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踊れる会議



 今日は『世界会議』の初日。


 開会式も無事終わり(内容は全然覚えてないけど)、今日はこれから『各首脳担当分野会議』という、なんだか難しい名前の会議が開催される。

 要するに、各国の首脳がそれぞれ担当している分野の問題について話し合う会議なのよ。


 私が担当する分野は『鉱物資源・機械工業』。

 鉱物資源についての取り決めの原案を作ったり、工業の発展につれて出てくる問題を解決するらしい。


 らしい、っていうのは実は私、この『世界会議』出席するの始めてなのよね。


 即位したのは今から四年前なんだけど、全く何も知らないところから王位に就いたということで、ずっと出席を免除してもらっていたの。

 そのあいだは、代わりにユートレクトが出席してくれていた。


 ただ、ユートレクトも『宰相』だから、彼が国王代理でも出席できない会議があって、『世界会議』をフルに出席するのは二人とも今回が初めてだった。


 え?

 それにしても、どうして私が『鉱物資源・機械工業』なんて難しそうな分野の担当なのかって?


 それはね。


「おい、先刻も言ったが、もう一度言っておく。今日だけは絶対に何も発言するなよ、いいな」


 宿泊のためにあてがわれた部屋に戻って資料をそろえた後、私とユートレクトは会議が開かれる部屋に向かっているところだった。


「わかってます。でも、話の内容を聞いたら何か言ってしまいそうだから、聞かないでおくっていうのはどうかしら」

「最悪それでも構わん、口さえ開かなければそれでいい」


 ユートレクトがこんなことを言うのはとても珍しい。

 いつも『君主たるもの、自分の目の前で行われている事柄を記憶していなくてどうするのだ』と言うのが口癖なのに。


 だからそれはね。


「毎回、この会議が一番忍耐力を試される……」

「本当に今までありがとうね。大丈夫よ、今回は私も一緒にいるじゃない!」

「頭痛の種が増えただけだ」

「そんなこと言わないで。頑張りましょう!

 ほら、あそこじゃない? 『第十七会議室』って」


 二人でぶちぶち小声でつぶやきながら歩いていると、廊下の突き当たりに『第十七会議室』という札のかかった大きな扉がついた部屋が見えた。


「頑張るのは俺だけだろうが……」

「私だって、頑張って我慢するんだからお互いさまよ」

「………」

「さっ、入りましょう!」


 私は最高位の淑女としてとがめられない程度の小走りで部屋に近づくと、その大きくて重たい扉を開いた。


 私が難しい分野の担当になっていることは、とりあえず置いといて。


 私が『何もしゃべっちゃいけない』理由は、この会議が確実に私を怒らせるものらしいから。


 これから始まる会議が、普通の国民たちの気持ちをことごとく無視した話し合いであることを、ユートレクトも私も知っていたからだった。



**



 ユートレクトに苦しめられて床に臥せり、その彼のいたわりを受けて病状が回復してから、私たちは本当に二人でセンチュリアの城下を探索した。


 始めて、以前働いていた食堂にユートレクトを連れて行ったときには、老若男女みんなに熱烈な歓迎を受けて、目を白黒させていたっけ。


 そこで始めて食べたセンチュリアの名物料理……ごく家庭的な料理なんだけど、ユートレクトはいたく気に入って、


「ローフェンディアの王宮の料理よりうまいぞ。一体どうなっているのだこれは。

 これを調理したのは誰だ。何をどうやったらこんなにうまい料理になるのだ」


 異様に感動しながら厨房にずかずか入っていって、料理長に怒られてたなあ。

 ユートレクトが誰かに怒られるところなんか、絶対誰も見たことないだろうな。


 狭苦しいけど活気にあふれた街の商店街。

 あんまりにも、あちこちをいちいち止まって見るもんだからはぐれそうになって、最後の方は、私が奴の上着の袖の裾をつかんで先導したのよね。


 かなりうろうろしてから商店街の出口に着いたとき、ユートレクトが私に渡してくれたものがあった。


「え、こんなの、いつの間に買ってたの?

