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星空瞬き1



 聞きたいことはたくさんあった。

 自分の頭と心を、とことん整理しなきゃいけないこともわかってる。


 でも、今は……


 これを目の前にしたら私の手は止まらない。

 いいえ、止めてなるもんですか。

 止めたら最後、対面の男に全部持っていかれてしまうに違いないもの。


「いっただっきまーす!」


 私は目の前に現れたほっけの開きに、早速箸をつけた。




 一時間前。


「その格好のまま市街地に行くのかおまえは」


 というユートレクトのもっともな指摘を受けて、私は用意してもらった『目立たない服』に着替えた。


 え、どこで着替えたのかって?

 一昨日の夜お世話になった、奴の寝室よ。

 だから、帰りにドレスを引き取りに、また寄らなきゃいけないのよね。


 もちろん、浴場の脱衣場で着替えたからセキュリティーはばっちりよ。

 ていうか、まごまごしてたら、奴が先にその場で着替え始めたから、慌てて脱衣場に避難したんだけど。


 二人して動きやすい格好になってから、召使たちが使う裏門から王宮を出たのはよかったんだけど、市街地の人の多いこと多いこと。


 地元のローフェンディア人はもちろん多いけど、ユートレクトが言ってた通り、大舞踏会には出られない地位の各国の人たちの姿があちこちで見かけられた。


 特に繁華街は、センチュリアとは比べ物にならないくらいの人通りで、私は一度ならず二度ならず三度までも迷子になった。


 三回目に迷子になったとき、とうとう地元皇族がしびれを切らせた。


「おまえには目がついていないのか、その目らしきものはガラス玉か!」

「あんたが歩くの早すぎるのよ、それに、こんなに珍しいものがあったら目がいくに決まってるじゃない!」


 私は周囲の魅惑的な屋台たちを指さして主張した。


「いい年した女が、『特大りんご飴』だの『大いかの丸焼き』だのをじろじろ見るな!」

「な、なによ、あんただって、センチュリアの繁華街見て回ったとき、何回迷子になりかけたと思ってるのよ!

 あのとき私が引っ張っていってやらなかったら、あんたなんか、今頃屋台で売り子になってるんだからね!」


 私たちは二人とも気が立っていた。だって、お腹が空いてたんだもの。空腹は人を殺気立てるわね、よくないわ。


 それでつい大声で言い争ってたら、地元皇族の身元がたちまち割れちゃって。


「あ、フリッツ皇子殿下ではありませんか!」

「お久しぶりです、こんなときにこんな場所でお目にかかれるなんて!」

「この前の水害のときは本当に助かりました。おかげであっしらも、今日からまた商いができるようになりやした」

「皇子さま、私は数年前皇子さまに助けていただいた者です。その節はまことにありがとうございました……」


 などという声と一緒に、市民の皆さんに取り囲まれてしまった。


 でも、ここまではいいのよ。


 地元皇子への賞賛やら感謝やらがひと通り終わって、市民の皆さんの声がぴたりと止んだときだった。


「……そちらのお姫さまは新しいお相手で?」


 私にとっては失礼な某市民さんの問いかけに、慌てて否定しようとしたら、この臣下は平気な顔をしてこう言ったのよ。


「ただの召使だ」


 めしつかい。

 またの名を使用人、またの名を女中、またの名をメイドとも言う。


 『新しいお相手』という言葉に、ってことは古いお相手もいらしたってことよね、と心の中でひそかにつっこみを入れた私に向かって。


 一応センチュリア女王であるこの私に向かって。


 臣下のくせに。


 主君でもなく、どこぞのお姫さまでもなく、弟子でもなく、めしつかいとは。


 今日もいろいろ苦悩した私の頭の配線が、とうとう焼き切れる音がした。


「わたくしは、彼の主君です。そこの『特大りんご飴』の屋台のご主人、りんご飴、あるだけ買い取りますわ。

 代金はそこの皇子殿下から受け取ってちょうだいね」


 威厳をもってそれだけ言うと、私は繁華街の出口に向かって歩き始めた。


 召使ってなによ、新しいお相手ってなによ、召使ってなによ……(以下ループするので省略)とぶつぶつ言いながら脇目も振らずにずんずん歩いていると、いつの間にか人ごみが切れて、繁華街の出口に着いていた。


 新鮮な空気にほっとして息をつくと背後から、


「どこへ行く気だ、店はこの中だ」


 『特大りんご飴』を二つ手にした地元皇族の声がして、私は素直に歓喜の声をあげた。


「本当に買ってくれたの!?

