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陰謀の糧2

****



「皇子は他人のことなどなんとも思っちゃいない。

 あの皇子だけじゃない、他の皇族や貴族も、大なり小なりそんな奴らばっかりだ。

 俺ら平民と骨董品だったら、希少価値の高い骨董品の方が大事ってわけさ」


 ボス男の表情に明らかな怒りの感情が現れた。

 他の賊の皆さんも傷ついた仲間を慰めながらも、憤りをどこにぶつけていいかわからない顔をしている。


  私はしばらくの間、信じられない気持ちでいっぱいで、言葉を返すことができなかった。


 世界最大最強のローフェンディア帝国の皇族や貴族が、あんなムチ男みたいだなんて。

 抵抗できない立場の人たちのことを、人とも思わない扱いをするなんて。


 私が今までお会いしたローフェンディアのお偉いさまたちは、たまたま『いい偉い方々』ばかりだったってことなのね……信じたくないけど。

 皇帝陛下やクラウス皇太子、リースルさま、それにうちのおせっかい宰相も……この際入れてあげるわよ。

 あのおせっかいだって、人として『いい人』かどうかは疑問符だらけだけど、上に立つ者としての考え方や行動は私も見習いたいと思ってる。


 今朝のクラウス皇太子の話を聞いてもショックだったけど、まさかこんな暴力をふるう皇族がいるとは思わなかった。

 皇帝陛下のお気持ちを改めて考えると、心苦しくなった。

 私がローフェンディアの皇帝陛下でも、ユートレクトに戻ってきてほしいと考えると思うもの。


 『そんな小国でぬくぬくしていないで、早く帰ってこい! おまえの器は、センチュリアなどで満足できるものではないぞ!』って、私だったらどなりつけてしまうかもしれない。

 私って、なにげにとんでもないことしてるのよね、やっぱり。


 なんだか話がそれてきたわね、ごめんね。


 ボス男が嘘をついているとは思えなかった。

 こんなこと嘘ついても誰の得にもならないばかりか、むしろ私がこのことをムチ皇子に話したりしたら、ボス男はじめ賊の皆さんは、私が想像できないような罰を与えられてしまうと思うから。


「……本当なの、その話?」


 ようやく私は口を開くとそれだけ言った。


「あんたにこんな嘘ついても、なんの得にもならんよ。それに……さっきは、乱暴してすまなかったな」


 ボス男はひげをしごきながらそう言うと、私の身体を起こしてくれた。

 他の賊の皆さんも、ボス男を見習ってか次々に頭を下げた。


「あ、ありがとう。いいわ、気にしないで。人それぞれ立場ってものがあるから」


 私はようやく身体を起こしてもらうと、首を左右に傾けた。そしてもう一度聞いてみる。


「みんな、やっぱり傷は手当てしないの?」

「ああ、せっかく手当てしても、もう一度鞭を振り回わされたら同じだからな。なに、みんな慣れてるんだ、心配いらねえよ」


 こんなときに何もできない自分が悔しかった。


 何も悪いことをしていないのに(私を誘拐して暴力をふるったのは悪いことだけど)暴力を受けて、それを『慣れてる』なんて言わせるムチ皇子が憎くてたまらなかった。


「すまねえな、俺たちも女王さまには何の恨みもないんだが、これが仕事なもんでな」


 誘拐実行犯に、誘拐したことを謝られるとは思っていなかったので、私はまた返答に困ってしまったのだけど……


 あ、少しずついろいろ聞いてみようかな。打ち解けたっぽい今なら、何か教えてくれるかもしれない。


「いいのよ、あなたたちは悪くないわ」


 そうとは言い切れないけど、そこはまあ、大人の会話ってことでね。


「ところで、あのム……じゃない、ええっと、ライムント皇子って、皇位継承権第三位って言ってたけど、本当なの?

