一の巻 姫の旅立ち⑦
カステラおばさんの家は小高い丘の上にあります。
スポンジ姫とティラミスが着いたのは、とっくりと日が暮れて、カステラおばさんが、暖炉の前でうとうとし始めた頃でした。
「おばさま、ごきげんよう」
スカートをつまみ、さっきまでの不機嫌はどこへやら、おひとやかなひめ理でのご挨拶に、カステラおばさんは目を細め、大歓迎です。
「あらあら、すっかり見違えちゃって。こんばんは。疲れただろう? もうどのくらい会っていないのかしら。それにしてもティラミスや、随分と遅かったじゃないか。私はもうとっくにつくと思っていましたよ。お城で何かあったんじゃないかって、気をもみましたよ」
何食わぬ顔で、さっさと中へ入って行ってしまった姫を尻目に言われ、ティラミスは深々と頭を下げました。
「申し訳ございません。姫のお支度に少々時間がかかってしまいまして」
「まぁ何でしょうねぇ、ゆくゆくは一刻を預かる姫たる者が、時間にだらしないと言うのは考え物だわねぇ」
ずり下がった眼鏡のまま見られた姫はばつが悪くなり、頬を赤くしての反論です。
「あら、お言葉ですけど、レディーとして身だしなみは大切。少々手間取ってしまったのは申し訳なく思いますけど、それよりおばさま訊いてくださる? ティラミスって酷いのよ。姫たるわたくしにここまで馬車も出さず、荷物も持たずにあここまで歩かせましたのよ」
てっきり同情してくれるものばかり思っていた姫ですが……。
「何を甘えたことを言ってるんだい。城からここまで歩いてもそう遠くありませんよ。あなたがここへやって来た目的は、街での暮らしを学ぶため、城を一歩出れば、あなたはただの町娘。同然の振る舞いです」
「でもおばさま、わたくしはどんな身分になっても綺麗でいたい、そう思うのもいけないことなの」
半べそ状態で訴えるスポンジ姫に、カステラおばさんはやれやれです。
「レディーのたしなみは大切よ。だからと言って、人を待たせるのは違いますよ。まったく、クリームときたら、そんなのも教えていないのかい?」
なみなみとアップルティーを注いだ、カップを二人の前へ置いたカステラおばさんは、ふっくらとした腰をゆっさゆっさと振り、引き出しからペンと紙を取り出して来ました。
「これは、由々しき問題ね。教育をちゃんとやり直さなければいけないわ。あなたのお父様とお母様に、一筆、申し上げておかねばならないわ。一から教育の必要があるわ。そうよ。いいアイディアだわ。スポンジや、あなた明日からでも、街の学校へお行き。大丈夫、心配はいらないわ。町の子がみんな通っている学校よ」
カステラおばさんは、町一番の頑固者です。一度言い出したら、誰にも止められません。
口をあんぐり開けているスポンジ姫に、にっこり微笑んで見せたのは、手紙を書き終え、これをとティラミスに渡した時です。
「かしこまりました」
ティラミスはそれを受け取ると、早速届けに城に舞い戻って行きます。
「行くなら、早い方がいいわね。私は、アーモンド校長とは、古い友達なの」
早口でそう言うと、さっさとベッドにもぐってしまいました。
明日が来なければいいのに!
スポンジ姫のお腹が、グーと泣き、切ない思いで窓の外を覗きます。
城は、はるか遠くに見えます。
ここを使いなさいと、与えられた部屋はとても小さく、ベッドもフカフカじゃありません。
「寝つけるか自信がないわ」
着て来た服を乱暴に脱ぎ捨てて、ベッドにもぐりこんだスポンジ姫は、あっという間に眠りの中です。
その頃、尖り山から一人の若者が、町を見下ろしていました。
ひらひらと背中のマントが風になびいています。
腰には、剣がぶら下がっています。
木馬が、ヒヒーンと声を上げ、若者はゆっくり山を下り始めました。