 ありがとう、すっごく嬉しい!」

「買うわけないだろうが、主人の厚意で持たされたのだ、さっさと来い」


 まるっきりりんご飴が似合わない地元皇族は無愛想に言うと、りんご飴を二つとも私に手渡した。

 そして、今度は私の空いている方の手をつかむと、また人ごみの繁華街に足を向けた。


「ちょ、もう迷子にならないから、だから……」


 手を離して、という一言が恥ずかしくてどうしても言えなくて、つかまれた手を少し動かして意思表示をしてみたのだけど、先に立って歩く人は全然わかってくれていないみたいだった。

 私に構わず人ごみをかきわけて、どんどん路地裏へ入っていく。

 さっきは少し息苦しかった人ごみが、このときは不思議と暖かく感じられた。


 だけど、暖かさに身を任せて、喜んでいてはいけないことはわかってる。

 これでおしまい、もうこれ以上何も起こりようがないもの。


 もし何かあったら……って、あるわけないじゃない、なに考えてるの私、しっかりしなさいよ!

 今のこれだって、奴は何も考えてないんだから、私がこれ以上迷子になったら困ると思ってるだけなんだから。


 そう必死で言い聞かせながら歩いたけど、繋がれた手から伝わる温もりと、私を引く腕、後姿に、惹かれていくのを止めることができなかった。




 ……こんな調子で、私にとってはかなりのアクシデントがあったものの、なんとか第二ステージである居酒屋に到着して今に至っているってわけ。


 ユートレクトの御用達らしい『居酒屋 北の限界』は、新鮮な魚介類と珍しい食材が売りの、とても居心地のいいお店だった。

 二人して無言でほっけの開きをつついていると、


「はい、『今日のお造り盛り合わせ』と『限界サラダ』、お待ち!」

「わあ、美味しそう!」


 また新しい料理が運ばれてきたので、私は目と心を奪われた。


 『今日のお造り盛り合わせ』は、本当に盛り合わせって感じで、お皿にお刺身がてんこ盛りになってるし、『限界サラダ』も名前の通り、大きなボウルにあふれんばかりの野菜やらお豆やらベーコンやらが乗っかっている。


 地元皇子はここの店主さんと仲がいいらしく、私たちはお店の奥まった静かなところに通してもらっている。

 お料理を運んでくれたりするのも店主さん自らがしてくれて、気さくに話しかけてくれるのがとても楽しかった。


「この二つはうちの人気商品だからね、味は保証するよ」

「ありがとう!」

「あとは『限界めん』と『牛の煮込みチーズ焼き』、『貝の酔っ払い』に『焼き鳥丼』、それと大将の『皮餃子』だね」

「ああ、頼む」


 ユートレクトはなぜか『大将』と呼ばれているらしい。さっきからそれがおかしくて、私はひそかに笑いをこらえていた。


「しっかし、よく食べるお嬢さんだねえ」

「はい、よくそう言われます!」


 私たちは既に大量のお皿を空にしていた。


「お嬢さん、よく食べるのは結構だが、大将に食べられないように気をつけてな」

「誰が……こんな食い気だけの女」

「はーい、気をつけまーす!」


 店主さんは『大将』の言うことは聞き流して私に手を振ると、カウンターに戻っていった。


「『皮餃子』ってなに、いつの間に頼んだの?」


 ふと見ると、ほっけの開きが半分くらいに減っていたので、私は慌てて箸をまたほっけに戻した。

 まったく、油断も隙もないわこの男は。


「いつも頼んでいるから、言わなくても出てくるものだ。来ればわかる。うまいぞ」


 どうやら地元皇子はかなりの常連さんらしい。頼まなくても出てくる品があるなんて。


 『今日のお造り盛り合わせ』のお刺身も早くいただきたいのだけど、目の前のほっけのなくなり方が尋常じゃないので、しばらくはほっけと向き合わなくちゃ。


 私はまたほっけを一口ほうばった。


「この適度な脂の乗り具合に、脂のうま味をひきたてる淡泊な白身、そしてなんともいえないこの独特の食感!

 居酒屋に来たら、やっぱりほっけは外せないわよね!」

「ここのほっけは、北方海域の最高級のものらしい」

「にしては、お値段が安かったけど」

「企業努力らしい。ところで知っているか、ほっけの焼き方を」


 はい?