 こんなかわいいブレスレット、売ってたところあったかなあ?」

「おまえはここに何をしに来たのだ。視察しに来たのだろうが。まじめに視察しろ。

 それは、店の女性が美しかったから買って差し上げた。俺が持っていても仕方ないから、おまえにやる」


 それは、繊細な模様が刻まれた細い銀細工のブレスレットだった。

 真ん中にオーリカルクの小さな原石が三つはめこまれていた。


「えー! 本当に私にくれるの!?

 わーすっごい嬉しい! ありがとうユートレクト!」

「騒ぐな、目立つ」


 私はブレスレットを空に向けながら、お礼を言ったけど。


 ……本当に嬉しかったんだから。


 認めてもらいたいと思っていた人に、やっと自分の存在を認めてもらえたような気がした。


 病状が治まった後でも、もちろん毎日怒られはした。だけどそれ以外のときは、病床で話したときほど優しくはなかったけど、普通の口調で話してくれるようになった。

 相変わらず『おまえ』呼ばわりだけど。


 デートと勘違いされるかもしれないのに、街の案内役に私を選んで一緒に歩いてくれた。


 しかも、ささやかでも、ついででも、プレゼントをくれるなんて。


 自分がユートレクトに対して本当はどんな気持ちでいたのか、はっきりとわかったのは、このときだったかもしれない。


 一生忘れられない『氷の刃』のような言葉の数々が、あんなにも痛く感じた理由も。




 オーリカルクの原石は、太陽にかざすと虹色に輝いてとっても綺麗なの。


 私も王家に代々伝わるという、大きなオーリカルクの原石がはめ込まれたペンダントをいつも身につけている。


 オーリカルクはね、世界中でセンチュリアでしか採掘できない貴重な鉱石。

 加工するといろいろなものに使えるんだけど、加工の途中でできる、原石のかけらとか削りかすなんかもとても貴重なものだから、アクセサリーとかにしたり他の鉱物に混ぜて使われてる。


 昔は、オーリカルクの採掘権をめぐってたくさんの国が争いを起こし、その度にセンチュリアの民は大きな被害を被ってきた。


 だから、永世中立国になってからは、どの国とも平等に交易・お付き合いをしていく方針を取っている。


 オーリカルクの採掘のことも、どれだけ採掘するか、どれだけ他国に流通させるかは、センチュリアに一任される。


 そして、このセンチュリアの方針は、どんな国であっても変えることはできない。

 国際法第二十三条『永世中立国の権利とその保護』でそう決まっている。


 決まってるって言ってるでしょ!


 帝王学で習ってない、なんて言わせないわよ!


 私が『鉱物資源・機械工業』なんて難しい分野の担当になっているのは、センチュリアが世界中にとって貴重な鉱物の採掘地だからだった。


 会議前の自己紹介も間違えずに言うことができて、とりあえずは一安心できた。


 それで、会議が始まってから今までずっと、会議の内容を聞かないように聞かないように……と思ってたんだけど、ユートレクトがくれたブレスレットのことを思い出したら、現実に引き戻されてしまった。


 ご、誤解されると困るから言っておくけど、本当は一応聞いてるんだからね。


 ただ、さっきから同じことの繰り返しなもんだから、どこで紹介しても一緒だろうと思って。


「オーリカルクの鉱脈は、本当にもうこれだけしかないのか?」


 どっかの国王が、偉そうに椅子にふんぞり返りながらのたもうた。(名前、覚えなくていいからね)


「はい、今年度もあらゆる手段を駆使して鉱脈を確認しましたが、新たな鉱脈は発見されませんでした」


 ユートレクトはさっきから五回も同じ返答を繰り返している。


「わが国の産業が伸び悩んでおることは卿も知っていよう。

 オーリカルクをもってして鉄加工に当てられたなら、わが国の産業も回復するのだが……」

「おっしゃることはよくわかります、国王陛下。心中お察し申し上げます。

 わが国も最善を尽くして、貴国や他の国々と交易をしております」


 机の下に隠れているユートレクトの手が、いまいましそうに握ったり開いたりしているのを見てしまった。


「この現代、産業が立ち行かなければ、経済は大きく発展できぬ。農業や漁業では、人を食わせることしかできぬ。

 わが国の更なる発展のためには、産業が発展することが急務なのだ」


 あのね。

 ここはあんたの国だけのことを話し合う場じゃないんだけど?


