声明採択2*
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食事が終わると、クラウス皇太子は先に席を立ってしまったけれど、私とララメル女王は男性陣のテーブルに移動してコーヒータイムを楽しんだ。
「かの国の方は会議が始まる直前に拘束されるそうです。クラウス皇太子はその手はずの最終確認に行かれたのでしょう」
ホク王子が優雅な仕草でコーヒーカップを手に取ると、周りをはばかりながら小声で言った。
「かの国の方とおっしゃると、いつも戦車だの砲台だのとうるさい方のことですわね?」
ララメル女王の確認に、ホク王子は黙って頷いた。フォーハヴァイ国王も年貢の納めどきってわけね。
私は直接フォーハヴァイ国王と口論しただけに、内心穏やかではいられなかった。
ララメル女王はミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを満足そうに飲んで、
「やはりあの方が関わっていたんですのね。これで南方地域も静かになりますわ。わたくし、毎年各地域の会議が、憂鬱でたまりませんでしたの。
いつもあの方が議長でしょう? 火薬臭いお話ばかりで、こちらが発火してしまいそうでしたわ」
その言葉にホク王子は心底嬉しそうに笑った。
南方地域の会議って今までよっぽど面白くなかったのね、きっと。
「後継者はどなたになるでしょうね」
「今の皇太子殿下ではないかもしれませんわね。あの方も戦好きですもの、ローフェンディアが認めないのではないかしら」
二人の会話は、フォーハヴァイ王国の次の国王のことになった。
「そうですね、となると……」
「オルリナ王女かもしれませんわ」
「なるほど、あの方なら、どの国も文句を言いますまい」
オルリナ王女……名前だけは聞いたことあるけど、どんな方なのかしら。
「お生まれも由緒正しいし、お優しくていらっしゃるし、国母にふさわしい方だと思いますわ。
わたくし、あの方が大好きですの。今回おみえになっていないのが、残念ですわ。
アレクもきっと仲良くなれると思いますわ」
ぜひお会いしたいです、と私が言うと、ララメル女王は妖艶な笑みを浮かべて席を立った。『入念なお化粧直し』のためらしかった。
私たち三人も程なくコーヒーを飲み終えると、『天界の大広間』に向かうことにした。
その途中、どこで復活の噂を聞きつけたのか、衛兵さんたちがユートレクトに駆け寄ってきて、昨日のけがのお見舞いを熱烈に浴びせ始めたので、私とホク王子はその光景をしばらくの間見守ることにした。
「アレク女王」
誰からけがのことを聞いたのだ、と衛兵さんたちを問い詰めるユートレクトを気にしながら、ホク王子が私を小声で呼んだ。
「なんでしょう、ホク王子?」
「陛下と宰相に、お詫びしなくてはいけないことがあるのです」
私がその言葉に首を傾げると、ホク王子は続けて、
「宰相に傷を負わせたのは、他ならない私なのです。私を背後から襲ってきた賊から守ってくれたがために、あのような傷を……彼には口止めされたのですが、私の気が納まらなくて。本当に申し訳ありませんでした」
そうだったんだ……
どうせ『他人をかばってけがをしたなど、みっともない』とか考えてるんだろうけど、逆にホク王子に気を遣わせてどうするのよ。
本当は、ホク王子にも『気にするな』って言いたいんだろうけど、素直にそう言わないところが奴らしいといえば奴らしいのかもしれない。
「そうでしたか……ですけど、本当にお気になさることはありませんわ。
あのとおり無事だったのですし、彼も殿下には心から感謝していましたから。
口止めするようなことでもありませんのにね、かえって殿下にお気遣いをかけて申し訳なく思います」
私は気に病んでいる様子のホク王子に笑顔で答えた。
「まったくお恥ずかしい限りです。他人をかばっておいて自分がけがをしていたのでは世話はない、情けないにもほどがある、とおっしゃっていましたが、アスタフの毒は相当に苦しかったはず……」
そこでホク王子の顔がこわばった。
振り返ると、私の背後に地獄の門番みたいな形相の臣下が立っていて、臣下のお怒りを収めるのに尋常じゃない苦労を強いられた。
『天界の大広間』に着いてホク王子と別れると、今日発表する永世中立国の声明文を確認してもらうために、ブローラ首相をつかまえに行った。
