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女王の椅子2*

****



 ユートレクトが私の宰相になったのには、ちょっとした愉快ないきさつがあった。


 私が即位して数か月後に、私にとっての異母姉エカテリーナ姫は、グラムート王国の皇太子のもとに嫁いでいってしまった。


 実はユートレクトったら、姉上がストライクゾーンで好みだったらしい。


 確かに姉上はかわいらしかった。街でも評判はよかったし。

 実際にお会いして、噂どおりだなあと思った。


 小柄で金髪に青い瞳はお人形さんみたいで、スタイルはどちらかというとぽっちゃりしているけど、出てるとこは出てて、引っ込むところは一応引っ込んでたし。

 明るくて、素直で、誰にでも優しくて……少なくとも表向きは。


 その姉上がグラムート王国に嫁ぐと公式発表される前から、ユートレクトはわけあって世界放浪の旅に出ていた。

 このときは、ちょうど『世界最後の楽園』といわれているマスガナス諸島で、柄にもなく自然に癒しを求めていたらしい。


 『世界最後の楽園』


 この響きで、普通に想像してほしい。


 便利とはかけ離れた生活だけど、それを補って余りまくる自然。

 どこまでも続く水平線と、青い空、白い雲。

 穏やかで、質朴な暮らしをいとなむ住民たち。


 この楽園に他国の情報が届くのは、早くて一か月後、遅ければ半年先なんてことも珍しくないらしい。


 だから『世界会議』の招待状が一番早く送られるのは、この国なんですって……ってそれはともかく。


 というわけで、ユートレクトが血相変えて、『世界最後の楽園』からほぼ裏側に位置するセンチュリアに駆けつけたときには、姉上は嫁いだ後で私が玉座にいたわけで。


 おまけに、ユートレクトのもとに届いた情報は、世界の裏側に届く間に微妙に変わっていた。


『センチュリア国王崩御!

 王女エカテリーナ姫、即位!

 亡き国王の妾腹の姫、グラムート王国皇太子と大恋愛結婚!』


 伝言ゲームじゃないんだけど……


 ちょっとだけマスガナス諸島のことを心配したけど、今までもこの調子で大丈夫だったんだから、普通に生活する分には問題ないんだろうと思う。


 さて。

 息せき切ってセンチュリアの王宮に駆け込んできた、ユートレクトの最初の一言がこれ。


「陛下、私をこの国の宰相に任じてください!

 陛下のためなら、私は虫にも植物にもなりましょう!」


 玉座の前にかかる御簾の内で私が絶句したのは、もちろん無礼を責めたのではなく本当に驚いたから。


 だってあの、ローフェンディア帝国の第二皇子が、なんでなんでどうして、私なんかにひざまづいてるのー!?

