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双頭の鷲1



 ユートレクトが私を連れて行ったのは、やっぱり先ほどまで潜伏していたとなりの部屋だった。


「おまえ……何を持っている」


 部屋の扉を閉めて灯りをつけると、私を見たユートレクトは心底呆れたとあからさまに物語っている声を出した。


「え?」

「それはローフェンディア皇帝が持つ皇杖だ。どうしておまえが持っている」

「なに言ってるの、私がそんな恐れ多いもの持つわけないでしょ。誰が棍棒と皇帝陛下の杖を見間違え……」


 そう言いながら、私は自分の右手を見た。


 私の右手にはもちろん棍棒……ではなくて、とっても立派な宝玉がついた杖が握られていた。

 しかも私の持ち方から回想すると、このご立派な宝玉の部分でペトロルチカ代表を殴打したことになるみたいで……


 自分から血の気が引く音が聞こえるっていうのは、こういうときのことを言うんだわ。


「きゃああああ!」

「大声を出すな、騒々しい」

「あああ、わわわわたし、ここれでペトロルチカ代表を、精魂込めてありったけ思いっきしぶん殴ったのよ!

 ちょうどいいところに、いい棍棒があると思って。

 どどどどうしよう、今度は私が皇帝陛下にどつかれるわ!」

「いい機会だ、どつかれておけ。それより早くこれに署名をしろ」


 そこで私はある重要なことに気がついて、杖の宝玉の部分を確認することにした。


「だだ大丈夫だったかしら、この宝玉。傷いってたり、ひびが入ってたら大変だわ。さぞかし希少価値の高いものなんでしょうね。センチュリアの国庫空にしても弁償できなかったらどうしよう。重大な国家存亡の危機よ。

 そんな困るわ、私の代で王国の歴史が終わってしまうなんて……ああよかった、傷もついてないし欠けてもいないみたい」

「いっそ欠けていて、おまえが退位でもすればいいものを。残念ながら今はおまえが女王だからな、これにとっとと署名しろ」

「ねえ、これはなんていう宝玉なのかしら。見たことない石だけど?」

「……」


 あら……皇子さまの視線が、ツンドラ地帯のように冷たい。

 私ったら、自分の粗相に動揺しすぎて大切なことを忘れてしまっていたわ。


 私は卓に置かれた書類を手に取ると、改めて目を通した。

 それは、クラウス皇太子がお昼までには作っておくと言っていた、ユートレクトの貸与覚書だった。

 これをわざわざここに持って来るということは……


「これをここまで持ってきたってことは、天候がもう悪化してきちゃったのね。

 あ、もう皇帝陛下の署名が入ってるじゃない。いつの間に署名をいただいたの?」

「そうだ。陛下の署名は、おまえがミクラーシュの連中と話しているときに頂戴した。

 天候が予断を許さない状況だというのに、おまえときたら……」

「ごめんなさい、その、いろいろと動揺してしまって。もう大丈夫だから」


 そう、私も大変なのよいろいろと。市街地の皆さんには、本当に申し訳ないと思うけど。


 今度こそ人の気も知らないで、このスリッパ皇子が……


 天候が持ちこたえてくれなかったのは残念だけど、覚書が早くできてくれていて本当によかったと思う。

 これでユートレクトは、晴れて(当人以外の目線だけど)ローフェンディア皇子として動くことができる。


 私は普段の文字は綺麗な方ではないけれど、これだけは猛特訓させられて一国の女王として恥じることなく美麗に書けるようになった、センチュリア女王としての署名を覚書二通にしたためた。


