一の巻 姫の旅立ち⑤
しかし、ようやく出発の準備を済ませた姫がエントランスに現れたのは、約束の時間より2時間も過ぎてからでした。
すっかり日は暮れ、星が瞬いています。
「さすがは姫様、人目を避けるのには、このような時間がよいと、ワタクシメには思いつきませんでした」
と皮肉たっぷりの笑みで、ティラミスが言います。
カーッと、耳の裏まで赤くしたスポンジ姫は、馬車はどこなのと訊きました。
「姫様は、冗談がお上手です」
「冗談じゃないわ。早く回してちょうだい」
お菓子の国では、位の高いもの以外、馬車は乗っていません。遠くへ出かけない町の者にとって、必要がないものですから。
「それでは、姫様とばれてしまわれます」
「ではどうするの? この荷物?」
ティラミスのメガネがきらりと光ります。
「姫様がお持ちになった物でございます。ご自分で持って、歩いてくださいませ。なぁに、そんな遠くはございません。ほんの10キロ先でございます。2時間も歩かれれば、着けれるでございましょう」
「あなたは、持って下さらないの?」
「先ほども申した通り、ワタシメにも荷物がございまして」
大きめなボストンバックを見せるティラミスに、スポンジ姫は呆れた顔で言いました。
「そんなんじゃ、何日も同じ服を着なければならないじゃない。臭い人、私は嫌いよ」
「さぁ、姫様急ぎませんと、秘密の森の前を通るには、ちと遅すぎます」
聞こえないふりをしたティラミスが空を見上げ、さあ急ぎませんと。と大股で歩いて行ってしまうのを、しばらく呆然と見送っていたスポンジ姫は、大きなため息をつき、一番小さなトランクを一つだけ引っ張って追いかけたのでした。
目指すはカステラおばさんの家です。
スポンジ姫は会ったことを覚えていません。
とても小さかった頃の話。とタルト王が説明してくれました。
文句たらたらの姫を置いて、ティラミスはどんどん前を歩いて行ってしまいます。
さてさて前途多難な旅立ち、如何なることになりますことやら。