 あんなことする人に皇位継承権があるなんて。クラウス皇太子はご立派な方なのに」


 ムチ皇子、と言おうとしてさすがに思い止まったけど、本名思い出すのに時間がかかったじゃないのよ。


「残念ながら本当だ……いや、構わねえさ、女のところに行ったんだ、どうせ当分戻って来ないさ」


 ボス男は部下たちの忠告とも言えない遠慮がちな制止を、毒舌で受け流すと続けて言った。


「皇太子殿下がいいお方なのが、せめてもの救いだな。だが、妃殿下まで亡き者にするなんてあんまりな話……」

「え!?」


 私は驚きのあまり、考えるより先に声が出てしまった。


 妃殿下まで亡き者にする、って。

 まさかムチ皇子が、今回のリースルさま襲撃の黒幕だっていうの?


「い、今のどういう意味? あのムチ皇子がリースルさまを狙ってるってこと!?」


 私はムチ皇子の本名も忘れてボス男にくってかかると、ボス男はムチ皇子も理解してくれたばかりか、拍子抜けするほどあっさりと告白してくれた。


「正確にはあの皇子の母上のお国だけどな。

 俺たちはあんたの担当だから、妃殿下のことがどうなっているのかは知らないが」

「ムチ皇子の母上のご出身って……」

「南方の一番でかい国、フォーハヴァイ王国さ」



*****



 あばら家のガラス窓が、がたがたと不安を誘う音をたてている。


 自分のことに必死で気がつかなかったけれど、雨足は風と共に一層強くなっているようだった。

 ユートレクトも今頃大変だろうな。


 そういえばあいつ、厨房に来てくれたのはいいけど、あれからどうしたんだろう。

 リースルさまたちも本当に無事だったかな。


 ……大丈夫よ、きっと。


 奴もここまで経っても来ないところをみると、リースルさまを助けてそのまま市街地に戻ったんだろうな。

 この大雨だもの、避難先だってどんなことが起こるかわからないし。

 私は私で、なんとか持ちこたえるしかないわね。


 それに今、とっても有力な情報も入ったし、これは、掘り下げてもっと聞き出さなくちゃ。


「フォーハヴァイ王国っていったら、すごい大国じゃない。もしかして、ローフェンディアを乗っ取ろうとしてるってこと? でもそうなったら、あなたたちも困るわよね」

「そうだなあ、まあ、俺らはあの皇子についてる形になるからどうにかなるだろうけどよ。だからって、いい気分にはなれねえわな」


 なるほどね。


 このボス男たちは、間接的にだけどフォーハヴァイ側についていることになるから、もしローフェンディアがのっとられても、フォーハヴァイにひどい仕打ちをされることはない、ってわけね。


 私の冷たい視線に気がついたのか、ボス男は、開いた両の手のひらをこちらに向けてぶんぶん振った。


「ご、誤解しないでくれ、それを狙ってあの皇子に雇われたんじゃないんだぜ?

 この仕事だってたまたまだ。俺らだって食っていかなくちゃならねえからな。

 フォーハヴァイの軍隊みたいないかついノリは、俺はいやなんだ」


 こういう選択を目の当たりにすると、統治者としての責任を考えずにはいられない。

 ローフェンディアほど国が大きいと仕方ない部分もあるだろうし、多少は個人の性格の問題もあるだろうけど、こんな風に悪とわかっている仕事を選ばないと、食べていけないような生活をさせちゃいけないと思う。


 でも、少し揺さぶってみようかな。

 これくらいは許してよね、なんてったって、私をぼこぼこにしたんだから。


「ふーん……ってことは、あなたたちは一時的に雇われただけなのね?」

「ああそうだ、あんな皇子に、誰が好きこのんで年がら年中仕えるもんか」

「ってことは、ムチ皇子にとっても、あなたたちは一時的なつきあいなのよね。

 それってつまり、用が済んだらすぐに縁を切れるってことよ? それを考えたことはある?」


 ボス男と部下たちの顔から、血の気が引いていく音が聞こえるようだった。

 考えてなかったのね。


 これだけ単純な人たちだったら、私でもいけるかも。

 よし、ここはもうちょっと押してみようかな!


「あなたたち、あの女遊びしかできないムチ皇子がうちの宰相に勝てるって、本気で思ってる?

