黒幕登場3
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私はすごくいやだったけど、すぐに立ち上がって最高位の淑女として恥ずかしくない礼を返した。
フォーハヴァイ国王は私の堅い表情を見てとると、わざとそうしているようなくだけた調子で、
「じかにお目にかかるのは初めてか。
私は南方はフォーハヴァイ王国の国王、マレイ・アスと申す。
このような若く美しい女性が女王の座にあれば、センチュリアもさぞ華やかなことであろうな」
『若く美しい』だなんて、私があんまり言ってほしくないあからさまなお世辞を言ってくださった。
……フォーハヴァイ国王の名前なんて、覚えなくていいわよ。
「いえ、とんでもありません、まだまだ至らぬことばかりで」
「ご謙遜ご謙遜。そのような慎ましいご気性も、魅力のうちとみえる。
しかしながら、あまりにご謙遜が過ぎると、よからぬ輩につけいられるから気をつけられよ」
フォーハヴァイ国王が『よからぬ輩』と言ったとき、はれぼったいまぶたの下の眼光がいやな感じで鋭くなったのを、私は見逃さなかった。悟られないように息を飲むと、
「ご心配くださりありがとうございます。おかげさまで平穏無事に過ごしております」
「ほう、そうか。それならば結構だが、あなたの美しい国は他国の羨望の的。どれほど用心しても足りないくらいだ。
既に害虫が入りこんでおるやもしれぬからな」
『よからぬ輩』に『害虫』ね……
誰のことを言ってるのか察しはつくけど、ここは知らないふりをしておく。
ああ、こんなことなら、会議が始まる直前までとなりの部屋で時間潰しておけばよかった。
こんな事態になるなんて、全然考えてなかったわ。
ここはせいぜい冷静沈着に行動して、事を荒だてないようにしなくちゃ。
それにセンチュリアが『他国の羨望の的』だなんて、あんたが国の軍事強化のために、オーリカルクが欲しいと思ってるのが見えみえの発言なのよ、もう……
「お気遣い、いたみいります」
「いやなに、永世中立国の宗主たる貴国が一国の支配下に入るのを、黙って見過ごすわけにはいかぬからな」
フォーハヴァイ国王は、肉がついて太くなっている首を可能な限りそらせて威厳高く見せようとした。私には全然威厳が感じられなかったけど。
やっぱりあんたも、ユートレクトがローフェンディア帝国の手先になってセンチュリアを乗っ取ろうとしてるって言いたいのね。
ユートレクトのユの字もローフェンディアのロの字も出てないけど、そのくらいのことは、今のセンチュリアの体制を知っていれば誰にでも察しがつくわよ。
それを餌に私をたきつけて、あんたに非礼なことを言わせようとしているの?
冗談じゃないわ、誰がその手に乗るかってのよ。
「陛下にそこまでご心配いただけるとは、もったいのうございます。身に余るご厚意、心より感謝致します」
私は可能な限り話を発展させないように、ひたすら頭を下げた。
挑発に乗ってこない私にしびれを切らせたのか、フォーハヴァイ国王は脂肪が多いせいで妙に血色のいい頬を私に近づけると、粘り気のある糸を引くような声であからさまな一言をすりつけてきた。
「あの皇子のこと、何を考えているか……知れたものではない。
たとえ世界に冠たる大国とはいえ、貴国が屈することはないのだからな」
顔にかかる不快な息に顔をそむけようとしたとき、フォーハヴァイ国王の顔の毛穴が視界に入った。
昨日から切れまくっている私の堪忍袋の緒がまた切れ始めてきた。
でも我慢しなくちゃ。約束したもの。
それに約束がなくても、ここはおとなしくやり過ごさないといけないことは十分わかっている。
「皇子とおっしゃいますと、わが国の宰相のことでしょうか」
「そうだとも。あの皇子には、くれぐれも注意なされよ。
必ず何か裏があって、貴国に潜入しているに違いないのだからな。しかしながらアレクセーリナ女王」
「はい」
だけど、次にフォーハヴァイ国王が発する言葉を私は予測することができなかった。
「貴女は先刻から、非常に歯切れが悪い。返事も曖昧だ……解せませんな。
よもやあの皇子と既に……男女の関係を持っているのではありますまいな」
