一着入魂2
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リースルさまとララメル女王に仮面だけ見立ててもらうと、ちょうどきりのいい時間になった。
私たちは会議が行われている『天界の大広間』に戻ることにして、リースルさまの寝室を後にした。
「いいものが見つかって、本当によかったですわ」
「はい、ありがとうございますララメル」
「ああ、本当に明日が楽しみですわ!
あれだけ立派なドレスをお持ちの貴婦人なんて、そうはいませんもの。仮面舞踏会でも、皆さんきっと騙されますわ。
こちらの皇妃……リースルとあなたでは、体格からいって間違えようがありませんから、そうですわね…ダラスサラームの王妃ですとか、ティヤールのイザベラ公妃あたりと間違えられるかもしれなくてよ。
髪なんて、かつらを被ってしまえばいくらでもごまかせますもの」
ララメル女王は本当に嬉しそうにおっしゃるのだけど、ダラスサラームの王妃さまとか、ティヤールのイザベラ公妃って言ったら、世界五大美人にも数えられる人たちで、私なんて足元にも及ばないほどお綺麗な貴婦人なのよ。
特にこのお二人の国はお金持ちだから、今回私が持ってきた衣装くらい、作ろうと思ったら簡単に作れそうな人たちだし。
仮面舞踏会で男性が、
『イザベラ公妃殿下でいらっしゃいますか?』
とか聞いてきたら、
『すみません、違います……』
って答えるたびに、残念そうな顔されるのよねきっと…そう思うと、なんだかブルーになってきた。
仮面のおかげで、相手の残念そうな顔を見なくて済むのが唯一の救われどころだけど。
もちろん、ダラスサラームの王妃さまとかティヤールのイザベラ公妃なんて、覚えなくていいからね。
そんなことを考えながら歩いていると、
「……あら、ごめんあそばせ」
ララメル女王が最高位の淑女にしては丁寧なお詫びを口にされたので、何かと思ったら、華やかに着飾った淑女が三人、私たちの前に立ち止まっていた。
どうやらこの中の一人が、ララメル女王とぶつかったらしいのだけど。
ララメル女王と衝突したらしい淑女は、かわいらしい顔をララメル女王に向けると、失礼なくらいまじまじと見た後で、ぷいっ! と頭を仲間の方に返してしまった。
「……それでね、わたくし困ってしまって」
「まあ、それではお断りしたの?」
「ええ、きっぱりお断りしたわ。わたくしは一夜限りのつもりだったのに、あの方ったらしつこいんですもの」
「羨ましいわジュディット、わたくしにはそんなことできないわ」
おまけに、淑女たちは会話の続きらしきものを再開すると、私たちから離れてい……
「お待ちなさい、そこの赤青黄色、趣味の悪い三原色!」
ララメル女王が南国の鳥のように華やかな声を、今までに聞いたことがない威厳のある険しいものにして、マナーのなってない淑女たちを呼び止めた。
趣味の悪い、と言われてかちんときたのか、三原色の淑女たちは身体をぴくっとさせて立ち止まると、女性ならではの陰湿な表情で振り返った。
淑女たちは、確かにそれぞれ赤・青・黄色のドレスを着てて…ドレスのことはよくわからないけど、私にもあまり趣味がいいようには見えない。
色は濃いし、飾りもごてごてしていて、なんだかとても見苦しかった。
その中で一番かわいらしい、ララメル女王とぶつかった赤色の淑女がこちらに向き直った。
そして、青と黄色のお友達に話していた口調とは全く違う、冷たく人を見下した調子でこう言い放った。
「聞き捨てならないわね、趣味が悪いってどういうこと? 場合によってはお父さまに言いつけるわよ」
その使用人に警告を与えるような物言いに、私は自分の耳を疑った。
なに、このやたらめったら大きな態度!?
あ、あんた、誰に向かって口聞いてるの?
この方、見た目は普通の(!?)気さくな妖艶美女だけど、南方地域の有力国ファレーラ王国の女王陛下よ!
あんたたち、王宮をきゃぴきゃぴしながら歩いてるとこを見ると、ローフェンディアの貴族令嬢か何かよね?
仮に百歩譲って皇女さまだったとしても、一国の女王にその態度は許されないわよ。
ララメル女王を見て、私は顔が青くなった。
怒ってる。
どう見ても、明らかに、間違いなく怒ってる。
その証拠に、陶器のように綺麗な顔は今まさに窯で焼かれているかのように赤くなり、眼は血管が細く紅い川をたたえて、三原色……特に赤いのを眼力で焼き殺すかのように凝視している。
こんな恐ろしいララメル女王は、見たことがない。
こ、これはなんとかしなくちゃ。
私は内心おろおろしながらも、つとめて冷静に、
「恐れ入りますご令嬢方。こちらのお方は、ファレーラ王国のララメル女王陛下であらせられます。
姫君方におかれましては、最高位の貴婦人に対する礼節を尽くしていただきたく……」
「ファレーラ王国? それがどうしたの、わたくしはモンセラット公爵家の娘よ?」
モンセラット? それがどうしたの? って、そっくりそのままあんたに返すわよっ!
