第16話『命の重さ』
翌朝、夜明け前に起きて旅の準備をした。
昨晩はなかなか寝付けなかったが、コルトが眠ってしばらくしてからジンタも眠ったようだ。
戦いの傷はだいぶ良くなっていて、ほとんど痛みもなかったため包帯を解いた。
朝食を取って支度を終え、3人はルーベンに向かった。
道は相変わらず岩場が多かったが、道を下るにつれて砂や砂利が増え、道の脇には牧草地帯や小さな果樹園や畑を見かけるようになる。
その更に先は丘と谷が連続しており、この地帯一帯が窪んでいるのが見える。
空には筋雲が浮かんでおり、秋の気配が漂っている。
30分程歩いたところで人が倒れているのを発見した。
駆け寄って近づいてみると、昨日ジンタが斬った役人だった。
右肩の出血が酷く、意識が混濁しているようだ。
コルトは急ぎ包帯で肩を縛ったが、場所が悪く完全な止血は難しかった。
そこで、コルトは荷物をジンタに持たせて役人を背負う。
更に、体温がかなり落ちているので、マントをその上から被せる。
コルトの後ろを歩きながら、ジンタは男が助かって欲しいと思った。
このとき、自らの行為が間違っていたんだと感じた。
が、あのときどうしたら良かったのかは結論が出ない。
ジゼルが酷いことをされているのを放っておくべきだったのだろうか。
仮に、攻撃を避けて剣を奪えたとして、事はそれで終わったのだろうか。
自分はこの男を止めたかったのか。
それとも斬り殺したかったのか…。
前者であって欲しかったが、感情的には斬り殺そうとしていたのかもしれない。
その時は、怒りと憎しみでこの男を見ていたことは確かなのだ。
しばらく歩くと、ルーベンの町が見えてきた。
ルーベンの町は、大通り沿いにレンガ造りの商店が並んでいる小さい町だ。
街は東西に伸び、枝分かれした小道の先に小さい家々が並んでいる。
周囲にはいくつかの畑があったが、交易が盛んであった時の商店街の名残がある。
町の奥には小高い丘があり、その上に町で最も大きい石造りの建物が建っている。
ルーベンに入ったところで、朝早くなのに何かを探している雰囲気の女性とその息子と思しき人物が道を歩いているのを発見した。
まだ店も開いていない時間に何を探しているのかとコルトは思うが、とりあえずこちらもこの男を然るべき場所に届けたい。
コルトは女性に近づいていった。
コルトとジンタを見ると、その女性と男の子もこちらに近づいてきた。
「あの…。」
そう女性が言い掛けたとき、コルトの背に乗っている人物を見て女性が叫ぶ。
「あなた!」
「とうちゃん!」
コルトは男を地面にゆっくりと下ろす。
しかし、男は既に息をしていなかった。
致命傷ではなかったが、出血多量と低体温が死因のようだ。
「とうちゃーん!」
女性と男の子が男に抱きついて泣いた。
女性が落ち着いたところで、コルトは妻と思われる女性に事情や自分達の立場を説明した。
「昨日は上官に滞納税者の件で怒られてお酒を飲んでいたんです。
突然出て行ったから酒場に行ったんだと…。
やっとこの町にも慣れてきたところだったのに…。」
女性はなおも泣きながら言った。
「すいません、私がついていながら…。」
コルトが女性に頭を下げる。
「すいません。」
ジンタもそれに倣って頭を下げた。
その時間がしばらく続いた。
そして泣きやんだ女性が2人を見た。
「あなた方がしたことの善悪は私にはわかりません。
でも私とこの子は家族を失いました。
この件は私から役場に報告しておきます。
あとは役場の判断に委ねます。
この先に宿があります。
今日はそこに居てください。
今はここから…私達の前から去ってください…。」
「はい…。」
コルトはそう言ってジンタとその場を立ち去った。
ジンタは逃げたくなった。
こちらだって、好きで斬ったわけではない。
ああしなければこちらが斬られたかもしれないのだ。
それに、我々はシュニの特使だ。
フォルドのルールなどに従う必要があるのか。
前を歩くコルトにも腹が立ってきた。
なぜ、適当に正当防衛だったんだと言って庇ってくれなかったのか。
あの女性がもっと酷いように役場に報告するかもしれないのに。
コルトだって、イバラ衆を殴り蹴散らしたのに何も裁きは受けなかったではないか。
あの盗賊の中にだって、もしかしたら死んだ人間がいたかもしれないじゃないか。
宿は町の外れの丘の上に建っていた。
白い石造りの三階建ての建物で、大きく立派な玄関がある。
周囲には植木があり、最盛期にはそれなりに繁盛していたことがうかがえる。
早朝のためまだ開いていないようだったので、その先の広場で待つことにした。
広場は町を全貌できる場所にあり、早朝の爽やかな風が吹いている。
この地域一帯が盆地になっているために、ぐるりと周辺を黒い岩肌が目立つ山々が囲んでいる。
宿と広場の横には藪と林があって、鳥や虫の鳴き声が聞こえてくる。
夏だというのに蒸し暑くなく、フォルド全域の標高の高さが実感できる。
そんな心地良い場所にも関わらず、2人は沈んだ気持ちで時が立つのを待った。
コルトは石の上に座って黙っている。
ジンタはそれを見てまた苛立つ。
「このまま宿に泊まらずに進んだらどうかな。」
コルトは驚いた顔でジンタを見る。
「だってそうでしょ。
我々は先を急がなきゃいけない。
役人には悪いことをしたけど、俺らにはやることがあるし。」
ジンタが開き直ってそう言い放つ。
コルトが目を見開いて立ち上がってジンタに迫る。
「ばかやろう!!
