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懐中時計1



 ……いたたたたっ!


 私は昨日バルコニーから落下してできた、頭のたんこぶのことをすっかり忘れていた。


 髪をといててブラシの先が当たってもこれだけ痛いのだから、当分痛いんだろうなあ。


 これから、隣国との交渉とかが多くなっていくというのに、昨日の騒ぎのせいか、どうも頭が調子よく回転してこない。


 頭の回転が怪しいのはいつものことじゃないか、とか言っちゃだめよ。


 『世界会議』は今日でまだ二日目。


 今日から四日目までは『各地域首脳及び閣僚代表会議』という、これまた長ったらしい名前の会議が開かれる。

 要するに、地理的に近い国同士で、ご近所ならではの色々な問題を話し合う会議なの。


 私の治めるセンチュリア王国は『中央大陸地域』に属している。


 この『中央大陸地域』の会議には、世界最大・最強の国ローフェンディア帝国を始めとする国々から、私の国やらを含めて、合わせて二十五の国家が出席することになっている。

 出席者も各地域の中で最多だから、目立たないようにおとなしくしてなくちゃ。

 できるかしら。


 胸のあたりまで伸びた、少しくせのある栗色の髪を一つにまとめて結い上げて、髪どめでパチンと留めた。


 女王になってから、執務中はいつもこのヘアスタイルだった。髪の毛をまとめると、なんだか心がひきしまった感じがする。

 それにね、執務の失敗も、髪をおろしているときより少ないような気がするの。実はそれが一番重要だったりして。


 必要な書類を確認して、さあ上着を着ようかと思ったところで、部屋の扉がノックされた。わが宰相閣下のお迎えだ。


 さすがに朝は私の返事を待たずに扉を開けることはなかった。

 もし勝手に開けてこちらが着替えでもしてたら、私に借りを作ってしまうものね。


「はい、どなた?」

「おはようございます、陛下。お迎えにあがりました。準備はお済みですか?」

「ええ、すぐ出ます」


 上着を着て行こうかどうしようか、と少し迷って窓の外を見た。


 今日はとってもいい天気。

 小鳥たちのさえずりが耳にここちいい。


 私は上着と書類を手に持って部屋を出た。




「昨日の件は、おおやけにされるのかしら?」

「そうだな、各方面から話を聞いた方がいいだろうし、今日の会議が開かれる前にでも陛下から発表があるだろうな」


 ここは『世界会議』の第三朝食会場。


 さすがに朝食を一人一人に運べるほど、ローフェンディア帝国にも召使いはいないので、朝食は毎日、昨日の晩餐会のようなビュッフェ形式になっている。


 朝食会場から会議がある部屋が近いので、朝食を摂ってその足で直接会議に行こう、と昨日から話していたの。


 少し早く来たせいか、周りに人はまだ少ない。


 私は人目をはばからず、朝食とおしゃべりを堪能することにした。


「ローフェンディアの皇帝陛下ね。私、始めて間近でお目にかかるわ。

 絵姿は拝見したことあるけど、実際はどんな方なのかしら。楽しみだわ」

「普通の中年親父だ」


 『普通の中年親父』の息子も、人目を気にしないでいい会話を楽しんでいるらしい。

 その息子の食事はといえば、お皿に山盛りの焼きたてパンとおかずをとうの昔に平らげて、今は優雅にコーヒーを味わっている。


 それにしても、世界のローフェンディア皇帝をつかまえて『中年親父』って。


 私は焼きたてフワフワの白いパンに、バターを塗りながら聞いてみた。


「ユートレクトは、皇帝陛下……お父上のこと、好きじゃないの?」

「父親を好きです、愛しています、なんて真顔でいう男が、おまえの周りにはいたのか」

「それは……いないけど」

「そういうことだ。おまえ、前から思っていたのだが」


 なによ。


 そんなまじまじ見ないでよ。

 やだ、また昨日のこと思い出しちゃったじゃない。


 今朝、顔を合わせてから、実はずっと気恥ずかしい。


 今まで生きてきて、男の人にあんなことされたのは始めてだった。自分で男の人に手を回したことも、もちろんなかった。

 普段は『男性』というよりも『師匠』に果てしなく近い存在だし、それで余計に動揺してるのかな、と思う。


 けど、背中を支えてくれた腕、脚を抱えてくれた手、私の脇腹が触れた胸板や、腕を回して触れた肩や首筋は、意外なほどたくましくて、彼が男性なんだということを意識せずにはいられなかった。


