仮面舞踏会
*
「アレク、準備はよくって?」
「は、はい」
ララメル女王はそう言うと、私の目の前にびしっ! と扇子を出してきた。
完璧なお化粧をしたララメル女王はいつもにも増してお綺麗だったけど、眼光にはすさまじい力があって、いかにララメル女王が仮面舞踏会と大舞踏会に精魂を注いでいるか、手に取るように伝わってくる。
「いいですこと、仮面舞踏会で踊る殿方は全部で六人。
曲が終わるごとに、殿方から先にこちらの正体を当てて頂きますのよ。
もし、そこで当てられてしまったら、正直に仮面を外さなくてはマナー違反になりますから、お気をつけあそばせ。
貴女は今年初めて『世界会議』に参加されているから、当てられることはないと思いますけれど」
「はい、わかりました」
「もしも、万が一にも当てられてしまわれたら、貴女の正体を当てた殿方に、貴女を一晩独占できる権利が与えられますのよ。
まあ一晩独占といっても、褥を共にしなくてはならないわけではありませんから、ご安心なさって。そこまで持ちこめるかどうかは、殿方の腕の見せどころですわね。
ですけど、せめてお酒の一杯や二杯くらいはおつきあいするのが昔からの慣わしですのよ。でないと、周りから白い目で見られますわ。
いつから始まった慣わしなんでしょう……男前の方にならいくらでもおつきあいするのですけど、ご老人だとお酒を飲みながら眠ってしまったりしますのよ。あの時は介抱が大変でしたわ!」
「そ、そうなんですか」
それは困るわ。
仮面舞踏会が終わったら、美味しい市街地の居酒屋行きが待っているのに、見知らぬ男性の晩酌につきあってる場合じゃないのよ。
絶対にばれないようにしなくちゃ。
ここはリースルさまの私室。
私とララメル女王は、リースルさまと三人、かしましく仮面舞踏会の準備をしている。
もっとも、かしましいのはララメル女王だけで、私はララメル女王のありがたい訓示を拝聴しているだけだし、リースルさまは手早くご自分の支度を済ませると、仮面を貸し出す貴婦人がたの応対のために、部屋を忙しく行ったり来たりしている。
「ですからアレク、あの紙本算太郎とお過ごしになりたいなら、決して正体を明かされないようにするんですのよ。
あの方、元気になったとはいっても、さすがにまだダンスは踊れないでしょうから、そばにいてさしあげなくては余計におかわいそうですもの」
ララメル女王の訓示が妙に具体的になった。
紙本算太郎って誰ですか……いやな予感がするから聞くのはやめとくけど。
「アレク、なにをほけーっとした顔をしてらっしゃいますの? せっかくの美しいドレスが台無しですわよ」
「は、はい、申し訳ありません」
ララメル女王に知られてしまったのは辛いなあ。
今朝もさんざん言われたし。
もしも今朝のララメル女王との会話が奴に聞かれたりしてて、私の気持ちを気づかれてたらどうしたらいいのよ。
すごくいやな予感がするけど、勇気を出してララメル女王の問題発言を思い返してみる。
『まあ……つまりませんわね。せっかくいろいろなお話を伺えると思いましたのに』
このへんから危なっかしくなってきたのよ。
『まだ十分に活動範囲内ですわ。それで、何がありましたの?』
なんの活動範囲内よ、って話よねえ。
『アレク、わたくしはね、貴女の嗜好をとやかく言うつもりはなくってよ。恋愛は自由ですもの、誰を愛しても構わないと思いますわ。
ですけどね、立ち振る舞いまで、あの方みたいになる必要は、ないと思いますわ。
貴女はまだうら若い淑女ですのよ。それをなんですの、その味気も色気もない受け答えは。
まるで、フリッツがそっくりそのまま乗り移ったみたいなしゃべり方じゃありませんか』
これよ、問題なのは。
聞く人によってはごまかせるかもしれないけど、普通に聞いたら『あの方』=『私の好きな人』=『そっくりそのまま乗り移ったみたいなしゃべり方(の人)』つまり……
私が好きなのは奴、ってわかっちゃうじゃない。
『女性同士、何があったと聞いたら、答えることは一つに決まっているじゃありませんか。
男女が密室に二人きりになれば、いろいろ……素敵なことがありましたでしょう?』
これもちょっとは危険だわ。
ユートレクトに言ったこれだって。