フォーハヴァイ国王の下品な侮辱の台詞に、頭と身体中の血がいっぺんに蒸発していきそうなほどの怒りを感じると、全身が震えるほどに熱くなった。手にも背中にもいやな汗が吹き出てきた。
……ああそうね。
いっそそうなってしまえたら、どれだけ気が楽か。
それができないから、心の奥の一番深いところに沈めて今日まできているのに。
あの人は、そんな手段で国を盗もうとはしない。
あの人が欲しいのは…国じゃなくて、そこに住む人たちの幸せとささやかな自分自身の達成感のはずだから。
私を愚弄するのは、いくらでもしてくれて構わないけど、大切な……臣下をこれ以上貶めるようなことをほざいたら許さない、絶対に。
私は毅然としてフォーハヴァイ国王から身を離した。
「フォーハヴァイ国王陛下、私は若輩者ではありますが、陛下のおっしゃるとおり永世中立国の宗主、センチュリアの国王です。
その私が、世界に冠たる大国のみに利益をもたらすような行為を取るとお考えでしたら、それは私のみならず、古来より受け継がれてきた永世中立国の矜持を貶めるものと言わざるをえません。
陛下の真のお考えはどちらにあらせられますか」
震えそうになる声を懸命に抑えながらも、私はまっすぐにフォーハヴァイ国王を見据えて一息に言い切った。
矜持の意味だって今ならわかる。
フォーハヴァイ国王の発言は、永世中立国だけでなく私自身の誇りも辱めるものだった。
部屋の中に人の姿がだんだん多くなってきて、私たちの周りにも遠巻きに人が集まり始めていた。
いやだなあ……早くこの不毛な会話を終わらせたい。
だけどフォーハヴァイ国王は、私の言葉や思いは全く無視して、わざとらしい粘っこい声と許しがたい台詞で私の神経を逆撫でしにかかってきた。
「いや、貶めるなど……そうは言わぬが、今のあなたがしていることは、とても永世中立国の国王がすることとは思えぬ。ローフェンディアの高貴な血に目がくらんだとみえる。
無理もない、あなたは平民の出、その気持ちはわからぬでもないが、分をわきまえた方が身のためだと思われよ」
私の忍耐心はこの無礼な言葉で限界にきていたけれど、何も言うことができなかったのは、怒りがあまりに大きくてどう敬語にしていいかわからなかったからだった。
私が誰にもわからないように黙って唇の裏側を噛みしめているのと、周りの人たちも、脂肪に包まれている人物の権力を恐れて何もできないでいることをいいことに、フォーハヴァイ国王の舌はますます回転した。
「かの国も露骨なまねをするものだ。政治も満足に知らぬ平民女王をが相手ならば、たやすく落ちはするだろうが……世界の頂点に立つ国としての誇りを捨てても、貴国が欲しいとみえる。
あの皇子も、本当は不憫な身の上かもしれぬな。第二皇子でありながら、間者のような役目を負わされるとは」
私のことはいいけど、大切な臣下を貶めたら許さない。
さっきそう心の中で言ったわよね、私。
とうとう私が体裁と忍耐をかなぐり捨てて、フォーハヴァイ国王に平民の罵倒の言葉を浴びせようとしたときだった。
「陛下、私のような卑小の身をお気遣い頂き、まことに恐れ入ります」
誰も近寄らず、遠巻きにされていた私とフォーハヴァイ国王の間に、いっそ爽やかと言っていいくらいの涼しげな声が割って入ってきた。
すぐ手の届くところに来てくれたユートレクトの背中に、私は心の中で泣きながらしがみついた。
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ユートレクトはいつもの冷静すぎる表情で肩ごしに私を見やると、またフォーハヴァイ国王に向き直った。
表情は変わらなかったけど、水色の瞳には新たに冷たい怒りをたたえたように見えた。
瞳の中で荒れ狂う氷雪が広間の灯りに照らされて乱反射しているかのように、無数の刃となって鋭くきらめいていた。
フォーハヴァイ国王が、わずかに肉付きのいい身体をこわばらせたのがわかった。
だけどそんなものはおかまいなしに、ユートレクトはいつもよりむしろ明るい声色で言葉を継いだ。
それがいつもの彼を知っている私にはますます怖く思えた。
「間者と思われても致し方ないこの身の上に、ひそかに護衛役までおつけくださり、そのご厚情にかねてよりお礼を申し上げたく思っておりました」
護衛役?
