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言葉より2

***



 ……泣いたって何も変わらないし、始まらないし終われない。


 どのくらい経ったのかわからなかったけれど、ようやく心に少しずつ光が射してきたような気がした。


 私はいつもあの人の眼を気にして、ばかにされるんじゃないかとか、冷たくあしらわれるんじゃないかとか考えてしまうけれど、それじゃきっといけないんだ。

 自分で考えて、自分で行動してつかみ取ったものでなきゃ、成功も失敗もきっと本当の意味で自分のものにはならないんだと思う。


 誰かに敷いてもらったレールの上を歩くにしても……今の私の状態だけど、本当にこのレールは正しいのか、どうしてこのレールの上を歩いているのか、自分でも考えて納得して歩いていなかったら、いつまでたっても誰かの後ろしか歩けない。

 自分で道を定められないのに、誰かと『共に歩く』なんてできるはずがない。


 このままじゃいられない、強くならなくちゃ、今よりずっともっと。

 誰かのためにじゃなく、自分のために。自分に自信を持てるようになれば、きっと……今度こそ。


 私は椅子の背もたれを握り締めていた両手を離すと、書類を持って出入口の扉へ向かった。




「アレク、遅かったのね。お疲れさま!」


 扉を出ると、少し離れたところにララメル女王が立っていた。

 待っていてくれたのか、私の姿を見るとこちらに駆け寄ってきてくれた。昼間と同じ南国の鳥のように華やかな声が、今の私にはとても輝きをもって聞こえた。

 ララメル女王は自分をしっかり持った女性だと思う。それがとても羨ましかった。


「ララメル……お疲れさまです」

「どうなさったの、元気がなくてよ?」

「いえ、そんなことはありません、おかげさまで元気です」

「そうですの……」


 ララメル女王はまだ私を気遣わしげに見ていたけれど、それ以上は何も聞かずに、


「ね、アレク、もう衣装も仮面も決まってしまいましたけど、夕食、ご一緒しませんこと? リースルも一緒に」


 今日の予定はもう空白になってしまったから、私はありがたくご一緒してもらうことにした。

 でも、夕食どきまでに済ませておきたいことがあるから、落ち合う時間と場所を指定してもらえないか、とお願いすると、


「では、リースルと一緒に決めましょう。わたくし、先に着替えてからリースルの部屋に参りますわ。アレク、あなたはどうなさって?」

「私も……新しい部屋がまだわかりませんので、これからリースルさまの寝室に参りますから、そこでお待ちしています。リースルさまにも、ララメルがおみえになる旨お伝えしておきます」


 そう、泊まっている部屋の水道管が壊れて新しい部屋を用意してもらう、なんてことになってるけど、どのみちリースルさまの寝室に行かなくちゃ荷物も置けないものね。


 私はララメル女王と一度別れると、リースルさまの寝室に向かった。




 リースルさまの寝室は、妙なことになっていた。


「アレク、お帰りなさい。会議お疲れさまでした」

「た、ただいま戻りました、リースル……あの、これは」


 相変わらずの癒される透き通った声に、自分のおっさんエキスが増量されるのを感じたけど、それにも増して部屋の様子が尋常じゃないことに眼を奪われた。


「明日の大舞踏会の仮面です」


 リースルさまはにっこり微笑んでおっしゃるのだけど、


「こちらを、全部リースルがおつけになるのですか?」


 私が口を開けて見やった先店…窓際や壁には、色とりどり、表情もさまざまの仮面たちが、少なくとも50個以上所狭しと飾られていた。

 これは……寝るとき灯りを消したら、かなり怖い光景が見られるかも。


「いいえ、他の貴婦人がたにお貸しする分です。明日はわたくしも、いろいろとすることがあるので、今日できることはしておこうと思ったのです……アレク、もしかしたら、仮面はお嫌いですか?」

「いえ、問題ありません。お忙しいのに私の仮面まで用意して頂いて、本当にありがとうございます」


 仮面には、よく見ると『シャイアン伯爵夫人』とか『ガボレット大公妃殿下』などと書いてある紙が貼ってあり、私が昼間選んでもらった仮面も、『アレクセーリナ女王陛下』と書かれた紙を貼られて、他の皆さんの仮面と一緒に飾られていた。なんだか妙に恥ずかしいんだけど。


 思わず『モンセラット公爵令嬢』の名前を探してしまったけど、なかったので心底ほっとした。


 え、『モンセラット公爵令嬢』って誰、って?

