三の巻 恋するジェラート⑤
見たこともない青年です。
青年は、マントをひらりとさせながら木馬を降りました。
「もし、そこの者、少し道を尋ねたい。清らの泉に参りたいのだが」
「なななんと、清らの泉ですとな」
ミルフィーユ校長が、驚きのあまり声がひっくり返ってしまっています。モンブラン先生も険しい顔をしています。二人の反応に、スポンジ姫が目をぱちくりさせていると、旅人は、そんなスポンジ姫を見るや否や、もしやと目を見開きました。
「清らの泉なら、今からわたくしも行くところです。よろしければご一緒しましょう」
その声に驚いたスポンジ姫は、ティラミスと思わず叫んでしまいました。
「それは助かります」
「あなたは確か」
ミルフィーユ校長の問いに、ティラミスはにっこり微笑み、頭を下げました。
スポンジ姫が一度も見たことがない笑顔です。
「炭焼き小屋のせがれです。お久しぶりでございます。ミルフィーユ先生」
「立派になりましたね」
「校長先生。ご存じなんですか?」
モンブラン先生が目をまん丸くして聞きます。
「ああ、私の教え子ですよ。出来が悪い子で大変苦労させられたが、こんな立派な青年になられて」
「その話はよしてください」
照れ笑いをするティラミスを見て、スポンジ姫はふわっとした気分になりました。
「いけません。ミルフィーユ校長」
モンブラン先生の声にミルフィーユ校長も、スポンジ姫の顔を見て大慌てです。
「気を確かに持ちなさい」
ミルフィーユ校長が、ひょいとスポンジ姫を抱き上げました。
「校長先生、僕が変わりましょう」
モンブラン先生です。
「いいえ、わたくしは自分で歩けます。もう帰ってもよろしいですよね」
うんうんと、二人そろって頷きます。
ふらふらと歩き出したスポンジ姫に、もしやあなた様はと馬に跨った旅人が話しかけます。
ヒヒヒーン。
一体どうしたことでしょう。急に馬が蹄を上げて騒ぎ始めました。
振り返ったスポンジ姫に、ティラミスが手に持っているものを見せにやりといつもの笑みを見せます。
あんな尖ったものをさされては、さぞかし痛かっただろうに。
「ちょっと、そこの人、わたくしを家まで送って下さらない」
スポンジ姫は呆れ顔でティラミスに言います。
当然、断れるはずがない立場のティラミスです。
「さて、どうしましょう」
まさかの言葉に、スポンジは目をひん剥きティラミスを見ます。
困った顔をしているティラミスへ、そうしてやりなさい。と助言したのはミルフィーユ校長先生です。
そんなやり取りをしているうちに、旅人はもうはるか遠くに行ってしまっています。
道案内はしなくてもよかったのでしょうか。
浮かない顔で、モンブラン先生が口を開きます。
「ミルフィーユ校長、若い男女が二人っきりで帰ると言うのは如何なものでしょう」
この判断はまっとうです。しかし、二人は妙におかしくなってしまい、つい笑ってしまいます。
「何がおかしいのです?」
「すいませんモンブラン先生。ご心配はご無用ですわ。わたくし、こう見えても腕っ節の方はよろしいのよ。こんな優男にしてやられるほど軟じゃありませんの」
「しかし」
食い下がれて、ティラミスが深々と頭を下げます。
「申し遅れました。わたくしとスポンジは従兄妹にあたります。決して送り狼になどにはなりませぬ」
行き成りそんなことを聞かされても納得いきません。大体、炭焼き小屋の番人は、誰もが知っているノエルのはず……。
疑いの眼を向けるモンブランに、ミルフィーユ校長が話を聞かせます。
「君はどうやら勘違いをしているようだ。ノエルはティラミスの祖父。父君ははるか遠くへ出稼ぎに行っていて、預けられていたんだよ。私の説明不足も行かんかった。申し訳ない。スポンジ姫の祖母とは、私は古くからの知り合い。心配無用ですぞ。モンブラン先生」
ミルフィーユ校長に言われ、二人で帰ることを渋々承諾するモンブラン先生でした。
さぁ急がないといけません。
日はとっくり暮れ、尖山に月が見えています。
さあ急がないと、カステラおばさんが心配してしまいます。
くねくね道を曲がり、クラッカーさんの牧場の前まで来たスポンジ姫は、おんぶとティラミスにおねだりです。
勿論、跳ね飛ばされるの覚悟の上こと。
「仕方がありませんね」
スポンジ姫の前に屈むティラミスを見て、愕然としてしまいます。
慌てて前に回り込み、ティラミスの額へ手を乗せたスポンジ姫、唸り声を上げます。
「どうかされましたか姫?」
「何で急に優しくすんのよ」
「わたくしはいつでも優しくしておりますが、姫様はご存じじゃありませんでしたか?」
「もういい。私、歩く」
スポンジ姫、ティラミスに訊きたいことが沢山ありましたが、今日のところはお預けです。
ぷんぷんに怒ったスポンジ姫は、振り返ることなく前を歩いて行ってしまいます。
ティラミスはチラッと一度後ろを府振り返り、スポンジの後を追いかけるのでした。
お菓子の国の夜はとても早いです。
ビロードのカーテンを下ろしたような漆黒の空。
無数の星が瞬き、月はのんびりと寝そべり、ホーホロロとフクロウが夜を知らせます。食卓には、かすてらおばさんが作った料理が湯気を立てて、二人の帰りを待っていることでしょう。