 何を語り始めるつもりなの、この皇子さまは。


「食堂で働いてたけど、焼き物まではしたことないからわかんないわ」

「まずは針打ちだ」


 今気がついた。


 なんかこの人、心なしか目が据わってるような気がするんだけど大丈夫かしら。もうお酒四回もおかわりしてるし。

 顔は赤くも青くもないんだけど、目だけが異様に腰を据えてるような気がする。


 やっぱり、病み上がりでお酒飲むのはまずかったんじゃあ……っていっても、私の言うこと聞くような性格じゃないから、後悔しても仕方ないんだけど。

 今度お酒おかわりしようとしたら、絶対に止めなくちゃ。


 ほっけ職人の講釈が本格的になった。


「焼いたとき、皮が膨れて破けないようにするためだ。

 適度に間隔を開けて金串で皮に穴を開ける。これをしておかないと、焼いている間に皮が膨れて、膨れたところが焦げてしまうからな」

「はい……」

「そうしたらいよいよ焼きだ。

 まずは中火で五分、皮目を上にして焼いた後、ひっくり返して弱火でじっくり仕上げていく。表面を焦がし過ぎないように気をつけろ。大体これも五分くらいが目安だな。

 皮はきつね色以上になるまで焼いてはいかん。きつね色のうまいほっけの皮は食えるのだ、こう……」


 そしてほっけ職人は、とうとう骨と皮だけになったほっけの皮をつまむと、美味しそうにお召し上がりになった。


「うまい、これでこそほっけの皮だ」

「あんた、酔っ払ってるでしょ」

「俺は至って正常だ。焼き加減の目安だが……ああすまない、酒のおかわりを頼」

「いえ、なんでもないです、すみません。はい、また注文があったら私からお願いしますから」


 通りがかった店員さんにお酒のおかわりを頼もうとするのを、私は寸前で阻止してほっけ職人を睨みつけた。


「あんたね、病みあがりってこと忘れてるでしょ!」

「俺がいつ病んだ。焼き具合の目安だが……」


 はいはい、わかりました、もう好きにしてちょうだい。


「皮目も身も、染み出した脂できつね色になっているのが、最もいい状態だ。

 身を箸でつまむと脂分で崩れやすく、簡単に取れるようになっている。だからこうして食いやすいというわけだ」


 すっかり骨だけになったお皿を指して、ほっけ職人は満足そうな顔をした。


「あんた、ほっけ焼いたことあるの?」

「当たり前だ、俺を誰だと思っているのだ」


 ほっけ皇子の目は、どんどん据わってきている。


 ユートレクトはお酒底なしって聞いてたんだけど、やっぱり病み上がりはまずかったわよね。

 これじゃあ薬も飲ませられないじゃないのよ、昼間も飲んでないはずなのに。

 丸一日飲まなくて大丈夫なのかしら、あの薬たち……と頭を抱えていたら、


「はい、『限界めん』に『牛の煮込みチーズ焼き』、『貝の酔っ払い』と『焼き鳥丼』、それから大将の『皮餃子』、おま……おや、大将寝ちまったのか! 珍しいこともあるもんだなあ」