 昼間ララメル女王と女の意地をかけて戦った、ララメル女王の恋敵、もとい一日目の晩餐会で私の足を踏みつけた、通称ローフェンディア貴族令嬢Yさんのことよ。全然覚えなくていいけど。


 昼間の……ごめんなさいね、言ってもいいかしら。

 あの、なんとも聞くに耐えない女同士の争いを思い出すと、自分に男っ気がないのが美徳のように思えてくる。

 いいのよ、負け惜しみにしか聞こえなくたって。


 仮面たちに囲まれながら、荷物を片付けたりリースルさまと世間話をしたりしていると、ララメル女王がやってきて、夕食は今から二時間後、となりのリースルさまの私室でということに決まった。

 ララメル女王は夕食までリースルさまとお話しているというので、私は書類を持って一人部屋を出ると、リースルさまに教えてもらった王宮の図書室に向かった。



****



 私が図書室に行きたかったのは、明日の会議で発表する声明を確認したり覚えたりしたかったのと、もう一つ……ユートレクトがどうして、『中央大陸縦貫道』に採用された建築技術を言い当てることができたのか、それを知りたかったから。


 そういったことを調べられる資料のあるところで、私でも利用できるところがあったら教えてほしいとリースルさまにお願いしたら、王宮の図書室を使ってもいいとおっしゃってくださったので、ありがたく貸して頂くことにした。

 もちろん、リースルさまには『会議の調べものをしたいのですが』うんぬんとしか言ってないけど。


 図書室に着くと、まずブローラ首相から頂いた声明の原稿に目を通した。

 (ブローラ首相の名前よく出てるけど、覚えなくていいからね)


 声は出さずに、口だけを動かしながら黙読する。ゆっくり話しても五分もかからない声明文だった。

 これを空で言えるようになるまで繰り返し読むと、次は私の意見を盛り込んだ声明を作りにかかる。


 『思うところをつけ加えたり削っても構わない』ときは、どんなに小さく短いものでもそのまま流用せずに、原案を十分に理解したうえで、できる限り自分の言葉を足すように、とユートレクトに教わっていたし、私自身も思うところがあったので考えてみたかった。


 永世中立国の立場は、ここ数年の間に少しずつ弱いものになっていた。

 その説明を細かくすると、とんでもなく長くなるから今は飛ばすけど、十年前くらいまでは今朝のフォーハヴァイ国王みたいなことを面と向かって言う人はいなかったらしいのよ。


