第17話『己を斬る』
ジンタは地面に寝そべって空を見ていた。
ゆっくりと雲が流れている。
生きている。
そうジンタは思った。
同時になぜ自分のような矮小な者が生きているのかがわからない、とも思う。
胸の痛みがリアルに残っている。
人を殺した悔恨が消えていない。
それに、今もコルトの怒りが恐ろしい。
しかし憑き物が落ちたように、生の感覚があった。
ふと、それらはジンタのあらゆる思考や葛藤とは別に存在しているのではないかと思った。
その生きている、という感覚に意識を向けると身体に活力が湧いてくる気がした。
むくりと身体を起こし、周囲を見た。
そこは美しい場所で、遠くには黒と灰色の岩山が連なり、盆地には緑地がぽつりぽつりと広がっている。
青い空には秋の雲が流れ、鳥が楽しそうに飛んでいる。
ジンタの痛みや恐れなどどこ吹く風とばかりに、鳥達は楽しそうにさえずり合っている。
この感覚は幼少期以来だった。
周囲と自分の境が曖昧で、どこか懐かしい感じがする。
物語の中にいるようで、それでいて濃密な現実感がそこにはある。
しばらくそこでぼーっとしていると、コルトがこちらに向かって歩いてきた。
「宿が開いた。
中に入るぞ。」
無表情でどこかそっけない言い方だが、少なくとも怒りを露わにしていないことにジンタはホッとする。
チェックインし、部屋に入ると2人は荷物を下ろした。
部屋は石の壁と木の棚のコントラストが素晴らしい見晴らしの良い部屋で、窓には花が生けてある。
窓の外にはフォルドの山々が連なっているが、この部屋からだとより美しく見える。
ジンタはベッドに座ってコルトの言葉を待った。
「明日までこの部屋に滞在しよう。
そして何も起きないのであれば、明日朝に出発しよう。」
コルトが窓の前で外を見ながらそう言った。
その言葉は厳しくも穏やかだった。
「うん。」
ジンタは俯き加減に答えた。
「…悪について、答えは出たか?」
コルトがジンタの方を向いた。
その表情は毅然としていたが、高圧的ではなかった。
「ええ…。」
ジンタはさっき外で考えて出した答えを語る。
「俺には悪を判別することはできない。
だから、相手が悪かどうかで刀を振ることもできない。
この刀は振れば人を死に追いやる。
単に悪を粛正するための道具としては危険すぎる。」
コルトは少し間をおいて続けた。
「…そうか。
あのゼベクの家での件はどう考える。
お前の行動は正しかったのか。」
「あれはやっぱり俺が手を出すべきではない人の家の事情だったんだ。
仮に、もし手を出すとしても、刀を抜くべきではなかった。」
「…そうだな。
では、もう刀は使わないのか?」
「わからない。
でも人には抜かないようにしたい。
ただ、村のみんなやタジキの事を考えるとやっぱり何かしないと、と思う。
何もせず逃げ回ることはできない。
あの事件を考えると、怒りとも悲しみとも違う何かが俺を掻き立てるんだ。」
「そうか…。」
「さっき、そこの広場に寝そべっていて浮かんだ言葉があるんだ。
“仇”と。」
「“仇”か…。」
「仇討ちがなんなのか、わからない。
シュゼが首謀者だったとして、それを理由にシュゼを斬り殺して良いのかもわからない。
だから、仇討ちとは何なのかを考えたい。
何が仇討ちかを探し続ける生き方をしたいんだ。」
「…。」
「間違っているかな?」
ジンタはコルトの方を見た。
「いや。
それがジンタが今までのことに向き合った上で出した答えなら、俺はそれを否定することはできないし、俺自身の考えでもそれで良いと思う。」
コルトが反対側のベッドに座り、ジンタの方を向いた。
「だが、ジンタよ。
前にも言ったが、怒りの感情のまま行動するな。
あくまでも自分の冷静さを見つめてから行動するんだ。
そうしないと、ジンタ自身の癖や考えで物事を判断してしまう。
それは刀の管理者に求められていることではないと俺は思うぞ。」
「刀の管理者…。」
ジンタはその立場を半ば忘れていたことに気づいた。
「“刃は本来、己を絶つときに使うものだ。人を斬る前に、まずは己を斬れ。”」
ジンタが村長に言われ続けたことを呟く。
「そう、それだ。
まずは人を斬る前に、己がこれで正しいか、感情のままに動いていないか、何かの偏見によって動いていないか、自らの衝動を抑えて、自分に斬り込むんだ。
刀の管理者として、村の仇を討つ者として、己を絶ち切らねばならない。
正しさを考えるのではなくて、正しいと感じなければならない。」
ジンタはハッとした。
目の前が開け、あらゆるものがつながる感覚がある。
それからコルトは珍しく自分のことを語った。
「俺にとっても、未だに怒りの制御は難しい。
だが、戦うことを選んだ。
だから、戦った結果、イバラ衆だろうが魔物だろうが、その反動があるなら全て受け止めるつもりだ。
逃げも隠れもするつもりはない。」
そして、コルトは再び立ち上がって窓の外を見た。
「前にも俺は親友を殺したといったな?