 ユートレクトのこと、まさか知らないとは言わないわよね。

 あの人のことだから、絶対ここを嗅ぎつけて、あなたたちの身元もすぐに割り出すわ。

 そうしたらあなたたち、ただでは済まないわね。

 あることないこと言いふらされて、社会的にも人道的にも、世間さまに顔向けできなくなるわよ。

 そうなったら、あなたたちのご家族もどれだけ悲しむか……」


 これはとどめの一歩手前のつもりで言ったんだけど、あの男はどれだけの悪行を、ローフェンディアで重ねてきたんだろう。


 ボス男の顔が得体の知れない恐怖に震えているかのように、土色になっていた。

 部下の皆さんも涙ぐんだり頭を抱えたりしながら、助けを求めるような顔で私を見つめてきたけど、そのうち恐怖を思い出すような口調で次々につぶやきはじめた。


「……俺たちが、あの『バルサックの悪夢』みたいになるっていうのか!?」

「なんてことだ、妻や娘になんと言ったらいいんだ!」

「あんな目に遭うくらいなら、あの皇子を見限った方がよっぽど正義に近いじゃないか」

「お頭、あれだけは勘弁してくだせえ!」


 『バルサックの悪夢』ってなんだろう……と思ったのだけど、奴の報復でとんでもない被害を受けた人がいる、っていうのはよくわかった。


 ボス男(やっぱりお頭だったのね)が、部下の悲痛な叫びに答えるかのように私に訊ねた。


「やっぱりあのお方……フリッツ皇子は今でも恐ろしいので?」

「昔のことは全然知らないけど、間違いなく鬼宰相よ」

「よくあのお方を宰相になどできましたなあ」

「企業秘密よ。もし今辞められたら、二度と臣下になんかできないわ」


 ボス男の口調が、気のせいか丁寧になっていた。


「女王さまお願いです、俺らあなたの言うことをなんでも聞きます。

 ですから、あのお方には何も言わないでください、お願いします、この通りです!」


 そう言うと、ボス男は床に手をついて私に頭を下げた。部下たちも慌ててそれに倣った。


 いいんだけどね、結果さえ望みのものだったら。

 でも、とどめの一言だと思ってたことを言う前に成功しちゃうっていうのも、なんだかなあ……気が抜けるというかなんというか。賊の皆さん単純すぎよ。


 それにこれ、私の交渉術ってより、ユートレクトの力の賜物じゃないのよ。なによりそれが気に食わないわ。

 せっかく自分の力で賊の皆さんを陥落できると思ったのに。人の名前は簡単に借りるものじゃないわね。


 私は自分にしか理解できないため息をそっとつくと、ボス男たちに慈愛をこめて身柄を保証する約束をしたのだった。



******



 それからというもの、ボス男とその部下の皆さんはますます私に協力的になってくださった。


 リースルさまを襲った人たちのことは知らないと言ってたけど、だめもとでそのことを聞いてみると、思いもよらないことを教えてくれた。


「え、妃殿下を襲撃した奴らのことですか?

 あっちは、また別の奴らが担当していますからよくわからないんですが、実は……女王さまだからお話しますが、ちとややこしいことになっているみたいです」

「ややこしいこと?」


 私はボス男の言葉に首をかしげた。


「ええ、なんでも他に妃殿下を狙っている輩がいるらしくて、そいつに何人かやられたらしいんですよ。

 二、三日前……ちょうど『世界会議』の初日の晩の話ですがね。

 この日に妃殿下を襲撃する予定だったらしいんですが、そいつのせいで計画が延期になったそうなんです」


 え!?

 それって、私がバルコニーから一緒に落ちた奴のことよね、きっと。

 じゃあ、あれはフォーハヴァイ王国の刺客じゃなくて、また別の誰かがリースルさまを狙っているってこと?


