出勤
たまに朝起きたとき、石垣造りの壁を見て『ここはどこだ!?』とハッとするが、だいぶこの世界での生活にも慣れてきた。
ああ、今日もよく寝れたー。(自然と背伸びする。)くぅー、気持ちいい!
「異世界で働くことにしてよかったー‼︎」
窓から白く優しい日差しが差し込み、いい朝だ。異世界の朝の清々しさは格別だ。軽井沢に別荘をもっている人も、ここにきたらもう軽井沢程度の空気では満足できなくなることだろう。
さて、朝はルーティンは大切だ。
次にいちいち何をするか考えるより、行動が早くなる。
俺は朝起きたらまず、魔法で薪に火をつける。
次にフライパンにこれまた魔法で、300mlの水を湧き出す。
そして、強火で一気に沸騰させて、向こうの世界から妻に送ってもらっているTBBのインスタントコーヒーを濃い目にフライパンに入れる。
最後に魔法を使って、フライパンを2秒ほど凍らせて、冷却する。(3秒だと長い。コーヒーが冷たくなりすぎる。)
コーヒーができたら、窓の外に『リストン王国』自慢の透明の海が見えるソファに座る。1人掛けの革張りのソファで、グリーンの色が気に入っている。そして、フライパンに入れたままコーヒーを一気飲みする。
クーッ、胃にしみる。
オエッとなる。
目が覚める。
俺は妻が送ってくれた胃薬を、キッチンから魔法で引き寄せて、口の中で溶かす。水がなくても飲めるから便利だ。
向こうの世界で働いていたときも、この胃薬には何度も助けられた。妻の次に頼りにしている存在だと言っても過言ではない。
この石垣造りの家は8畳一間で、家具はダイニングテーブルとイス一脚、ベッドとソファがそれぞれ一つずつあるだけ。
魔法でトイレに1年に1度しか行かなくていい体にしているので、トイレはない。
来客も来ないから、必要ない。あの2人も家には入れない。家は心からリラックスできる聖域なのだ。
風呂は屋上にある。見晴らし最高の露天風呂だ。夕暮れ時に、季節に応じて最適な温度の草津の温泉が湧き出るように魔法でセットしている。
17時に仕事を終えて、この風呂に入り、さっぱりしたところでソファに座って、海を見ながら好きなだけビールを飲む。魔法の力で二日酔いにはならないし、健康を害することもない。そして、陽が沈み、しばらく星を眺めたら、近くに置いてあるベッドで寝る。
派手ではないが実に快適な家だ。
最初は魔法を使って、立派な城を作ったが、広すぎて落ち着かなかった。
それから、理想の家を目指して何度か建て替える度に、家は小さくなっていき、現在のこのこじんまりとした家に至る。
作る、食べる、寝る、これらの行動が無駄なくできて、実に素晴らしい。
コーヒーを飲み、胃薬を飲んだら、洗剤を使ってフライパンをキレイに洗う。
それから、卵2つ、ベーコン3切れを魔法でフライパンに出して、薪の上に浮かせて、強火で一気に焼き上げる。
仕上げにマッシュポテトをたっぷり出現させると、フライパンをやはり3秒ほど魔法で冷却して、そのまま手で食べる。
とは言っても、魔法で手に膜を張ってあるので、手がベタつくことはない。
「ゲフッ」
ああ、喰った、喰った。胃のむかつきが治まる。
「生きてるって、やっぱこういうことだよな。こういうこと」
リア充だ。異世界にきて、俺はリア充側の人間に生まれ変わった。そう、まるで違う自分に生まれ変わった気分だ。
朝食を食べたら、また洗剤を使って、フライパンをキレイに洗う。
俺はビールを飲むときも、カレーを作るときも、すべてこのフライパンを使う。だから、汚れが残らないようにしっかり洗う。
もちろん、いちいち薪に火をつけなくても、魔法で簡単にコーヒーを飲むことはできる。フライパンだって、魔法で簡単にキレイにすることができる。
でも、俺は思う。人間はそれぞれ、魔法で片づけない“やるべきこと”を持っていたほうがいい。
そうでないと、人間らしさがどんどん欠如していく。
歯磨きはトイレと同じように1年に1回でいいように魔法をかけてある。
スーツに着替えて、魔法でネクタイを締めて(不器用なので向こうの世界にいたときはネクタイを締めるだけで10分はロスしていた)、革靴を履いて、ダイアモンドの大剣を手に持つと、さあ出勤準備完了だ。ワクワクする‼︎
やはり、ルーティンは大切だ。
無駄のない動作で、今日も朝の支度を15分ですませることができた。
丘の上に建てた家から外に出る。
さわやかな風が吹く。
結界を張っていた家の外では、体長50mはあるスチールドラゴンが俺を待ち構えていた。全身がスチールで覆われている防御力の高いドラゴンだ。
きっと、俺が昨日、生け捕りにして売り飛ばした、まだ赤ん坊(とはいえ体調8mはあった)のスチールドラゴンの父親だろう。角が8本あるからオスだ。メスは角が9本ある。
