三の巻 恋するジェラート⑦
秘密の森から甘い香りがそこらじゅうに広がり、大人たちはやたらに忙しくしています。
ようやくスポンジ姫も学校になれ、起こされなくても朝食の席に着くようになりました。
チラリと時計を見上げ、食事を済ませたスポンジ姫は、チャイムが鳴る前にドアを開けます。
「おはよう。ジェラート」
今日のジェラートは、ラズベリーの髪飾りを付けています。
首を長くするように、ジェラートは中を覗き込みます。
「もう、ティラミスならいないわよ」
「そ、そんなこと」
ジェラートは、耳の裏まで真っ赤です。
スポンジ姫には、どうしてジェラートがそうなったのか、さっぱり分かりません。ですから、カステラおばさんからお弁当を受け取り、家を出た途端、ばったりティラミスと鉢合わせしてしまったジェラートが、ゲッと言ったきりそのまま卒倒してしまったのは、何かの流行り病かと大騒ぎしてしまうありさまだったのは、言うまでもありません。
すまし顔でそんなジェラートを救い上げたティラミスを見て、スポンジ姫は無性に腹が立ちます。
「ここはわたくしめが」
何でもない言葉なのに、どうしてこうも腹が立つのでしょう。
「ここはって、何、格好をつけているの? ジェラートはわたくしの友人。わたくしが介抱すべきでしょ」
ティラミスの口元が少し上がり、
「そんなことを言って、学校をさぼりたいだけでしょ」
カチンときたスポンジ姫は、スカートをぎゅっと握り言い返します。
「何ですって? いつどこで何時何分何秒、わたくしがそのようなことを言ったか、仰い」
「今、ここでです」
顔色一つ変えず答えるティラミスに、スポンジ姫はキーッとなります。
「侮辱よ侮辱。執事の分際で」
言ってしまって、スポンジ姫はギョッとします。
ティラミスの腕に抱えられたジェラートが微かに動き、目を開けたのでした。
「スポンジちゃん、ヒツジがどうしたの?」
「あら、わたくしそんなこと言ったかしら?」
「ジェラート様、お加減はいかがでございましょう」
そこで初めて、自分が置かれている状況に気が付いたジェラートは、口をパクパクさせたまま、また気絶をしてしまうのでした。
「おやおや、これは少し休ませた方が良いようだ。少し遅れると、担任に伝えてください。では」
「ではって何よ。でわって」
スポンジ姫の問いかけも虚しく、ティラミスはカステラおばさんの家の中へと、消えて行ったのでした。
何とも言えない後味の悪さです。
何なの何なの何なの。忌々しいったらありゃしない。許さないわ。
プリプリ腰を振りながら登校してきたスポンジ姫。
誰もが躊躇して話し掛けませんでしたが、そこは怖いもの知らずのグミです。
「スポンジちゃん、何かあったの? もし良かったら私に聞かせて」
目が爛々と輝かせているグミを見て、スポンジはげんなりと自分の席へ着きます。
「ね、聞かせてよ。話すと楽になるってこともあるし」
その後ろで、マカロンたちが首を大きく横に振ります。
スポンジ姫もバカではありません。グミの性格くらい、少しは分かっているつもりです。
「グミちゃん、ありがとう。何でもなくってよ。兄と、ちょっと出かけに衝突してしまって」
「まぁあのお兄様。私、知っているわ。運動会の時、役員である私のママのお手伝いをして下さった方よね。あのきりっとした目といい、さわやかな笑顔といい、あんなお兄様がいて、羨ましいなぁ。そんなお兄様と、いったいどんなケンカをしてきたの? ぜひ聞かせて」
「ええ。私たちも聞きたい」
どうしてこうなってしまうのでしょう。
スポンジ姫は、勢い良く立ち上がり、教室を出ていくでした。
それでもあきらめないのが、グミです。
「ね、聞かせなさいよ。ことによってはわたしが仲裁に入ってあげてもいいわよ」
「結構。些細なことですから」