あいつは、俺の村で唯一同い年の友だった。
あの頃、俺は村の外に出たくて仕方なかったんだ。
それに一言も文句を言わずにあいつはついてきてくれた。
表向きはあいつの父親を捜す冒険だったが、何度も俺はあいつを危険な目に晒してしまった。」
コルトが本当に悲しそうな目をする。
「最後は、俺自身の恐れや不安が作り出した魔物と共にあいつは消えたんだ。
何が起きたかは後で大人達が説明してくれた。
それを頭では理解できているし、なんとか納得しようと努力した。
だが、未だに受け入れることができずにいる。
もう一度、あいつに会えない限り、自分が殺したという考えは拭うことができないんだ。」
ジンタは何も答えることができなかった。
再びコルトはジンタに向き合った。
「俺たちは似た者同士だな、ジンタ。
俺もこの怒りを手放すために己を斬ろう。
ジンタも怒りを手放す努力をするんだ。
あらゆる、心の闇には根幹となる信念がある。
自分は強くなくてはいけないとか、特別でなくてはいけないとか…。
それを自分で見つけ出すんだ、ジンタ。」
「ええ。」
ジンタがコルトを見る。
それは覚悟のある目だった。
「さっき気づいたんだ。
俺は死を見ないようにしていた、と。
それが死に関係する色々なものを覆い隠していたんだ。」
「そう、そういう具合だ。
内にある信念を見つけたら、ただ、それに気づいて見つめるだけでその信念は自然に解けるんだ。
その信念に良い悪いをつける必要はない。」
ジンタは納得をする。
確かに、死を無視していた、と気づいただけで死の麻痺から抜け出ていた。
「そして、あらゆることの結果は必ず自分に返ってくる。
良いことをすれば良いことが。
悪いことをしたら悪いことが。
だから、自ら生き方を決め、返ってくるものでそれが自分にとって望ましいか、望ましくないかを判断すればいい。
そしてまた、生き方を決めればいいんだ。」
「うん。」
ジンタは頷いた。
「役人の件も、必ずどういうことをしたのかの結果が返ってくる。
あの女性は“今日は”と言った。
だからそれに素直に従って結果を待とう。」
ジンタは立ち上がり、コルトを真っすぐ見て答えた。
「はい。」
途端に、ジンタの膝が震えだした。
全身の血の気が引き、恐怖がジンタの中を駆け抜ける。
自分は人を殺した。
その結果として、どんな返りが待っているのだろうか。
冷徹と言われるこの国がどんな裁きを下すのだろうか。
ジンタは両腕で胸を庇うように俯き、不安に耐えた。
コルトが急ぎ近づいてジンタの肩を抱いた。
手から暖かい体温が、氣が伝わってきて、震えが抑えられる。
コルトはジンタを抱きながら言った。
「俺はお前を守る。
そう生きると決めている。
これは、アサを守れなかった代償行為かもしれない。
だが、間違えていてもいい。
その反動は必ず俺に答えと共に返ってくるんだからな。」
「アサ…?」
ジンタがコルトの胸元で呟いた。
「あいつの…、俺の親友の名前だよ。」
◇ ◇ ◇
夕刻前に、黒い服を着た役人が宿に来た。
そして、コルトとジンタが呼び出される。
清算をして玄関先に出ると、軍の人間と思われる5人の男が立っていた。
「君達だな。
シュニからの旅人で、役場の人間を斬り殺したというのは。」
「はい、私です。」
ジンタが前に出て答える。
「軍で事情を聞き、フォルドの法に従って然るべき処罰を下す。
ついて来い。」
そして、ジンタとコルトは2人の軍人に腕を摑まれ、大通りまで連行された。
大通りには人だかりができている。
そこには、あの女性と男の子もいた。
男の子がジンタをじとりと睨み、それに気づいたジンタの胸の痛みが増した。
ジンタとコルトは、黒い軍用の馬車に乗せられた。
荷車は鉄格子でできており、コルトでさえも脱走は不可能に見える。
その荷車は屋根こそあるが側面に覆いはなく、ジンタはまるで家畜になったかのような気分になる。
ジンタ達と軍人全員が馬車に乗ると動き出し、大通りを東へと進む。
しばらく進むと、商店街が切れ、徐々にルーベンの町が小さくなっていった。