五の巻 芸術は爆発だ⑦
「それって、ハードル上げられたってことよね」
教室の一件を聞かされたスポンジ姫の眉間に、皺がよります。
「そう、なりますかな? しかし、あなた様が築き上げて来られたものは、なかなかのものでしたぞ。誰もがその声を聴いても、あなた様を役から外すなどとは考えられないと全員の意見が一致しました。だから私目も言ってやりました。あの頑張り屋のスポンジさんなら、皆の期待を裏切らないでしょうって、なかなかいいことを言うでしょ?」
しかしスポンジは顔を顰めます。
結局、それはスフレがやることになるのですから。
ウィンクされても、嬉しくなんかありません。
「どうしてそこまで話を膨らませてしまうのです。あなた、面白がっているでしょ」
キッときつい目で睨まれたババロアが、ゲラゲラと笑い、ティラミスの肩を叩きます。
「これで、コーチのし甲斐があるだろ?」
手にした台本に目を落とし、ティラミスには珍しく、大きくため息をもらしました。
たった数行しかないスフレのセリフに、時間を掛ける必要はありません。ですが、ちらりとスポンジ姫を横目でティラミスは見ます。
当然そうなるでしょう。
台本を手にしたスポンジ姫。
わなわなと肩が震えています。
膨大の量のセリフに、各所に散りばめられたラブシーン。
忘れてはいけません。
スポンジ姫は誰よりも負けず嫌い。
凛とした顔を上げたスポンジ姫を見て、ティラミスはやれやれと首を振ります。
こんな顔をするときのスポンジ姫は、聞く耳を持ちません。それを誰よりも、ティラミスが一番知っています。
「良くってよ。わたくしは臨機応変が聞く一国の王女姫。スフレに何かあったら一大事になります。こちらも全部覚えますわ」
スポンジ姫に目配せをされたババロアは、何かを悟ったように後に下がります。
「やはりそう来ましたか」
苦笑いをするティラミスに、スポンジは鼻を膨らませて頷きます。
「当然です。本来なら、わたくしがする役。皆の期待、裏切るわけにはいきませんことよ」
「いやいやなんともかんとも」
「まぁまぁ良いではないか。これも勉学の一つ。姫の心がけ、ワタクシメはいたく感激いたしました。協力を惜しみませんぞ」
ティラミスにばれないように、ババロアがウィンクしてみせます。
さて、早速その夜から、芝居の特訓の始まりました。
やるからには、半端は許されません。
軽く考えていたスポンジ姫は、想像していた以上に厳しい指摘をしてくるティラミスに、涙をこぼしてはベッドに潜り込む始末で、まったく話になりません。
「たかが、学芸会なのに」
そう言うスポンジ姫に、ティラミスは本気で怒りました。
「姫、姫にとってはお遊びでしょうが、他の子は真剣でございます。姫の役をしたがっている子だっておりますでしょう。恥を知りなさい。あなたはもう少し、人の気持ちを考えられた方がよろしい」
どうしたことでしょう。普段見せないティラミスの顔に、スポンジは唖然です。
無理もありません。口ではスポンジ姫を押していても、内情は違うはずです。
ジェラートだって、本当は喉から手が出るほど欲しい役だったのです。
事前に優しく言い聞かせたのは、言うまでもありません。ティラミスに成りすました、ババロアです。
キャンディやグミだって、茶化してはいましたが、羨ましがっているのは明確ですし、ましてや、転校してきたばかりのスフレに取られそうになった時は、それはそれは怒りの声を上げたものでした。それにあのマドレーヌさえ、棘のある態度を見せたことを、スポンジ姫は何も知りません。陰に隠れて様子を窺っていたティラミスは、息を飲んだくらいです。
「分かったわよ。そんな怒らなくても」
これでティラミスの思惑通りと思ったのも束の間。
ドアをノックされ、ティラミスは顔を顰めます。
あれほど熱弁をふるったスフレが、快く協力してくれているとは、どうしても考えにくいのです。
「あなたにこの役は荷が重くってよ」
スポンジ姫に突っかかられたスフレですが、どうしたことでしょう。
「もちろんですわ。どんなに上手に演じることができても、姫様のように自然と溢れる気品さまでは出しかねますわ。ぜひ、姫様にあやからせていただけませんでしょうか」
