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嵐の朝2

***



「な……!」

「それは本当か、本当にいいのかアレク!?」


 ユートレクトの反論より先に、クラウス皇太子が身を乗り出して喜びをあらわにしたので、私は大きく頷いた。


「はい、もちろんです。

 この非常時、一番に優先させることは市民に被害を出さないことですもの。それをできる者がここにいるのですから、ぜひとも協力させるべきだと思います。

 ただ、私は貴国の事情をよく存じ上げませんから、そのようなことが許されるのか、わかりかねるのですが……」


 クラウス皇太子の表情を見れば、ユートレクトは今すぐにでも第二皇子としての責務を押しつけ可能な状態だというのは明らかなんだけど、ここは知らないふりをしておく。


「おい、おまえ、ちょっと待て、何をふざけたことを……」

「大丈夫だよ、その心配は全くいらない。皇帝陛下もさぞお喜びになることだろう。

 もちろんわが国はフリッツの皇籍返還を認めていないしね。フリッツは今でもわが国の正式な第二皇子だ」

「そうですか、それはなによりです。で、手続きなどは何か必要になるのでしょうか?」

「待てと言っている、話を勝手に進めるな……」

「そうだね、ローフェンディア皇族とはいっても今ではセンチュリアの高官だからね。

 他国の貴重な人材を借りるのだ、覚書くらいは取り交わさなくてはならないね。

 皇族服も用意しなくてはならないし、その準備に午前中はかかるかな。

 それまでラルフには少しの間頑張ってもらおう」

「皇族服だと? 俺はそんなもの着ないぞ……」

「では、午前中は会議に出席させてもよろしいですか?」

「もちろん。昼休みまでに覚書は用意させる。昼休みに入ったら署名してもらえるようにするよ。

 アレクも昼からは一人になるが、何かあったら私が助言するなり力になるから安心してくれ」

「ありがとうございます。そのお言葉だけでも心強いですわ」

「おい、二人ともいいかげんにしろ! 当事者を抜いて話を進めるな!」


 私とクラウス皇太子が国際的契約をしている横から、無粋な声が聞こえてきた。


「フリッツ、服のサイズは変わっていないか?

 ローフェンディア皇子として動いてもらうことになるから、皇族服は着てもらわなくてはならない。

 いくらみながおまえの顔を知っているとはいえ、センチュリアの文官の服のままでは具合が悪いだろう」

「よかったわねユートレクト、服まで支給してもらえるなんて」

「そうだ、コートと長靴も用意するが、足のサイズも変わっていないだろうな?」


 そうよ、こんな大雨に濡れたら、明日着る服に困ってしまうもの。


「兄上……」

「ん?」

「謀りましたね」

「人聞きの悪いことを言うものじゃない。本当にアレクに聞いてもらってよかったと思っているよ。

 なにしろ、最大の助言がもらえたのだからね」


 うふ……うふふふふふ……


 私は不謹慎かもしれないけど、妙な喜びを感じていた。


 だって、ユートレクトが他人に負けるのを、また見られるとは思ってもみなかったんだもの!


 でもね、いやがってはいるけど、本当は誰よりも心配しているはず。

 自分の身さえ自由なら、今すぐにでも市街地に飛んで行くと思う。

 ただ、ローフェンディアの皇族として動かないといけないのがいやなだけなのよ。


 もし『世界会議』の最中に、『市街地が大変なことになっていて一人でも多くの人が必要なんです! 手を貸してください!』なんていう要請があったら、誰より先に出て行くに違いないんだから。


 ユートレクトは盛大なため息をつくと、私の方をぎろっと睨みつけて、


「おまえは……兄上の策にまんまとはまりおって……」

「あら、策ってなあに? いやだわ、クラウスがそんなこと考えるわけないじゃないの」


 この返答で、私がクラウス皇太子の陰謀に気づいていたことを知った履物皇子は、完璧にセットしている黒髪に手をかけて……迷っていたけど最後の理性でかきむしるのをやめた。


「今日だけだ、今後一切このような話は受けんからな! 兄上もそのおつもりで!」


 これで何度目になるかは知らないけど、ユートレクトは数少ない敗北の憂さを食欲で晴らすことにしたのか、お皿の上にてんこ盛りになっている朝食を再び黙々と食べ始めた。


「ありがとうフリッツ、感謝するよ」


 兄上の笑顔には見向きもせず、履物皇子は焼きたてではなくなったパンを、まるで親の敵のようにちぎっては食べちぎっては食べている。


 クラウス皇太子は冷めたオニオンスープを大事そうに飲むと、私に改めてお礼を言ってくれた。


「アレク、本当にありがとう。今回初めてお会いしたが、あなたには本当に感心させられたよ。

 弟が言っていたイメージとは全く違っていたのでね」


 ユートレクトが言っていたイメージ?