 リースルさまのことがまた心配になってきた。複数の人から命を狙われているなんて。

 私がもしリースルさまの立場でそれを知ったら、きっと怖くて神経がすり減ってしまうと思う。

 ましてリースルさまは妊娠している。

 そんなデリケートな時期に……だからこそかもしれないけど、卑劣なことを企むなんて同性としても友人としても許せないわ。


 このことも、クラウス皇太子にはもちろん話すけど、リースルさまの耳には入れたくない。クラウス皇太子もきっとそう思うに違いない。


「そのときリースルさまを襲ったのも、どこかの国の手のものなのかしら」

「さあ、それはわかりませんが、そいつは一人だったらしいです。相当腕の立つ輩だったと聞きました」

「そう……で、あなたたちのお仲間は、今度はいつ襲撃をする予定なの?」

「それは俺らにもわかりません。さっきの話も、たまたまあの皇子から聞いたことなんです。けど、奴らの名前なら知ってます」

「え、本当!? 教えて、それぜひ教えてっ!」


 私はボス男ににじり寄ると、リースルさま襲撃実行犯のリーダー格の男の名前を聞き出すことに成功した。

 あとはクラウス皇太子に知らせれば、なんとかしてこの男を捕まえてくれるに違いないわ。


「えっと……(極秘情報)さん38歳男性とその他合計15名さまね」

「ええそうです、俺ら顔見知りで、戦場で何度か一緒になったこともありまして……

 女王さま、本当に俺らの身柄、保証してくださいよ? これがばれたら、全員身の破滅なんですから」

「わかってるわよ、安心して。私に二言はないわ」


 私は明るく答えたけど、ボス男は私のそんな調子に不信なものを感じたのか、いきなり凄みを利かせて私を睨んできた。


「女王さま、もし俺らをだましたら、そのときはさっきの続きといかせてもらいますから、そのおつもりで……よろしいですね?」

「そっちこそ、今教えてくれたことがもし嘘だったら、承知しないわよ」


 『さっきの続き』と聞くと、乱暴されたときのことを思い出して、とてもいやな気分になったけど、ここで怖気づいてもどうにもならない。私も負けじとボス男を睨みつけた。


 そのとき、私のお腹が緊迫感のない悲鳴をあげた。


 そういえば私、夕食をまだ摂ってなかったんだっけ。

 握り飯一生懸命作ってたんだから、一つくらい食べておけばよかった。


 私と睨みあっていたボス男にも、その音はしっかり聞こえていた。

 ボス男は決まり悪そうになった私の顔を見ると、大笑いして、


「女王さま、あんた大した心臓の持ち主ですな。おい、なにか夜食を調達してきて差し上げな」


 部下に私の栄養源を仕入れてくるように命令した。




 二時間後。


 申し訳ないくらい真剣な顔であばら家に乗り込んできたユートレクトを、私は一時解放してもらった両手にジュースと魚の干物を持った上機嫌の笑顔で迎えた。


 とても囚われの身とは思えない主君と、ふぬけた誘拐者たちのていたらくに、まじめ一辺倒の宰相閣下が怒りの鉄槌を下したのは言うまでもなかった。




「あんなことなら、永遠にあそこに置いておくのだった。労力の無駄なことはなはだしい」

「ごめんなさい……」

「これも、もういらんな。腹を減らしているだろうと思ってくすねてきてやったのだが、あれだけ食っていれば十分だろう。俺がいただくとしよう」

「あ、それ私が作った握り飯」

「誰が食うか」

「……な、なんてことするのよ、もったいないじゃないの!」


 相変わらず早足の宰相閣下が三角の握り飯を無慈悲に放り投げたので、私はすかさずそれを受け止めた。


 あの厨房の中で三角の握り飯を作ってたのは私だけだから、私が作ったってわかったんだけど、だからって食べないってどういうことよ。

 失礼しちゃうわ、握り具合にも塩加減にも、具の割合にまですっごい気を配ったっていうのに。


 ここはローフェンディア王宮の中。


 ユートレクトのお説教をとっくりみっちりと食らった後、賊の皆さんは私の懸命なとりなしで、ユートレクトがローフェンディア国内に隠し持っている『安全な場所』に潜伏することになって、速攻であばら家を後にした。


