逆襲の美女
仮面舞踏会の最後の曲が終わる少し前。
私たちは踊る人たちの群れからこっそり抜け出すと、広間の隅に避難した。
ユートレクトいわく、
『女の正体を当てた男が、その女と一夜を共にできるなどと言われているところで、二人とも仮面をつけずに踊っていたら、どんなとんでもない誤解をされるかわからんだろうが』
ですって。
『とんでもない誤解』ってなによ、失礼しちゃうわ。
私は踊らないでおこうとしたじゃないの、それを無理やり連れ戻したのは誰なのよ。
それに、いくら私を当てそうな人が近くにいたからって、私がダンスから抜ければ、その人にもつかまらなくて済む話じゃないのよ。
……って言いたかったんだけど、確かに途方もない誤解をされたらまじめに困るので、あえて反論せずに黙って従った。
で、最後の曲が終わって周りが明るくなってから、次なるステージ『居酒屋』に向かうために大広間の出入口に向かって歩いてたら、ララメル女王に出くわした。
「あら、アレクにフリッツではありませんか! アレク、仮面舞踏会は楽しめて?」
「はい、おかげさまで」
ふと見るとララメル女王の後ろには、とてもたくましい体格で見目も麗しい殿方がいらした。
始めてお会いするその方にも挨拶をしたのだけど、とても紳士的に返礼してくれたので、どういった方なのか気になった。
「ララメル、こちらの方は……」
「そうね、アレクは始めてお会いするのですものね。
こちらはホーンアイル公爵、北方地域第五公領の領主でいらっしゃるお方ですわ」
聞き覚えのある名前だと思ったら、ララメル女王が昨晩の逢瀬を誰かさんにぶち壊されたお相手の名前だった。
よかった、こうして今夜一緒にいるということは、昨日会えなかったからって関係が悪くなったわけじゃないってことだものね。
私もホーンアイル公爵にユートレクトを紹介すると、ホーンアイル公爵はとても喜んで、ユートレクトと難しい経済関係の話を始めたので、私とララメル女王は少しの間呆然としてしまった。
見た目も男前で賢い方なら文句のつけようがないけど、何も今ここで難しい話しなくてもいいじゃない。
先に立ち直ったのはララメル女王だった。
男性二人に背を向けて、私に顔を近づけるように手招きすると小声で聞いてこられた。
「あなたたち、一緒にいるということは、ひょっとして一緒に踊りましたの?」
「いえ、先ほど、そのへんで、偶然に出会いました」
『そのへん』と『偶然に』を心持ち強調して答えておく。
「そうですの、つまりませんわね」
「ララメルはホーンアイル公爵と踊られたのですか?」
話をそらすために聞いてみたのだけど、ララメル女王はなぜか決然とした顔をすると、私にある告白をした。
「いいえ、わたくしも、先ほどようやくお会いすることができたのですわ。
ところでアレク、わたくし、やりますわ」
「はい?」
「あそこにいますでしょう、高慢ちきな女が」
ララメル女王が扇で優雅に示した先には、貴族令嬢Yさん(ララメル女王命名)、もといモンセラット公爵家のジュディット嬢がいた。
ローフェンディアの貴族たちを周りにはべらせ……じゃなくて、貴族たちに囲まれて楽しそうに話している。
「ララメル、まさか彼女の元に、ホーンアイル公爵を伴って『ご挨拶』をなさるおつもりでは……」
私はとてもいやな予感がして、ララメル女王に問いただした。
ララメル女王は私の問いに、かつてない嫣然とした微笑みを浮かべると、
「さすがアレクですわ! 貴女はやっぱりわたくしのお友達ですわ! 今からわたくし、あの女に、きっちり復讐してきてやろうと思いますの。
今あの女にたかっているのは、ただのローフェンディア貴族どもですわ。彼らが十人集まっても、ホーンアイル公爵の足元にも及びませんわ」
『ただのローフェンディア貴族ども』って……
私にはローフェンディアの貴族の皆さんは、一国の元首と同じくらい偉く見えるんだけど。
ララメル女王は私の両手をわしっ! と握り締めると、
「アレク、わたくしの勇姿、その目にしっかと焼きつけてくださいますわね!?」
「いえ、あの、それは……」
「全てわたくしにお任せなさい、貴女の怨念も、必ずや晴らしてきてやりますわ!」
これからそこの仏頂面な人と、市街地に行くんですけど……とは言い出せなくて、私はユートレクトに念を送った。
けど、頼みの綱は聞こえてないふりをしているのか、私を無視してホーンアイル公爵との知的な会話を楽しんでいる。
ララメル女王は怨念のせいか、とても積極的になっていた。
男性二人の知的会話に真っ向から割り込むと、ホーンアイル公爵を妖艶な微笑みで包みこんでユートレクトから奪い去り、そのまま貴族令嬢Yさん(ララメル女王命名)のもとへ乗り込んで行ってしまった。
「なんだあれは」
いぶかしげな顔で二人を見送るユートレクトに、私は事の次第を説明すると、ララメル女王の奮闘を見守ることをしぶしぶ了承させた。
仮面舞踏会で疲れた身体に栄養補給を、ということなのか、いつの間にか軽食が振舞われていたので、私たちは居酒屋を前に、食べ過ぎないように気をつけながら、厳選したものをお皿に取り分けた。
「どうなると思う?」
私はローフェンディア名物(らしい)『なんとかロンのアイスクリーム』をほおばりながら、すごくうんざりした表情の臣下に聞いてみた。
「まったく女というものは、くだらんことに労力を費やす生き物だな」
ユートレクトはそうつぶやくと、よくわからない物体の串焼きにかじりついた。
こんなはずじゃなかったのになあと思いながらも、私は美味しく『なんとかロンのアイスクリーム』をいただきながら、これから少し離れたところで繰り広げられる復讐劇に注目することにした。
……さあ、ララメル女王、満を持した様相でジュディット嬢に声をかけました。
おっと、ジュディット嬢に鼻の下を伸ばしていた紳士たちが、一斉にララメル女王の妖艶な魅力の虜になった模様です!