 またこの男は私のいないところで、あることないこと言いふらして回ってたわね。


 ほら吹き弟は、素知らぬ顔で冷えたパンにバターを無理やり押し付けて、黙々と口に運んでいる。


「とんでもありません、私にできることをしただけです。

 私自身も被災している市民の皆さんに、何かして差し上げられたらいいのですけど」

「聡明でありながら謙虚、まさに女王のかがみと言える。フリッツの減らず口にもつきあってくれるし、本当に優しいのだねアレクは」

「いえそんな……」


 かなりの誤解があるようだけど、そんなに持ち上げられたら、私どこかへ吹き飛んでしまいそう。


「誰だろうね、こんな素晴らしい女性のことを、『立てば土管、座ればワイン樽、歩く姿は巨大イノシシ』と言ったのは」


 ピンク色の空を天使のように舞っていた私の心が、一気に氷点下の世界に突き落とされた。

 そんな趣味の悪い例えをするのは。


「ユートレクト、私のいない『世界会議』の間、一体何をどれだけ言いふらしたの!?」


 今度は冷えたコーヒーを飲んでいた愚かな臣下は、黙ってコーヒーを飲み干すと、空の食器たちをすべて置き去りにしたまま、書類を持って無言で席を立っていった。


 あいつ、いつか必ず仕返ししてやる……ってこの『世界会議』の間だけでも何度思ったことか。


「珍しいね、二人のやりとりは。先ほどから見ていて全然飽きないよ。

 フリッツがあんなに楽しそうに他人と接しているのを、始めて見た。正直驚いているよ」


 私の心の葛藤を知らず、クラウス皇太子は楽しそうに笑ったけど、次の一言はとても笑えるものではなかった。


「どうかな、アレクさえいやでなければ、あれをぜひもらってやってくれないかな?」


 ローフェンディア皇太子夫妻はとってもいい方たちなのだけど、私の鬼門になりそうだった。



****



 ただ今『世界会議』四日目の『各地域首脳及び閣僚代表会議』まっただなか。


 二日目に『中央大陸縦貫道』について話し合ったとき、ルートとかで折り合いがつかなかった国同士が、昨日提示された新たな試案や新ルート案を踏まえて、再度交渉に入っているところなんだけど。


 私は……言っちゃいけないことだけど、正直ちょっとだけ暇なのよ。

 暇っていうのはよくないわね、よからぬことをあれこれ考えちゃうから。


 実は今になって、昼からユートレクトがいなくなることがかなり不安になってきている。


 奴がいなくなるということは、私一人で二人分の働きをしないといけないということ。

 つまり昨日、閣僚代表会議で話し合われたことも、確実に把握して議事に臨まないといけないのよ。


 ところが……昨日聞いた話は頭とノートに入ってるのだけど、まさかユートレクトがいなくなるとは思ってなかったから、細かい数字的なものまでは覚えてないのよね。

 でも、そんなことも踏まえておかないと、これからの会議で他国のお偉いさんたちの足を引っ張ってしまう。


 昨日の会議のことが書いてあるノート、何がなんでも置いていってもらわなきゃ。

 忘れないうちに言っておかないと……だけど今は会議中。

 話せないからこれで伝えよう。


 私は二日目のように、


『昨日の会議のノート、置いていってね。数字まで覚えてないから』


 とノートに書いて、となりに座るユートレクトに見せた。

 横から慎ましく現われたノートを、履物閣下はいつもの冷静すぎる表情で見据えると、すぐに何か書き足してこちらに戻した。


『そんなものはない。数字は頭の中に入っている』


 あんたの頭だけここに置いていってほしいわ……でも、それは冗談抜きで怖いから、


『ここに重要な数字だけでも書いておいてもらえないかしら』


 と書いて、またノートを差し出した。


 そうしたら履物閣下の手が、明らかに文字を書いてる動きではなくノートの上を走り出した。


 しばらくして帰ってきたノートには、もろもろの数字がノート一ページ分びっしりと、手書きの表の中に分類されておさまっていた。

 しかも、昨日聞いたままの数字じゃなかった。はっきりとした数字は覚えてないけど、その程度のことはわかる。

 それぞれの数値に、他国との違いがわかるように、センチュリアが一だとしたら、他の国は一.五とか〇.六という比率計算まで入れてくれていた。


 よくもまあ、これだけの数字を頭に入れていられて、暗算までできると思う。

 クラウス皇太子にも皇帝陛下にも、頼られたり戻ってきて欲しいと思われて当然だわ。


 でもね、今日は貸与するけどもうだめだからね!

