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言葉より1



 なんとかララメル女王をなだめすかし、赤色の執拗なつっこみと青色黄色のやじにも、この『世界会議』で培われた忍耐心で耐え抜いて。


 ようやく『天界の大広間』の前に着いたときには、会議開始から既に十五分が過ぎていた。

 扉の両端にいる衛兵さんたちの許可をもらって中に入ると、私とララメル女王はそれぞれ自分たちの席に向かった。


 静まりかえった大広間は会議独特の張り詰めた空気に包まれていて、誰かの質問に答えている様子の真剣なお偉いさんの声だけが響いていた。

 誰も私たちに眼もくれなかったけれど、それだけにこの『世界会議』が重要なものだということを改めて思い知らされて、私はつくづく自分の至らなさに気落ちした。

 最高位の淑女にあるまじき失態、誰に怒られても冷たい目で見られても、言い訳できるものじゃなかった。


 もっとうまくララメル女王を説得すればよかった。もっと早くリースルさまの寝室から引きあげればよかった。そうすれば……

 後悔しても始まらないことはわかっていても、くよくよ考えてしまうのは私の悪い癖だ。


 ララメル女王は、あたかも今から会議が始まったように席につくと、困った表情の閣僚代表に何か言われていた。

 けど、ララメル女王が嫣然とした微笑みを一つ返しただけで、閣僚代表は諦めたように首を振って口を閉ざした。その堂々とした開き直りがいっそ羨ましく思えた。


 一方の私はといえば、最高位の淑女にしてはかなり不恰好に……後ろの方々に迷惑にならないよう、頭をかがめて腰を低くして自分の席に着くと、となりの席に座る臣下に眼をやった。

 いつもの冷静な顔に見えるけど、絶対に怒っている(もしくはあきれてる)のはわかっているから、私は意を決するとごく小さな声で話しかけた。


「ごめんなさい、遅くなって」

「俺に詫びてどうする。俺はこの会議の主催者ではない」


 その声は小さかったけど、私の心に突き刺さるには十分だった。冷たく乾いた永久凍土のような声だった。


 だからといって、ローフェンディアの皇帝陛下をつかまえて、『遅れて申し訳ありませんでした!』なんて言えたものじゃない。今そんなこと発言したら、それこそ会議を中断する愚か者になってしまう。

 言い訳する気もないし、なにより今は会議中なのでそれ以上何も言わなかった。冷たい声に震える両手を握り締めると、会議に集中することにした。


 午後からは、午前中の各地域の代表の報告を受けて疑問に思ったことを、直接相手の国に質問できることになっている。

 センチュリアは稀少鉱物・オーリカルクの産出国だから、毎年必ずと言っていいほど質問があるらしい。

 『世界会議』に出席する前の勉強会でユートレクトに聞いていたから、覚悟はできてたつもりだった。

 でも、昨日の夜はいろいろありすぎて、頭の中を全然会議モードにできなかったから、落ち着いて答えられるかどうか不安になってきた。


 会議からまだ十五分しか経っていないから、まだオーリカルクのことなんて議事にあがらないわよね。

 今からでも遅くないから、『こう聞かれたらこう答えましょう』マニュアルを頭の中でおさらいしようとしたときだった。


 一日目の『各首脳担当分野会議』で、ユートレクトにいやがらせの質問をしたタンザ王国の国王が発言を認められると、なぜか私の方を向いたような気がした。そして、


「中央大陸地域の『縦貫道』建設の際には新たな建築技術が使われるそうだが、わが国が開発した建築技術には、大量のオーリカルクが必要になる。

 センチュリアは、わが国へのオーリカルクの供給量を増加してくれるのか?

 今の供給量では『縦貫道』の建設に必要な技術にまでは回せないのだが」


 耳を疑う発言に、一瞬呼吸が止まった。


 予算を抑えられるいい建築方法ができたとは聞いていたけど、それがタンザ王国の技術で、しかもオーリカルクが大量に必要だとは聞いていなかった。

 もしかしたら、三日目の会議でそんな話をしていたのかしら。

 だとしたらこんな重要なこと、いくら私でも覚えていないわけないし、逆に発表されていないのもおかしいのだけど……どういうこと?


 突然の予期しない質問に、混乱した頭では三日目のことを思い出すことができなかった。

 皆に見られているような気がして私は余計に焦った。わからない……でも答えなきゃ。


 私が立ち上がろうと椅子を引いたときだった。


「陛下が仰せの建築技術は、貴国の技術……ティロール工法かと推察致しますが、今回『縦貫道』建設に採用されるのは、国際規格に申請中のクリピッツ工法だと記憶しています。

 クリピッツ工法はオーリカルクを使用しておりませんから、支障はないかと存じます」


 となりの席から、言葉は丁寧ながらも、一国の君主を相手に全く動じない静かな自信に満ちた声がした。


 私はそんなこと話した覚えはない。いつの間に調べたの?