 男性経験の浅い私にとっては、黒装束を追いかけてバルコニーから落ちるよりも、こっちの方が大事件かもしれない。


 だって、泥棒とか痴漢なら、平民時代にとっつかまえたこと何度もあったし。

 それと同じにしたら不謹慎かもしれないけど、黒装束だって、昨日は逃がしちゃったけど、きっと、誰かがつかまえてくれてると思う。


 でも、あれは……私だけが経験したことで。

 私が自分で意識しないように持っていかないといけないじゃない。


 と気持ちの整理をしていたら、


「おまえ、今まで男と交際したことないだろう?」


 なんでこの男は、そういうことをしれっとした顔で聞くのかなあ!?


 今まさに戦ってる、乙女の気持ちも知らないで!


「そ、そんなことないわよ!」

「手を繋いで学校から仲良く一緒に帰っただの、恋文を渡した、交換日記をしただの、そういうのは男女交際とは言わんからな」

「……!」


 どうしてあんたが、そこまで下々のすること知ってるのよ。


 まあいいわ。


 とにかく、確かなのは、私が思い切り図星を突かれたってことだった。


 すみませんねえ、確かに手なんかつないで学校から帰ったこともあったわよ……三回で終わっちゃったけど。

 さすがに交換日記はしてないけど、ラブレターなら何度だって渡したわよ……全部実らなかったけどね!


「やはりその程度か。おまえ、夜の帝王学も、きちんとマーヤに教えてもらっておけよ」

「……」


 『夜の帝王学』ってあんた……


 なんなのよ、朝っぱらからこの会話!

 やめやめ、もうおしまい!

 あああ、せっかくの焼きたてパンが美味しくなくなるじゃない、まったくもう!


 私はせいぜい悔しそうな顔をしないようにして、白いパンを勢いよくほおばった。

 いつの間にか、パンの上で溶けていたバターが口から溢れてきて、慌ててナフキンで口元を押さえた。


 今日の会議はどんな会議になるか、それだけを考えることにした。



**



 ……え?


 『夜の帝王学』ってなに、って?


 その話はもうやめ! 朝っぱらからする話じゃないのよ、本当に。

 今夜覚えてたら教えるから勘弁してちょうだい、お願いよ。


 まったくもう、この男は朝から変なこと言うんだから。


 私はとなりに座るユートレクトに視線だけ向けて、心の中でため息をついた。




 あの後、私が焼きたてパンを五つとデザートのヨーグルトを平らげたところで、私たちは『各地域首脳及び閣僚代表会議』が開かれる『清き泉の間』に移動した。


 そろそろ会議も始まる時間。

 各国の首脳たちもほとんど顔をそろえている。


 同じ『中央大陸地域』の会議だから、私が以前個別に会談したこともある人の顔もあって、昨日に比べると人数は多いけど、緊張はしないで済みそう。


 この会議は、ユートレクトいわく、


『一番重要な会議だ。こちらも主張しなくては不利になる。資料を見ずに発言する、などど、見栄えのいいことは求めん。打合せしたことを確実に発言することだけ考えろ』


 らしいので、緊張はしていないけど、神経は張り詰めておかなきゃいけない。


 だから『夜の帝王学』どころじゃないっていうのに、もう!


