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星空瞬き2

***



 こんなこと言ったらどう思われるだろう。

 自意識過剰な女だと思われるに違いない、だけど、私にはもうこれ以外にどうしたらいいのか考えつけなかった。


 きっとすごく返事に困らせて沈黙が続くか、そうでなかったら『わかった』とすぐ言ってもらえると思ったのだけど、ユートレクトは短く笑って私の顔を覗き込んだ。そして、


「なんだ、そんなことか」


 まるで酒の肴を決めるみたいに軽い口調で言ったから、自分が真剣に考えていることを足蹴にされたような気がして、頭にきたのと恥ずかしいのとで思わず叫んでしまった。


「そ、そんなことってなに!? 私は真剣に」

「慣れればいいだろう」


 私とは反対にどこまでも冷静……というよりむしろ、私が腹を立てているのを面白がっているような、ばかにしているような態度が許せなかった。


「慣れるとか慣れないとか、そういう問題じゃなくて!」

「ではおまえは、いつまでもいい年をして、男に触れられるたびにびくびくしているつもりか。その方がよほどおかしいと思うがな」


 その声からからかっている調子が抜けて、代わりに冷たいものが入り込んだ。


「わかっているらしいが一応言っておく。俺はおまえにそういうつもりで接してはいないし、おまえが変な風に考えるなら、それは自意識過剰もいいところだ」


 一番気にしていて、一番言われたくないと思っていたことを言われたのが、とても恥ずかしくて悔しかった。

 気持ちが届かなかったことも悲しかった。


 私は出会ってから始めて、眼の前の臣下を本気で睨みつけた。

 こんなことでひるむような人じゃないとわかっていても、自分の気持ちをどんな形であっても外に出さなくては、心が焼き切れてしまいそうだった。


 ユートレクトは私の視線をいつもにも増して傲然と受け止めていたけど、ふと何かに気がついたように視線を緩めると、怒りの収まらない私に向かって、とんでもないことを訊いてきた。


「おまえ、好きな奴でもいるのか?」

「……!」


 まさか彼に聞かれるとは思っていなかった質問に、表情が作れなくて顔を赤くしてしまうと、あからさまに見破ったという顔をして、


「それならそうと最初から言えばいいものを。で、相手は誰だ」


 ……一体何を考えているの?

 どこをどうこねくり回したら、そういう考えに行き着くの?