どうしてフォーハヴァイ国王があんたをひそかにお守りしなくちゃいけないのよ……と考えて、私は思い違いをしていることに気がついた。
ユートレクトはフォーハヴァイ国王の命を受けた輩に、ずっと『監視』されていたんだわ。
一緒にいたのに、今まで全然気がつかなかった……
フォーハヴァイ国王は、私ならともかく、この臣下相手に舌戦をするつもりはないらしく、落ち着かない様子で視線をさまよわせながら、
「それは、残念ながら誤解であろう。卿の身を案じている者は、他にもおるだろうからな」
「失礼致しました。私などの身を案じているとあっては、陛下の威光に傷が差すというものでございました。
ですが先日、その護衛の者より陛下の御心を拝聴した身としては、御礼を申し上げずにはいられなかったのです。
ご無礼のほど、平にお許しください」
言いながらユートレクトは頭を下げたけれど、私にもこの騒ぎを見ている人たちにも、彼の言うことが全く違う事実を指しているのは確かだった。
フォーハヴァイ国王が差し向けた『監視役』はすでにユートレクトの手に落ちて、洗いざらい事情を吐かされている……そうに違いなかった。
私の後ろから誰かが近づく足音がして肩に優しく手をかけてくれた。ララメル女王だった。
同じ南方地域の国家元首に、これ以上醜態を見られては南方地域最大国家としての立場がないと思ったのか、フォーハヴァイ国王は言葉にならないうなり声をあげて、足早に自分の席へ退散していった。
私たちのやりとりを見守っていた(やじ馬とも言うけど)人たちも、ユートレクトが怖いのか、フォーハヴァイ国王が去っていくと散りぢりになった。ただ一人を除いて。
「アレク、加勢するのが遅くなってごめんなさいね。
それにしても、よく我慢なさったわ。わたくしでしたら、あんな非礼に黙っていられませんもの」
ララメル女王が話しかけてくれたおかげで、私はわれに返ることができた。
さすがにまだ周りをはばかって抑えぎみの声だったけど、おなじみになった南国の鳥のように華やかな声は、私の心を明るくしてくれた。
「いえ、そんな……こちらこそ、ご心配おかけして申し訳ありません」
そうよ、今回こそ、本当によく我慢できたと思うわ。
『世界会議』に出席する前の私なら、とうの昔にきれてたと思うもの。私もこの会議で成長したものね。
視線が自然と危機を救ってくれたユートレクトに移って、顔をほころばせかけて。
息を飲んだ。
水色の瞳にはまだ冷たい怒りがたたえられたままだった。
荒れ狂う無数の氷雪の刃が、今度は私に向けられていた。
どうして?
私は余計なことは何も言わなかったはず。
自分のことも、あなたのことも、ひどいこと言われたけど我慢したよ?
私の何がいけないの……?
彼の怒りを見て取った瞬間に、ほころびかけた顔がこわばって身動きができなくなった。
心の中でささやかにしがみついていた背中も、音も立てず崩れ去っていって、暗闇の中に一人取り残されたようだった。
身体が、心が、その氷雪の刃に切りつけられたかのように痛くなって、傷口から全身が凍りついてしまいそうだった。
だけど、どうして怒っているのかを知りたくて、怖かったけど視線をそらさずに彼の気持ちを探って……そして思い出した。
私はあと少しのところで、フォーハヴァイ国王に罵声を浴びせようとしていた。
それに気がついたから、だから怒っているんだ。
一日目の会議で、他国の国王がユートレクトにどうしてセンチュリアに仕官したのか、理由をしつこく聞いてきた。
それがとてもいやらしい詮索をしている感じで、同調した他のお偉いさまの下世話な好奇心もいやで、これ以上しつこく聞いてきたら、私が彼の身の言明しようと発言する覚悟を決めた。
結局あのときは、ララメル女王が助け舟を出してくれて事なきを得たんだけど、休憩時間に入ったら『あの会議では絶対に口を開くな』という約束を破ろうとした、と怒られた。
今も、あのときとほとんど同じ状況だった。
私は二度も約束を破ろうとした。
ううん、一日目の前例があるのにそれと同じようなことをしたのだから、今度は完全に約束を破ったのも同然なんだ……
ララメル女王がただならぬ空気を感じたのか、私とユートレクトの名前を呼んだけれど、口も喉も、そして頭も、凍りついたように痛くて動かすことができなくて、答えることができなかった。
「ララメル女王陛下、ご心配には及びません。
まもなく会議も始まります。早くお席に着かれた方がよろしいかと」
「何をおっしゃるの、そんな怖い顔をなさって。あなた、アレクに何を怒っていらっしゃいますの?