 それに、人が食べ物を口にできることが、どれだけ幸せなことか。

 毎日の飲み水にも困っている人々が、この世界にはまだどんなに多くいることか。


 国の更なる発展? 発展ってなに?


 あんたの国の下町には、身寄りのない子どもたちが家もなしに暮らしていると聞いた。

 そんな子ども達が、毎日食べるために盗みを働き、大人の都合で買われたり売られたりしているって。


 私は、このなんとか王国の国王の横っ面に一発お見舞いすることにした。残念ながら空想上で。



***



 今回の『世界会議』のためにローフェンディア帝国を訪れているのは、百二十八の国家元首・閣僚代表と、その配偶者や代表以外の閣僚官僚たち。


 更に国王や王妃にもなると、召使を連れてきている人たちがほとんどよね。

 私やユートレクトみたいに、お付きの者を連れて来ていない国家元首や閣僚代表はまずいないと思う。

 (センチュリアはそういう規模の国よ、察してね)

 そんなこんなで、今回外国から訪れている『世界会議』関係者全員を合わせると、二千人以上になるんですって。


 それはさておき。


 そのうち、私とユートレクトが出席している『鉱物資源・機械工業』分野の会議に出席しているのは三十人。つまり十五か国の人たちが出席している計算になる。


 ……私が空想上で十人の国家元首(もしくは閣僚代表)をぶちのめした後、議事がようやくオーリカルクのことから離れて、ユートレクトが席に座ろうとしたときだった。


「ところで卿は、またなにゆえセンチュリアに仕官することになったのだ?

 卿のような身分にある者が、わざわざ他国の宰相を務めることもなかろうに」


 ユートレクトが『世界会議』の勉強会をしてくれたとき、『こいつの口だけは、いつか鉄の鎖で縫いつけてやる』と言っていたタンザ王国の国王が、ずっと黙っていたのに今になって声をかけてきた。国名書いたけど、覚えなくていいからね。


「それは、この貴重な会議の時間を割いてお答えするべきことではないと考えますが」

「そうだろうか。ご列席の皆さんも興味があるところかと思うが。皆さん、いかがなものでしょう?」


 そうしたら、ご列席の皆さん、興味津々な表情を見せたり、同意の声をあげ始めた。


 どうしてみんな、そんなこと聞きたがるのよ!

 しかも、下品な薄ら笑いを浮かべて。


 国王、首相、大統領……みんな偉い人たちばかりなのに、どうしてそんな笑い方ができるんだろう。


『ほら、あれが例の……』

『なぜ彼ほどの方が、あんな小国に』

『しかも今度の女王は、平民の出だというではないか』

『あの国も、いよいよ帝国のものとなるか』

『平民出の小娘なら、たやすく篭絡できようぞ』

『しかし帝国もいい時期に目をつけたものだ』


 開会式のときに、耳に入ってきた会話を思い出してしまった。


 確かにそう思われても仕方がないと思う。

 でも、こちらにはこちらの事情ってものがあるのよ。


 知らないくせに。

 何も知らないくせに。


 これはもしかしたら、元首である私の口から説明を求められるかもしれない。

 そうなったら、誰とでも戦ってやるわ。


 ユートレクトが私に仕官したのは、彼の厚意そのもの。

 (実はうっかりだけど、それは秘密の方向にしておいてあげるわ)

 彼にも私にも、下心なんてアリの足のつま先ほどもありませんわ! ってはっきりきっぱり言ってやるんだから!


 私はユートレクトに目を向けた。

 私の意思を察したのか、ユートレクトは先ほどはいらいらと動かしていた手を、私に向けて制した。


 わかってるわよ。

 何も言うな、って言うんでしょ?


 でも、もし露骨にばかにするような言葉が飛んできたら、黙ってられないからね!