『お礼というのはね、何か物を差し上げるとか、そういうことでなくてもいいんですのよ。
例えば、女性に敬意を示す手の甲への接吻ですとか、思いが募れば、それ以上のことですとか……』
そうやってよくよく思い返すと、ララメル女王の朝の発言はどれもこれも私にとっては爆弾発言ばかりで、私は綺麗に結い上げてもらったことを忘れて、頭を抱え込みそうになってしまった。
だってそうよね。
クラウス皇太子だって笑ってたし、ホク王子だってなんでか知らないけど、残念そうな顔してたし。
あああ、余計なこと思い出すんじゃなかった。顔合わせづらくなるじゃないのよ。
ま、まあ仕方ないわ。
今更気にしたって、ララメル女王の言葉が消せるわけじゃないし、ここは知らんふりで通すしかない。
奴もわけのわからない顔してたから、きっと大丈夫、気がついてないわよ、うん。
そういうことにしておこう。でないと、私の精神がもたないわ。
ララメル女王が『最終確認』のためにクローゼットに籠ると、入れ替わりでリースルさまがこちらに戻ってきた。
「アレク、準備はできましたか?」
「はい、おかげさまで。リースルもお疲れさまです」
「わたくしは大丈夫です、それよりアレク、貴女にお詫びしなくてはなりません……」
リースルさまはそう言うと、小さな手で私の両手を握りしめた。
「申し訳ありません、ララメルがあんなに地獄耳だとは思わなかったのです。
貴女の秘めた思いを、彼女にまで知らしめることになってしまいました。こんな愚かなわたくしなど、許されるはずもありません……」
相変わらずの澄んだ瞳に見つめられると、昨日の怖いくらい無垢な笑顔も頭から追い払われてしまって、私はまた男らしく言ってしまった。
「いえ、リースルが悪いのではありません。ご心配をおかけした私がいけないのです。お心遣い、本当に感謝しています」
確かにリースルさまに背中を押してもらわなかったら、一人で医務室に行くこともできなかったと思う。
だから、これは心からの言葉だった。
「ありがとうアレク、本当にありがとう。これからも、どうぞお友達でいてくださいましね?」
リースルさまは昨日見た純粋無垢な微笑みを私に向けた。
怖いんだけど、これにはどうにも逆らえそうになかった。
「はい、私こそ今後ともどうぞ宜しくお願い致します」
「ありがとう、心から感謝します、アレク。
大丈夫、ララメルは面倒見がいいですから、きっと貴女の恋路に協力を惜しみませんわ。もちろん、わたくしもですけれど」
いえ、協力してくださらなくていいんです、むしろ、そっとしておいてくださいませんか……とは言えずに返答に困っていると、
「リースル、アレク! そろそろ時間ですわよ、早く仮面をおつけなさいな」
クローゼットで『最終確認』を終えたララメル女王が、仮面をつけて登場したので、私たちもめいめいの仮面を手に取った。
**
仮面舞踏会と大舞踏会の会場『麗しの森の大広間』は、大勢の人でごった返していた。
私とリースルさま、それにララメル女王が中に入ると、大広間の人たちの視線がこちらに集中した。
「まあ、ご覧になって、あのお三方の衣装! なんて素晴らしいんでしょう!」
「あの青いドレスの方は、ダラスサラーム王妃ではないかしら?」
「いや、ティヤールのイザベラ公妃殿下かもしれませんぞ。あのお方は青色がお好きでいらっしゃる」
「あの方々のお一人で構わない、ぜひともご一緒したいものですな」
なんていう囁き声がこちらまで聞こえてきて、私は大声で否定して回りたくて仕方なかった。
でも、リースルさまとララメル女王は、こういうことを言われるのに慣れているのか、全然動じていないみたいだった。
それはそうよね、美人にはいつでも注目が集まるもの。私がこんなに見られること滅多にないだけで。
『馬子にもなんとか』って、まさにこういうことを言うのかしら。
リースルさまもララメル女王も私のドレスを褒めてくれたけど、お二人のドレスも素晴らしい仕立てだった。
リースルさまの今日のドレスには、きらきら輝く糸を織り込んだ生地が使われていて、淡い緑色が裾に向かうにつれて濃くなっていく色合いがとても綺麗だった。
小さな花が胸元から腰周りそして裾にかけて、流れるようにあしらわれているのが、これまたかわいらしい。