 私たち永世中立国の理念は変わっていない。変わったのは、お金や領土拡大に眼がくらんでいる支配者たちだった。

 永世中立国がどの国にも武力援助を依頼できないのをいいことに、開戦をちらつかせてお金や資源をわがものにしようとする……フォーハヴァイ王国もそんな国家の一つだった。


 私は永世中立国の理念を世界で最初に提案した第28代国王イレーネ女王の子孫として、今の事態を見過ごしておくことはできない立場にある。

 今朝の私の発言を聞いて私に声明文を託してくれた、他の永世中立国の元首方のためにも、ここは権力志向のお偉いさんたちに、がつんと一言物申したいところなのよね。


 私は腕組みしたり、宙を仰いだり、鉛筆で机を叩いたりしながら、ようやく自分なりに加筆させてもらった声明文をノートに記した。


 これを明日、他の永世中立国の元首方にも確認してもらって、了承頂けたら、明日の声明は私が筆をつけ加えたものを発表することになる。

 こちらも覚えた頃には、もう一時間が経っていた。


 次は……


 私はかなり迷いながら土木建築関係の本が並んでいる本棚の前にくると、難しい文字たちとさんざんにらめっこした末に一つの本を手に取った。

 どこかの部屋で持たされた古めかしい本に負けない重さのその本には、『土木建築工事の変遷』と書かれていたけど、最近作られたものだったので古い紙の臭いはしなかった。


 それを座っている席の前までえっちらおっちら持っていって、どかっ! と机の上に置くと、『中央大陸縦貫道』の話し合いのときのノートを見直す。


 やっぱり……

 新しい建築方法のことはノートに書き留めていなかった。

 会議のときも話にあがっていなかったはず。


 人さまに見せられない汚い字だけど、私は会議の様子をノートに一字一句漏らさずに書いている。ノートに書くこと自体を忘れてるときもあるけど。


 というのも、日頃からユートレクトにあれこれ言われることが多すぎて、覚え切れなくてノートに書き留めていたら、いつの間にか字を書くのが恐ろしく早く汚くなってたのよ。

 それはもう、女王を退位させられたら、どこかの国で速記者として食べていけるんじゃないかしらと思うくらい……って私の失業対策はいいのよ。


 『中央大陸縦貫道』の建築方法のことは、予算にも直接関係してくる重要なことなので、いくら私でも覚えてないなんてことはありえないと思ってた。

 だったらどうして、ユートレクトは私が何も言っていないのに、採用される建築方法を知っていたのか……そう思ったの。


 クラウス皇太子に聞いたりもっと別のルートから情報を仕入れたのかもしれないけど、それだったらわかった時点で私に教えてくれてもよさそうなものだから、あのとき……タンザ国王に質問されたとき、とっさに思いついたんじゃないかという気がしていた。


 ものすごいはったりだと思う。

 今回『縦貫道』建設に採用されるのは国際規格に申請中のなんとか工法だと記憶しています、って断言してたもの。


 本人に聞けば手っ取り早いんだろうけど、苦労しないで知識を得るみたいで気がひけたし、なにより簡単に頼りたくなかった。

 陳腐なプライドみたいなものと、自分をまだ甘やかしている気持ちがあることに嫌気がさしたけど、ユートレクトがクラウス皇太子たちとの話を終えるまで待っているのも時間がもったいなかったし、今は自分で勉強してもいいかと思った……思うことにした。


 とにかく自分で進めるところは、進んでみようと思う。

 建築関係のことは、即位してから今まで大がかりな建設事業をしたことがなかったから、全然知らないし。


 ところで、なんとか工法って、なんだったかな。

 でもって、タンザ王国の建築技術って、なに工法だったかしら。


 あのときは動揺して気が気でなかったから、ノートを取ってなかったのよね。


 私は今日何度目かもう覚えてないけど、自分のばかさ加減に落ち込みながら、分厚い『土木建築工事の変遷』をめくっていった。

 しばらくすると、聞き覚えのある『ティロール工法』『クリピッツ工法』という言葉たちが見つかってほっとすると、それぞれの説明書きを読んで……


 もう一回ずつ読んで。


 ……わ、わからない。


 専門用語が多すぎて、この二つの建築技術のどこがどう違うのか、どうしてクリピッツ工法の方がお金がかからないのか、ちっともさっぱりわからなかった。

 もちろんこんなことも覚えなくていいわよ、いいわね、羨ましいわ。


 さすがに頭が働かなくなってきたので、一度外の空気を吸うことにして図書室を出たときだった。


 前から歩いてくる人物とばっちし眼が合ってしまって、私は慌てて疲れた顔を外面モードに切り替えるとその人に一礼した。


「おや、誰かと思えばセンチュリアの……先刻は私の早合点で失礼した」


 『今日の問題発言王』(私命名)タンザ国王は、私を無視するかと思いきや、なんの気まぐれか私に声をかけるだけでなく、会議のときの発言まで謝罪されたので正直とても驚いた。