 お待ちかねだった『皮餃子』の到着を待てずに、ほっけ大将は箸を持ったまま卓の上で伸びていた。


「す、すみません、体調がよくなかったのに、私が気がつかなくて」

「いいさ、寝かしといてやんな、大将のことだ、店閉まるまでには復活するさ」

「ありがとうございます」


 私は心からお礼を言って頭を下げると、店主さんは笑いながら、


「いいってことよ、いつも贔屓にしてもらってるからね。

 ……にしても珍しい、というより始めて見たよ。この人がこんなに幸せそうに酔っ払ってるのは。

 お嬢さん、やっぱりあんた大将のこれなんだろ」


 『これ』と言ったとき、指が『恋人』を示すように動いたので、ローフェンディアの王宮だけでなく、ここでもげんなりした気持ちになった。


「いえ、これでもあれでもそれでもなくて、ただの」

「俺の主君だ」


 横から割って入った声に眼をやると、ほっけ皇子がいまだかつて見たことないお気楽な顔で笑って……と思ったら、また頭が卓に沈んでいった。

 まともだと思ったら、今のは寝言だったわけね。


「おお、じゃああんたが、あのアレク女王さまか!」

「は、はい……」

「噂は大将から聞いてるよ、あんた、熊三匹と戦って全部ミンチにしたことがあるんだって? それから……」


 そこから30分間を、私は様々な噂話からの身の潔白に費やすことになった。ほっけ皇子の寝息を背景音にして。



**



 店主さんの私に対する認識を渾身の説明で修正した後、一人残された私は、


「冷めないうちに食べちまいな。大将が起きたらまた作ってやるから」


 という店主さんのお言葉に甘えて、目の前の『焼き鳥丼』やら『今日のお造り盛り合わせ』やらを次々に平らげていった。


 でも、心の中では、対面の席で眠っている男に対する今後の方針を考えていた。


 ……私がしっかりしなくてどうするのよ。


 私と奴とでは七歳も年が離れてる。

 それだけ経験してきたことも違ってて当たり前だと思う。だから頼れるのだし、いろいろ教えてもらえる。


 今まで私が情けなく心をときめかせてきた行為だって、奴にとってはなんでもないこと。


 あの年で、まして皇子さまなら、女性とおつきあいする機会だって山のようにあるだろうし、いろんなことにだって慣れているはず。

 ダンスだって、嫌いだろうけど社交辞令でいくらでも踊っただろうし、まして手をつなぐくらい、なんともないことなんだと思う。


 けど私は、まだそうはいかない。

 いくら『夜の帝王学』を学んでいても、ほんの少しだけだけど男の人とおつきあいしたことがあっても、手をつながれたら恥ずかしい。ましてそれ以上のことは……


 そう考えると、ここで積み重ねられた思い出たちが、誘うように私の心のひだをくすぐって、思いに身を委ねてしまいたくなってしまう。


 だから、思いが消せなくなるようなことを、これ以上受け入れちゃいけない。


 今夜でおしまいと思っていたけど、今のままでは終わりにできるかどうか自信が持てなかった。


 手を握られてここまで連れてきてもらったのだって、きっぱり断ればよかった。

 ダンスだって、踊らなくてもよかったんだもの、あのとき断っていれば、あんな自分を……自分の気持ちを掘り起こさなくて済んだのに。


 もう何も起こらないと思うけど、今度私の心を動かしそうなことがあったら、絶対に避けなくちゃ。

 それでもだめなときは……うまく話せるかわからないけど、きちんと話して断ろう。


 ちゃんと話したらきっとわかってくれるはず。

 それが私のため、ひいてはセンチュリアのためなんだから。


 私だって本当は考えたい。


 そんなに無防備に眠っているのは、私の前だからなの?

 どうして私をここに連れ出してくれたの?

 あんなに身体を寄せ合うダンスを、一緒に踊ってくれたのは?

 私に自分が亡くなったときのことを任せてくれたのは?

 私だけがあなたのことをわかっていればいい、と言ってくれたのは?

 けがをしているのに、私を抱きかかえてくれたのは?


 ……私を自分の寝台に入れたのは? どうして?