「お待ちになって。わたくし、感を掴めた気がしますわ。姫様、このようにすればいいのですね」
執拗にスフレは芝居を止め、ティラミスとの絡みをして見せます。
最初、心配したカステラおばさんの差し金かと思いましたが、どうやらそれは違っていたようです。
流石のババロアも黙っているわけにはいきません。
「スフレ、ここは私どもに任せて、おしとやかな姫のふりに専念してくれたまえ」
「ですが、この国のため、わたくしは完璧な姫様を演じとうございます」
「ほらごらんなさい。ですからわたくし自ら、親善大使様にお目に掛かれば、問題なくってよ」
「それはなりませぬ。ええいスフレももう夜も遅い。この辺にして戻った方が良かろう」
「ですがティラミス様」
「スフレ。こんなところを誰かに見られたら、すべては台無しになりかねぬ。さぁ支度を」
ババロアに無理矢理押し出されたスフレは、名残惜しそうに部屋を顧みます。
窓には、ティラミスに宥められているスポンジ姫の姿が映っていました。
何とも複雑な心境なスフレの心を見透かしながら、ババロアがくぎを刺します。
「スフレ、分っておるとは思うが」
「心得ております。しかしババロア様、その様なことをして、本当に大丈夫なのでしょうか」
「何、あの負けず嫌いの姫だ。やり遂げて見せるさきっと」
「そうではありませんわ、王様たちを欺き、姫様を舞台に立たせるのは、あまりに危険すぎます。それに、ティラミス様のことですから、すぐに見破られると思いますわ」
「それで良い」
「あなた様はいったい……」
ババロアに唇を指で押さえられたスフレでした。
「かしこまいりました。ですがババロア様、大使は姫様のお顔をご存じなのでしょうか」
未練がましく訊くスフレに、ババロアは涼しげな顔で答えます。
「忍びでいらっしゃるくらいだから、ご存じであろう」
「お言葉を返すようですが、公然の面に出るのを嫌っていた姫様でございます。この通り国の者でさえ、姫様のお顔が分からないではありませんか」
「だからじゃよ。姫様がスフレになり替わろうが、ご自身であろうが関係ない」
「それはどういった意味でございましょう」
「スフレそれ以上は、愚問じゃ。もし不穏な動きと見たした際にはお主とて、容赦はせぬ。良く肝に命じておくが良かろう」
厳しい顔つきになったババロアに、スフレは震え上がります。
去って行くスフレを眺めながら、ババロアは顎を撫で、冷ややかな笑みを浮かべるのでした。
すべて計算ずく。
間を図り戻ったババロアは、盛大なため息をついて見せます。
「スフレにも困ったものじゃ。姫の気品など習わぬとも、充分備わっておると抜かしよった。それっどころか、自分がこのまま姫として君臨すれば国も丸く収まれとまで」
「ババロア、場を弁えろ」
「これは失敬」
脚色を加え、伝えられたスポンジ姫は、怒りで肩を振るわせます。
「姫様は気になさらず、のんびりと町役者の素振りで、お気楽にお過ごしくださいませ。もう、このような茶番も止しましょう。姫様が言う通りでございます。このような努力、まるで無駄。できなければ姫様得意の仮病で、欠席されればいいことでございます」
「いったい何なのよ。みんなして、わたくしをバカにする気なの?」
「姫、それは違います。私どもは姫が安泰であればよいと考えております。大使には、しかと素晴らしい姫の姿を焼き付けて頂きとうございます。それに似合うよう努力を」
「もうそれがバカにしているって言うのです」
完璧にババロアが面白がっているのは見え見えです。
「兄上、もうその辺でおやめください」
「ティラミス」
味方に付いてくれたと思ったのも束の間、ティラミスの暴言にスポンジ姫は頭に血を上らせます。
「本当のこと過ぎて、酷過ぎです」
「ティラミス!」
その声を聞いた二人は、腹を抱えて笑い出す始末。
ぷんぷん怒ったスポンジ姫は、頭から布団を被ってしまいます。
全くあり得ない話です。
あのスフレの態度も、問題です。
城に戻った暁には、絶対に許しませんわ。
スポンジ姫はそう固く心に決めたのでした。