お前がしたことだろうが!」
ゴッという音と共にコルトがジンタを殴った。
ジンタは殴られて地面に背中から倒れる。
「コルトがしたことでもあるじゃないか!
なんで適当に言い逃れなかったんだよ!」
コルトがずんずんとジンタに歩み寄って、ジンタの胸ぐらを掴む。
「お前は人を殺したんだぞ!?
1人の人間の命を絶ったんだぞ!?」
「コルトだって盗賊の連中を大勢大怪我させたじゃないか!
それに、俺が正義のために刀を使うことを前は否定しなかったじゃないか!」
「俺は刀を使ったことや結果的に人を殺したことが悪いと言ってるんじゃない!
自分がしたことの結果を正面から逃げずに見ろと言ってるんだ!」
そう言って、コルトはジンタをぶん投げる。
ジンタは投げ飛ばされ、背中で地面を滑る。
「あぐっ!」
ジンタが呻いた。
刀の鞘が背中に食い込んで痛い。
コルトがずんずんと再び歩み寄って低い恐ろしい声で言う。
「さっきのは、手加減したことはわかるな?
ジンタ。
俺がお前を殺すのは造作もないことだ。
お前から刀を奪い取ることも簡単だ。
俺がそれを使えばどうなるかもわかるよな。」
コルトが残忍な目をしてジンタを睨む。
コルトの氣が、怒りの圧が、全身に覆い被さってくる。
ジンタの手足が冷たくなり、命の危険を感じる。
「自分がしたことがわからないというなら、ここでわからせてやろう。」
コルトが更にジンタににじり寄ってきた。
尻餅をついたまま腰を抜かしたジンタは手足をばたばたさせて後退しようとした。
「あの親子の、家族を失った痛みがわからないというのなら…、村の仲間や家族を失って、タジキを失ってもなお、命の重さがわからないというのなら、身を以ってわからせてやろう。」
コルトが棍棒を抜いてジンタにそれを向ける。
ジンタは恐怖のどん底に落とされた。
最も怒らせてはいけない人間を怒らせたのだ。
コルトの怒りから生還する可能性は、ない。
それは翼竜に襲われたときの比ではない。
シュゼにかけられたまやかしの白けた絶望なんかではない。
自らの死を感じる。
自らの命が悲鳴を上げる。
死にたくない、と。
ガタガタ震えながらコルトを見上げた。
しかし、ジンタはそこでまた衝撃を受ける。
コルトが目から涙を流していたのだ。
タジキのときでさえ涙を見せなかったコルトが。
その瞬間、先程の親子の泣き顔が急に脳裏に浮かんだ。
「とうちゃーん!」と泣き叫ぶ男の子の声が、今目の前で起きているかのように思い起こされる。
さっきはそれを見ていたが観えていなかった。
女性と男の子の痛みが流れ込んでくる。
胸が裂けそうに痛む。
「アアアアアア…!」
ジンタの感情が決壊した。
唐突に、ジンタの中で麻痺していた、いや、無視していた“死”が押し寄せて来た。
タジキの顔が、母の顔が浮かぶ。
村人達の悲しみが、自らの悲しみが、涙となって溢れかえる。
コルトが涙を流しながら言った。
「お前が殺した、雇われてただけの山賊達にも家族がいたんだぞ!」
更なる悲しみがジンタに覆い被さってきてジンタを圧し潰す。
息がまともにできない。
ジンタは肘を折り、地面にうずくまった。
コルトが更にジンタを揺さぶる低い声で迫る。
「お前は悪を斬ると言ったな。
では、何が悪なんだ?
お前に悪が判別できるのか?
答えを出せ!」
そう言うと、コルトは背を向けてのしのしと宿の方に去っていった。
ジンタは、悲しみと自らの浅はかさ、愚かさに飲み込まれた。
胸がキリキリと痛んで身体を丸める。
息をするのが精一杯だった。
今まで斬り殺した者達の死の反動が返ってきている。
自分のやったことをはじめて正面から受け止めたのだ。
「ヒッ、ヒグッ、ヒッ、ヒッ…。」
ジンタは地面にうずくまりながら泣いた。