 私は腹をくくった。


「……議長、いかがでしょう。皆さんもお聞きになりたいようですが?」


 タンザ国王は自信満々の表情で、議長と呼んだ人の方へ身体を向けた。


「タンザ国王陛下」


 この会議の議長は女性だった。

 南方にあるファレーラ王国のララメル女王。


 すれ違えば、男性だけでなく女性でも思わず振り返ってしまうくらい、南国の華みたいにあでやかな美女だった。


 ララメル女王の、艶のある鈴の音のような声が部屋に響いた。


「それからご列席の皆さん。

 ここは世界の、鉱物資源と機械工業について議論されるべき重要な場です。

 時間もごく限られています。

 わたくしも、タンザ国王のご提案には興味がありますけれど、今ここで、お伺いするべきことではないと思いますの。

 夜になれば晩餐会も開かれます。そちらでお伺いすれば、よろしいのではなくて?」


 ララメル女王の言葉には有無を言わせぬ威厳があって、誰も反論できなかった。


 タンザ国王も無言で頷くことしかできずに、ユートレクトをちらっと見ると『覚えておけよ』みたいな顔をした。


 ユートレクトはタンザ国王をきれいさっぱり無視してララメル女王に一礼すると、ようやく席に腰を下ろした。


 ユートレクトの表情はいつもと変わりなかったけど、心の中ではタンザ国王を呪いつつ大きくため息をついたに違いない。私も心からララメル女王に感謝した。


「さあ皆さん、次の議題に入ってもよろしくて?」


 ララメル女王がそう言いながら、私たちの方を見て微笑んだような気がした。



****



 ある程度覚悟はしてたけど、ほんと困った会議だわ。


 ここは、会議をしている部屋に近いオープンカフェのようになっているところ。


 あれから三つほど議事が進んだところで、ようやく会議の議事も折り返し部分に入ったので、一時休憩を取ることになった。

 外の空気を吸いに会議室を出てふらふら歩いていたら、この場所に着いた。


 小間使いの女の子……年は私より少し下っぽい子が、


「何かお飲み物をお持ちしましょうか?」


 と聞いてくれたので、私は遠慮なくアイスコーヒー(ミルク・砂糖なし)をお願いした。

 すぐに持ってきてくれたにしては、作り置きとは思えないほど美味しかったので、最高位の淑女に許される範囲内で一息に飲み干してしまった。


 それにしても、本当に何のための会議かなあと思う。


 他の分野の会議はどうなってるのか知らないけど、これじゃあ『鉱物資源についての取り決めの原案を作ったり、工業の発展につれて出てくる問題を解決する』会議とは、とても言えないと思う。


 さっきみんなに聞いてもらった『どっかの国王』の発言以外にも、私が空想世界で暴力を行使したのは、こんな発言たち。


 ◇オーリカルクの採掘量が上がらないのは、貴国の怠慢ではないか。

  (P王国 国王のお言葉)


 働けるセンチュリア国民の約五割がオーリカルク関係の仕事をしてるの、知らないとは言わせないわよ。みんな毎日一生懸命働いてるわ。時には徹夜になることだってある。

 それを怠慢だなんて。

 みんなが聞いたら、あんた絶対に呪われるわよ。


 ◇オーリカルクのわが国への供給量を、三倍に増やしてほしい。

  (H連邦 R主席のお言葉)


 だから、それはできない、しないって、国際法に書いてあるでしょ!

 みんな、知っててわざと言ってるの?


 ◇オーリカルクに代わる鉱物の採掘は、一体どうなっているのか。

  早急に発見してもらいたい。

  (K公国同盟 F大公のお言葉)


 ちょ、ちょっと!

 それは前回の会議で、各国みんなで発見に力を入れようね、ってことになってたんじゃないの?

 ユートレクトにはそう聞いたけど?

 どうして、うちに一任してるみたいな言い方なわけ?

 やる気なし、としか思えない。


 ◇オーリカルクは、われわれのような、先進工業国に優先して供給されるべきである。

  後進国に供給しても、世界の生産性は上がらない。

  それではオーリカルクをどぶに捨てるようなものだ。

  (T連合共和国 G大統領のお言葉)


 みんなしつこいわねえ、オーリカルクはどの国にも等しく供給する、って言ってるでしょ!

 それに『後進国』って……あんた何様のつもり?

 失礼にも程があるってもんだわ。そんな考え方こそどぶに捨てるべきよ。

 あんたの国の医療福祉関係の整備こそ、他の先進工業国に比べて大幅に遅れてるじゃないのよ。

 工業進めすぎちゃって噴煙とか汚水がひどくて、病気になっている人たちがたくさんいるって聞いてるわ。

 工業発展の前に、まずそんなことをなくすことから始めなさいよね!


