黒幕登場2
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ユートレクトの言葉に促されて皆さんにお礼を言うと、パンのおかわりをしようと伸ばした手をひっこめた。
だって、私が一言発したものだから皆さんがこっちを見たんだもの。
こっそりユートレクトを恨めしげに見ると、見られた方は何食わぬ顔で白いパンをほおばった。
こいつ、わかっててこのタイミングで私に声かけたわね。ああああなんか悔しい!
「皆さまをご信頼して、率直に申し上げます」
私が最高位の淑女にあるまじき悔しさにかまけていると、ホク王子が意を決したように口を開いた。
「先ほどは多くを語りませんでしたが、フォーハヴァイの軍備強化は目に余るものがあります。
実は先月、わが国との国境沿いに十台も砲台を備え、こちらを牽制しはじめました。
わが国近隣の小国も、みな一様に不安を隠せないでいます」
ホク王子が真剣な口調で語ったことに、私たちは驚きを隠せなかった。
だって。
「貴国とフォーハヴァイの国境は海域のはずですが、どこに砲台を建てたのです。
まさか、それだけの技術までも擁しているということですか」
私が思ったことと同じユートレクトの疑問に、ホク王子は黙って頷いた後でつけ加えた。
「はい。かの国との国境である海域には、わが国の中でも特に世界的にも希少な動植物が多く生存していました。
ところが、あの砲台を据えつけるための工事で海域が汚染され、生物たちに多大な被害が出てしまいました。汚染は他の海域にも及びつつあります。
あのような大がかりな砲台を建てずとも、わが国などその気になれば容易に制圧できるはず。私にはそれが口惜しいのです」
ホク王子の瞳は、故郷の野生動物たちを悼むようだった。
「アレク女王にお話したサナ貝も、今はまだ影響を受けていませんが、あの砲台で演習などされて砲撃があったときには、いつどの海域が汚染の被害を受けてもおかしくないのです。
われわれが住む土地に誤って砲撃が落ちることはないかもしれませんが、私たちの生命である海が汚染されるのは、南方の民にとって土地を汚されるより辛いことなのです」
そう話す姿は『女性関係が華やかすぎる人』とは思えないほど真剣なもので、さすがに一国の首都を任せられる人なのだなあと思うと、私の中でホク王子の株が上昇した。
「ホク王子の気持ちはよくわかる。わが国にとっても……いや、全世界にとって、南方の海は多くの幸をもたらしてくれる大切な宝だ。それを自ら破壊せんとする行為を、見過ごすわけにはいかない。
この機会に、協力してフォーハヴァイの軍備強化を止めさせよう」
クラウス皇太子が、いつもの穏やかな調子とは違う強い口調で言った。
二人は今日の会議終了後にまた会う約束をすると、既に食事を終えていたホク王子は、私たちに丁重な挨拶を残して去っていった。
私もパンのおかわりができなかったのは残念だけど、ここでおいとましないといけないのかしらと思って席を立とうとしたら、クラウス皇太子に止められた。
「アレクにお願いしたいことがあるんだ。今回のライムントの件で、皇族審判が開かれることになってね。
それに証人として出席してもらいたいんだが……」
えっと、ライムントさんってどちらさまでしたか? ああ、あのムチ皇子のことね。
「はい、それは構いませんが、その審判はいつから始まるのでしょう?」
「『世界会議』終了の翌日から三日間だ。滞在期間中の宿泊費と食費は兄上が負担してくださるらしい。
三日間くらいなら、俺とおまえがいなくともなんとかなるだろう」
もったいない宰相は、かごの中の白いパンを全部自分一人でたいらげるつもりなのか、また自分のプレートに三個置いて……ってちょっと待った。
『俺がいなくとも』って、私だけじゃなくてユートレクトも皇族審判に出席するの?
