名もない流浪の部族というだけで苦労をしました。
結局、僕が生まれたことをきっかけに、ソ族に受け入れてもらい、ギルフに家を持ち、僕もソ族としての洗礼を受けました。
でも結局、戦乱に巻き込まれて死にました。」
「そうなの。
どこも、同じ民族で争っていて馬鹿みたいね。」
「どこも?
ルーはシュニからだったよね?
シュニにも内戦が?」
「…。
内戦というより、あれは虐殺ね…。」
リッケはルーの声が暗くなったのを読み取る。
「なぜ、同じ民族同士で殺し合うんだろう…。」
馬達はリッケが手綱を緩めたのを察知してか、主人を気遣うようにゆっくりと歩いた。