「だ、誰もいるなんて言ってないでしょ、勘違いしないで!」

「まあいい、今日のところはそういうことにしておいてやる」


 もちろん私も力一杯反論したけど、それを聞き流している顔は、明らかに私の言うことなんか全然信用していませんという顔をしていたから、余計頭に血がのぼっていった。


 ユートレクトは立ち上がると、挑戦的な笑みを浮かべて私に右手を差し出した。


「この手もつかめないか」


 星空を背にしたその姿を見上げても感情は収まらなかったけど、この話題にはもう触れられないと思った。


 彼の言うことは、悔しいけどもっともだった。

 確かに私の経験不足としか言いようがないもの、それを指摘されたら……悔しいけどもう何も言えなかった。


 私が遠慮しがちに右手を差し出すと、まだこちらが彼の手に触れないうちに手をつかまれて、勢いよく身体ごと引っ張りあげられた。

 私より頭一つ分くらい高い背の先で、星たちが憎らしいくらい綺麗に瞬いている。


 星空を見ていると思っていたのに、目の前の人を見つめていることに気づいたのは、私も彼に見られているのに気がついてからだった。


 水色の瞳に吸い込まれそうになって始めて、自分たちを取り巻く空気がなぜか今までに感じたことがないもののように思われた。


 どうしてそんなことを思ったのかわからないけど、この空気に飲まれたら想像もつかないことが起きてしまうような気がして、何か話さなくてはと必死になった。


「……あのとき、タンザ国王のこと助けてあげたの?」


 懸命に頭を回転させた末、今頃ララメル女王の壮大な怨念を受けているに違いない人のことを話題にあげた。


 ユートレクトが返事をするまでに一瞬の間があった。

 少し驚いたように私の顔を改めて見ると、つかんでいた私の右手を離した。そのときにはいつもの冷静すぎる表情に戻っていた。


「……誰を助けただと?」

「五日目、タンザ国王が勘違いしてて、自分の国の技術を『中央大陸縦貫道』に使うと思ってたみたいだったじゃない。

 あのとき、ローフェンディアの水害の復旧工事に、タンザ王国の技術を使うようにしむけたでしょ?」

「ああ、あれか」


 予想はしてたけど、助けたことを絶対に認めなさそうな口ぶりに心の中で笑ってしまった。

 周りの空気がいつものものに戻ったことにも安心した。


「思ったことを言っただけだ。あいつを助けて、俺の得になることなどないだろうが」

「でも、帝国学士院で一緒だったんでしょ。仲よかったんじゃないの、成績もいつも二人で上位だったって聞いたわよ?」


 タンザ国王の話し方だとあんまり仲がよさそうに思えなかったんだけど、聞いたことそっくりそのまま言うのも気が引けたので、かなり簡素に事実だけを言ってみた。


 タンザ国王にいろいろ教えてもらった後、今でも信じられないくらい乱暴に扱われたことを思い出して、この話に触れたことが少し心配になったけど、となりの臣下はそんなことはもう忘れているみたいだった。


「あんな本の虫と仲がいいのは、本くらいのものだ。しかし帝国学士院とは懐かしい響きだな」


 ララメル女王あたりが聞いたら、『あなたが他人のことを、本の虫呼ばわりできると思っていますの?』と言いそうな台詞だった。

 本の虫一号はそんな自分のことは棚に上げて、学士院時代のことに思いを馳せていたようだったけど、何を思ったのか突然、


「行ってみるか」


 とのたまった。


「はい?」

「そういえば、鐘楼には長いこと登っていないな、行くぞ」


 いやあの、行くぞって。


「何言ってるの、こんな時間に学校なんて入れないわよ。

 ていうか、そろそろ帰らないと。王宮の門もう閉まってるんじゃないの?」


 最後に時計を見たのが日付が変わろうとしていたときだということを、今まですっかり忘れてた。

 どうしよう、こんな時間にリースルさまの寝室に戻ったら、リースルさまを起こしてしまうし、第一失礼だわ。


 だけど地元皇族は、余裕の表情で懐中時計を見ると、


「もう日付が変わったのか、早いな」

「あんたは寝てたからそう感じるのよ!」

「学士院も王宮も出入口は押さえてある。心配はいらん」


 そう言ってすっかり元気な足取りで歩いていく。

 あんたはそれでいいかもしれないけどね、私はこれでも淑女なのよ。


「あのねえ、あんたはそれでいいかもしれないけど、私はリースルさまの寝室に寝泊りしてるってこと忘れてない?

 こんな時間になったら、もうリースルさまの寝室に戻れないわ、どうしよう……」

「なんだ、それなら俺の寝」

「却下します」


 どの口にまだそんな常識のないことを言わせるの、この男は。

 そういう口撃にはこれから断固として戦うことにしたわ、覚悟しなさい。


「冗談に決まっているだろう、かわいげのない女だな。

 昨日おまえたちが休んでいた、衛兵たちの宿舎に近い部屋がまだ空室のはずだ。そこを使えばいい」

「かわいくなくていいわよ! 空いてる部屋があるんなら、先に教えなさいよね!」


 なによ、人の顔をじろじろ見て笑うんじゃないわ、このほっけ皇子。

 あんたなんか、ほっけと一緒に北の果ての海で回遊した末に、凍っちゃえばいいんだわ!




 ……結局、私の望みは全く聞き入れてもらえないどころか、とんでもない誤解(じゃなくて事実なんだけど)まで与えることになってしまったけど。


 私、これ以上どうしたらいいの?

 できることはやってみたけど、奴には何の効果もなかったどころか、逆に私が試練を与えられただけのような気がするのは気のせい?