「クラウス、あの、彼も出席するのですか?」
「そうだよ、ライムントと対立して今回の事件の発端ともなった当事者でもあるし、アレクの第一発見者だしね。
それにあなたが心配で一人にはしておけないそうだ」
「それはありえませんから」
クラウス皇太子の言葉に、私はげんなりした表情で、ユートレクトはいつもの冷静すぎる表情で同じ台詞を返した。
審判と聞いて、私は急に賊の皆さんのことが心配になった。
今はユートレクトが匿ってくれているけど、『やっぱり裁判受けてください』って言われたりしないかしら。
そのことをクラウス皇太子に相談してみると、クラウス皇太子から返答がある前に、
「奴らの罪は今回公にはしない。俺の下僕となってセンチュリアで働いてくれれば、の話だがな。後で奴らと交渉する」
「アレクがそれでよければ、私も陛下も今回はフリッツに一任しようと思っているよ。どうかな?」
賊の皆さん、ユートレクトに酷使されるなんてかわいそうに。でも、断ったらもっと恐ろしいことが待ってるんでしょうね。
聞きそびれてるけど、『バルサックの悪夢』とやらに近い恐怖が、賊の皆さんを襲うことになるわけよ。普通に裁判受けるより怖いかもしれないわね。
けどね、私の貞操を奪おうとしたことは絶対許せないわ。ここは私からも罰を与えたいところよ。
私は『ユートレクトの刑』に加えて『女王用オーダーメイドスーツ弁償の刑』も与えるように、賊の皆さんの新しい主となる人に命じたのだった。
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こうしてクラウス皇太子は私へお願いしたかったことを告げると、慌しくコーヒーを飲んで席を立った。
「アレクはまだ疑問に思っていることがあるようだから、会議が始まるまでこの部屋を使うといい。
フリッツ、きちんと教えて差しあげるのだよ。
では、申し訳ないがこれで失礼する。二人とも、会議が終了したらもう一度ここに来るように」
そう言い残して、クラウス皇太子は部屋を出て行った。
私も会議が終わったらここに来ていいってことは、リースルさま襲撃の黒幕を捕らえるために何か手助けできるってことよね。
できることなら何でもお手伝いしようとは思うけど、危険な目に遭うのはいやだなあ……大丈夫かしら。
それはまた後で考えるとして、クラウス皇太子の言うとおり、私にはいくつか聞きたいことがあった。
けど、その前にかごから白いパンを二つ頂戴するのは忘れなかった。
少し冷めてしまったけどまだふわふわのパンにバターを塗りながら、私は向かい側に座る臣下に訊ねた。
「大舞踏会って、そんなにすごい舞踏会なの?」
「やはり女はそういうことが気になるか」
「当たり前よ。仮面舞踏会ってなに?
一体どんな芸をしなくちゃいけないのかと思うと、気が気じゃないもの」
ユートレクトは気を遣わないといけない人たちがいなくなった途端、盛大にため息をつくと、空になったコーヒーカップになみなみとコーヒーを注いだ。
「おまえなら、本当に怪しい芸をしかねんから言っておく。
仮面舞踏会は、仮面をかぶって誰だかわからない格好をして互いの正体を当てる…舞踏会というよりは、催物だ。
順番にダンスを踊りながら相手の正体を見極め、一番多く正体を見破れた奴には皇帝陛下から記念品が贈られる。
昨年の記念品は、金のなにかの置物だったらしいが」
「き、金の置物!? 欲しい、すっごく欲しい! 売ったらいくらになるかしら」
「仮にもローフェンディア皇帝から下賜されたものを、ほいほい売り払う奴があるか、たわけが。君主としての人格を問われるぞ」
「冗談よ、そんなことしないに決まってるじゃない」
両目を金塊のようにきらきらと輝かせる私を冷たく見やって、ユートレクトはかごに残っているパンを二つ自分のプレートに乗せた。
「それに、おまえが各国のお偉方の顔をそういくつも覚えているとも思えん」
「おっしゃる通りです……」
その言葉に頷きながらも、私は残り二つになったかごの中の白いパンを全て確保するのを忘れなかった。
「せいぜい踊りのときには、パートナーの足を踏まないようにすることだな。仮面をかぶっていると、視界が悪くなる」
「わかったわよ。せいぜい淑女らしく振舞って、あんたにだけは正体ばれないようにしてやるんだから」
「俺はああいう催物に興味はないが、おまえがいつ自ら化けの皮をはがすかは見ものだな。