 私の神がかった極秘技術で手に入れたあの頭脳は、死んでも手放すわけにはいかないのよ。


 それにしても、もし今回ユートレクトが首を縦に振らなかったら、クラウス皇太子やラルフ皇子はどうなってたんだろう。

 仮にユートレクトが放浪先のどこかであの世に行ってたりしたら、こんなことお願いできないわけだし。


 私はふと思いついた疑問を、履物先生にお伺いしてみることにした。


『ローフェンディアでは、首都の管理を皇子さまたちがしないといけないみたいだけど、臣下に任せるわけにはいかない理由でもあるの?』


 そうなのよ。


 そもそも皇子さまじゃなくてもよければ、もっと優秀な臣下たちに指揮を執らせればいいんだもの。

 それができないんだろうから、わざわざ出奔したユートレクトにお願いしたんだろうし。

 だから、何か特別な理由でもあるのかなと思って。


 履物先生は、できの悪い生徒の答案用紙を見るような目つきでノートを見ると、またしばらくの間、ノートに鉛筆を走らせてからこちらに返却してくれた。


『ローフェンディアは、代々皇族自らの力で領土を守ることを国是としている。

 従って皇族が領土拡大、防衛の最前線にも立てば、首都の防衛、災害時の指揮にもあたる。

 特に首都には皇族の霊廟があるため、先祖の霊を守るという意味でも皇族自らが動かなくては、国を造り、守ってきた先祖たちに顔向けができない。

 ローフェンディア皇族、特に男児は、その教えを幼少の頃から徹底して叩き込まれる。


 皇族が愚昧であれば、臣下の尊敬も得られない。

 そればかりか、臣下に見限られたなら、いつ君主の座を盗られるかもしれないからだ。


 ところが、血縁関係に大貴族や他国の思惑が入り始めた頃から、この教えは徐々に薄められつつあるのが現在の状況だ。詳細は今朝の会話を思い出せ』


 ユートレクトがセンチュリアでもあちこちに出かけて行ってる理由が、わかったような気がした。

 特に、事故や災害が起こったときの行動の早さったら、ただ事じゃないと思ってはいたけど、こんな風に教えられてきたなら無意識のうちに身体が動くんだろうな。


 窓の外を見やると、雨足は強くはなっていないけど、風が止まないのが気になる。

 順調に避難経路とかが確保できればいいけど……と思いながら視線を戻すと、同じように窓の外を見ていたらしいユートレクトと目が合った。


 履物皇子は少し考えた後、私のノートに手を伸ばして何やら書き込んだ。


『今の天候の状態なら、ラルフ一人でもなんとかなるだろう。

 だが少しでも悪化したら会議中だろうと関係ない、即刻市街地に向かう。覚書などの後の事務処理は任せる』


 『後の事務処理』って簡単に書いてくれてるけど、それだけ天候も危険な状態ってことなのね。


 私は履物皇子の書き込みの下に『了解』とだけ書き添えた。


 一日目の晩餐会で、ローフェンディアの貴族令嬢たちがユートレクトのことを、『クールな感じで素敵』とか言ってたのを思い出した。

 とんでもないわ。『後の事務処理』ってねこういうことよ。


『会議中だろうと俺は市街地に行く。後のフォローと怒られ役はおまえに任せる』


 なんて言う人の、どこが『クールな感じで素敵』なのよ……


 突然、背後の扉が開いた。


 ローフェンディアの結構地位が高いと思われる衛兵さんが、敬礼の後室内に入ってきて、会議は自然と一時中断された。

 衛兵さんはクラウス皇太子に近づくと、何かを報告している様子だった。

 とても小さな声で話しているので私たちには聞こえないけど、市街地の堤防が切れた、とかいう報告にしては少し長すぎる。


 クラウス皇太子が衛兵さんを待機させたまま、皇帝陛下に耳打ちをした。

 きっと衛兵さんが報告したことを伝えているんだろう。


 クラウス皇太子の報告を聞き終えた皇帝陛下が、すっくと立ち上がった。


「……会議を中断させてすまぬ。

 東方大陸の会議で、ペトロルチカの代表が暴れておるそうだ。

 現段階では、衛兵は他国の会議の場には立ち入られぬゆえ、これよりわしが鎮めに参る。

 みなには引き続き会議を進めておいてもらいたい」

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