 お願い、誰でもいいから、あのばかなんとかして……


 さんざんばかにされた腹いせに、私は帝国学士院への道も知らないまま、先に立ってずんずん歩き出した。



****



「わあ……きれい!」


 ここは帝国学士院の一番奥にある鐘楼のてっぺん。


 どうやら私が適当に歩くまま向かったせいで、『普通の三倍は時間が無駄』になって着いたらしいけど。


 それなら、私が間違った方に行ったときに教えてくれたらいいのよ。私、悪くないわよ。

 さんざん歩いた後に文句言わないでほしいわよねえ。


 今いる鐘楼の最上階は、三角屋根の骨組みがすぐ上に見えるところで、風もよく通って気持ちがいい。

 見下ろすと街の灯りもかなり減っているし、王宮のある高台の光もだいぶ暗くなっていた。

 その分空がますます近くに見えて、星も手に取れそうなくらいだった。


「こんなに綺麗な星空がローフェンディアで見られるなんて、思わなかった」

「そうか」

「うん。ありがとう、連れてきてくれて」


 私はとなりの地元皇族にお礼を言ったけど。


 ……本当はこんな雰囲気のいいところ、一緒に来ちゃいけないってわかってる。


 でも、王宮の正門は、日付が変わったら閉まると聞いていた。

 ということは、さっきの時点で一人王宮に向かったとしても、自力ではまず王宮に入れない。

 かといって、警備で王宮の周りを巡回しているであろう衛兵さんたちにわざと見つけてもらって、身元証明うんぬんを受けるというのも気がひけた。


 だから、歩く万能鍵兼身元保証人みたいなこの男に、おとなしくついてきたんだけど……


 こんなことになるなら、言うんじゃなかった。


 せっかく勇気を出して言ったのに。

 あの男が良識的な心の持ち主じゃないってことを、忘れていた私がばかだった。


 ここに来る間も、手を変えて言葉を変えて『おまえが惚れている奴とはどんな奴だ』とかさんざん聞いてくるし。

 そんなこと聞かれてもちっとも嬉しくない。嬉しいなんて思っちゃいけない、それもわかってるけど……


 やっぱり自分が、『そういうつもり』のかけらも思われていないと考えると辛かった。

 なのに、あのとき……しゃがんでいた私を引き上げてくれた後、どうして私をあんな風に見ていたんだろう。


 あのとき私たちの間に流れていた空気は、決して悲しいものでも辛いものでもないと感じた。


 でも、それも私の思い過ごし。そうなんだ、私は『自意識過剰』らしいから。


『わかっているらしいが一応言っておく。俺はおまえにそういうつもりで接してはいないし、おまえが変な風に考えるなら、それは自意識過剰もいいところだ』


 先ほどのユートレクトの口調と声色を思い出すと、自分がますます情けなくなって泣きそうになってしまう。


 ……もうやめよう、これ以上くよくよ考えるのは。


 そもそも、私の問題に奴を協力させようとしたのが間違ってたってことなのかもしれない。

 自分の気持ちは、自分でなんとかしなくちゃいけないことなんだもの。


 それに、奴が紳士的になったからって、私の心が今までのままだったら意味がないのだし。

 問題なのは奴の行為や気持ちじゃなくて、私の思いなんだから。


 私がもっと強くならなくちゃいけないのに、どうしていつも私はこう、弱くなったりおかしくなったりしてしまうんだろう。

 こんな風に考えるのも、もうおしまいにしなくちゃ。


 風が少し強くなって地元皇族が眼を細めた。


「ここは昔からよく使っていた場所だ」

「ふーん……」


 女の子を口説くにはいい場所だものね、なんて、つい考えてしまったけどこれは仕方ないと思う。


 一緒に来たのが奴じゃなくてただの男友達だったら、絶対そう言ってやったに違いないほど、ここは雰囲気のいいところだった。

 星も景色も綺麗だし、周りに人もいないし、見られる心配もないし。

 これで何もつっこまない方がかえっておかしいと思う、普通なら。


 だけど、今の私には何も言えなくて、口を閉ざしていると、


「何をくだらないことを考えている」


 とても失礼なことを聞いてきた。


「何も考えてないわよ」

「女を口説くにはいい場所だとか、どうせそんなことを考えていたのだろう」


 当たってるだけに余計腹が立つけど、こいつはそんなに私と喧嘩したいのかしら。


「誰もそんなこと聞いてないでしょ、自分から過去を暴露してどうするのよ」

「こんな勉強の思い出が染みついたところで、女なぞ口説けるか。つまらん授業を抜けたときに、ここにいたのだ」

「つまんない授業って?」


 私は話題を変えることにした。


「ほぼ全てだな」

「はいそうですか……」


 何よそれ、話が終わっちゃうじゃないのよ! って、終わっちゃった。


 私だけなんだろうけど、沈黙が重い。それもとてつもなく。


 飛んで行けるものなら、今すぐ王宮のどこでもいいから飛んで行って、廊下の隅でもいいからうずくまりたい。

 なんなら、そこできらきら光ってる一番大きなお星さまの上でも構わない。


 ……だめよ、現実から目をそむけちゃ。

 いいえ、この際現実離れしてもいいわ。


 とりあえず何でもいいから話すことから始めるのよ、目の前の生物をほっけだと思って!