まったく……舞踏会というものが第一性に合わん。市街地の居酒屋で飲んでいた方が、どれだけ気が楽か」
最後になったパンを大事そうにちぎりながらユートレクトが口にした言葉に、私は平民の血が騒いだ。
「あ、いいなあ居酒屋! どのくらい行ってないかなあ。
私もローフェンディアの市街地、行ってみたいな。
あ、でも、水害の後だからまだ復旧してないかしら」
「いや、今は『世界会議』で稼ぎどきだ。
大舞踏会には出席できない家来たちも、六日目の夜は市街地に繰り出してはめを外すのが通例になっているから、その儲けを逃さないよう、どの店も必死で片づけをしているはずだ」
「そうなんだ……いいなあ。私も舞踏会とかより、そっちの方がいいな」
私は急に食堂で働いていた頃のことを思い出して、なんだか懐かしくなってしまった。
ダンスはひととおり教わったけどやっぱり苦手だし、貴族のご令嬢がなさることより、町娘がすることの方が好きなのは今でも変わりない。
コーヒーを一息に飲んでまたおかわりしているユートレクトの顔が、何か企んでいるように見えた。
「ひょっとして、自分だけ市街地に行ってのんびりしようなんて思ってないでしょうね」
その質問には答えずに、偉大な臣下はおかわりしたコーヒーに少し顔をしかめた。
「苦いな」
「当たり前よ、もう三杯目じゃない。胃が悪くなるわよ。市街地に行くときは私にも声かけてよね。ところで……」
私はさりげなく市街地行きの希望を出すと、もう一つ気になっていることを聞いてみることにした。
「ホク王子がリースルさまのことに協力してくれることになったのは、あんたが握ってる『ホク王子の秘密ベスト5』のせいなの?」
「弱みというのは、その人間の逆襲を食らわない範囲で効率よく使うのが俺の流儀だ。何か文句があるか」
私はホク王子にかなり同情した。
こいつに捕まったら、どんな高貴なお人でもいいように使われることが改めて証明されたわ。私も『いいように使われ』てるうちの一人っぽいから。
「いえ、今更特にないですけど……」
「そういえば言い忘れていたが、おまえに残念な知らせがある」
残念な知らせ?
今の私の不憫な境遇のうえに、更に残念なことを重ねるっていうのこの男は。
「はい?」
「ホク王子のことはあきらめろ」
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私は自分の耳を疑った。
どういうことよ。
あんなにホク王子をつかまえておけ、ってうるさかったのに。
さっき、私に声をかけたホク王子を睨みつけたのと、何か関係があるのかしら。
ユートレクトは更に一言つけ加えた。
「正確に言えば、おまえの志向次第だが」
「なにそれ、どういうこと?」
私がまるでわからないでいると、対面の履物皇子はコーヒーの飲み過ぎで焼けたらしい胃腸をなでながら、苦々しい声で言った。
「ホク王子は、王子ではない」
「なに言ってるの、王子じゃなかったらなんなのよ」
「奴は女だ」
私の思考回路が、ホク王子(?)との思い出を走馬灯のように脳裏に映し始めた。
薄絹に通したかのようなほんのりとかすれた声は、思い起こせば男性にしては少し高めかもしれない。
でも、ホク王子(?)はユートレクトよりも背が高いし、なによりあの積極的すぎるアプローチからは、ホク王子(?)が女性だとは、とても思えない。自分のことも『僕』って呼んでたし。
それでも奴の言うことが本当だとしたら、私は女性に好いて頂いたってことよね。
そして私は、申し訳ないけれどそういう志向は全くない。
……私がおのれの男運のなさにがっくりと肩を落とし、背景に白と黒の縦じまを背負っていると、
「おまえが性別を超えた愛の志向を持つなら俺は何も言わないが、後継者のことを忘れるなよ。女同士では子は生めないからな。
個人的には反対しておく。仮に男の愛人を置いたとして、おまえに複数の相手と器用に交際ができるとは、到底思えんしな」
最後の二行の部分はかなり失礼な言い草だけど、ごもっともな意見だった。
ていうか、器用に交際できたとしても、私の愛は今のところ性別を越えられるようには機能しないんですってば。
「いつわかったの、ホク王子が……王子じゃないって」
「一昨日、おまえが俺の書斎から出て行った後だ」
「そう……」
私は力なく頷くと、あることに気がついた。
こんな重大な秘密で『ベスト5』だなんて。
これ以上にすごい秘密がホク王子にはあるっていうの? いえ、あってたまるもんですか。