「これはどうご覧になりますか、解説担当のユートレクトさん?」
「おまえ、おかしなことに俺を巻き込もうとしているだろう」
これだから、堅い頭の人は困ります。
ジュディット嬢、自分の男たちの心を突如乱入した妖艶美女に奪われて、明らかに動揺しています。
あ、そしてここでようやく、ララメル女王の背後にいる男性の存在に気がついたようです!
私は全く知りませんでしたが、ホーンアイル公爵はかなりの有名人のようです。
ジュディット嬢も彼を前から知っているのか、動揺しながらも、丁重に挨拶をしています。
「ユートレクトさん、ホーンアイル公爵はそんなに有名人なんですか?」
「俺の口の下にスプーンを持ってくるな、何のつもりだ」
全くもって解説者の意味をなしてませんね、この人は。これでは出演料は払えません。
ホーンアイル公爵はどこまでも紳士なようです。
ララメル女王に対してあからさまに悔しそうな顔をしているジュディット嬢に、気づいていないふりをしています。
そして、ララメル女王の色香にやられているローフェンディア貴族の皆さんのことも、見て見ぬふりをしている模様です。これが大人の男というものです、紳士の中の紳士です。
一方のララメル女王ですが、その口撃は全くもってとどまることがないようです。青ざめているジュディット嬢に早くもとどめを……刺しました!
ジュディット嬢の身体が軽く傾ぎました!
これは相当の口撃を浴びたようです!
実況席からは、残念ながら口撃の詳細がわかりませんが、
「ララメル女王、会心の一撃でしたね。あれは一体どんな口撃を浴びせたのでしょうか?」
「……」
解説者は空腹なんでしょうか、相当いらだっているようです。
おお、ここでジュディット嬢、一人寂しく退散していって……ララメル女王の圧倒的勝利が確定しました!
新たにララメル女王の信仰者となったローフェンディア貴族の皆さんも軽くあしらって、ホーンアイル公爵と美男美女、素晴らしいカップルの誕生です!
おや? あれは……
どこかで見たことがある男性が、ホーンアイル公爵に話しかけに行きましたよ。
「あれは……タンザ国王ですね?」
「そうだな」
「ホーンアイル公爵とお知り合いなんでしょうか?」
「知るか」
ホーンアイル公爵はにこやかにタンザ国王に応えて……そしてなんと! 二人仲良く話し込み始めてしまいました!
ああっ、ララメル女王の顔色が、明らかに変化しています!
危険です、これ以上話し込むとタンザ国王、ララメル女王に口撃されるかもしれません!
それにしても、
「あの二人は、どんな話をしているのでしょう?」
「ホーンアイル公爵は土木建築関係にも明るい。奴と話すならその手の会話だろう。ララメル女王には辛い話だな」
ユートレクトさん、ようやく解説者として機能しました。
しかしここで、これは……!
タンザ国王が、な、なんと!
ホーンアイル公爵をララメル女王から奪取しました!
そして、あれは彼の友人たちでしょうか、手招きしてタンザ国王を呼ぶ人たちのもとへ、ホーンアイル公爵と仲良く向かっていきます!
ホーンアイル公爵、申し訳なさそうにララメル女王に頭を下げましたが、ララメル女王を伴うつもりはなさそうです!
ララメル女王、ホーンアイル公爵には無敵の笑顔で応えましたが、タンザ国王にはものすごい量の怨念をぶつけています! 美しい背中から、怨念の黒い渦が出ているかのようです!
これはきっと、ここで暖かく見守っている、私たちの存在をも忘れていることでしょう! それほどに恐ろしい形相です。
「……行くぞ」
「え?」
「ララメル女王も俺たちのことは忘れているだろう。腹が減った、店が閉まる」
うっかり肝心のことを忘れるところだったわ……絶対に忘れないけど。
怒りのあまり、私たちのことはやっぱり忘れてしまったのか、ララメル女王は私たちのいる場所とは逆の方へよろよろと歩いていかれた。
妖艶美女の女王陛下にはとても申し訳なかったけど、私は空腹の臣下の後について大広間を抜け出した。