 私はまた口を開いた。


「……とくにおもしろくなかったじゅぎょうはなに?」

「おまえ、目が瀕死の魚類みたいになっているぞ」


 何よその例えは!

 こんなに一生懸命普通にしようとしている乙女に対して、失礼にも限度があるってものだわ。


「わ、わたしはすうがくがきらいだったわ。いまでもきらいだけど。2ケタのすうじなんて、あんざんできないもの」

「それであんなに計算間違いが多いのか。わかった、今度教えてやるから、まな板の上の鯉みたいな話し方はやめろ」

「けっこうです、わたしはこいじゃありませんから」


 私は確かに遠慮しました。

 それは淑女として可能な限り品よく丁寧に。


 ……それでも私の思い過ごしなのね。


 こんなことされても、普通の顔していろっていうのね?

 それであなたは満足なのね、おかしいわ、そんなの。


「こういうことも初めてか」

「まだ酔ってるの」

「どう思う」

「酔ってるとしか思えない」


 身動きできない腕の中で、自分の声が冷たく響いた。


「確かめてみればいい」


 私の薄い薄い氷の壁をたちまち溶かしてしまうような、熱のこもった低い声が反響した途端、揺らぐ視界から溢れた雫が頬を伝っていったのがわかった。


 何を確かめればいいの、自意識過剰な私を、こうやって喜ばせるようなことをして、その後叩き壊すんでしょう? こんなことして何が嬉しいの?


「……こんなことして、もしも私が間違えて好きになったらどうするのよ」


 腕から、身体から、伝わる温もりと感触に、胸の内から次々に湧き起こるものに震えながら声を絞り出した。

 だけど、すぐ近くから聞こえた声は、


「もしも、間違えて、か」


 動揺するどころかむしろ面白がるような口ぶりに、自分の気持ちを見透かされているような気がすると、ますます恥ずかしくなって何も言えなくなった。


「面白い……安心しろ、そのときは」


 突然、背後で物音がしたかと思うと、扉が開いて、警備の方らしき人が灯りをこちらに向けた。


 物音がしたときに腕は離されていたから、そんな現場は見られなくて済んだけど、花火がつけられるんじゃないかってほど顔が熱くて扉の方を見ることができなかった。


 そんな私の乙女ぶりをよそに、ユートレクトは何事もなかったかのように警備の方と世間話を二言三言交わすと、


「帰るぞ」


 そう言って、認めるのが本当に無念なほどの男前な笑顔を私に向けた。


「……そのときは、ってその続きはなんなのよ」


 あっけないほどさらっと帰宅命令を出した臣下に、どうしようもなく怒りがこみあげてきたのだけど、その返事はもっと私をいらだたせた。


「そのときはそのときだ。過去でも未来でもない」


 この男は、どこまで私をこけにしたら気が済むのかしら。


「なっ……俺を殺すつもりかおまえは!」


 私はさっさと階段を降り始めた臣下の背中を、思いっきり押してみた。

 けど、二、三段くらいつまづいただけで終わってしまった。残念だわ。


「あんたなんか、北の最果てで、ほっけとして生まれ変わればいいわ。

 そしたら、きつね色に焼いて美味しく食べてやるから」

「またおまえは妙なことを……行くぞ」


 そうして手を差しだした表情は、さっきの意地悪なものとは明らかに違っていた。


「うん」


 お互いに素直じゃないのはよくわかった。

 これからどうなるかもまだ全然わからない。


 でも今、このときだけでも信じ合えるのなら……それだけでもいいと思った。


 握り返してくれた大きな手は、今までで一番優しくて温かかった。

ご覧くださりありがとうございます!

次回『エピローグ』で第1部完結になります。

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