「はい、署名完了! もう皇帝陛下の署名は入っているし、一通は私がいただいておいていいわよね。

 もう一通は、私から皇帝陛下にお渡ししておくわね」

「ああ、頼む」


 ユートレクトはそっけなく言って、用は済んだとばかりに部屋の灯りを消したのだけど、何か思い出したらしく私の耳元に顔を寄せてきた。


「この雨に乗じて、今日あたり再度暗殺を企てる輩が現れるかもしれない。王宮内も今はごった返しているからな」

「そ、そんな。この大雨の中、襲ってくる人なんているのかしら」

「暗殺者には天候など関係ない。

 むしろ、悪天候は捜査の手を鈍らせるから、襲う側にとっては退路さえ確保しておけば好都合な天候だ」


 ふーん、そういうものなのね……


 私はよくない感覚にとらわれていることを、とうとう観念して自覚せずにはいられなかった。

 薄暗い中でこんなに近くにいたことって今までほとんどなかったし、しかも今の奴はとても卑怯なことに、『男を2割増男前に魅せる』ローフェンディア皇族服を着ている。


 ユートレクトのささやき声がいつもより大きく聞こえた。


 部屋が静かだからじゃない。

 薄暗いからでも、二人きりだからでもない。

 それらの要因を勝手に取り込んだ、私の五感だけが虚しく研ぎ澄まされていた。


「リースルを頼む」


 その言葉にはいつもより感情がこめられていて、私の心の奥にすとんと落ちた。


 『気をつけろ』じゃなかった。

 でも、こめられた思いは一つだけじゃないとわかったから、それが嬉しかった。

 その思いに応えたいと思った、心から。


「まっかせといて!」


 私は最高位の淑女にあるまじき元気のよさで答えた。


 本当にリースルさまを心配している気持ちと、私に対する信頼に。

 応えようじゃないの。必ずリースルさまは守るから、心配しないで!


 知られてはいけない思いを、見守ることしか私にはできないけど、私を信じてくれているとわかっただけで嬉しかった。


 ユートレクトは厳しい表情に少しだけ笑顔を浮かべると、いつもより少しだけだけど優しい口調で、でも言葉はいつも通りに私を激励した。


「午後からの会議、くたばるなよ」

「うん」


 いつもだったら『失礼ね、私がそんな間単にくたばるわけないでしょ』とかいう風に返すはずなんだけど、今日は……今はそう言えなかった。


 ユートレクトは部屋の扉に手をかけた。振り向きざまに私を見る。


「行ってくる」


 いつもより少しだけ優しい声も、少しだけ穏やかな表情も、扉が開いたらいつもの調子に戻る。

 なぜだかわからないけどそう思った。


「いってらっしゃい」


 私の笑顔はもしかしたら気づかれるかもと思うくらい、とろけたものになっていたかもしれない。

 でも嬉しくて、ささやかだけど切なくて、これ以上表情を殺すことができなかった。


 そんな私の思いに気づいているのかいないのか、ユートレクトは黙って頷くと扉を開いた。

 私も後に続いて部屋を出た。


 扉の外には、今日一日ユートレクトの部下として働くと思しき、ローフェンディアの兵士たちが数人集まっていた。


「待たせたな、行くぞ」


 兵士たちに向けたその声も表情も、やっぱりいつもの冷静すぎるものだった。

 振り向いて私に軽く一礼した仕草もいつも通り。


 遠くなっていく大きな背中を、どうしようもない笑顔でしか見送れなかったけれど。


 痛感した。


 私が好きなのは、やっぱりあの人だけだと。



**



 センチュリア王国は今までに何度も戦火に見舞われて、他国の占領下に置かれたり復興したりを繰り返してきた。


 その間、国王と呼ばれたのは初代国王から私まで合わせて四十五人。

 そのうち女性の国王……つまり女王は三人しかいない。

 私と、二十八代目のイレーネ女王、そして五代目のゲルトルータ女王だけなのよ。


 女性の国王だってもちろん結婚くらいしていいはずなのだけど、実は歴代の女王さまたち、二人とも結婚していない。


 二十八代目のイレーネ女王は、弟がいながらも王位を継いだほどの女傑で、自分亡き後は弟に王位を継承する、と宣言して、結婚はせずにお気に入りの男性との交際を楽しんだらしい。


 五代目のゲルトルータ女王は、当時一番王家の血が濃いという、私と同じ理由で王位に就いて苦労された方だけど、異性との交際に関してはイレーネ女王よりも奔放で、愛人の数は百人にものぼったという伝説もあるくらい。

 子供も大勢できたらしくて、妊娠していない年はないと言われたほどだったらしいけど、愛人への情は全く挟まずに、君主として一番優れていると思った子を後継者にしたらしい。


 その末裔が私なのね、と思うと、なんとも表現しづらい気持ちだけど。


 女王として一国を守っていこうと思ったら、このくらい肝が据わってないといけないものなのかしら……と、センチュリアのご先祖さまの歴史を勉強したときに、乙女としての今後に不安を感じたのをよっく覚えている。


