三の巻 恋するジェラート③
今朝の話がまだ頭から離れないスポンジ姫は、授業に身が入りません。
隣りの席のシュークリームが、おいっ。と言ってもまるで聞こえていない様子で、肘で小突かれ、やっと気づいたスポンジ姫は不機嫌そのもの。
ギロッとした目で睨まれ、シュークリームは呆れるように言います。
「お前の番だよ」
やっと状況を飲み込めたスポンジ姫は、ハッとして前を見ました。
モンブラン先生が、教科書片手に怖い顔をしています。みんなもこちらを見いています。
顔がカーッと熱くなり、目のやり場に困ってしまったスポンジ姫が、もじもじと立ち上がります。
「スポンジさん、どこか遠くに出かけていたようですが、今は勉強する時間です。きちんと黒板を見て話を聞いてください。180ページの12行目から」
シュークリームが、スポンジ姫の教科書に指をさして教えます。
「ここからだよ」
ぶっきら棒に言うシュークリームを、今にも泣きそうな顔でスポンジが見ます。
動揺しきったスポンジ姫は、手の震えが止まりません。声もです。それでもしゃんとしなくてはいけません。これは幼い頃から、ティラミスから口酸っぱく教えられてきたことです。
「へんてこな格好をした」
仕方がないなぁと言った風に、最初の文面を小声で読み上げたシュークリームに、スポンジ姫は小さく頷きます。
何とか落ち着きを取り戻したスポンジ姫は、一つ深呼吸してから読み始めます。
スラスラと読み上げスポンジ姫の美しい声に、みんながうっとり顔です。
「やれば出来るのですから、きちんとしてください」
モンブラン先生が肩を叩き、次の人を指名しながら、ゆっくり教壇へ戻って行きます。
ホッとしたスポンジが席に着き、隣のシュークリームに、ありがとうと口を動かします。
あら、どうしたことでしょう。柄にもなく、シュークリームが照れて赤くなっています。
背中をつつかれたスポンジ姫が、モンブラン先生に見つからないように、後ろを振り返ります。
「いいな。綺麗な声で」
後ろの席のキャンディに褒められたスポンジ姫は、また頬が赤く染まります。
授業が終わり、いつまでも顔を赤くしていたスポンジ姫の元へ、モンブラン先生がやってきました。
「大丈夫ですか?」
すっかり病気の再発と思われていることを知って、スポンジ姫は恥ずかしのあまり、顔が見る見る赤く染まって行きます。
本当の理由など、口が裂けても言えません。
「おうちの片に、連絡して迎えに来てもらった方が」
モンブラン先生が額へ手を伸ばしてくるのを、無意識で避けてしまったスポンジ姫。
「お気遣いなく」
耳の裏まで赤くして言うスポンジ姫を、放っておけるはずがありません。
モンブラン先生は自他公認の良き教師なのです。
「病気の再発かも知れませんね」
「スポンジちゃんって、病気なの?」
モンブラン先生の言葉を聞いたクラスメイトが、心配顔で集まってきました。
スポンジは軽いめまいを覚え、言葉になりません。
「さあ、医務室へ参りましょう」
「先生。わたくしは本当に大丈夫ですわ。ご心配なさらないで」
「ダメよスポンジちゃん。先生の言うことは聞くものよ」
マドレーヌに言われ、スポンジ姫は目を伏せてしまいます。
スポンジ姫は大の医者嫌い。
医務室の、あの消毒臭い部屋も好きになれません。
しかし嫌がれば嫌がるほど話は深刻化を増し、とうとう呪医病人扱いされて、モンブラン先生に担がれて、医務室へ運ばれてしまったスポンジ姫でした。
医務室には、だいぶお年を召されたカヌレ先生が在住しています。
ヨレヨレした手つきであちこち調べるカヌレ先生を見て、スポンジ姫は逆に心配になってしまいます。
「軽い発作ですな。心配はないでしょう」
そう診断する声も、ヨレヨレしたもので、もう黙っていられない思いのスポンジ姫は、家へ帰ったら早速、ティラミスにこのことを伝えようと決めたのでした。
「私、教室へ戻ります」
「一人で戻れますか?」