あんな侮辱にも、懸命に耐えていたではありませんか。そんな怖い顔で睨みつける理由なんて、ないはずですわ」
「私の顔が怖いのは生まれつきです。長いおつきあいで、既にご存知かと思っておりましたが」
「ええ、存じています、いやというほどね。
ですけど、わたくしの大事なお友達を、これ以上困らせないでちょうだい。
この機会ですから、はっきりと申し上げますけれど、あなたには女性を思いやる気持ちがなさすぎますわ」
ララメル女王の痛烈な言葉に、ユートレクトは反論せず口を閉ざしたままだった。
瞳の中の氷雪の刃は治まっていたけど、そこにはなぜかいつもの強さを感じることができなかった。
荘厳な鐘の音が、まだ何か言おうとしたララメル女王を遮るように、会議の始まりを告げた。
ララメル女王はユートレクトの変化には気づかず、心配そうに私を見つめながら自分の席へと向かった。
私はララメル女王に黙って頭を下げると、フォーハヴァイ国王に話しかけられるまで見ていた会議の資料に目を落として席についた。
黙ってとなりの席に座ったユートレクトがまだ怖くて、謝罪の言葉をかけることができなかった。
会議の資料がだんだん字がにじんできて見えなくなっていった。
どうして私は、この人の足を引っ張ってばかりなんだろう。
なんで同じことを繰り返してしまったんだろう。
「他人に……何がわかる」
鐘の余韻に紛れて、恐らく誰にも聞き取れないはずの、小さく、本当に小さくて苦しげな独白が、空耳かと疑うくらいはっきりと耳に飛び込んできた。
その声は今までに聞いたことがないほど力がなく、あまりに痛々しくて、彼のものではないと思うほどだった。
でも、彼の声を他の誰かのものに聞き間違うことなんて、ありえなかった。
ララメル女王はああ言っていたけれど、私にはもうわかっている。
どうして私にこんなに厳しく接するのか。
共に歩こうと誓ったから。
この人のいる高いところまで行く術を、私はまだよく知らないから、悲しいけど、今は敷いてくれた道を進むことしかできない。
他の人なら、もっと別のやり方があるのかもしれない。きっと、もっと優しかったり、丁寧だったりすると思う。それを羨ましいと思うときもたくさんある。
けれど、私が選んだのはこの人で、彼も私を選んでくれた。全部私が自分で望んだことだから。
本当は私の力でもっと助けたいし守りたい。
だけど、私にはまだその力はなくて、今日みたいに守られてばかりで。
自分が無力な人間だと思うと、心底悔しかった。
私はとなりに座る人を見た。
あまりにも驚いたせいで、涙がいつの間にか瞳の奥にひいてしまっていて、その輪郭はにじむことなく鮮明だった。
そこにあったのは、いつもの冷静すぎる表情だけだったけど、瞳のずっと奥に押し殺した感情に気づいてしまった私には、何よりも寂しく、孤独なものに見えた。
すべての人を拒絶するかのようにも感じて、どうしようもなく悲しくなった。
「ごめんなさい、約束、守らなくて。わかってるはずなのに、また同じことして…….」
私は彼にだけ届く小さい声で言った。
まだ謝ることしかできない情けない存在だけど、わかっていることだけは知ってほしかった。
一人じゃないこと……こんな私でもそばにいることだけでも。
こんな私なんかじゃ慰めにならないのは、百も承知だけど。
ごめんなさい、こんな頼りない主君で……
ユートレクトの目が少しだけ見開かれたように見えた。
少しの沈黙の後、視線だけをこちらに向けると、私にしか聞こえないような声で、
「……おまえがわかっていれば、それでいい」
そうつぶやいた声は、いつもは捉えられないたくさんの感情に満ちていて、私は出会ってから始めてこの人の心に触れられたような気がした。