 男性の国王の正妻なら、何も気にすることなく『王妃』と呼ばれるけれど、女王の配偶者つまり夫は、『国王』と呼ばれる場合とそうでない場合があるの。


 女王の夫が『国王』と呼ばれるのは、女王と共に国政を執る権利を与えられた場合だけ。そうでない場合は『王配』……女王の配偶者という扱いになる。

 イレーネ女王もゲルトルータ女王も愛人はたくさんいたけれど、王配、まして国王として自分の横に座ることを許した男性はいなかった。


 二人が国王を置かなかったのは、それなりの理由がある。


 自分の夫が本当に有能な人で、共同統治を執るに足る人なら問題ない。

 でも、そんな条件を満たしている男性なんてそういるものじゃない。

 仮にいたとしても、その人と結婚して国王にした途端、謀反を起こされて王家を乗っ取られてしまう可能性だってある。


 事実、ゲルトルータ女王もそんなことを企んだ男と結婚直前まで話が進んだことがあったらしくて、陰謀が発覚したときは、美しい黒髪が一夜で白髪になってしまうほどに怒り狂い、そのけしからぬ男を市街地で公開処刑にしたのよ。

 この後から、ゲルトルータ女王の壮麗な男性遍歴が始まったらしいけど……


 それはさておき、このことを知ってから、私は国王は置かないと心に決めていた。


 相手の人がどんなに優れていて心から愛し合っていたとしても、災いの種となる先例はどんな小さなものでも作りたくなかったから。


 この先また、女王となる人が必ず現れると思う。

 そのとき謀反を企む輩が現れたら、女王となった人の耳元できっと甘く語るのよ。


『(前略……きっといろいろと臭い台詞をほざくはず)アレクセーリナ一世も、国王を置かれて共同統治を執られたではないですか。

 あの方の国王のように、私も貴女と辛苦を共にして生涯を送りたいのです。神に誓ってあなたとこの国を守りぬきます……』


 こんな風にね、求婚の種に使われるのだけはごめんなのよ。

 それに、こんな求愛にころっと騙されてしまった未来の女王に、


『アレクセーリナ一世め!

 おまえが共同統治なんてしていなければ、こんなことにはならずに済んだものを! 末代まで呪ってやる!』


 とか、私はもう死んでるのに、子孫に逆恨みされても霊廟の中で安眠できないし。


 私は二人のご先祖さまほど賢明じゃない。二人とも男性国王さまも舌を巻くほどの功績を残している。


 イレーネ女王は今のセンチュリアの国際的地位『永世中立国』を最初に発案していたし、ゲルトルータ女王はセンチュリア王国史上最大の内乱を、自ら陣頭に立って制圧した。


 私にはそれほどの才覚はない。その自覚だけはあるつもりだから。


 そんな私が……本当になりゆきだけで女王になった私が、災厄の前例だけを王家の歴史に残すなんてできるわけないもの。


 私の役目は、大きなことはしなくてもいいから平穏に国を治め、早く後継者を作り育て上げることなんだろうと思ってる。

 『センチュリア王国史』に名前が挙がるようなことはできるだけしないで(もう一つだけしちゃってるけど)、穏便に次の世代へ王位を渡す……それが私に課せられた使命だと。


 だから、私の夫になってくれる人がもしも現れたなら、その人は『国王陛下』ではなく『王配殿下』と呼ばれることになる。


 王配には、国王のように政治的な権限はない。


 例えば国王の正妻……王妃がどんな形で国政に関わっているかを考えると、わかりやすいかもしれない。


 王妃の役割は、国の母たる存在であること。

 恵まれない人々の施設の慰問や、国の文化や教育の発展のの施設や学校を訪問したりもする。

 また、そんな団体の名誉職に就いて、活動を間接的にだけど保護したりもする。

 それから様々な催し物の観覧、各地方への訪問などなど……

 対外的には、各国の国家元首との晩餐会が開かれるときに、相手が伴侶を伴っていれば出席することになる。


 こんなにと言うべきか、これだけと言うべきか、私にはなんとも言えないけど、国王の正妻としての王妃の公務は大体こんな感じだと思う。


 これを単純に男性がすると考えればいい。


 ここまでが王配の公務。

 それ以外の形で王配が公務に携わることは、少なくともセンチュリアでは認められていない。


 だから例えば、私が好きになった人が将軍職に就いていて、相手も嬉しいことに私を愛してくれて結婚を承諾してくれたとしたら、その人には将軍職を辞めてもらわないといけなくなる。