席に着いていたブローラ首相は、私が加筆修正した声明文を見ると、大声で他の永世中立国の元首たちを呼んでくれたのでとっても恐縮した。
駆けつけてくれた元首の皆さんも、
「やはり女性の文章は柔らかくて耳に優しいのう」
「弁当箱の声明は斬新さに欠けましたからね。陛下にお願いして本当によかった」
などとおっしゃるので恥ずかしくなった。ブローラ首相は弁当箱は余計だ、と言うと笑顔で、
「いや陛下、本当に感謝します。
何も申しあげることはありません、ありがとうございました。昼からの声明発表が本当に楽しみですな」
他の皆さんも笑顔をくれたのが嬉しくて、私も自然と顔がほころんだ。
そのときだった。
衛兵さんたちがものものしく入ってきたかと思うと、ある人の席に近づいて周囲を取り囲んだ。
その中から、ローフェンディアの高官と思われる人がフォーハヴァイ国王の真正面に進み出ると、感情の読めない冷徹な声で告げた。
「フォーハヴァイ国王陛下、お話したいことがございます。恐れ入りますがご同行願います」
その声は決して大きくはなかったけど、不思議なくらいあたりに響いてみんながそちらを振り向いた。
フォーハヴァイ国王は逃れられないことを察したのか、黙って席から立ち上がった。
威厳を保つように眼の前の高官を睨みつけた後、誰かを探しているかのようにあたりを見回した。
フォーハヴァイ国王の動きが止まったとき、相手を呪い殺そうとしているような怨念のこもった視線の先には、私の臣下がいた。
昨日のことを思い出して息が詰まりそうになったけれど、ユートレクトは世界に冠たる君主の威圧に全く動じず、静かにフォーハヴァイ国王の憎しみを受け止めていた。
大広間全体がフォーハヴァイ国王の憎悪にとらわれたみたいに、誰もが身じろぎできずに様子を見守っていたけれど、
「おのれ帝国の毒狗め!
きさまにはいずれ天罰がくだろうぞ。地獄で神の裁きを受けるがいい!」
フォーハヴァイ国王の最後のあがきともいえる一言に、ローフェンディアの高官はわれにかえったように衛兵たちに指示を出すと、力と鉄と火薬にしか価値を見出せなかった国王は、その地位を追われるために連行されていった。
私はブローラ首相たちに一礼すると、慌てて席に戻った。
「……大丈夫?」
「俺が天罰をくだされるときには、奴には地獄から消えていてほしいものだな。目障りだ」
心配してかけた私の言葉を無視して、いつもの冷静すぎる調子で答える宰相閣下に、私は気持ちをこめて自称華のような笑顔でねぎらった。
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♪あなたが城を~建てるとき~
あなたが道を~造るとき~
どうしたらいいの?(なにしたらいいの?)
な~にがいるの?(どれだけいるの?)
困ったときは~困ったときは~
かっかるかっぱ~めるけっちょ~
かっかるかっぱ~めるけっちょ~
あなたの国の~(あなたの街の~)
かっかるかっぱ~めるけっちょ~~♪
だめだわ、緊張しすぎて、何がなんだかわかんなくなってきた。
今はもう午後になって、『世界会議国際宣言』の採択が始まっているところ。
私の出番は次だから、演壇の下で待機させられているの。
午前中はそれほどでもなかったんだけど、お昼休みの鐘が鳴ってから急に緊張してきちゃって。
自分を励まそうと思って、『料理長推奨本日のランチセット』なんていう少し高めのランチセットを食べたんだけど、味がまるでわかんなかった。
もったいないことしたなあ。あれなら、昨日と同じ『本日の貴婦人ランチセット』にしておくんだったなあ……
なんて考えてたら、どっと拍手の音が聞こえてきて、先に演説をされていた方が頭を下げているのが見えた。
『どうぞ』というように笑顔で私に演壇を示すと、自分は反対側の階段から降りていかれた。けど、会釈するのが精一杯だった。
なんでそんなに余裕かましていられるんですか……ていうか、余裕な人じゃなかったら、こんなとこで発言しちゃいけないのよね本当は。
「次は『永世中立国の義務と権利を支持する声明文』の採択に入ります。
発案者代表、センチュリア王国国王アレクセーリナ・セシーリエ・タウリーズ陛下、お願い致します」
ぎゃああああああ!
