一の巻 姫の旅立ち⑥
「ああ足が痛い。ティラミス負んぶ」
スポンジ姫がしゃがみこんで、恨めしそうに近寄ってきたティラミスを見ます。
「それはそれは、大変でございます。では姫、このカバンをお背負い下さいませ。それに、このスーツケースは……」
ティラミスは、人差し指で自分の頬を3度突っついてから、
「こうしましょう。そのすてきな姫のお靴の先にひっかけて引けばよろしい」
ティラミスはにっこり微笑んだのち、スポンジ姫へ屈みこみ背を向けました。
「さあ、お乗りくださいませ」
それを見たスポンジ姫の頬は、みるみる膨らんで行ったのは言うまでもありません。
「もう結構よ」
ドスン。と勢いよくティラミスのバッグを地面に落としたスポンジ姫は、プリプリと腰を振り前を歩いて行ってしまいます。
「姫様、お待ちください」
それを聞いたスポンジ姫はしたりと、顔を緩めます。
そうこなくっちゃだわティラミス。わたくしに刃向うなんて、10億万年早くってよ。
そう簡単に許してあげないんだから。
少し行ったところで、渋々と振り返って見せたスポンジは、キョトンとしながら、ティラミスを見つめ返します。
「姫様、お忘れ物です」
はい?
トランクを渡されたスポンジ姫は、目を瞬かせたのも束の間、見る見る顔は赤くゆで上がり、頭から蒸気が今にも吹き出しそうなスポンジ姫をよそに、ティラミスは涼しい顔で先を急ぐよう、促してきます。
「いったいなんなのよ。それでもあなた、私の執事? こんな無礼が許されると思っていて?」
ティラミスは一度眼鏡を持ち上げた末、呆れるように言い返しました。
「スポンジ様。城を一歩出たところからあなた様とは兄妹の間柄。どうか御身分を弁えてくださいませ。いつ何時、誰がどこで見ておられるか分かりません。常に緊張感をもって行動してくださいませ」
「煩い煩い煩い。そんなこと、わたくし納得していなくってよ。大体どうしてこの国の姫であるわたくしが……ウグググ」
大声を張り上げて抗議するスポンジを、ティラミスが口を手でふさぎます。
「あなたはバカだバカだと存じ上げていたけど、そこまで馬鹿だとは」
ティラミスの言葉に腹を立てたスポンジが、思いきり手を齧ります。
「痛い」
怯んだ隙に手から逃れたスポンジ姫は仁王立ちで、怒りを顕わにさせます。
「よくって。わたくし、この件のこと、絶対許しませんからね。わたくしが王を継承した暁には、あなたなんて追放よ追放」
「かしこ参りました。その暁にはなんなりと」
丁寧にオジキをされたスポンジは、プンプンです。
先を歩いて行くスポンジを眺めながら、ティラミスはやれやれと、首を振ります。
前途多難なのは承知の上。
しかし、想像をはるかに通り越すスポンジの振る舞いに、ティラミスは苦笑いで、後を追いかけて行きます。
それを、バルコニーから眺めていたタルト国王とクリーム女王様の目には涙涙です。
さぁ、かわいい子には旅をさせろ作戦開始です。
どうなりますことやら。
秘密の森です。
暗闇にぼうっとしたシルエットが見え、甘い匂いがしてきました。
「ティラミス、お腹が空いたわ」
甘い臭いに誘われるように、スポンジ姫は青白く光る実を付けた木の前に立ち止り、手を伸ばします。
「姫、それを口にしてはいけません」
ティラミスの声に、ビクンと肩を上げた姫の手から、実がごろりと落ちます。
「これは、クスクスの木です。この実を口にすると、三日三晩笑いが止まらなくなってしまいます。何でも図鑑の最初のページに書かれてあるはずですが、姫は、ご存じじゃないのですか?」
「し、知っているわよ。ちょっと、あなたを試しただけよ」
スポンジ姫は、目をぱちくりさせて言います。
ティラミスは、ならよろしいのですがと、冷ややかな目でスポンジ姫を見ました。
「な、何よ、その目は?」
「冗談にもほどがあります。間違いがあっては、国王にワタクシメが殺されます。お止め下さい」
怖い目です。
スポンジ姫は、しゅんとなり、ごめんなさいと素直に謝ります。
「この森には、様々な実がなっております。美味しいものばかりじゃありません。見た目がどんなに美しくても、中身は毒というものもたくさんございます。姫様ならご存知でしょうが、念のために言っておきます。さ、こんな所で道草をしている場合じゃありません。先を急ぎましょう」
フクロウがどこかでひと泣きして、スポンジ姫はムッとしたまま歩き出しました。
日はとっくり暮れ、カステラおばさんの家はもうすぐそこです。