ヘッドドレスにもお揃いの花がついていて、リースルさまが歩くたびにふわふわと幻想的に揺らめいていた。
ララメル女王のドレスも見事なもので、淡い黄金色がララメル女王の妖艶さを抑えながらも、女性らしさをほどよく漂わせていた。
マーメイドスタイルのラインが、うっとりするほど抜群のプロポーションを気品よく際立たせている。
正面から見るとシンプルなデザインだけど、大きく開いた背中の下からのプリーツと腰の大きなリボンがとても印象的だった。
もし私が男でも、こんな素敵な淑女たちと踊れたら天にも昇る心地になるに違いないわ。
ダンスの曲を演奏する人たちや給仕さん、衛兵さんは別だけど、舞踏会に参加する人たちはみんな個性あふれる仮面をつけていて、その中でも何人かの方はとても目立つ仮面をつけていた。
例えば、象みたいな長い鼻のついた仮面の紳士とか。
例えば、触角らしきものがおでこから出ている妖精風の仮面の貴婦人とか。
こういう変わった仮面をつけている人は少数派だったけど、正体のばれるばれない以外にも、ダンスに不安のある私の心を紛らせてくれた。
仮面舞踏会で踊る相手は六人。
正体を当てられたら、その人に一晩おつきあいしなくちゃいけない。
他にもたくさん決まりごとを聞いたのだけど、私の頭の中はこのことでいっぱいだった。
殿方の正体も見極めて皇帝陛下の記念品も欲しいけど、まずは絶対、なんとしても、是が非でも、正体がばれないようにしなくちゃ。
静かに演奏されていた音楽の曲調がいつしか華やかなダンスのものに変わると、みんな自然と踊る体勢を取り始めた。
私たちも無言で別れると(だって話したら声でばれちゃうでしょ?)、それぞれ会場の思うままの位置について、パートナーの出現を待った。
ほどなく私の前に一人の紳士が現れてお辞儀をしたので、私も淑女らしくドレスをつまんで挨拶をすると、この方と踊ることになった。
パートナーに失礼にならないように気をつけながらあたりを見回す。
私が『いつ自ら化けの皮をはがすかは見ものだ』なんて言ってたけど、本当に見てるのかしら……
そんなことを考えていたら、自分でも信じられないくらい軽やかにターンしたとき、過ぎる視界の中にあの冷静すぎる顔が見えて、自分の鼓動が早くなるのが否応なしにわかった。
まるで彼と踊っているのではないかと錯覚してしまうくらい心がはやってしまって、パートナーにとても申し訳なく思った。
私はいつの間にこんな風になってしまったの……?
こんな妄想をしてしまうほど彼を思っているのかと考えると、今はともかく、センチュリアに帰ってからのことが急に不安になった。
私はこれから自分の思いを隠し通していけるの……?
誰にも知られてはいけないはずだったのに、気がつけばたくさんの人に知られていて、後押しまでされてのぼせあがってしまっている。
こんな状態でセンチュリアに戻って、大丈夫なわけがない。
今夜、これで最後にしよう。こんな風に思うのは。
市街地の居酒屋に連れて行ってもらって、それでおしまいにしよう、いい思い出にしよう。
もう十分すぎるくらい、気持ちを通い合わせることはできたもの。それで幸せじゃない、それだけで……
そうしてダンスに意識が集中できないままに華やかな曲が終わると、パートナーが私に、
「イザベラ公妃殿下でいらっしゃいますか」
と呼びかけたけど、
「申し訳ありませんが違います……よい夜を」
それだけしか答えられなかった。
他の貴婦人は、
「まあ残念でしたわね! あなたのような素敵な声の方に見抜いていただけなくて、わたくしもとても残念ですわ!」
なんて答えているのに、そんな気配りもまるでできなくて本当に申し訳なく思った。
それから、心まで躍り出してしまうような情熱的な曲と、流れるように優雅な曲が交互に続いたけど、私の意識はパートナーを離れて大広間の脇にたたずむ人に注がれたままだった。
もちろんずっと見ていたわけじゃない。そんなことをしたら、ステップが余計に怪しくなってパートナーに失礼になってしまう。
けど、仮面のせいで視線をどこに向けているのかがわからないのをいいことに、気がつけば眼も心も、あの人に奪われていた。
自分に何度言い聞かせても、感覚は言うことを聞いてくれなかった。