 それを聞いたタンザ国王は、明らかに顔をひきつらせたけれど、今更『すみません勘違いしてました』とも言えないのか咳払いをして、


「そ、それは確かですか、クラウス皇太子。午前中の報告では聞いておりませんが?」

「失礼しました、報告には及ばないと判断してご報告致しませんでしたが、その通りです」


 クラウス皇太子は申し訳なさそうに謝罪したけれど、その声には別の感情……タンザ国王の発言を少し疎ましく思う気持ちも混ざっている気がした。


 確かに、クラウス皇太子が報告していないことを、勝手に自分で決めつけて発言するのはよくないことだと思う。

 それならセンチュリアに質問する前に、クラウス皇太子や中央大陸の首脳たちに、どんな建築方法で『中央大陸縦貫道』を建設するのか聞けばいいのだから。

 そうしてくれた方が私の心臓にもよかったのに。今更もう遅いけど。


「仮にティロール工法が採用された場合ですと……」


 タンザ国王が失態に顔を赤くして席に着こうとすると、ユートレクトの落ち着いた声にその動きを止められた。


「現在のオーリカルクの産出量から考えて、主管道の建設に用いるのは不可能です。これは恐れながら明言致します。

 分岐道でしたら、概算ですが一、二か国の工事分でしたら供給量を増加できますが、一つの道路に複数の建築方法が混在するのは、後々の整備に支障をきたす恐れがあります。

 陛下もご承知の通り、オーリカルクの産出量には限りがございます。

 ティロール工法は確かに素晴らしい技術ですが、大規模な建設事業より中小規模で、特に迅速な作業を求められる事業……例えば災害復旧工事などに、その真価は発揮されるのではないかと考えます」


 そう言うとユートレクトは、クラウス皇太子に何か含むような視線を送った。


「……皆さま、ただ今の質疑応答から、話がいささか逸脱することをお許し願えるでしょうか」


 誰も反論する人がいないのを見ると、クラウス皇太子は話を続けた。


「タンザ国王、昨日わが国の市街地は大変な水害に見舞われました。

 堤防の完全な決壊は免れたものの、多くの箇所が破損し、緊急な修復が必要です。

 そこで、貴国のティロール工法で早急に市街地を復旧できたらと思うのですが、ご助力願えないでしょうか。

 無論、必要なオーリカルクはわが国より供給致します」


 それを聞いたタンザ国王は、悔しそうにしていた顔にたちまち喜色をあらわにすると、熱烈に協力を約束して満足そうに席に座った。


 私は信じられない気持ちで、席についたとなりの人をひそかに見つめた。


 この人は、間接的にだけどタンザ国王を助けたんだ。

 嫌っていたはずなのに、いやな質問もされたはずなのに。


 確かに今日の会議と一日目の会議では規模が違う。

 全世界のお偉いさんが見守る中で面目をなくしたままでは、タンザ国王も居心地が悪いと思う……だからなの?


 タンザ国王に復旧工事の協力を申し出たクラウス皇太子もすごいと思うけど、それを思い起こさせる発言をしたのはこの人に他ならない。


 この人は私がこの『世界会議』に出席していない間、こんなにたくさんの人がいる中たった一人で、センチュリアを守るだけじゃなく、国と国を繋ぐようなことまでしていたんだ……


 本当に私はこの人に近づけるの?

 こんな風に強く……こう言ったら絶対否定されるだろうけど、優しくなれるの?


 私はもう抱えきれないほどになっている彼への尊敬の念を、また増やしたと同時に、自分の無力さと小ささがいやになって、ここから早く消え去りたい思いに駆られるばかりだった。




 休憩時間に入っても、私は自分の席から身動きできなかった。

 ずっと押し黙ったままの私にかけられたのは、


「今のおまえに必要なのは言葉でなはい。口先だけの言葉は、おまえにも俺にも必要ない」


 という、短く凍りついた声だった。



**



 会議が終わって私が席を立ったとき、三人のおじさまたちが私のところにやってきた。


 どなたかと思ったら、永世中立国の国家元首の皆さんだった。

 (覚えなくていいから、名前省略するわね)


 私が女王になった直後開かれた、永世中立国の会議でお目にかかって以来だったので、何事かと思ったら、明日の会議で私に永世中立国の声明を発表して欲しい、とおっしゃるので驚いてしまった。