公爵家だろうとなんだろうと、ただの貴族の娘が王族に逆らっていいと思ってるの? と、そこまで考えて思い出した。
ローフェンディアの貴族は、伯爵以上の爵位になると、一国の君主より治めてる土地が大きいことがあるんですって。ユートレクトが言ってたのよ。
ララメル女王のファレーラ王国は有力な国だけど、国としては中堅国家だから、単純な力関係はこの偉そうな赤色の父親に劣るかもしれない。ましてセンチュリアなんて……言うまでもないわよ。
それでこの赤いのは高飛車でいるんだわ。自分が公爵本人でもないくせして、偉そうに。
「モンセラットですって……?」
ララメル女王の南国の鳥のような声が、敵を目の前にして威嚇するかのように低く、だけど気品は損なわれることなく周りに響いた。
「おまえがモンセラットの末裔かと思うと、わたくしの血が汚された心地がしますわ。
遠い昔、わたくしの国に嫁いでいらした、モンセラット公爵家のレイテ姫の爪の垢を煎じて飲ませてさしあげたいですわ」
「レイテ姫? ああ、南方の田舎に嫁がされた、おかわいそうなご先祖さまね。
わたくしはあの人と違って長女だもの、もっと立派な国の妃に嫁ぐわ」
赤色のご先祖さまにも失礼な暴言に、ララメル女王は攻撃方法を変えることにしたのか、一つ大きく息を吐いて呼吸を整えると、先ほどよりは落ち着いた声で、
「レイテ姫は、それはそれはご立派な王妃でしたわ。
使い古した男を、ぼろ雑巾のように捨てるどなたかとは違って。
若さと親の権威にまかせただけでは、そのうち殿方にも愛想を尽かされることも知りませんのね」
「なんですって!? あら、あなたよく見れば、この前の晩餐会で……ウフフフフフフフ、それでわたくしを恨んでいるのね」
この前の晩餐会?
それってもしかしなくても一日目の晩餐会のことよね。
あんたがララメル女王と一緒になれるなんて、『世界会議』での晩餐会しかないもの。
ということは、この赤色がララメル女王が狙っていた殿方を奪い、私の足を思いっきり踏んづけた、貴族令嬢Yさんってことね。
まさかこんなとこでお会いするとは思ってもみなかったけど、こんなに腹の立つ人だとも思わなかったわ。
世の中には知らなくていいこともあるのよね。
ララメル女王は、赤色のこれみよがしな口撃を妖艶な微笑みでかわすと、いよいよ反撃に出るようだった。
「恨んでなどいませんわ。わたくしは、あなたになど手の届かない殿方と結ばれる運命なのですから」
「負け惜しみ? 聞き苦しいわね。
スターウェン伯爵との夜はとても素敵だったけれど、やっぱり地位がわたくしの夫にはふさわしくないから、あなたにあげるわ」
「青臭い小娘のよだれがついている殿方なんて結構よ、こちらから願い下げですわ……まあ、ごめんあそばせ、赤臭いと言った方がよろしかったわね?
若いうちからそんな枯れた色を纏うなんて、顔に似合わず、身体は使い過ぎてもう枯れているのかしら?」
ララメル女王の昼間からきわどい台詞に、若さと美貌が売りの赤色は図星を突かれたのか、ドレスに負けず劣らず顔を真っ赤にして叫んだ。
「な……! この……年増!」
この金切り声に隠れて、荘厳な鐘の音が聞こえたような気がして時計を見ると、午後の会議開始五分前だった。どうやら予鈴が鳴ったらしい。
私の体内で、液体という液体が凍ったような気がした。
ま、まずい。
昼食会場から王宮に来るまで五分はかかったから、このままじゃ確実に遅刻だわ!
どうしよう、またユートレクトに怒られてしまう。それだけはなんとしても避けなくちゃ。
私はララメル女王の服の裾を引っ張った。
「なんですのアレク、これがあなたの足を踏みにじって、謝罪もしなかった無礼な女ですのよ。
あなたのためにも、わたくし戦っているんですわ」
「ララメル、もうすぐ会議が始まります、今日のところはこのくらいで」
「あらやだ、『世界会議』に遅れるなんて、女王として失格じゃない!」
そうよそうよ、という合いの手と笑い声が青と黄色から入った。
悔しい……尋常じゃなく悔しいけど!
私だってまずい思うから、今こうやって急かしてるんじゃないのよ!
「申し訳ありません姫君方、今日はこのへんで失礼を……」
「待ちなさいよあんた!」
私がララメル女王を引っ張っていこうとすると、赤色の声がした。
あんたって、もしかして私のこと?
非常に無礼で、甚だ失礼しちゃうけど、この際構ってられないわ。
「お待ちなさいアレク、まだあの枯れ娘との決着が」
「ララメル、しっかりしてください、『世界会議』と枯れ娘と、どちらが大切ですか!」
『枯れ娘ってなによ!』という赤色の声がしたけど、もちろん無視。
それはララメル女王も同じだった。決然とした表情で私を見るときっぱりと言ってのけた。
「決まっていますわ、ここであの枯れ娘を倒さずして、誰が倒すとおっしゃるの?
わたくしはね、『世界会議』に出席している全国家元首の代表として、この腐り切った枯れ娘を全世界の妃候補から外してやるんですわ!」
ここで荘厳な鐘の音がまた空しく響いて、私はがっくりと肩を落とした。
赤色は『枯れ娘』発言に怒り狂い、青色と黄色は私たちの君主らしからぬ失態に大笑いで報いてくださった。
『天界の大広間』に戻ったら、氷雪大魔王と戦う権利もなく負けるのかと思うと、心が最果ての冷たい海に重りをつけて放り投げられたかのように震えるのだった……