……誰にも正体を当てられず、私も誰の正体も当てられないまま、五曲のダンスが終わって最後の曲が流れ始めたとき、私は違和感を覚えた。
大広間の照明がいきなり暗くなって、一瞬どこに誰がいるのかわからなくなるほどだった。
落ち着いて目を凝らせば踊れないほど暗くはなかったけれど、人の顔ははっきりとしなくなった。
それに、こんなに艶めかしいダンスの曲は聞いたことなかった。
しかも、その曲に合わせて、みんなが今までの曲とは比べものにならないくらい、お互いに身体を寄せ合い始めた。
それがまるで抱き合っているかのように見えるのが恥ずかしくて、会場の人たちをまともに見られなくなった。
こんな曲の踊り方はもちろん教わってない。どこの国の曲なのかもわからなかった。
どうしよう、こんなことになるとは思わなかったわ。
これは誰にもつかまっていない今のうちに、退散するのが賢い淑女というものよ。
このまま何もわからずに踊ってしまったら、パートナーにも迷惑をかけてしまうし。
ご老人と思われる方や踊り疲れたような人たちが、入れ替わり立ち替わりしていたので、この場を抜けることはマナー違反ではないはず……そう思って会場から抜けようとしたときだった。
誰かに腕をつかまれて、悲鳴をあげそうになった。
寸前のところで声を抑えると、相手の非礼さを責めないように小声で、
「申し訳ありません、疲れたので休ませていただきたいのです」
と訴えた。
けれどその人は、私を放すどころか会場に連れ戻すと、私の右手を取りもう一方の手を私の腰に回して、
「左手は俺の肩に置け」
耳元で聞こえた声は、私の決意を揺るがすことができるただ一つの声だった。
***
暗がりの中でも、聞き間違うことはなかった。右手もその感触を忘れはしなかった。
「へ、平気なの、身体は……踊ったりして」
手を置けとは言うけど、身体の具合も心配だった。それに……私が恥ずかしかった。
周りの人たちは、私には刺激的なまでに身体を寄せ合っているのに、悠然とステップを踏んでいる。
見ず知らずの人となら、意外と普通に踊れるのかもしれない。
でも、自分もこんな大人のダンスを今、それも目の前の人と踊るなんてとても信じられなかった。
「大丈夫だから来たのだろうが、早くしろ。
もうダンスは始まっているのだ、動かなくては他のペアにぶつかる」
確かにダンス自体は単調みたいだし、ゆっくりした動きだから病み上がりでも踊れるとは思う。
私も始めて踊るけど、ステップも簡単そうだし大丈夫な気がする。
だけどこんな暗がりの中、あんな体勢で曲に合わせて踊ったら、自分がどうなるかわからなくなりそうで怖かった。
闇の帳と感情を煽るような旋律に心を同調させたら最後、引き返せないところまでいってしまいそうな気がした。
左手が、戸惑い震える理性を守ろうとするかのように、彼の肩に乗るのをためらっていた。
そんな私の葛藤を知らない彼は、身動きできない私に痺れを切らせたように腰に回した手に力を込めると、私の身体を強く引き寄せた。
瞬間、全身の血がざわめくような感覚に襲われて、自分の身体のことだけど、にわかに信じられなかった。
喉を這い上がって唇から漏れそうになる、熱い塊のようなものを堪えるだけで精一杯だった。
身体を動かす力が、どこかに行ってしまったように力が入らなかったけど、
「仮面はもう外せ、余計に視界が悪くなる。
俺に合わせて動けばいい。簡単だ、すぐ慣れる」
そう耳元で囁かれて、また何かに押し流されそうになるのをやっとの思いで抑えると、震える手で仮面を外して、リースルさまの私室で腰につけてもらった専用の金具にさげた。
胸と喉の間に渦巻いている熱を持った感情のせいで、普段の声を出すのがとても辛いように思えて、返事はできなかった。
触れられている腰から伝わるものに同化されるみたいに感覚がなくなってきて、頭も心も白くなりかけるのを目を閉じて耐えた。
そんな思考の抵抗をよそに、今度は脚が動かなくなってくると、何かに頼らなくてはその場に崩れ落ちてしまうような気がして、私はとうとう観念して左手を広い肩の上に置いた。
他の人たちにぶつかるとか、今の自分の顔を見られるのが恥ずかしいとか、考える余裕もなかった。
彼に合わせて動くこと……それが今の私にできる精一杯のことだった。