 ……ユートレクト以外の誰に、今のセンチュリアの宰相が務まるだろう。

 誰にも代わりなんてできるはずがなかった。


 私が今までずっと自分の気持ちを言葉にしないできたのは、この思いがあったから。


 言葉にしてしまえば、思いが止まらなくなると思った。


 ローフェンディア皇族服をまとった姿を見たとき、本当は息が止まりそうだった。

 黒髪と濃い灰色の皇族服の中で、水色の瞳がいつもよりも輝きを増しているように見えた。ペトロルチカ代表をのした直後だっただけに、平静を保つのに必死だった。


 恐いけど、意志の強さを感じる瞳が好きだった。


 薄暗い中、耳元でいつもよりも優しい声を聞いたとき、思いがもう胸の内にしまいきれなくなっていることに気がついた。


 恐いけど、低くてよく通る声が好きだった。


 ただでさえ『世界会議』に入ってからはいろいろなハプニングが続いて、心が落ち着く暇もなかったから。

 お姫様だっこや、ホク王子とのあんなところを見られたこと、それに……リースルさまのこと。


 言葉にしなくても思いは止まらないことも、心のどこかではわかってた。

 それを自分の中で認めるのが恐かっただけ。


 彼のために心や頭が重くなったり痛くなったりしたとしても、私の気持ちは揺らがなかった。

 いっそのこと、そのせいにして彼を憎めればいいのにと願っても。


 この思いはこれからも、どうにかして自分の中だけで昇華していかなくちゃいけない。

 大丈夫、きっとうまくやっていける、やっていかなくちゃいけないんだもの……




 東方大陸地域の会議室から中央大陸地域のお偉いさんたちが退室していらしたので、私もその中に混じってユートレクトの背中を後にした。



***



 私たち中央大陸地域の元首たちが『清き泉の間』に戻って再び会議に入ってからも、雨は容赦なく降り続いていた。


 皇帝陛下はまだ戻ってきていらっしゃらないけど、今はちょうどお昼休みに入ったところ。

 個人的には手元の物に気を取られて、ここに戻ってきてからも会議にうまく集中できないまま午前中が終わってしまった。


 あれからずっと、ご立派な皇帝陛下の杖を拝借したままなのよ。


 会議中ずっと机の下に立てかけておいたのだけど、これが微妙なバランスで、いつカランコロンと音を立てて転がっていってもおかしくない状況だったから、気が気じゃなくて。

 このままだと、ただでさえ一人で必死な会議なのに精神上よろしくないし、他のお偉いさんの眼もとても気になる。


 私はまだ会議室に残っているクラウス皇太子に相談してみようと、会議室の前方にいるクラウス皇太子の席に近向かっている。

 皇帝陛下の皇杖と、ついでにユートレクトの貸与覚書も持って。

 多分どちらもクラウス皇太子にお渡ししても問題ないと思うんだけど……と考えながら、私はおずおずと声をかけた。


「……クラウス、お忙しいところを申し訳ありません。

 少しお時間をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


 クラウス皇太子は、自分の席に飛び散っている資料を整理しているところだった。


「ああアレクか、お疲れさま……そうか、覚書を持ってきてくれたんだね、ありがとう。

 それは皇杖だね、陛下がどこかへ置き忘れていたのかな」


 そう言って顔をあげたクラウス皇太子は、皇帝陛下の杖に首をかしげたものの、笑顔で応えてくれた。


 うわあどうしよう……お疲れさま、なんてクラウス皇太子に言われるほど、私は何もしてないのに。

 ごめんなさい、気が利かなくて。


「クラウスこそお疲れさまです。お忙しいところ本当に申し訳ありません。実は……」


 私は恐れ多い杖を差し出すと、事情を説明して心の底からお詫びした。

 ペトロルチカ代表の一件は、クラウス皇太子になら話してもいいと思ったから。


「そういうことなら気にする必要ないよ、心配もしなくていい。陛下もご覧になっていてご存知のはずだからね。

 それより、こちらこそお礼を言わなくてはならない。本当にありがとう、恐かっただろう?」

「いえ、とんでもありません。こういうところばかり神経が強くて、お恥ずかしいです」


 クラウス皇太子の思いやり溢れる言葉に、私はもったいなく思いながらも心が癒される思いがした。