 私は昨日見落としたところがないか、確認のために、もう一度今日の議事と関係書類に目を通すことにした。


 となりの宰相閣下は、ここでも余裕で懐中時計を磨いている。

 ユートレクトが私の国の宰相になったときに、下賜したものだ。


 気に入ってくれているのかただの暇つぶしなのか、何もすることがないとき、よく手にして磨いているみたい。

 銀でできているのだけど、オーリカルクを溶かしたものを上から塗っているので、放っておいても変色することはないんだけど。


 蓋を開けると、時計が見えるのはもちろんだけど、蓋の裏側には私の好きな言葉が彫ってある。


 ぱちん、と小さな音がした。

 ユートレクトが、懐中時計の蓋を開けたのだろう。

 時刻を確認するには、やけに長い間蓋が閉じられる音がしないので、少し気になってちらっと見ようとしたら『見るな』とでも言うように蓋を閉じた。


 もしかして、好きな人の絵姿でも入れてあるの?

 きゃあああ! もう、隅におけないわね。


 と思ったとき、忘れていたものを思い出した。

 あの目……見たこともなかった、異性を見る彼の目を。


 もしかしたら、今も……


 もう一度、今度は目だけユートレクトに向けると、そこにはいつもの冷静すぎる顔しかなかった。

 なんだ、つまんないの。


 って、そんなこと気にしている場合じゃなかったわ!


 荘厳な鐘の音が聞こえてきて、会議が始まる時刻を告げた。



***



 今日の会議の最大の議事は『中央大陸縦貫道』の建設についてだろう、とユートレクトに聞かされていた。


 『中央大陸縦貫道』の建設は、私が一平民時代の頃から、いつできるんだろうね? と噂には聞いていたのだけど、いろいろな大人の事情で延期されていたんですって。


 『大陸縦貫』というからには、中央大陸の北から南までを結ぶことになる。

 完成すれば、世界で一番長い道路になるのだけど。




 いくつかの議事についてある程度の結論が出た後、いよいよ『中央大陸縦貫道』についての討議が始まった。


 ちなみに、昨日のリースル皇太子妃襲撃事件については、開会のときにはローフェンディア側から何も話が出なかったから、会議の終わりのときにでも発表されると思う。


 でね。

 『中央大陸縦貫道』の建設で、何が一番の問題かというと。


「……わが国の首都を通ってもらわねば、貴国にも他国にも、不都合が出ることは必至。

 貴国のカルチュンガ山脈を経由してもらいたい」

「何をおっしゃるか。

 カルチュンガ山脈の突貫がどれほど大変なものか、貴殿も知らぬわけではあるまい。

 カルチュンガを迂回して東からなら、貴国の首都を経由できるが、そうでなければ無理だ」

「それこそ無謀というものである。わが国の東側には、オラクナム砂漠がある。あの熱砂の中工事を行うのは、危険すぎる」

「それならば、わが国とて同じこと。カルチュンガ山脈が硬質の地層でできていることを、ご存知ないとは言わせませぬぞ」


 いかにして自分の国の負担を少なくし、なおかつ自分の国に有益なルートを確保するか。


 そのために、各国の折り合いがなかなかつかないことが、『中央大陸縦貫道』の建設が進まない最大の原因だと、今回初めてこの会議に参加した私にでもすぐにわかった。


 私は持ってきたノートに、


『カルチュンガ山脈を掘るのと、オラクナム砂漠で熱と戦うの、どっちが大変?』


 と書いてユートレクトに見せてみた。


 ユートレクトは、ノートを自分の手元に寄せると、やけに長い間鉛筆を走らせてから私に戻した。


 私の短い質問の下には、これだけのことが書かれていた。


『◆国際規模の道路を国内に建設する場合考慮すべき点◆


 一.予算・完成時期

 これが明確にならなければ、そもそも話に乗るべきではない。


 二.利用目的・効果

 この場所を経由させることによって、輸送量が増加する、観光客が増えるなどの明確な利用目的と、それによる効果が見えてこなければ、建設したところで有効利用することはできない。

 巨額を投じて建設するものは、それ相応の利益を事前に予測できないものは、建設するべきではない。


 三.経由させる地域の選択

 首都などの高人口地を経由させる場合は、住民の立ち退きが必要になる場合もある。

 その際は、手当金なども発生するので、予算を上乗せして見積ることが必要。

 