「お言葉ですが、私はまだ若輩者ですし、ブローラ首相がすでに原稿をお考えではありませんか。私に閣下の代わりなど」

「いやいや、今朝、陛下の毅然とした姿を見たら、昨今の肩身の狭い思いが晴れもうした。

 それに、陛下は今回が初めての参加。各国にお姿をお披露目するという意味でも、今回は陛下にお願いした方がいいのではと、みなの意見が一致しましてな」


 今朝のやりとりが多くの人に見られていたことを思うと、また恥ずかしくなってうつむいてしまった。


 『世界会議』の六日目……つまり明日は、事実上会議の最終日ともいえる。

 明日は午前中に今日確認と決定ができなかった事項を話し合った後、午後からは今回の会議で決まったことをまとめた『世界会議国際宣言』が採択されることになっている。


 このとき、永世中立国の義務と権利についても、私たち永世中立国の元首が声明を発表するんだけど、誰が発表するかは毎年持ち回りで文面もほとんど変わらないの。

 今年はフォレイト連邦共和国のブローラ首相が声明を発表することになっていて、事前に原稿を送ってくださったので了承のお返事も出していた。


 ブローラ首相が言った『肩身の狭い思い』というのは、永世中立国もいろいろ辛いよってことなんだけど、その話は機会があったらまたするわね。


 私が困って口を閉ざしていると、


「原稿はブローラ首相のものを使えばよい。それに思うところをつけ加えたり、削ってもいっこうに構わんよ。

 すべて女王に一任して問題ないと、みなで話していたからのう」

「ここの連中も、この弁当箱みたいな顔を拝むより、陛下のような可憐な淑女を目にした方が、眠い会議で眼も覚めるでしょうしな。いかがですか?」


 弁当箱とはなんだ、というブローラ首相の反論が聞こえたけど、私は少ない脳細胞に考えをめぐらせた。

 けど、今朝のやりとりを見たからって本当かしらとか、新参者にわざと大役を任せて笑いものにしようとしてるのかしらとか、そんなことばかりしか頭に浮かんでくれなかった。

 こんな大役、私なんかがお受けしていいのかな……それが一番の心配だった。


 いくらお披露目とはいっても、私は今年初めて『世界会議』に出席した新米元首。

 『世界会議国際宣言』のとき発言できるのは、国際的に信頼の篤い国家元首に限られているのは知っていたから、余計に緊張してしまう。


 どうしたらいいんだろう。


 私は見たくなかったけれど、後ろを振り返った。

 感情のこもらない水色の瞳と視線がぶつかると、思考を凍らせて止めてしまいたい衝動にとらわれた。


 私が一番心配しているのは……違う、本当に一番怖いと思っているのは、ユートレクトが私をどう見ているかだった。こんな風に考えてしまう自分がすごくいやだった。


 どうして、何もかも自分で決められないんだろう。私は女王なんだから、全部自分で決めればいいのに。


 だけど、私の行動や判断はいつも間違いだらけのような気がして、もう自分に自信がもてなかった。

 何をどうやっても怒られてしまうような気がしていた。


 時間にしたらそれほど長くはなかったはずだった。

 でも、このときの私にとっては、息が詰まりそうなほどの時が流れたように思えた。


 やがてユートレクトが一つだけ頷くと、ようやく何かの呪縛から開放されたような……けれど自分の弱さをまた思い知らされて、私の心は迷宮に足を踏み入れてしまったかのように虚ろにさまよい始めた。


「わかりました、僭越ながらつとめさせて頂きます」


 そんな自分の声も、自分のものではないように聞こえた。


 ブローラ首相から声明の原稿をもらって、皆さんが大広間を後にするのを見送ると、私は無意識のうちにまた振り返っていた。


「陛下、今日はゆっくりお休みください。クラウス皇太子には私が伝えておきます」


 隔たりを感じる表情と声音に私が震えていると、返事も待たずに私の横を通り過ぎていった。




『ご自分の判断を信じることです』

『俺の扉は既に開いている。覚えておけ』

『……おまえがわかっていれば、それでいい』


『今のおまえに必要なのは言葉でなはい。口先だけの言葉は、おまえにも俺にも必要ない』


 刻んでくれた言葉はたくさんあるのに、私は彼に何も残せていなかった。


 そして、自分は全く成長もしていなければ、彼の気持ちなんてまるで理解していないことを、このとき本当に自覚した。


 こんなにみじめな気持ちで涙を押しとどめるのは始めてだった。

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