ホク王子(?)とますます顔が合わせづらいじゃない、どうしてくれるのよ。
「あのねえ、こういうデリケートなことは『ベスト5』ってより『ナンバー1』な秘密だと思うけど?」
「いや、奴にはまだ上の秘密がある。聞きたいか」
「ううん、もう当分いい。何も言わないで……」
ユートレクトの自信満々な顔に、私はなぜか無性に敗北感をかきたてられて、悔しまぎれにコーヒーをおかわりすると一息に飲み干した。
そういえば、私同様、騙されてる人がもう一人いたわね。
騙されてるのはこの人だけじゃないと思うけど。
「ララメル女王は、このことご存知なのかしら」
「知らんだろうな。奴が王子として認められているのは、優れた行政処理能力があるからだ。
女性……まして王女が施政に参加している例は、世界的にもまだ珍しい。
奴が女だということは、見た目だけではわからんから、今まで誰も気づかなかったのだろう。
しかし、俺より背が高いとはなんということだ、何を食ったらあんなに背が伸びるのだ。俺の若い頃の涙ぐましい努力は、無駄だったというのか……」
自分も結構な長身の諜報活動のエキスパートは、ホク王子(?)の身長を羨んでるけど、そんな高レベルのないものねだりは放っておいて。
ユートレクトはホク王子が女性だって、気がついたみたいな言い方したけど、どこでわかったのかしら。
同性の私には、ちっともさっぱり全然わからなかったのに。
「あんたには、ホク王子が王子じゃないって、どうしてわかったの?」
「おまえと一緒にいるところを見ていたが、行動がな、男とは微妙に違う。優しすぎる。後は勘だ」
こいつがうちの宰相でよかった、と今ほど思ったことはないわ。
もし、対立するような国の高官にでもなられてたら、どんなことを調べあげられてたかわかったもんじゃない。
それも怖いけど、ホク王子とのやりとりをどのあたりから見てたのかと思うと、恥ずかしくなる。
あのとき……すごく怖い顔をしていたのは、ホク王子の素性を見極めてたからなのかな。
砂糖もミルクも入れずに飲み干したコーヒーのせいで、臣下同様、胃腸に不快な痛みを感じると、私は最後になった白いパンのひとかけらを口に放りこんだ。
それからしばらくしてから、私たちは部屋を出ると、今日の会議がある『天界の大広間』に入った。
既に各国のお偉いさんがちらほら集まっていて、開会式以来の大人数に、人酔いしないかしらと今から心配になってきた。
自分たちの席を見つけると私は腰をおろしたけど、ユートレクトは席につかなかった。
何気なく出入り口の方を振り返ったとき、ある人の存在に気づいたせいだった。
「……ラルフだ、少し行ってくる」
「ラルフさんって、昨日市街地で一緒に避難の指揮をした皇子さま?」
「そうだ、あそこにいる。おまえ、俺がいないからといって妙なことをするなよ」
ユートレクトと私に気づいて丁寧に会釈してくれたのは、まだ若くて(私も若いけど)いかにも少年といった感じのローフェンディア皇族服を着た男の子だった。
私も最高位の淑女にふさわしく返礼すると、元気よく鬼兄上を送り出した。
「妙なことなんてしないわよ。いってらっしゃい、きっと昨日のお礼にいらしたんだわ。礼儀正しい方なのね」
「いいか、おとなしくしていろ、絶対に余計な口を叩くなよ」
「わかってます。特にあの国の方々にはね」
「そうだ。ではな」
そう。
今日からは全世界の国々の人たちと顔を合わせることになる。
当然『あの国の方々』……疑惑満載の南方の大国フォーハヴァイ王国の人たちとも、どこですれ違ったりするかわからない。
私はフォーハヴァイ国王からしてみれば『かわいいわが血族を貶めた、けしからん奴の主君』なわけで、この人と顔を合わせるのは極力避けたいのよ。
え、『かわいいわが血族』って誰のことだ、って?
私を『あばら屋』に押しこめて、自分は『ミカエラさま』との夜に遊び呆けていたムチ皇子のことよ。
というわけで、ユートレクトが『天界の大広間』から出て行くと、私はおとなしく今日の会議の資料に目を通すことにした。
資料の中の数字に、頭が集中してきた頃だった。
「おや、これはこれは。中央大陸の美しき真珠、アレクセーリナ女王ではないか」
言葉だけは丁寧だけど、横柄なもの言いにいやな予感がして、心の中でだけむっとして顔を上げた。
今回の諸悪の根源、今の私の天敵ともいえるフォーハヴァイ国王その人が、肉のついた顎の上から私を見下ろしていた。