 絶対に恋愛の方に考えないようにしてきた、たくさんのことを、飽きるまで考えて心を思うままに走らせたい。


 だけどそれはできないことだから。


 幼くてごめんなさい、好きになってごめんなさい。人のこと偉そうに言える立場じゃないよね……


 今度は私が思いを昇華する番だった。




「ほらみろ、うまかっただろう」

「確かに美味しかったけど、乙女にはちょっときついわよ。だって、皮っていっても脂じゃない」


 『居酒屋 北の限界』閉店十分前になって、ほっけ皇子はようやく目を覚ますと、ほとんど空になっているお皿の群れを見て私の食欲をさんざんののしった。


 閉店十分前にはさすがにオーダーできないので、ほっけ皇子には残り物で我慢してもらうことにしたのだけど、店主さんが親切にも、


「これだけは、うちに来たら食わせてやらないと、大将はうるさいからねえ」


 と言ってくれたので、お持ち帰り用に『皮餃子』だけ追加して作ってもらうと、ほっけ皇子は意気揚々と帰途に着いた。


 人がほとんどいなくなった繁華街は、あちこちにごみが散乱していてお祭りの後のようになっていた。


「ローフェンディアに来たら、やはりこれを食わなくてはな」

「ひき肉と野菜を混ぜたものを鶏の皮で包んで焼いてるんだもの、熱量高いわよこれ……でも結構簡単そう、これなら私でも作れるかも」


 私は無意識に言ってしまってから後悔した。

 脳天気なほっけ皇子が、いつになく嬉しそうに反応した。


「本当か!? 明日の夕食にぜひ作れ。厨房には話をつけてやる」

「前言撤回します、作りません」

「なんだ、偉そうに言っておいて、本当は作れないのか」

「そうよ、悪かったわね」


 私はぶっきらぼうに断ると、奴の数歩先に立った。


 ……危なかった。また余計な楽しい行事を作ってしまうところだった。


 見上げると、濃紺の星空がとても近くに感じられた。

 王宮から見たときには、ローフェンディアの星空はくすんで見えたけど、今は街の灯りが大分消えたせいか、センチュリアで見るのと同じくらい星の瞬きが綺麗だった。


「おまえ、おかしいぞ。どうかしたのか」


 後ろから聞こえた声に、見透かされたような気がして胸が痛んだ。

 けど、ここで戻るわけにはいかないった。

 どう話を続けたらいいのかわからなかったけれど、背を向けたまま思いついたことを口にした。


「何が? あ、そういえば、あの方つかまってよかったけど、五日目の朝って個室でご飯食べてたわよね。

 あのとき、会議が始まるぎりぎりまで、あそこにいたらよかったわね。

 そうしたら私、あの方と話さなくて済んだかもしれないのに。ごめんね、気がつかなくて」

「フォーハヴァイ国王のことは聞いていない」


 ユートレクトの声が低くなったのがわかった。ごめんね、怒らせるつもりじゃなかったのに。


 私はちゃんと彼の方を向いて答えることにした。


「え、私のこと? 別にどうもしてないよ」

「本当か」

「うん。ごめん、私どこか変だった?」

「ああ、今もおかしいがな」


 どうしてこの人は、もっと鈍感になってくれないんだろう。

 私が気持ちを隠すのが下手なのが悪いんだけど、もう少しだけ感づいてくれなくてもいいと思う。


「おかしくなんかないよ、ただ……」


 どう言ったらわかってくれるんだろう。

 直接的な言葉じゃなくわかってもらうためには、なんて言ったらいいんだろう。


「私、一応女王じゃない。それに、よその国の厨房にお邪魔するのって、あんまりよくないと思うのよね」

「水害のときは平気で入っていただろうが」

「あれは非常事態だったからよ。センチュリアでだって、厨房には年に一回くらいしか入らないもの」


 今この間をつなぐのが精一杯で、わかってもらうのにいい台詞が思いつけなかった。

 お願いだから、これ以上何も聞かないで。


「何があった、俺の寝ている間か」


 気圧の低い声が身体ごと私に近づいてきた。

 両手の幅くらいにまで近づいて、私は一歩身を引いた。


「何もなかったよ、食べ物も美味しかったし」

「そんなことは聞いていない、何を隠している」


 けれど、私が身を引く以上に間を狭められると、後ずさりする足を止められなくなった。


「何も……隠してない」


 搾り出すように声を出した後でまた足を引いたとき、壁に背中が勢いよくぶつかった。


 その音に続いて、私の両側がユートレクトの両腕に塞がれた。

 見つめられない顔を目の前にして、私は顔をそむけた。


「隠しているから逃げるのだろうが。おまえはまだ俺に言えないことがあるのか」


 どうしてそんなこと言うの、こんなことするの?

 私に何を答えろっていうの、あなたが好きだなんて、言えるわけないのに。


 とにかくこの体勢をなんとかしないと、またおかしくなってしまう。


 私はとっさにしゃがみこんだ。そうしたら顔だけでも視界から消せると思った。


 でも、そこからどうしても身体が動かせなかった。

 右にいっても左にいっても彼にとらえれてしまうような気がして、動くのが怖くなった。


 そんな優柔不断な自分がいやになって、また涙がこぼれそうになるのを懸命に抑えながら、勇気を振り絞って言葉を紡いだ。


「私、男の人のこと、あんまり知らない……」

「知っている」


 私と同じ高さから声が聞こえて気持ちが揺らいだけど、ここで止めたら、これから先もずっと苦しまないといけなくなる。


「手を繋がれたりとか、そういうの、そんなつもりじゃないってわかってるよ。わかってるけど、変な風に考えちゃうの、だから、ごめんなさい……もうしないで」

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