クラウス皇太子の声が容赦なく降りてきて、私は心の中であらん限りの絶叫をあげた。
どうしよう。こんなに人がいるところで話すの、始めてだよ……
私は震える脚に力を入れて立ち上がると、つまづかないように気をつけながら、最高位の淑女として恥ずかしくないように演壇への階段を昇った。
演壇に立つと、まずは深呼吸を一回した。
そして、念のために持ってきたノートを演壇の上に置くと一礼した。
声明文は覚えてはいたけど、緊張でいつ頭から吹っ飛ぶかわからないから、声明文が書いてあるページを開いておく。
そして、改めて前方を見渡してみる。
みんなの席が演壇を取り囲むような配置になってるのは知ってたけど、こうして自分が立ってみると、なんだか尋問されるみたいな気分になってきて、出入口の扉の上に飾られている、ローフェンディア皇家の紋章『双頭の鷲』を見て話すことにした。
静まりかえった大広間に、私の息を吸う音だけが異様に響いたように感じた。
「……『永世中立国の義務と権利を支持する声明文(案)』
永世中立国は、世界暦647年にその立場が国際的に承認されて以来、いかなる戦争・紛争に対しても必ず中立を保ってきました。
また、いかなる国家・主義にも属さず、全ての国家・団体と平等かつ対等に交流することを目指しています。
しかしながら昨今、世界的軍事化による国家間の対立や、権力と軍事力による国内支配があらわになるにつれ、永世中立国の取るべき行動は慎重にならざるをえなくなっています。
また、経済・人種格差による貧困の差も大きくなっており、ことに人種格差は、いわれのない偏見によって虐げられている人々が、国家の支配階級からも偏見を受けたがために生命の危機にさらされることもあり、為政者はその権力をもって速やかに解決すべき問題だと考えます。
永世中立国が承認されて以来、その使命は自国内の平和と繁栄のみならず、全世界の平和と発展に寄与するものだと考えています。
これは、国際法第二十三条第四項『永世中立国の国是』にもうたわれています。
永世中立国が国際的に承認されている限り、その立場とあらゆる手段をもって、全世界の平和と発展に貢献するべきと自負しています。
以上のことを踏まえた上で、永世中立国は、
一.全ての国家・団体に、軍事の縮小と戦争の放棄を求め、
二.戦争を生み出す非倫理的な動向には、いかなる援助および交易も行わず、
三.各地で起きている、人種格差の情報交換および権利擁護のために、永世中立国で活動することを心より支持し、
四.宗教は平和のためにあると考え、戦争を起こすために、いかなる宗教の教えを使うことにも反対します。
最後に、永世中立国は、全世界の交流の場であり、国家ならびに団体代表者が心を通わせることによって、世界の平和と繁栄への道を希求することができる、『世界会議』を支持することを決議します。
……以上をもって『永世中立国の義務と権利を支持する声明文(案)』とし、今期第百六十七回『世界会議』での採択をお願い申し上げます。
世界暦一四七六年十月二十四日
発案者
アクロニム王国 国王アンリ・ユナクシス・ファビアン
フォレイト連邦共和国 首相クレメンス・ブローラ
シュヴィーツ誓約者同盟 代表パウル・ヘルウェンティー
センチュリア王国 国王アレクセーリナ・セシーリエ・タウリーズ」
これは、フォーハヴァイ王国みたいな、軍事力に力を入れている国だけへの警告ではないつもりだった。
ムチ皇子や他の皇子みたいに、国家の支配階級にある人たちが、一部の民を偏見を持って見ていることにも納得できないし、ペトロルチカ代表みたいに、『神の摂理』を武器にする扇動者も許せなかった。
ペトロルチカの代表たちはもうここにはいないけど、この声明文はローフェンディアの皇帝陛下やクラウス皇太子にも、心地のよいものではないと思う。
だけど、あえて付け加えさせてもらった。それが今の永世中立国の使命だと思ったから。
まるで声明文を吟味するかのように静まりかえっていた大広間に、一人の拍手が響いた。
ローフェンディアの皇帝陛下が最前列の席から起立して、私に無骨な笑みを見せながら手のひらを大きく鳴らしていた。
それに呼応するかのように、他の国の皆さんも次第に拍手をくれ、立ち上がってくれる人もいた。
ブローラ首相や他の永世中立国の元首の皆さんは私に手を振ってくれて、それを見ると、緊張がほぐれて思わず笑顔になってしまった。
中には不服そうな顔の人もいたけど、それは軍事力に力を入れている国のお偉いさんだったりしたから、もういいやと思った。
全ての人に受け入れられる意見なんてないもの。
「……過半数の方の賛同により、『永世中立国の義務と権利を支持する声明文』は、正式に採択されたものと致します。アレクセーリナ女王陛下、ありがとうございました」
私がまた一礼して頭を上げると、視線の先に冷静すぎる臣下の偉そうな笑顔があった。
不器用な笑い方だけど、それがとてもかけがえのないものに思えて、私は最高位の淑女らしい微笑みと仕草で次の方に演壇を勧めると、許されるぎりぎりの早さで席に戻った。
2019.12.8.声明に記載の年を訂正しました。