 あのときは、心臓止まるかと思うくらいビックリしたわ。


 即位前から、超一夜漬けの帝王学を叩き込まれ続けて、週に三回はユートレクトの名前は聞いていたから、存在だけは知ってた。


 講師の皆さんいわく、


『その頭脳と論説は、大陸をも切り裂く』

『ローフェンディアの、影の支配者となる人物』

『後継者が選ぶ・こんな弟は欲しくないナンバーワン』


 そんな世にも恐ろしい人が、こともあろうに私の前にひざまづいていた。


 その場に居合わせた重臣たちも、


『これは明らかにおかしい』


 と思ったようだったけど、このときまさに私に神が降りてきた。


 これを逃しちゃいけない、と、神は耳元で囁かれた。


 当時、センチュリア王宮の人材は明らかに少なかった。

 姉上と共に、重臣の四分の一が国を離れてしまっていた。異国に嫁ぐ姉上をお慰めするために。

 小国だとね、四分の一でもいなくなられると辛いのよ。


 私も含めて残された四分の三で、なんとか執務をこなしてはいたけど、過労のために倒れてしまった人もいて、人材は喉から手が出るほど欲しかった。


 でも、永世中立を謳っているセンチュリアの国の性質上、あまり素性の知れない人には立ち入って欲しくないと思っていたから、簡単に『求む、重臣!』とは言えなかった。


 そんなところへ、めちゃくちゃ有名人の大物が頭を垂れて来てくれた。


 それこそ何かの陰謀かもしれない。けど、その様子はとても演技とは思えなかった。


 彼が裏心なくこの国の宰相になってくれたなら、私もみんなも本当に心強い。姉上への思いは別として。


 私はユートレクトに声をかけようとした重臣たちに御簾の内から、


『手を出さないで! この大物、皆のためにも釣り上げてみせるから!』


 と、無言の指令を投げた……




 ユートレクトが、


「はかったな!?」


 と怒号を挙げたのは翌日のことだったけど、もうあとの祭り。


 法的にも、対外的にも、人道的にも、決して間違ってない方法で、私は彼を宰相に迎え入れた。


 あんな神業、もう一生思いつけないと思う。

 私の脳細胞、このときすべて使い果たしたって言っていいと思うわ。

 だから、今日も私の代わりに頑張ってねユートレクト!




 この偉業の反動にしてはシビア過ぎる事件が、自分の身に起きるなんて、このときは知るはずもなかった。



*****



 ユートレクトを私の国の宰相に迎え入れたことは、本当に大金星だった。


 『センチュリア王国史』という本を、王立図書館の職員たちがこつこつ書いてくれているのだけど、これに間違いなく載ると思う。


『世界暦一四七二年

 第四十五代国王アレクセーリナ一世、ローフェンディア帝国皇子フリッツ・ユートレクトを宰相に迎え入れる』


 こんな感じで。


 ちょっと冗談だと思ったでしょ、今回ばかりは本当なんだから!