 同じ血を受けているのに、どうしてああも違うのかしらね履物皇子は。


「それで……そちらが覚書だね、どうもありがとう。預からせてもらってもいいかな?」


 そしてクラウス皇太子は私がもう一つ手にしていたものを見ると、自分から申し出てくれた。


「はい、ありがとうございます、よろしくお願い致します」


 私は肩の荷が一気におりた気分で、ユートレクトの貸与覚書をクラウス皇太子に渡した。


「国家元首でもない私が覚書を預かるなど失礼な話かもしれないが、陛下からは許可をいただいているから了承してもらいたい……構わないかな」

「いえ、そんなこと夢にも思っていませんでした。

 お気になさらないでください。こちらこそどうぞ宜しくお願い致します」


 私はその腰の低さに、また慌てて言葉を返したのだけど、類は友を呼ぶって本当によく言ったものね。

 クラウス皇太子とリースルさま、言葉使いと程度は違うけど地位に見合わない腰の低さは一緒なんだもの。

 弟君は、クラウス皇太子の性格をうんぬん言ってたけど、本当にこの方のどこが性格悪いのよ。


「雨は強まる一方だね、困ったものだ」

「そうですね、早くあがってくれるといいのですけど」


 性格のとてもよい兄上は、窓の外を見やると深刻な顔でつぶやいた。

 そうして市民のことを心配している表情は、どことなくユートレクトと似ているような気がした。

 雰囲気だけよ。顔の造りは全く違うんだから。


 冷た恐い誰かさんと違って、クラウス皇太子はローフェンディア皇族服の力を借りなくても、十分男前だと思う。

 金髪に近い明るい茶色の髪は、乙女の私が恥ずかしくなるほどさらさらしているし、穏やかな深緑色の瞳には見つめられるだけで癒されるような気がする。


 こんな人が彼氏や旦那さまだったら幸せだろうなあ……毎日こんなに優しくしてくれるんだったら、一生懸命尽くせちゃうもの。


「ありがとう、確かに預かったよ。食事会場が混んでしまう、早く行っておいで」


 はーい、って言いそうになったけど、そうおっしゃるクラウス皇太子自身はまだまだ昼食って雰囲気じゃない。

 お昼休みもそう長くないのに、大丈夫かしら。

 私は心配になって聞いてみた。


「ありがとうございます。ですけど、クラウスこそまだお食事は摂られないのですか?」

「私はね……今日はこれがあるんだ。だから大丈夫」


 クラウス皇太子は、照れくさそうに机の下からかわいらしい包みを取り出すと、私に見せてくれた。

 あの方に接した人なら一目瞭然、それはリースルさまお手製のお弁当だった。


「今日は、昼頃から市民の避難が始まると思っていたし、避難がなくてもどの商店も開けていないから、王宮の厨房で炊き出しの用意をしていてね。

 リースルは朝から厨房でその指揮に入っているから、そのついでにね」

「そうなんですか……」


 さすが皇太子妃、未来の国母さまだわ。


 ローフェンディアって、なんだかクラウス皇太子が実質統治しているような気がしてくるんだけど、気のせいかしら。

 『世界会議』のうちの会議の議長だって、皇帝陛下じゃなくてクラウス皇太子だし。

 もしかしたら皇帝陛下は、近々クラウス皇太子に譲位されるおつもりなのかもしれない。


 そう考えると、将来皇妃になるリースルさまの命が狙われるのも、残念だけどうなづけてしまう。

 しかもリースルさまは妊娠しているし。


 今日の市街地の避難体制のことにしてもそうだけど、誰かがこの優しくて素敵な皇太子さまを、陥れようとしているのは間違いないのよね……許せないわ。


 それにしても、リースルさまが作られたお弁当なんて、一体どれだけかわいらしいのかしら?

 お花の形をしたウインナーとかウサギ形のりんごとか、絶対入ってそうだわ……って、市民の皆さんの炊き出ししてるときに、そんな悠長なもの作ってられないわね。

 でもリースルさまなら意外とぱぱっと作りそう……いや仮にも皇太子妃、貴族のご令嬢がそんな器用に包丁を扱えるものかしら……とかなんとか考えていると、クラウス皇太子のなんだか困っているような視線を感じた。


 私はあることに気がついて慌てて一礼すると、会議室を後にして食事会場に向かうことにした。


 私は明らかに、クラウス皇太子の昼食の邪魔をしていた。

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