このしつっこさには堪ったものではありません。
トイレに駆け込み、しばしの安堵も束の間。
「ね、大丈夫? 一人で泣かなくっていいのよ。私たち、お友達でしょ」
ナンセンス。
スポンジ冷えは心の中で呟きました。
どうもこうもありません。スポンジにも、このもやもやとしたものが何なのか分からないのですから。それに、グミにはやはり話すことなどできません。学校中どころか、町中に何を言い触らされるか知れたものではありません。
「グミちゃん、心配してくれてありがとう。本当に何でもないの。話すのも恥ずかしいくらいのことなの。だからわたくしのことは気になさらないで」
「でも」
これでは収拾がつかないと思ったスポンジ姫は覚悟を決め、ドアを開けます。
「グミちゃん、一つだけ聞いてもいい」
グミは待ってましたと言うように、大きく頷いて見せます。
「グミちゃんって、ビターのことが好きなの?」
これは昨日、ジェラートから聞いた話です。
一瞬間が出来、グミの目がぐるぐると忙しく動きます。
「あら、私大変。用事忘れていたわ。スポンジちゃん、ごめん。今度また相談に乗るから」
一目散に逃げて行くグミを見やりながら、スポンジは大きく息を吐き出します。
これで、スポンジ姫の気が収まったわけではありません。
今この瞬間も、ティラミスに手厚い看護を受け、ジェラートがうっとりしているのかと思うと、頭に血が上って来てしまう、スポンジ姫です。
教室へ戻ってきたスポンジ姫は、不機嫌そのものでした。
「何、怖い顔をしてんだよ」
隣の席のシュークリームに聞かれ、スポンジ姫はきつい目つきで睨みます。
今は何をされても聞かれても、噛みつきたい気分なのです。
「何なんだよその目は、オレ、何か悪いこと言ったか?」
「いいえ。この目つきは生まれつきです」
「こえ~」
「ヒツジみたいな喋り方、およしになって。みっともなくってよ」
「それを言うなら、そのお嬢様言葉も、キモイっていうの」
「何ですって。わたくしを誰だと思ってそのようなこと、仰っておりますの?」
「誰って、ブスブス」
「許さない」
シュークリームの口の悪さは有名です。
スポンジ姫との言い争いも、朝の風景の一部。
気にするものは誰もいません。
がやがやと騒がしい教室に、キャンディが駆けこんできたのはその時でした。
「みんな聞いて。ニュース、ニュース。ビッグニュースよ」
「キャンディおはよう。なによ騒々しい」
マドレーヌが窘めます。
「だって~」
キャンディは頬を膨らませ、椅子に乱暴に座りました。
「何かあったの?」
クッキーが前の席を陣取り訊きます。
「あのね、清らの泉に、超イケメンが居るって、ママが話していたの」
「イケメン?」
ロール姉妹が声をハモらせ訊き返します。ゼリーもマカロンもクレープまでが集まってきました。
「それ本当なの?」
疑いの目を向けるのは、グミです。
「あなただけには言われたくはないわ」と、キャンディが脹れ面になるのを、クッキーが宥めます。
「良いこと思いついた」
手を叩き、そう言ったのはクレープです。
「男の貴方が、何で盛り上がっているのよ」
ゼリーの突込みに、マカロンが男女差別反対と叫びます。
「あんたの意見、言ってみなさいよ」
腰に手を当てて言うグミに、クレープはフンと鼻を一回鳴らし、今日の帰り、確かめに行くっていうのは、どう? と提案しました。
みんなが声をそろえて言います。
「賛成!」
そんなことよりも、窓の外が気になって仕方がないスポンジ姫なのでした。
「スポンジちゃんも行くわよね?」
前の席に座るムースに、目をぱちくりさせながら聞かれ、スポンジは疲れ切った顔で笑みを浮かべます。
「ごめんなさい。今はそういう気分じゃないの。止めておくわ」
一向に姿を見せないジェラートが気がかりで仕方がない、スポンジ姫でした。。