 超大国の皇子さまを臣下にするということは、そのくらい私の国にとっては一大トピックスなのよ。


 でも、喜びの後には、困惑、迷走、大混乱の毎日が待っていた。




 ユートレクトは、私と重臣たちにしてやられたことを、自分のことは棚に上げてひとしきり嘆いた。

 そして、今ではおなじみになった、気圧も音程も低い声でこう断言した。


「俺がこの国の宰相になるからには、必ずこの国を世界一にしてやる。でなければ、俺の矜持が許さない」


 矜持ってなに意味わかんないんだけど? とこの時は思ったのだけど、とても聞ける雰囲気ではなかったので黙っていた。


「この国を世界一にするということは、国を治める統治者にも、世界随一の統治能力が必要になる……おまえのことだ」


 このときからユートレクトの、私へのおまえ呼ばわりは始まった。


 そしてユートレクトは、自分の執務する場所を、こともあろうに私の執務室に設けると言い出した。


「か、勝手に決めないでよ……

 あ、いえ、ご多忙になると思いますし、王宮の部屋はたくさん空いておりますから、他に執務室を設けていただいていっこうに構いませんわ」


 私は当然の心遣いをしたつもりだった。

 心遣いでなくても、国王と宰相が机を並べて仲良く執務するなんて話は、即位前からも聞いたことがなかったから。


 なのにこの男は、私の気持ちを知ってか知らずか、非情な口調で言ったのよ。


「何を……たわけが。俺の話を聞いていなかったのか。

 おまえを監視できないところにいて、どうやって世界一の統治者に教育できるというのだ。

 統治者としての自覚があるのか、おまえは」


 気圧が低い、なんてものじゃなかった。


 それは、私が今まで聞いたこともないほど冷たくて、触れてしまえばたちまち身体が凍りついてしまいそうな、刃が氷でできた剣のような口調だった。

 私の存在までが否定されたように感じた。


 大国の王族ってみんなこんな話し方するのかな、と思うと、半年だけだったけど一緒に暮らした姉上が、まるで天使のように思えた。


 台詞だけを見ると、優しい言葉に見えなくもない。

 こんな私を世界一にしてくれるというのだから。


 でも、私にだって、この頃には女王としての自覚はあった。『統治者としての自覚』を疑われたら、胃がむかむかしてくるほどくらいには。


 いくら『世界最後の楽園』にいたからって、彼くらい世の中のことを知っていたら、センチュリアに足を入れればわかったはず。先代国王の頃より街に活気があること。


 私と重臣たちは、先代国王の頃からやや傾いていたセンチュリアの経済を、少しずつだけど建て直していた。

 それは、日につれて街のみんなに笑顔が多くなったことからも見て取れた。


 わけのわからないまま王宮に入れられて、なりたくもない女王なんかになって。


 それでも『統治者としての自覚』がなかったら、今までこんな必死にやってこなかったよ……?




 だから、ユートレクトの『氷の刃』は一生忘れない。


 この先、どれだけユートレクトが私に尽くしてくれても。

 私がどんなに彼を信頼し、尊敬するとしても。


 このときから、私の心に亀裂が入り始めた。



******



 ユートレクトの『氷の刃』は、その後もたびたび私を突き刺した。


 彼が発する言葉の一つ一つが、私の感情にずしん、ずしん、といやな音をたててぶつかった。


 周りのみんなはそれを感じたり感じなかったりだったけど、私と同じく彼の言葉に違和感を持った人は、


「宰相閣下はきっと、ああいう言い方しかできないお方なのですよ。

 悪気があってのことではないと思いますよ。育ちも育ちですしね」


 王宮の侍女長で、宮廷のいろはを教えてくれたマーヤが私にこっそり話してくれた。


「気になさらないのが一番ですよ、姫さま」


 私は今でも姫さまと呼ばれている。

 即位前から、何くれとなく世話を焼いてくれた王宮に仕える官吏たちや重臣たちが、親しみを込めてそう呼んでくれる。


「そうだね……ありがとうマーヤ」


 このときも、マーヤの心遣いに感謝しながら頷いたのだけど、それでも私の心は落ち着かなかった。


 毎日、毎日、小さく……だけど、鳴り止むことがない、ずしん、ずしん、という心の音。


 お小言には、即位前から受けたもろもろの女王修行で十分慣れていたつもりだったけど、ユートレクトのお小言は、マーヤや重臣たちのものとは比べ物にならないくらい強烈だった。


 思い出すだけでも辛くなるから、『例えば他にどんなこと言われたの?』とかいうのは勘弁してね。

 今までで、言われて一番腹が立ったときの気持ちを思い出してくれたら、と思う。




 ユートレクトがセンチュリアの宰相になって半年くらいたった頃から、朝起きると、頭が重くなっていた。


 物忘れがより激しくなった。


 それで怒られると、頭の中が沸騰するくらい熱くなった。


 何かを彼に尋ねるときは、心臓の動機が異様に早くなって、息をするのも苦しくなるときがあった。


 そんな状態が三か月くらい続いたのかな。


 ある日、いつもの通り執務室に行くと、


「昨日話していたこの件だが……」


 ユートレクトの声が聞こえなかった。

 聞こえなかったので、当然無視していたら、


「聞こえないのか!? まだ寝ているつもりか。よくも立ったまま眠れるものだ」


 私は自分の椅子に腰かけようとした。


 さすがにユートレクトもおかしいと思ったらしく、私の両肩をつかんで揺さぶった。


「おい……どうした!? 聞こえていないのか、返事をしろ!」


 突然、肩をつかまれたので、肩に乗っている手、腕、肩を見た。

 そして、その上の顔……


 顔が見えなかった。


 小鳥のさえずり、廊下の外の足音。

 いつもの机、いつもの筆記具。

 自分の手、相手の手。

 全部見えているのに。


 ユートレクトの声と顔とだけが、私の世界からなくなった。

2019.12.8.ユートレクトを宰相に任じた年を訂正しました。

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