 このたぐいの道路を誘致する場合、首都以外の地方を経由させた方が地方の活性化にも繋がり望ましいが、首都圏の要職者は、地方が活性化し、力をつけることを恐れる傾向がある。

 しかし、地方が栄えることを国家全体の繁栄として捉え、発言権を増すであろう地方を適切に制御をするのが、国家の中心にあるべき者の仕事。

 それができなければ、この規模の道路を巨額を投じて作ったところで、本当の意味で有効に利用することはできない』


 ユートレクトも、さすがに会議中に懐中時計は磨けないけど、明らかに暇をもてあましているらしい。


 誰よ、最初に『中央大陸縦貫道造るぞー!』って言い出したの。


 提案するときに、ちゃんとルート設定まで考えてしなさいよね。

 だから今、こうして押しつけ合いみたいになってるんじゃないのよ。


 これなら『中央大陸縦貫道』なんて、作るのすっぱりやめた方がいいと思うんだけど。

 今の交通事情で、特に不自由してるわけじゃないんだし。


 って他人事の顔して言えるのは、センチュリアが『中央大陸縦貫道』のルートに入ってないからかもしれないけどさあ。


 『中央大陸縦貫道』が通るのは、中央大陸の中でも中規模以上の国、ということだけは決まっているから、うちみたいな小国には最初から関係ない話なのよ。


 一番近いところで、東どなりのサブスカ王国に通ることが決まっているので、もし完成したら、オーリカルクの交易に使わせてもらう話はつけてあるんだけど。




 結局、先の二国のあいだでは話に折り合いのつかないまま、次の経由国への話に進んだ。


 会議開始からまだ一時間も経っていなかった。

 早く休憩にならないかなあ。



****



 はああああああ……


 私はガラス戸から外に出ると、最高位の淑女に許される範囲内の仕草……扇で口元を覆って、盛大にため息をついた。


 ようやく休憩時間にはなったものの、『中央大陸縦貫道』に関して、これ! という決定事項は、ほとんどないままだった。


 途中から、何度も眠気大魔王に襲われて、どれだけテーブルに頭をぶつけそうになるのを耐えに耐え抜いたことか。


 手の甲をつねってみたり、とがった鉛筆で指先をつついてみたり、片方の指で丸を描きながらもう片方の指で三角を描いたり。


 もちろん、誰にも見えないように、机の下でこっそりしたのよ。


 いいじゃない、私の後ろの席のB国家主席(仮名)なんか、堂々と白目剥いて寝てたんだから。


 私たちが会議をしているのは『清き泉の間』というところだけあって、ガラス戸から外に出ると、泉っぽく地下から水が湧き出ている小さな人工池があった。


 水が湧き出る音が眠気……じゃない、会議で張りつめた心を癒してくれる。

 昨日も思ったことだけど、こんな会議、意味あるのかな。


 ユートレクトも、最初から教えておいてくれたらいいのに、どうして教えてくれなかったんだろう。


「どうした、眠気は覚めたか」


 姿より先に、アイスコーヒー(ミルク・砂糖なし)が目の前にぬっと現われたので、反射的に受け取った。


「あ、ありがとう、ユートレクト、お疲れさま」

「さすがにあれはきつかったな、俺も軽く落ちかけた」


 へ?

 ユートレクトが、会議で、眠りかけた!?


「う、うそ! いつ、何時ごろ!?」

「わからなかっただろう。わからないように落ちていくのが、会議のプロフェッショナルだ」

「そ、そういうものなの?」

「当然だ」


 み、見たかったなあ。


 ていうか『わからないように落ちていく』ってなによ。

 得意げに言うことじゃないと思うけど。

 『わからないように落ちていく』方法を、私にも教えてよね。


「俺もいい加減、我慢の限界が近くなってきた。そこで相談があるんだが」

「?」

「おまえ、今思ってること発言していいぞ」


 ……?


 ええええええええ!?

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