 などなど。


 オーリカルクのことを話し合ってるときのお言葉たちしか公開してないけど、他の議事でも、どれだけ平手打ち、膝蹴り、飛び蹴り、裏拳、椅子投げ、ナイフ飛ばし……(以下省略)する発言があったことか。


 あくまで、空想上でだから心配しないでね。


 みんな自分の国が大切なのはわかるけど、ここは世界全体のことを考える会議だってこと忘れてない?


 はああああああ……後半もこの調子で進むのかなあ。進むんだろうなあ。


 誰か『世界会議』の主催者であるローフェンディアの皇帝陛下に、


『皇帝陛下、この会議は、各国の首脳の自己主張の場にしかなっておりません!』


 って密告してほしい。いっそ密告しちゃおうかな、私が。


 でも、この会議が今までずうっとこんなノリだったんなら、聞き入れてもらえないだろうな……


 あああああ、早く終わらないかなあ!

 夕方からの晩餐会とやらも苦痛だけどさあ。


「陛下」

「なにかしらユートレクト、もう会議再開の時間?」


 そんなことを考えていたら、いつの間にかとなりにユートレクトが立っていた。

 その表情には、相変わらず乱れがなかった。

 さすがだなあ。私なんて、黙って聞いてるだけでも神経すり減らしてるのに。


「いえ、時間はまだ十分ございます。

 ああ、私もアイスコーヒーを……いや、どちらも結構だ……お疲れさまでした」


 私が飲み干して空になったグラスを、やってきた小間使いの子に渡しながら、自分もアイスコーヒー(砂糖・ミルクなし)を頼んで。


「先刻、何か言おうとしただろう」


 急に、気圧の低い声で問われたので、私は少し動揺した。

 小間使いの子は既にいなくなってて、近くにも人はいなかった。


「あ……あれは、そうよ。

 もしかしたら、私の口から説明を求められたかもしれないでしょう?」

「俺は、絶対に口を開くなと言ったはずだ」

「それはもちろん覚えているわ。だから黙ってたでしょ。だけど」

「だけどもしかしもない。

 おまえは俺が言ったことを理解していないのか?

 絶対に、と言ったら、何が起ころうと絶対だ」


 あ……

 もしかして私、またやっちゃった?


「ご、ごめんなさい」

「会議は十分後だ。それまでに頭を冷やしておけ」


 アイスコーヒーを受け取ると、ユートレクトはどこかへ行ってしまった。


 ときどき、こうして噛み合わないことがある。

 そのたびに私は謝るのだけど。


 こんなときに、いつもは忘れている古傷が痛む。

 心の傷が浮き出されそうになる。

 頭の遠くの方で悲鳴が聞こえてくる。


 今回のことも、私が悪いのかな。


 忘れてなかったよ、ちゃんと黙ってたじゃない。

 本当は、言ってやりたくてたまらなかったけど。


 でも、何も言うなと言われてても、私に直接説明を求められたら発言するしかないじゃない。

 それとも、臣下を守りたいと思う気持ちさえも、持っちゃいけないっていうの?


 信頼していないんじゃない。

 信頼していなかったら、今まで一緒にいたりしない。

 ただ、寄りかかってるだけじゃいやなだけなのに。

 私だって、喜んでもらいたいだけなのに。


 私がすること、考えることは、いつも彼の邪魔にしかならない……


 そう思うと、心が、頭が、どうしようもなく重くなる。


 ユートレクトが残した『氷の刃』の傷を、今も……一生忘れられないと思ってしまうのは、きっとこのせいだった。


 残念だけど、私の病状は、完全に回復したわけではなかった。

 日常生活は普通にできるけど、もの忘れは相変わらずひどいし、頭痛もよく起きるし、ユートレクトの声が聞こえなくなったりすることもある。


 もちろん、ユートレクトには黙っている。

 主治医にも、絶対に彼には話さないように言ってある。

 私が床に臥せっちゃったときには、どうやらユートレクトに脅されて、私の病状の原因を洗いざらい話すように言われたらしいから。


 もうこの件で、彼に迷惑をかけたくなかった。

 あんなに辛そうな声や表情をさせたくなかった。




 頭を冷やすどころか、逆に熱がこもったように熱く重くなって、それが治らないまま、休憩時間は過ぎていった。

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