 そして私はもう夜も更けているということで、リースルさまの寝室には戻らずに別の場所で休むことになった。


 その場所に向かっているらしいんだけど、これがなかなか到着しないのよ。王宮に入ってから大分歩いているのに。


「どこまで行くの? そのへんの空いてる部屋でいいってば。

 あんまりリースルさまの寝室から離れていたら、明日書類とか取りに行くのに大変だし」

「よくはない。これ以上俺の寿命を縮める真似をしてもらっては困る。

 俺はまた市街地に戻らねばならんのだ。今度は何かあっても、誰もおまえを助けには来ないぞ」

「え、また市街地に行くの?」

「この豪雨のときに俺が市街地にいなくてどうするのだ」


 私もあばら家からここに入るまでに結構濡れたけど、ユートレクトが貸してくれたコートのおかげで身体は濡れずに済んでいた。

 その代わりにコートを貸してくれた人は、『男前製造皇族服』ごとずぶ濡れになってしまっている。

 とっても不謹慎な考えだけど、これはこれで水もしたたるなんとかという感じで、実はさっきからまともに姿を見られないでいる。


「ごめんね、ずぶ濡れになっちゃって」

「この雨も今が峠だ、恐らく二、三時間したら戻ってこられるだろう。

 そのときには今日の会議についても聞かなくてはならんし、捕まったときのことも洗いざらい吐いてもらうからな」

「うん」


 私は時折駆け足になりながら、大きな靴跡を追いかける。


 気がつくと、見たことがあるような場所に来ていた。もしかしたら、昨日このへんを歩かなかったかしら。

 そうよ、ここは確か、昨日長々とありがたい講義を受けた、奴の私室があるところよ。

 ということは……


「ねえ、ここってあんたの私室があるところよね。私、もしかしてあの本たちに囲まれて寝るってこと?」

「たわけが、あんなところで寝て疲れが取れるか。

 それにあそこには湯を浴びる場所もない。そんな汚れた格好のまま寝るつもりか、おまえは」

「いえ、できればお湯は浴びさせてほしいです……」

「黙って歩け、誰かが起き出してきたら話が厄介だ」

「はい……」


 一応、私に気を遣ってくれているのかな……ってことにしておこう。これ以上何か考えたら、また余計なこと妄想しそうだから。


 そうこうしているうちに、昨日お邪魔した偉大な書物たちのお部屋を通り過ぎて、そのとなりの扉の前でローフェンディア第二皇子さまの足は止まった。


「ここだ、さっさと入れ」


 今度は何が出てくるんだろう。

 大きな世界地図とかが貼ってあって『現在の世界情勢について』とか講義されたら、私いよいよ倒れるに違いないわ。


 緊張しながら足を踏み入れた未知の部屋は、そんな私の貧困な想像を超えていた。


 というより、昨日の今日で私の思考は健全に調整されすぎていた。

 昨日は少しでも想像できたことが、今日は全く予想できなかった。


「すぐ湯を浴びてこい、その間に着替えをここに置いておく。あとは俺が戻るまでそこで仮眠を摂っていろ」


 『ここ』はわかるわよ。浴場と思われるところの前にある、小さなテーブルよね。

 ここに置いといてくれたら、着替えも取りやすくていいと思うわよ。


 でも『そこ』って。


 とっても大きなベッド……二人くらい余裕で寝られそうなベッドが、どーんと鎮座してるんですけど。


 大きなベッドはありがたいんだけど、見覚えのあるノートやら、靴やら、上着やらが、そのへんに転がってるこの部屋はもしかして……


「あの、ここってもしかして」

「俺はもう出ていかなくてはならんのだ、反論は許さん」


 私は勇気を出して、熱くなってきた喉の奥からひっくり返りそうな声を絞り出した。


「まさかとは思うけど、ここってあんたの寝室じゃないでしょうね」

「俺の寝室以外の何に見えるというのだ」


 そのあまりに冷静すぎる返答に、私は目の前が真っ白になった。

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