「いえ、とんでもありません」


 今は謝ってくれたけれど、一日目のこともあるから油断してはいけないような気がした。

 そう心が身構えてしまうと、気の利いた台詞が思いつけなかった。


「先ほどクラウス皇太子と、災害復旧の建築工事について話し合ってきたところなのだよ。いや、クラウス皇太子は本当に話のわかる方だ」

「そうですか……」


 私が緊張した面持ちでいると、タンザ国王はにやりと笑って口調をくだけたものに変えた。


「あの相変わらずいけ好かない宰相閣下にも、宜しく伝えておいてくれたまえ。

 奴とは不幸なことに帝国学士院時代の同窓でね、その頃から何かと私に対立してくる男だったのだよ」


 え? 同窓ってことは、タンザ国王とユートレクトは同級生だったってことよね。

 それなら仲がいいのが普通なんだろうけど、この二人の場合はそうじゃなかったのね。


 あ、帝国学士院っていうのは、世界中の王族の皆さんが帝王学やら王族として必要な知識と教養を学ぶところよ。

 私も本当は行かないといけなかったんだけど、卒業するのに三、四年もかかるから行けなかったのよ。


「今日もそうだ。私の揚げ足を取るような発言をして、恥をかかせおって…気をつけられよ、奴はいついかなる時でも、他人を蹴落とすことしか考えておらんのだ。

 あれは帝国学士院に入学したときのことだった……」


 そうして、タンザ国王の『許しがたい学生時代の思い出話』が始まったのだけど。


 あの……心の中で留めておくから、一言いいかしら。

 タンザ国王、間接的にでもユートレクトに助けられたってことご存知なのかしら。


 そんな私の懸念をよそに、タンザ国王はひととおり『暗黒の学生時代』……つまるところ、ユートレクトのせいで万年二位だった成績結果を語り終えると、満足げな表情で私に向かって、


「あやつに関わると苦労が絶えないと思うが、身体を壊さぬようにな」


 心配そうにいたわってくださったので、私はどう返答していいものか困ってしまった。

 ユートレクトが『こいつの口だけは、いつか鉄の鎖で縫いつけてやる』って言ってた意味が、少しわかったような気がするわ。


 あ、そうだ!

 ここで会ったが百年目。

 タンザ国王、性格は謎だけど頭はいいみたいだし、悪い人じゃなさそうだから聞いてみようかな。


 気さくに片手をあげて去っていこうとするタンザ国王に、私は勇気を出して声をかけた。


「……何かね、奴のことで悩んでいるのかね? そういう相談になら、いくらでも乗ってさしあげよう」

「申し訳ありません、そうではないのですが、タンザ国王陛下のご見識の深さに甘えて、お伺いしたいことがあるのです。いま少し、お時間お借りしても宜しいでしょうか」


 時間を取られたのは私の方のような気もするけど、ここは頭を下げておく。


「ふむ、どのようなことかな?」

「陛下は土木建築にも大変造詣が深くていらっしゃるとお見受け致します。

 失礼な話で大変恐縮なのですが、私は土木建築の技術について、あまり詳しく存じ上げておりません。

 ですが、今ここで陛下にお会いできたことをご縁に、貴国のティロール工法をはじめ、建築工事のことを少しでもお聞かせ願えたらと……厚かましい話ですが考えついた次第です」


 タンザ国王は片方の眉をぴくりと上げると、私をじろっと睨んだので、自分がとんでもないことをお願いしたことを思いっきり後悔した。


 けど、その思いは次の言葉でかなたに吹き飛んだ。


「……ほう、あの男は、君主たるあなたに何も説明していないのか。相変わらず隠し事の多い、思いやりのない奴だ。

 よろしい、そういうことなら喜んでお教えしよう。奴が教えるよりも百倍わかりやすく教えるゆえ、何も心配することはないぞ。

 まず、建築関係のことはどのくらいご存知かな?」


 タンザ国王の裏表のない得意げな顔に、私はありがたく便乗して『全く何も存じあ上げません』と答えると、それから小一時間、『世界羨望の頭脳の持ち主』(本人自称)の土木建築講座が、図書室前の廊下で賑やかに開催された。

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