スポンジ姫はしゃんと背筋を伸ばし立ち上がると、二人へ丁寧なお辞儀をしてから、退室です。
人目がないことを確認してから、スポンジ姫はやれやれと首を振ります。
あれではどんな小さなケガも、治療はできません。
早速、新しい医師の派遣を要求しなくてはです。
まさか、そんな姿をモンブラン先生が物陰から見ているなんて、この時のスポンジ姫は全く気が付いていなかったのでした。
教室に戻って行くスポンジ姫を見送ったモンブラン先生、どこかへ電話を掛けています。
いつもの表情とはまるで違って、少し怖いくらいです。
声を押し殺し、誰にも聞かれないように廊下を移動して行きます。
完全にモンブランD先生の姿がなくなったところで、ティラミスの登場です。
いつの間に来ていたのでしょう。
ティラミスが出てきたのは、よれよれカヌレ先生がいる医務室からだったのです。
スポンジ姫が知らないところで、何かが蠢き始めたようです。
さて、教室では戻ってきたスポンジ姫を見つけるなり、クッキーが駆け寄って行きます。
「スポンジちゃん、もう大丈夫なの?」
「ええ。大したことないのに、モンブラン先生、大袈裟に騒ぐんですもの。おどろかせてごめんなさい」
「酷い。モンブラン先生を悪く言わないで」
実はクッキー、モンブラン先生の大ファンなのです。
二人っきりで出て行くのを見て、いてもたってもいられず、つい出来心で尾行してしまったのは、内緒の話です。
「スポンジちゃん、本当は仮病だったでしょ? ずるいよ。先生に優しくされてさ。許せない」
大声で騒ぐクッキーに反応したのはゼリーです。
「まぁ、どうしの? ケンカ? スポンジちゃん、クッキーに何をしたの?」
「何もしていないわ」
「ウソを仰い」
クッキーとゼリーは、大の仲良し。おそろいのリボンを付けています。
「どこも悪い所はないのに、モンブラン先生にお姫様抱っこなんかされちゃってさ」
「まぁ最低。スポンジちゃんって、そういう子だったの?」
「止せよ。校長先生も言っていたじゃないか。スポンジさんは長い闘病生活を乗り越えて、やっと学校へ通うことが出来るようになったって」
珍しく、反論するシュークリームを、クラスのみんなが冷やかします。
「スポンジちゃん、この際だからみんなに本当の話をしてみたら」
マドレーヌの言葉に、スポンジは困り果ててしまいます。
クラスメイト達の注目を一身に集められてしまったスポンジ姫、どう話せば全員が納得するのでしょう。
これも全部ティラミス、あなたがいけないんだわ。
目の前に居たら、言ってやりたい言葉です。
しかしやつ当たれるティラミスはいません。ここは一人でやり過ごすしかありません。
「あの」
全員が一斉に耳を傾けます。
病気一つしたことがないスポンジ姫です。話の流れ上、病名を付けられて、あれこれ心配してくるモンブラン先生と、ミルフィーユ校長には大迷惑しているのです。ましてや、今日みたいなことは、本当に困りものです。
本当のことは話せないスポンジです。
致し方がありません。
「私、赤面症で、恥ずかしいとすぐ真っ赤っかになってしまって、熱があると勘違いされてしまうの」
「まぁなんてお気の毒なの? 私も分かるわ。誤解されるのっていやよね」
大袈裟に言うグミに、みんなが冷たい目で見ます。
クレープなどは、マカロンとこそこそ話をし始めています。
何を話しているかと言いますと、
「あいつ、嘘ばっか。あの子、私大嫌い」
「私も、奇遇ね」
といった具合です。
他の何人かも、口にはしませんが、似たようなことを思っているのでしょう。
スポンジ姫の話はそっちのけで、違う話題でクラスは盛り上がります。ただ一人を抜いては。
驚くことに、あの粗野でぶっきらぼうのシュークリームがやたら優しいのです。
椅子を引かれ座らされた時には、思わずあなた執事のご経験はあって? と聞きそうになったくらいです。
さてこれから先、どうなってしまうのでしょう。
窓の外を眺めるジェラートを盗みいたスポンジ姫の心境は、穏やかではないようです。