こんなに思っていたなんて。
動けなくなるほど、声が出せなくなるほどだったなんて。
早く、誰か、何か、私を元に戻して……
潤んできた眼をさまよわせて、私は自分が元に戻れるものを懸命に探した。
いつの間にか、暗がりに目が慣れてきていたのが幸いだった。
周りの人たちの仮面や会場の外の人たちの顔が見えてくると、ようやく現実に戻ってこられたような気がして、私の心と身体も次第に落ち着きを取り戻した。
「どうして私だってわかったの……?」
気がつくと、私は無意識のうちにつぶやいていた。きっと不思議でたまらなかったからだと思う。
私が着るドレスも、つける仮面も知らないはずなのに。
それ以外で私だと確信できるのは髪の色だけだけど、私の髪はどこにでもいる栗色だから特徴にはならないし。
自分の声がいつもよりうわずっているのに気がついて、とても恥ずかしくなったけど、口にしてしまったものは仕方ないので、気づいていないふりをすることにした。
「あの挙動不審振りを見れば、たとえ仮面を被っていようが、どんなに立派なドレスを着ていようがわかる。
踊っている最中に視線を節操なく動かしおって……パートナーに対して失礼だと思わんのか」
私とは対照的に、いつも通りの声色なのが少しだけ憎らしかった。
自分が気にしていたことを、はっきり言われたのが悔しかったせいもあるかもしれない。
けど、『誰のせいでああなってしまったと思ってるの!?』と言いたい気持ちを消すことはできなかった。
「ごめんなさい……」
「どうだ、もう覚えただろう」
私の反省に表情だけで頷くと、足元を見ながら聞いてきた。
確かにステップは、二歩下がって左右に足踏み、二歩進んで足踏みと単調で、回転したり手を動かしたりしなくてよかったから、そういう意味では助かったけど。
この体勢が問題よ、この……
ううん、もう考えるのやめよう。ここで考え始めたら、また身体が動かなくなってしまう。
……そうよ。
しゃべってた方が気が紛れるみたい。だったらこのダンスが終わるまで、しゃべり続けてやるわ。
私はやっとまともに回転し始めた頭で(あくまで私基準だけど)、是が非でも話題をひねり出すことにした。
「うん、慣れたけど、どうして仮面舞踏会があること、出発前に教えてくれなかったの?」
「いつも参加しないから忘れていた。それだけだ」
「仮面、リースルさまに借りられたからよかったけど、もし借りられなかったら」
「借りられたからいいだろうが、もう黙っていろ。踊っている最中にべらべらしゃべる奴があるか」
いるわよここに。何か文句あるの?
もうだめ、私がこれ以上黙っていたら、精魂尽き果てて市街地の居酒屋にだって行けなくなるわよ。
私と一緒に行きたいならしゃべらせなさいよね。
「なんで突然踊る気になったの? 興味ないって言ってたのに」
「おまえを当てそうな奴が近くにいるのにも気づかなかったのか。それでよく皇帝陛下の記念品が欲しいなどと言えたものだ」
え?
もちろん全然気がつかなかったけど……ていうか、今も全然余裕ないんだけど、そうなの?
「うん、知らない。誰?」
そんなにいやな顔されるような変なことを言ったつもりはないんだけど、眼の前の臣下は、明らかにいまいましそうな顔で私を見て、
「もういい、いい加減口を閉じて、その呆けた顔をなんとかしろ、いまいましい」
人の顔を間抜け面呼ばわりしたうえに、本当にいまいましいと言ってのけてくれたので、私はいよいよ従う気をなくした。
「やだ」
一応ね、ここまではずっと、周りに聞こえないほどの小声で話してたのよ。
でも、次のステップで後ろに下がったとき、ユートレクトが紛れもなく故意に私の足を踏みつけてきた。
思わず普通の音量で、
「いたっ!」
と声を挙げてしまうと、周りの視線が痛いほど私に突き刺さった。
私が悪いんじゃないのに。
ありったけの怨念をこめて加害者を睨みつけると、非礼な臣下はいつもにも増して憎たらしく冷静な顔で、知らん顔を決め込んでいた。
絶対、次のステージ『居酒屋』でこの恨み晴らしてやるんだから、覚えてらっしゃい!
……その怒りというか、なんともいえない気持ちに助けられて、私はどうにかこのステージを乗り切ることができた。