職場まで徒歩0秒だ。この世界そのものが俺の職場だ。向こうの世界で60分かけて出勤していたことがバカらしくなる。
ただ、スーツを着ないといまいち仕事のスイッチが入らないのは向こうの世界にいた頃と変わらない。せっかく異世界に来てまでスーツを着るのもどうかと思ったが、鎧を着用するより仕事に集中できる。何より、俺に鎧は不要だった。
「師匠、おはよう! こいつ俺が倒してもいいかな」
このタメ口の少年、ミカエムは自称20歳の剣士だが、本当は17歳の勇者だ。千里眼の魔法を使って確認したから間違いない。
この世界の住人たちは靴屋の息子の武器マニアのイケメンとしか思っていない。金髪で青い瞳、欠点のつけようがない顔立ちで、向こうの世界に行けばハリウッドスターにだってなれるだろう。
「ダメよ、ミカエム。怪我でもしたらどうしますの? モンジャーに任せたほうがよろしいですわ」
このお嬢様、マリーヌは自称20歳の召喚士だが、本当は17歳の王女だ。これまた千里眼の魔法で確認したから間違いない。
小柄で、足につきそうなほどの水色の髪がまるで妖精のような雰囲気を醸し出している。それでいて、少しつりあがった目から、芯の強さを感じる。マリーヌが逃げ出してきたガルトニア王国に連れて行けば、金貨50,000枚の報奨金が出る。
この2人は身分の違う恋に落ち、やがて駆け落ちし、あてどなく旅をしていたところ、モンスターを金貨に変えてせっせと働いている俺と出会ったのだ。
そもそもこの2人はペガサスに乗って、俺の前に現れた。どんなバカだって、この2人が只者でないことはわかる。
ミカエムは、
「弟子にしてくれよ! 俺もその技を覚えたい!」
と上から頼んできて、
マリーヌは、
「どうか私たちをかくまってください」
と上目遣いで懇願してきた。
この少年少女の恋を助けないわけにはいかない。それが、ジャンプを読んで育ってきた男の筋というものだ。
だから、俺はこの2人のために、母屋よりも立派な離れを建ててやり、最初は最低限の生活費もあげてやっていた。
しかし、マリーヌの金銭感覚はやはり庶民と違っていたので、1ヶ月分の生活費を1回の買い物で使い、それでも欲しいものが半分も変えなかったというので、お金を渡すことをやめた。
ミカエムにいたっては、お金を渡すとすぐに武器を買ってくる…。
というわけで、食材の宅配サービスや、家事代行サービスを俺がお金を払って手配してやっている。
まあ、仕送りに影響しない程度に、あくまでも俺の小遣いの中から工面している。
「師匠、それじゃいつもの技、見せてくれよ。今度こそ、何かコツを見つけてやる」
ミカエム、それは無理だ。何度もそう言っただろう。このタメ口の少年は、“無理”という言葉を知らない。それは勇者の資質なのかもしれない。
「ウギャギャギャヨーアー!」
スチールドラゴンが上空の雲が吹き飛ぶほど、大きく叫ぶ。
おお、待たせてすまない。
「息子を返せ‼︎ さもないと喰いちぎって、俺様のクソにしてやるぞ‼︎ お前はマズそうだから食べたくないが、息子を返さないなら吐き気を我慢してでも、喰いちぎってやる‼︎」
と言っている。
ドラゴン族の言葉がわかる魔法の書を購入したから、だいたい何を言っているか理解できた。
そりゃそうだよな。ドラゴンにだって、食の好みはあるよな。マズそうで悪かったな。
ちなみに、スチールドラゴンの心臓は角の数と同じくオスは8個、メスは9個ある。メスが1個多いのは、絶えず妊娠しているからだという説があるが、はっきりとは解明されていなかった。
俺は結界から出ると、ダイアモンドの大剣を大地に突き刺す。
スチールドラゴンが牙をむき出しにして、俺を噛み砕こうとする。
魔法を使えるが、戦闘ではあくまで補助的に使う程度だ。
ダイアモンドの大剣は、戦士らしく見えるための飾りでしかない。
スチールドラゴンの牙の間に、2匹のゴブリンが挟まっていた。まだ、動いているようだった。微々たるものだがこの分も加算されるのだろう。塵も積もればなんとやらだ。
臭い牙が俺に触れた瞬間に、スチールドラゴンは80枚の金貨と、3枚の銅貨に姿を変えて、チャランチャランと雨が降るように落下する。
ほら、ここでは大金をこんなにも簡単に稼ぐことができる!!
あっ、でも価値のあるお宝はなかなか手に入らない。歴代最強と言われる無双の魔王にほとんどのお宝が破壊されてしまっているからだ。
まあ、無双の魔王と言っても、俺に触れたら金貨に変わってしまうのだから、恐るるに足りずだ! いつでもかかってこい! むしろ金貨に変えてガッポリ稼いで、この世界の住人からヒーローとして崇められる好機だ‼︎